第2話
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
二人の間を、沈黙が走る。
いったいどうすればいいんだ、僕は。
僕の目の前には、謎の異国風の、同い年くらいの少女が、こっちを向いて佇んでいる。
彼女はいささか困惑した表情を僕に向けているが、困惑したいのはこっちの方だ。
長いだけの退屈な学校から、ようやくのことで部屋に帰ってこられたと思ったら、謎の少女が家に出現していた。
意味がわからない。
どういうことなんだこれは。夢の中か? ここは?
僕は試しに自分の頬をつねって見た。
痛い。しっかりと痛みがある。やっぱりこれは夢じゃないようだ。
いきなり頬をつねり出した僕の姿を見て、目の前の少女は困惑の度合いを一層と強めた。
眉のひそまり方も、さらに角度を急にしている。
くそっ、だから眉をひそめたいのは、僕の方だっていうのに!
彼女は僕の部屋を見回している。
じっくりと観察するように、壁際に置かれているテレビとか、その上にかかっている時計とか、僕の後ろ側にあるキッチンやら、僕の横にある押し入れやらなんやらを、もの珍しそうに熱心に見つめている。
いったい何をそんなに、僕の部屋の様子をじっくりと確認する必要があるんだ?
もしかして、泥棒!? 盗むものを見定めているとか?
いや、それにしては間抜けすぎる。仕事中に現場で一眠りする泥棒なんて、聞いたことがない。
それに、家主が帰ってきた時点で、もう盗むも何もないだろう。泥棒だとしたら、その時点で取るべき選択肢は一つ、全力で逃げることなはずだ。
それなのに、なぜかこの子は、今僕が帰ってもこうして気だるそうに布団の上に座っている。
僕の布団の上に女の子が・・・・って、何を考えてるんだ僕は。集中集中。
さて、どうすればいいんだ僕は。
普通に考えたら、まあ、とりあえず通報するってところなんだろうけど。
少なくとも、彼女は不法侵入の構成要件は満たしているわけだし、警察に言えば確実に彼女を引っ張っていってくれるはずだ。
それで問題は解決しそうなものだけど、けれど・・・・
僕はちょっと気にかかることがあった。
まず彼女は先ほど、謎の言語を喋っていた。
あれは英語じゃなかった。
かといって、フランス語とかドイツ語とかって感じでもない、聞いたことのない言葉だ。謎の言語としか言いようがない。
そうすると、彼女は外国人ってことになる。
だとすると、問題になってくるのは、彼女は不法入国者かもしれないってことだ。
もしそうだったとしたら、僕が彼女を通報したとすると、彼女は逮捕されるだけでは済まず、強制的に国外退去になる可能性もあるだろう。
いや彼女がどうなろうと僕には関係のない話ではあるけど、そんな大事を僕の手で招いてしまうのは避けたい。
うーん。そうなると、一応警察に通報するのはやめにしておいて、とりあえず彼女に部屋から出てってもらって済ますことにしよう。
そのことを彼女に伝えないと。えーっと、日本語は通じないようだから、英語なら通じるかな?
「アー・・・アイウォントユートゥーゲットアウトフロムマイ・・・」
「セルン ディスカ レテュール、イウギウス レカ?」
「!?」
「シェーダ アングラ ディ・アロー ラエプンカ シェウィ?」
「・・・・???」
僕が英語で退去を願おうとした瞬間、彼女は謎の言語を僕に畳み掛けてきた。
もちろん僕には彼女が何を言いたいのか、何一つ理解できない。
しょうがない、もう一度英語で彼女に話しかけてみよう。
「キャンユースピークイングリッシュ?」
「・・・グラータ・ディヴ・フェルーナ?」
「」
ダメだ。全く言葉が通じない。
どうやら、彼女は英語も喋れないようだ。
困ったな・・・このままだとなす術がないぞ。
ただでさえ急展開の事態で混乱している頭を、僕は再び回転させて、この状況を打破する方策を探し求めた。
しかしそう簡単には見つからない。ああ、頭が蒸発しそうだ!
そんな感じで苦悶に襲われている僕を尻目に、彼女はいつの間にか立ち上がって窓の外を眺めていた。
今はちょうど夕方の6時。窓からは薄橙色に染まった光が差し込んでいて、その向こうには、ポツポツと部屋の灯りがつき始めたマンションの景色が見える。
そんなセンチメンタルを感じさせる光景を、まるで世界の絶景がそこにあるかのように、彼女は目を大きく見開いて眺めていた。
彼女の紅い瞳が、夕日を受けて一層と赤く輝いた。
まったく。人がこの謎の状況をどうにかすべく苦しんでいるっていうのに、まるで他人事みたいに、あっちの方向に体を向けている。
いったい、何をそんなに物珍しい目つきで外を眺めているんだ?
日本ならほぼどこでも見られる、ごく普通の都市部の景色なのに。
彼女いた国にはマンションがなかったとか?
いやいや、いくらなんでもこのご時世にそんな国は存在しないだろう。
中東やアフリカあたりの紛争地域ならまだしも、彼女の顔つきをみるにそこらの出身ではなさそうだし。
彼女は日本人とは明らかに違う顔をしてるけど、かといってヨーロッパの人みたいにガッシリとした顔つきをしてる訳でもないし、インドやイランあたりの人とも違う顔だ。
無理に例えるとするなら、ゲームのキャラクターにいそうな、そんな感じの顔だ。つまり、現実世界にはなかなかいないタイプの顔。
目の色だってそうだ。青や緑や黄色とかなら外人によくいるけど、紅い色の目となると、僕は現実では見たことがない。これも、ゲームやアニメから出てきたって感じの目だ。
・・・つくづく謎な少女だ。
謎しかない少女だけど・・・・・・かわいい。
って、だから何を考えてるんだよ!
違う違う! 僕は彼女にここから出ていってもらわないといけないんだ!
よし、もう一度彼女に話しかけてみよう。
それでも通じないようなら、その時はもう、無理矢理にでも出ていってもらうしかない。
正体不明の彼女をこのまま家に置いておくのは、あまりにも危険すぎる。
もし彼女が不法入国者だった場合、彼女を匿っていた罪とかで僕まで捕まる可能性がある。そんなリスクを負うことなんてできない。
ゴホンッ、よし。
僕は彼女に再び話しかけるべく、立ち上がった。
「ヴッ!」
僕の声ではない。
窓の向こうを眺めていた彼女が、突然鈍い響きの声を発して、膝をついて床に座り込んだのだ。
頭が痛むのか、おでこを白い手で抑えながら、苦しそうに顔を歪めている。
「ど、どうしたの!? 大丈夫?」
慌てて僕は彼女に寄っていく。
彼女はさっきまで大きく開いていた目を横に細めて、頭の痛みを表している。
こりゃ大変だ。
「えっと、頭痛薬とかあったっけな・・・」
薬箱を見てみよう。
僕が立ち上がろうとすると、彼女は手のひらをこちらへと向けて僕を制止した。
彼女はふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、ノロノロと歩き出した。
「あ、ちょっと! あんま動かない方が・・・」
僕の制止も聞かず、彼女は歩みを続けた。
そのままのそのそと歩いて、やがて僕の布団の上に足が乗ると、そこで立ち止まった。
そうして、彼女はゆっくりと身をかがめ、体を横に倒して、そっと僕の布団を体にかけた。
最後に、彼女は自身の小さな頭を、ぽそっと枕の上に置いた。
そして、寝た。
「いやいやいやいや!!!!!!」
僕はここ数ヶ月で一番の声量をあげ、盛大に彼女の行動にツッコミを入れた。
眠りに入る寸前だった彼女は、驚いて目を開いた。
そして、横になった状態で僕の方に目を向けた。
あっ、体調悪いのに驚かせちゃって申し訳なかったかな。
でも、いやいやいや! あの流れで二度寝に行くのはおかしいでしょ! どう考えても。
というか、そもそもこの子が僕の部屋にいる時点でおかしいんだった。
うん、そうだ。今の彼女の行動で分かった。
この子、ヤバイぞ。行動が僕の理解を超えている。次に何をしでかすか分からない。
僕は決めた。
彼女には、今すぐに出てってもらわないといけない。
どうやら少し具合が悪いようだけど、もし何かあったとしても警察が保護してくれるし、医療だって受けさせてくれるだろう。日本は流れ者にも優しい国だから。
その後で、彼女が不法入国者だったのがバレたとかで国外追放になろうと、それは僕の知ったことではない。
この部屋は、僕が唯一安心できる、本当の意味で一人になれる場所なのだ。
それをどこの誰とも分からない人間に侵されるなんて、僕は受け入れられない。
僕のそんな考えを向こうも読み取ったのか、彼女は重い動作で布団から立ち上がり、自分の荷物をゆっくりと手に取り出した。
そして準備が終わったのか、彼女は僕の方を向き直った。
彼女の目は鋭く、そこには敵意がこもっていた。
僕は、玄関を指差した。
言葉の通じない彼女に対しては、それで十分だった。
彼女は黙って部屋から出て行き、玄関へと向かった。
そしてそのまま出ていくのかと思ったが・・・なぜか彼女は玄関で立ち止まっていた。
ガチャッ ガチャガチャッ!
ドアノブを何度もひねる音が聞こえる。
どうやらドアの開け方が分からないようだ。
こんなことも分からないのか?
僕は本日何度目かの驚きを感じながらも、ドアノブをひねるのに悪戦苦闘する彼女の後ろに近づいていった。
そして、彼女の手が置かれている部分の隣の部分の取っ手を握り、下に下ろし、そのままドアを押してそ開いた。
彼女は不思議そうな表情をして僕のことを見たが、すぐに目に鋭さを取り戻して、玄関から出ていった。
カツン カツン カツン
階段を降りる音が小さく聞こえてくる。
それを確認して、僕はドアを閉めた。
部屋の中は一気に静かになった。
「なんだったんだ、いったい・・・・・・・・・」
僕は盛大にため息を吐いた。