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こげまじりの屋敷  作者: 天藤けいじ
第一章『見捨てられた娘』
9/35

08

 遅くなったがキリオが用意してくれた食事を食べて、ハナエは部屋を出た。

 母とカナコはもうそこには居らず、部屋の中にも気配はない。


 恐らく、母の部屋か居間にでも移動したのだろう。

 こちらに声をかけてくれなかったことに、やはりという気持ちと落胆が同時に訪れる。


 カナコの部屋を見つめながら無言で立ちすくんでいると、横隣りからそっとキリオが顔をのぞき込んだ。

 眉間にしわが寄っているが、己を見つめる瞳は優しい。


 「ハナエ様」と名前を呼ばれて、口元をほころばせながら頷いた。


「うん、大丈夫よキリオ。ありがとう」

「…僕がおそばにおりますから」

「いいのよ。キリオも仕事でしょう。私のことは今は気にしないで」


 彼の言葉だけでずいぶん心が楽になっているのだ。

 それにキリオが仕事を放って怒られるのは、ハナエも望んでいない。


 首を横に振る己に、彼は少し寂し気に笑って「わかりました」と言った。


「…また夜にご飯を持ってきますね」

「うん、待ってるわ」

「事件が起きた後ですから、お気を付けください」

「ありがとう…」


 うわべでは無く本心でハナエを案じてくれることがわかる態度と言葉に、嬉しくなる。

 本来ならば家族がくれるべき情で、キリオは己を満たしてくれるのだ。


 この人とずっと一緒に入れたらいいのに…そうなったらきっと幸せだろう。とハナエはこっそりと思った。



 キリオと別れ、ハナエは今日はどこで過ごそうかと考えあぐねた。

 居間は母とカナコに邪険にされる可能性があるし、だからと言って自室に引きこもっているのも怖い。


 昨晩の夢のことがあるからだ。

 奉公人が死ぬという衝撃的な事件が起き、キリオと話して随分と恐怖感が無くなっていたが、思い出せば背筋が凍りそうになる。


 今日はなるべく明るい人目のつかないところにいたいと考えながら、ハナエはぼんやりと裏口の方へ向かった。

 ここから出た裏庭のすみは静かで目立たない場所で、中庭以外で唯一自分が外に出れる場所である。


 キリオの仕事が終わるまでそこで過ごそうかと考えていたが、しかし予想に反して裏口は人で賑わっていた。


 顔を寄せ合い話し込んでいるのは、先ほどの妙齢の奉公人や年配の庭師、家を取り仕切る中心人物たちである。


 驚いて廊下のかどから見守っていると、どうやら亡くなった奉公人の事件について語り合っているということがわかった。

 恐らく人目につかない場所を、選んでいたのだろう。


「しかし、恐ろしいなあ。どうしてこんなことに?」

「警察は呼んだの?旦那様はどこに?」

「旦那様も警察に行かれたよ…しかし、なんであんな死に方。頭を燃やされるなんて」

「やめてくれ、思い出させないでくれよ」


 顔をしかめた庭師が呟くと、もう一人が何かを思い出したのか慌てて首を横に振ってさえぎった。

 妙齢の奉公人も他も、みんな青い顔をしてうつむいている。


 陰鬱な空気が、一同の間に流れていた。

 その空気をじかに感じていたハナエは、ふと思いだすことがあって口元を抑える。


(頭を燃やされていたですって?なんでそんな…昨日のあれといっしょ…?)


 庭に、そして夢枕に立った、白い人物の頭部が脳裏をよぎってぞくりと震えた。

 どうしてあの人物のように女の子の頭が燃えたのかわからないが、それがとても恐ろしく残酷なことだということは理解できる。


 そして先ほど聞いたように、確かにそれは自殺や事故とは思えなかった。

 つまり何者かが、そんな残酷な方法を用いて眠っている女の子を殺したということになる。


 人殺しがいる。


 その事実に思い至り、ハナエの体は小さくかたかたと震え始めた。

 奉公人たちもそれきり黙り込んでしまい、何とも言い難い嫌な沈黙があたりを支配する。


 残酷な殺され方を思い浮かべ、鼻の奥に苦くて甘い焦げた臭いが迫ってくる気がした。


 ―――焦げる、その言葉でハナエが昨日の夢を思い浮かべたときである。

 暗澹たる空気を打ち砕くように、背後から床板を叩く靴音が近づいてきていた。


「みんな、待たせたね。警察を呼んできたから安心してくれたまえ」


 貫禄のある男の声に反応して、奉公人たちが「旦那様!」と、すがるようにそちらを向いた。

 眉間にしわを寄せながらハナエも彼らに続く。


 白いものが混じった髪の毛を後ろに撫でつけ立派なひげを蓄えた、いかにも官吏と言った風体の紳士が歩いてくる。

 上品な仕立てのラクダ色のスーツを着た彼は、奉公人たちに向けて安心させるような笑みを浮かべ片手を上げた。


 ハナエとカナコの父、この家の当主にして伯爵の地位をお上から賜った男。

 狭間ユウゾウだった。


「…お父さ、ま」

「…」


 ハナエのわきを父が通り過ぎるとき、恐る恐る声をかける。

 しかしユウゾウは、眉間にしわを寄せてちらりとこちらを見ただけで立ち止まりもしない。


 普段ならその態度に傷ついていたはずだが、不思議と今は黙ってそれを見送れた。


(キリオのおかげね…)


 こんなみすぼらしい娘に対しても偏見を持たずに接して、情をくれる。

 そういった人物がそばにいるという事実が、父や家族たちの行動に耐性を持たせてくれた。


 いつもよりも冷静さを保ちながら、奉公人たちに歩み寄る父の背中を見送る。


 彼の後ろに、サーベルを佩刀した制服姿の警察官が二人ついていた。

 彼らも彼らでそばを通ると、険しい顔をしてハナエを蔑んだ。


「チヨさんのご遺体は?」

「裏庭に移しております。でも、やっぱりひどい有様で…」

「ご苦労だったね。仕事に戻っていいよ。あとで労いを持っていこう」


 父が気遣いの言葉をかけると、奉公人たちは神妙な顔で頭を下げて解散していく。

 通り過ぎて行く時に顔を見たが、真っ青で長くここにいたくないとでも言いたげな表情だった。


 裏庭に亡骸を運んだと言っていたから、それも仕方あるまい。

 頭を燃やされた女の子の死体など、ずっと見続けられるものではない。


 これから交わされるのは、残酷な事件の話だ。

 聞いていてもいい気分はしなかろう。ハナエもそろそろ立ち去ろうと踵を返しかけた。


「ええ。本当に酷いもので…それからザクロを」


 その時、ふと聞こえた父の声に、動きをぴたりと止める。

 ユウゾウは先程の紳士的な態度と打って変わって、恐ろしげな顔で警察官たちと話していた。


(ザクロ?ザクロがどうしたの?)


 ザクロ。その果実の名を、ごく最近も聞いている。

 話の内容が気になって、ハナエは肩越しに振り向いたままごくりと唾を飲む。


「焼け焦げたザクロの実を、握って死んでおったのですよ…。これは何か意味があるのでしょうか?」


 不気味な声で恐々と告げた父の言葉に、ハナエの背筋は凍った。


 やはり、焼けたザクロ。

 それは新しく入った奉公人たちの間で流行っているおまじないの道具では無かったか。


(えんえん様…?全部、えんえん様がやったっていうの?)


 あの時自分が見たものは、願いを叶える神様などでは無かったのでは。


 ぬらり、とした不気味な気配を、背後に感じた気がして振り返る。

 もちろん、そこには誰もいない…静かな廊下が続いている。


「やはり、同室の奉公人が…?しかし彼女はまだ14です」

「だが他に誰かが入った形跡もなく…鍵も…」

「一応、彼女に話を聞こう。何か覚えていることがあるかもしれない」


 父と警官が何事かまだ話しているが、矢も盾もたまらなかった。


 頭の中であの白い人物が息をしているような、生々しさ。

 振り払いたくてハナエは元来た道を駆け出していった。


 これ以上話を聞いていたら、もっと恐ろしい事実に気づいてしまいそうだった。

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