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こげまじりの屋敷  作者: 天藤けいじ
第一章『見捨てられた娘』
8/35

07

「カナコ!カナコは無事なの!?カナコ!」


 癇癪を起したように姉の名前を呼んでいるのは、母だ。

 扉越しにもわかる金切り声に、ハナエは顔をゆがめてキリオと視線を交わす。


 彼は出ていかないほうがいいとでも言いたげに首を横に振ったが、どうしても外が見たくてベッドから降りる。


 難しい顔をしていたがキリオもそれ以上は止めず、ドアノブを回して廊下の様子が見える程度に扉を開けてくれた。


 ハナエはキリオの隣で、そっと顔をのぞかせる。

 声は廊下から聞こえていたが、正確には己の部屋ではなくその隣が発信源だった。

 そこには、姉のカナコの部屋がある。


「お母さま、どうかしたの?まだ朝早くじゃない」

「ああ、カナコ!無事だったのね!!」


 扉の隙間から見たのは、母ミチヨが姉の体をぎゅっと強く抱擁している様子だった。


 カナコは起き抜けのせいなのか、母の腕の中で目をぱちぱち開閉している。

 唐突に抱きしめられて、どう言っていいかわからないようだ。


 ミチヨは目に涙すら浮かべて、ことさら腕に力を込める。


「貴女がいなくなったら私はどうすればいいかわからないわ!本当に…本当に良かった…」

「お母様、いったいどうなさったの?…ねえ、何があったのです?」


 カナコの最後の言葉は、取り乱す母ではなくその隣に立つ奉公人に言ったものだ。

 ミチヨを落ち着かせようとしていた妙齢の奉公人は少し躊躇ったのち、そっと告げた。


「実は、奉公人の部屋で少し騒ぎがありまして…」

「誰かに何かあったの?」


 奉公人はまた躊躇った。

 先程のキリオと同じような態度に、ハナエはよほど伝えるのが憚られる内容なのだと察した。


 視線を足元のあたりに彷徨わせていた彼女だが、やがて声を潜めて呟く。


「新しく来た奉公人の女の子がその…部屋で亡くなったのです…」

「え…!」


 声をあげたのは、ハナエとカナコ、同時だった。

 ひきつった驚愕の声を聞いた奉公人はまた少し間を開け、ぽつり、ぽつりと話し続ける。


「しかしその…様子が変でして。自然に死んだのではないのではと」

「…誰かに、殺されたと言うこと?」


 顔を真っ青にして、カナコは声を震わせた。

 母の動揺の仕方と奉公人の態度を見ていれば、その事実にたどり着くのは難しくない。


 何者かが屋敷に侵入し、部屋で眠っている女の子を襲った。

 その可能性がある。


 過度なほど心配性なミチヨは娘であるカナコにも何か被害があったのでは、と気が気じゃなかったのだろう。

 話を聞いて飛んできたに違いない。


 母の気持ちを考え…しかしそこで、ハナエはふと冷静になってしまった。


 ―――私のことは心配してくれないのね…。


 最初からミチヨはカナコのもとに駆け寄り、ハナエの名前は口にもしなかった。

 今だって姉に抱き着くばかりで、もう一人の娘のことは思い出そうともしない。


 そう考えた途端に足元はすっと冷え、顔から表情が消えてしまう。

 慣れているとはいえ、疎まれている現実を目の当たりにすればただただ辛い。


 妙齢の奉公人は何か考えていた様子で再び口を閉ざしていたが、ちらりとミチヨの方へ一度視線を向けてから続ける。


「殺されたのかどうか、それはまだわかりません…。今旦那様たちが調べております。誰かが侵入したのかもと」

「…そんな、」

「何があるかわからないわ。わからないの。カナコはしばらく、お母様と一緒にいてちょうだい」


 戸惑うようなカナコに、今度は母が顔を上げて懇願するような声を出した。

 ここでもやはりハナエの名前は出てこない。気遣う様子も見せない。


 聞いていても辛くなるだけだ。

 重要な情報は知れたので、あとのことはキリオに聞こうとハナエは扉を閉めた。


 深く息を吐いて振り返ると、そこには不安げな顔をしている少年がいる。

 人が死んだという事実にハナエが衝撃を受けたか心配になったのか、それとも母親に身を案じられていないことに気付いたのか。


 彼の表情を和らげようと、ハナエは微笑んだ。

 しかし口元が歪むだけの、醜い顔になったのは間違いない。


「お母様はいつもああなの。ちょっと神経質というか」

「お嬢様を、案じているようですね…」

「…カナコのことだけよ。あの人はいつだってそう」


 捨て鉢気味に告げると、キリオが緊張したように身をこわばらせてしまう。


 しまった、と途端に後悔する。

 こんなのは八つ当たりにも等しい。


 キリオに嫌われるのはいやだった。

 慌てて首を横に振り、「ごめんなさい」と謝罪する。


 これに、キリオの方が慌てた。


「お嬢様が謝ることではありませんよ!その、当然の反応だと思います…」

「…キリオ」


 先ほどの母の態度を見て、彼は同情してくれている。

 一瞬だけ雇い主の悪口を言わせたことに罪悪感を持ったが、すぐに同調してくれたことへの嬉しさが上回ってしまう。


 醜く自分勝手な心がいやになったが、ハナエはキリオにすがるように「聞いてくれる?」と尋ねた。

 美しい少年は拒絶することは無かった。

 こちらの目をまっすぐに見つめて、頷く。


 キリオを伴いベッドの縁に腰掛けて、ハナエは語り始めた。


「昔は良かったわ…。お母様たちは確かにカナコを贔屓しているように感じたけど、私を虐げることはなかった…」

「それがどうして…こんなことに?」

「…私がカナコに怪我をさせてしまったの」


 隣に腰掛けるキリオの唇が「え?」と動く。

 こちらを真っ直ぐに見つめて、目線を合わせてくれる彼から顔を背けて、ハナエは続けた。


「この屋敷が建てられたとき…私たちが5歳くらいのときね。新しい家にはしゃいで、カナコと一緒に遊んでたの」


 多少うるさくはしゃぎまわっていたかもしれないが、ごく他愛ない子供の遊びだったはずだ。

 しかし熱中しすぎた。


 探検をしているときに地下への階段にさしかかり、カナコが足を滑らせる。

 「あ」と思う間もなく、体は回転して打ち付けられ、落ちていった。


「それでカナコは足を折って入院したの…。お父さまたちはひどく怒って…私を…」

「でも、それはハナエ様のせいではないじゃないですか。不幸な事故です」

「お父様たちにとってはそうじゃなかったのよ…。カナコが怪我をしたのはすべて私のせいだって今も思っているわ」


 当時の父母の慌てようと憔悴の仕方はいまだに覚えている。

 それと同時にカナコにばかり構い、ハナエを疎むようになったのだ。


 声をかけようと甘えようと無視され放っておかれることが、5歳の子供の心にどれほどの傷を作ったか両親はわかっているのだろうか?


 怪我をした姉ばかりを構い倒す両親の姿を思い浮かべてしまい、ハナエはぐっと胸が詰まった。

 己の表情を見たためか、悲しそうに眉をたれ下げたキリオが気遣うように声をかける。


「…ハナエ様は、お辛くないのですか?」

「…もう、慣れたわ」


 嘘ではない。

 多少心が痛むことがあれど、カナコを中心に繰り返される過保護な光景はもう見飽きてしまった。


 しかし苦くしかめた己の顔では、言葉の説得力は皆無だっただろう。

 こちらを見ていたキリオが、耐えるように体をこわばらせる。


 そのまま二人は無言の時を過ごした。


 ハナエは過去をこれ以上話すつもりは無かったし、それを聞いてキリオが何を思ったのかはわからない。


 彼もまた、家の空気に流されるほかの使用人と同様に、そしてリョウジのようにカナコに目を向けるようになってしまうだろうか。


 カナコは美しく、愛される。

 そうなっても仕方ない。


 慣れたはずだ、と自分に言い聞かせ、膝の上でぐっと拳を握りしめた。

 その時、キリオの唇が動いた。


「これからはずっと、僕がハナエ様のおそばにいます」


 ひねり出すように切なく、しかし明確な声が聞こえる。

 まるでハナエの悲愴を打ち砕かんとするような声色に、いつの間にかうつむいていた顔を前に向けてしまった。


 彼の意志がわからずおずおずと隣を見つめると、同様にその色素の薄い瞳がこちらを見ていた。


「僕がずっとともにおります。多分…いえきっと僕はそのためにここに来たんです」

「キリオ…なにを、」

「すみません、でも放っておけなくて」


 突然のことに慌てるハナエの前で、キリオは唐突に立ち上がると己の足元でひざまずく。

 いつか見た、王子様のような仕草で彼は、こちらに向かい手を差し伸べる。


「お願いしますハナエ様。どうか僕をおそばに置いていてください」


 ああ、彼は本当に、自分をこの地獄から連れ出しに来てくれた王子様なのではないだろうか。


 もはや何も言えなくなってハナエは、差し出されたキリオの手に自らの手をそっと重ねる。

 その温かさに胸が切なくなって、思わず眉をたれ下げた。


「ねえ、キリオはどうしてそんなに私につくしてくれるの?」


 問うと、ひざまずいたままこちらを見上げた少年は、何よりも美しく微笑む。


「…やっぱり覚えていないんですね」

「え?」

「いえ、いいんです。いつか思い出すはずですから…」


 ゆっくり首を横に振ったキリオは立ち上がり、「遅くなりましたが、お食事をお持ちします」と言った。

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