第1話
「なあ、知ってるか? ケンジのやつ、マユミと付き合うことになったらしいぜ」
「マジで!? あいつ、マユミなんか全然タイプじゃねーとか言ってたくせに、いざ告られたとなったら付き合うのかよwww」
教室の後ろの方で、男子たちが賑やかに青い話で盛り上がる。
最近こういう恋愛の話多いなー・・・ああ、そうか。もうすぐ夏休みに入るからか。今のうちに夏祭り一緒に行く相手を確保しにみんな動いているんだな。
「今日の英語の小テストマジ死んだー」
「私も死んだ。てか、ナオコは昨日の夜、ずっとツイッターで浮上し続けてたじゃん、勉強しろw」
僕の横の席では、二人の女子が慰め話で盛り上がる。
英語の小テストか・・・・僕は満点だったけど、別に凄いとは思っていない。範囲は先生が事前に伝えていてわかっていたから、ただその部分の単語を覚え直しておけば満点は余裕だ。
僕は時間があったから前日にしっかり勉強したけど、みんなは忙しくて時間がないのかな。
「国語の松井のやつがさー」
「今日カラオケ行かね?w」
「お前あの動画見た?」
僕の周りの人間は、みんな何かしらの話で盛り上がっている。
一人机に向かい、一言も発さずに本を読んでいる僕を囲むようにして、みんな声を教室の中に響き渡らせている。
喋っていないのは僕だけだ。
周りはこんなにも賑やかなのに、僕だけはドーナツの真ん中みたいに空っぽの状態で、そこに佇んでいた。
今は、まだ昼休みが始まったばかり。
僕は左手にはめた腕時計を見た。昼休みが終わるまではあと25分もある。
はぁ、早く終わらないかな。
言葉は出さずにため息だけを出して、僕は心の中でそう呟いた。
キーンコーンカーンコーン
放課後に入ったことを告げるチャイムが校内に鳴り響く。
大半の生徒はこれから部活の時間だ。みんな部活仲間と連れ歩いて、それぞれの場所に向かっている。
僕は・・・僕は部活には入っていない。強いて言うなら帰宅部だ。
帰宅部である以上はするべきことは一つ、このまま自分の家へと帰ることだ。
僕は夕日に照らされた校舎を後にし、茜色に染まる空に続く道を一人歩いていった。
僕の名前は、真田 光輝。年齢は17歳、高校2年生だ。
高校生というと、一般的には友達と汗を流しながら部活に励んだり、クラスで一丸となって体育祭や文化祭とかの行事に取り組んだり、彼女や彼氏とかを作って甘酸っぱい思い出を残したり、そんな青春のワンシーンが想像されると思う。
でも、僕の高校生活は、その中のどれひとつとして当てはまっていない。
部活も体育祭も恋愛も、どれにも共通して言えることだけど、とどのつまりそれは他者との交流だ。僕にはそれが全くない。
部活に入っていないのは先ほど言ったとおりだけど、僕には友達は一人もいないし、もちろん彼女だっていない。そもそも話し相手になるような女子もいない。
何で僕の周りには誰もいないのか? 僕の顔が気持ち悪いから?
自分で言うのもアレだけれど、そういうわけではないと思う。
僕の顔は・・・確かに目に覇気がなくて、近寄りがたい雰囲気を少し出してしまっているところはあると思うけど、決して酷いものではない。
中の中より少し上くらい、中の上まではいかないけど、それより少しだけ下くらいではあると思う。たぶん。
僕の周りに人がいない理由。それは、みんなが僕を避けているからではない。
むしろ、僕がみんなを避けているからだ。
僕は怖いんだ、人と接するのが。
友達だと思ってた人に裏切られて、確かにあると思っていた居場所がある日、急に崩れて無くなってしまうあの悲しさを、もう味わいたくないんだ。
中学の時のあの苦い記憶が、ふと僕の脳裏をよぎって、僕は思わず口元噛みしめる。
・・・昔のことなんか思い出してもしょうがない。
とにかく、僕の周りに人がいないのは、僕が人を避けているからであって。
そして、僕が人を避けることには理由があるのだ。
とりあえず今のところは、これだけ言っておけばいいだろう。
それだけわかれば、空っぽな僕の内面のことはほぼ把握したようなものだから。
僕は同じ速度のまま、歩き続けた。
そうすること十分後、僕は自分の暮らすアパートの前に着いた。
ある事情で、僕は実家を離れて一人このアパートに暮らしている。
高校生の一人暮らしは何かと不便も多いが、かと言って僕の学校は実家から通える距離ではなかったので、こうするしかなかったのだ。
さて、やっと到着した。
教室では常に気を張っている僕にとって、自分の部屋は肩の荷を好きなだけ降ろせるところだ。
だって、僕以外の人間は誰もそこにはいないのだから。誰かを恐れる必要もない。
気を張りながら黙々と本を読む必要もない。
別に何かいつもと違うことが起こったわけではないけど、今日はとても疲れた。
早く帰って布団にダイブしよう。
僕はアパートの階段を登って、2階の自分の部屋のドアの前まで歩き、ポケットからとった鍵を差し込んでドアを開いた。
誰もいない僕だけの場所。
誰かに気を使う必要のない場所。
そんな僕の部屋が、今目の前に開かれる______
はずだった。
僕は目に飛び込んできた光景に衝撃を受ける。
玄関の向こう、僕の布団が敷いてあるその場所に、誰かが寝ている。
あまりに唐突な出来事に、僕は息ができなくなってしまった。
え、あ、ちょ、どういうこと?
僕だけの部屋・・・と思ってドアを開いたら、僕だけの部屋じゃなくなっていた。誰かいた。
何で? いったいどういうこと???
何で僕の布団の上に知らない人が寝ているの?
まさか母さんが勝手に入ったのか? とも思ったが、あの体つきは明らかに母さんのそれじゃない。
遠くからだと細い様子は見えないけど、自分の母親かそうじゃないかくらいは一目でわかる。
そうなると、あれはやっぱり知らない人だ。 一体誰?
僕は意を決して玄関に一歩踏み出し、そっとドアを閉じる。
音を出さないように靴を脱いで、そして爪先立ちになって音を殺しつつ、謎の人間へと接近していった。
布団の先が爪先に触れるほどの距離にまで近づき、僕は改めて横になっている人間をまじまじと眺めた。
僕の布団の上に寝ているその人間の正体は・・・・・・・なんと女の子だった。
ドクン
僕は心臓の鼓動が一気に激しくなるのを感じた。
思わず、彼女から目を背けてしまった。
落ち着け、落ち着け、まずはこの意味不明な状況を理解するのが先だ。
改めて、彼女の方を見直す。
何やら青い線の入った白地のローブをかぶっているようだが、その隙間から顔がありありとうかがえる。
髪の色は黒色で、髪型は・・・・ローブに隠れて全体が見えないから定かではないが、おそらくちょっと短めのツインテールといったところか。
肌は色白で、あまり日に当たっていない感じの様子だ。
ふむ、こんなところだろう。
とりあえず顔の特徴を確認し終えたところで、得られた結論は・・・・・
かわいい。
かわいい。これに尽きる。
思わず二回呟いてしまうほどに、端正で繊細さを感じさせるその寝顔を見て、再び僕の心臓は爆音を立て始めた。
本当に、今まで見たことがないと言い切っていいほどに、それくらいかわいい。
小さくてシャープな顎からは凛々しさが漂っているし、それを中和するかのような優しい雰囲気の目元が、この少女の印象をとても不思議なものにしている。
こんな不思議な美少女が僕の布団の上で寝ているだなんて、本当に何が起きているのかわからない。
ドクンドクンとなり続ける心臓を胸に抱えながら、僕はどうすればいいのか考える。
大家さんに言うべきか? 普通に考えたらこれ不法侵入だし、犯罪だ。
ただ、今ここで誰かにこの件を言って警察沙汰にまで持っていってしまうのは、少々気がひける。
いや、謎の巨漢が大の字になって寝ていたら問答無用で110番をプッシュしていたところだが、いま目の前で寝ているこの子にはそこまでの危険性は感じられない。
顔を見たところはただの少女のようだし。変なところと言えば、彼女がまとっている謎のローブだけだ。まるでファンタジーの世界から飛び出てきたかのような格好だが、何かのコスプレだろうか?
まあいいや。とりあえず、一回事情を聞いてから、その後で誰かに話すかどうか決めてからでも遅くはないだろう。
うん、そうだ。そうしよう。
僕は横になった少女の肩を揺らすべく、恐る恐る手を近づける。
こんなにかわいい子に触れるなんて経験は今までになかったし、そもそもここ数年女子に触れる機会すら無かったから、僕の手のひらには汗が滲みに滲んだ。この状況で本でも読もうものならあっという間に紙がふやけてしまい、ブック◯フに持っていっても買取拒否の憂き目に遭うだろう。
彼女の肩に手が近づくにつれ、僕の手は震えを徐々に増していった。
クソッ、ただ彼女を起こすだけだ。落ち着け、落ち着け・・・・
そして、まさに肩に手が触れようとした次の瞬間。
手のひらから水滴がポトっと一粒垂れて、少女の額をちょうど真ん中を狙ったかのようにして、綺麗に落ちた。
「んっ・・・・・・・・・・」
僕の手の震えが止まる。
そっと、目線を少女の肩から顔へと移す。
それまで静止していたまぶたはゆっくりと開き始め、閉じられていた口もかすかに開き白い小さな歯を見せた。
僕はその場で凍ったまま、ただ眠りから覚める彼女を眺めていることしかできなかった。
少女はゆっくりと上半身を起こし、まだ重たそうなまぶたをこちらに向けて止まった。
僕は生唾をゴクリと飲み込んだ。
さっき、彼女の姿で変なところはローブだけだと言ったが、それは訂正する必要があるようだ。
彼女の姿に、もう一つ変なところを発見した。
彼女は気怠そうな目で僕のことを見つめる。
そして、その小さく開かれた目・・・・その燃えるような鮮血を輝かせた紅色の目は、明らかに異様だった。
それは、この世のものとは思えないほどに綺麗で、そして深遠な響きをまとっていた。
僕は強ばった顔つきで、目と口の大きく開かれた顔を少女に向ける。
少女は安らぎを体現したかのような落ち着いた様子で、眠い顔を僕に向ける。
しばらくの間、二人はそのままの状態で動かず向かいあった。
・・・・永遠に思えた静寂を破ったのは、紅眼の少女だった。
『フュエイ、シースィスタゴーラ、デ・ミフュア・・・』
彼女は、聞いたこともない謎の言葉を、低めの声調でポツリと放った。
その言葉が何を意味しているのか、何の言語を話しているのか、僕にはわからなかった。
唖然としている僕をよそに、少女はふと自身の肩の方に顔を向けた。
その先には、彼女を起こそうとして近づけていた僕の手が、今にも触れんばかりの位置で静止していた。
「え? あっっっ!!!!?」
僕は慌てて手を引っ込めた。
引っ込めた手をもう片方の手で握って、彼女から隠した。
「いや、これは、その、変なことをしようとしたわけじゃなくて。ただちょっと肩を揺らそうとしただけで、触るつもりだったわけでは・・・・・・・」
僕は聞かれてもいないのに必死で弁解を始める。
汗が全身のいたるところから放出を始める。
目の前がくらくらしてきた。あまりの急な出来事の連続に、今度は僕の方が倒れてしまいそうだ。
おかげで僕の弁解も内容は支離滅裂なものになっている。
そんな僕の言葉を受けて、彼女は困惑した表情を見せた。
いったい、僕が何を言っているのかを分からないとでも言うかのような、引きつった表情を。
それは僕が変なことを言っているというのではない。
そもそも、僕が変なことを言っているのかどうかさえ、分からないようだった。
彼女は、日本語を理解できていないようなのだ。
ひそめられた眉をそばにたたえて開く彼女の紅い瞳が、僕を吸い込むようにしてそこに存在していた。