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こげまじりの屋敷  作者: 天藤けいじ
第一章『見捨てられた娘』
4/35

03

 相も変わらず光の入らない自室。

 そのベッドの上で、ハナエは膝を抱えていた。


 目覚めたばかりで体が空腹を訴えてくる時間のはずだが、心にそんな余裕が入り込む隙間がない。


 肩は小刻みに震え、背筋には寒気。

 頭の中では、先程体験してしまった恐怖の光景を繰り返している。


 居間で感じた謎の気配と声はなんだったのだろう。


 それに何故急に神棚が壊れたのか。

 まるであの声に呼応したかのようではないか。


 その疑問がくるりと回り、しかしハナエは気のせいだ、ただの偶然だと首を横に振った。


 カナコにリョウジの事を言われて己の精神は不安定だった。

 だから幻聴のようなものを聞いてしまった。


 吊るされている神棚だって、この家が建ってからずっとそこにあるものだ。

 棚板が古くなって鏡が落ちたに違いない。


 様々な疑問点に蓋をして、何とか安心を手に入れるため自分で自分を抱きしめるように腕を回す。

 体に手のひらの暖かさが伝わり、少しだけ震えが収まった。


「…」

「…え?」


 刹那、耳元で何か囁かれた気がして顔を上げる。

 同時に部屋のドアノブが回り、思わず肩を跳ねさせてしまった。


 ひやりとしたものが体の中心に走り、硬直する。

 ゆうらりと開き始めた扉の向こうが見えず、何か恐ろしいものが渦巻いている様子を想像してしまう。


「だれ…?」


 勇気を出して声をかけようとした瞬間、目のつり上がった女が顔を出して再びぎくりとした。

 作業着姿の、ハナエと同い年くらいの女だ。


 彼女はぎょろりと部屋の中を見回して、「薄っ暗いわね」と吐き捨てる。


「…あ」

「…ふん!」


 部屋主に入室の許可を求めることなく、女はずかずかと足を踏み入れる。

 作業着はこの家で働く奉公人の女性たちが着ているものだが、彼女の顔は見たことがない。


 新しく雇い入れた奉公人なのだろうか、と再び声をかけようとした時、女はぎろりとハナエを睨みつけた。


「まったく!どうして私がこんなこと!せっかく狭間家の仕事にありつけたのに!」

「…なっ!」


 不機嫌であることが、わかりやすい。

 曲がりなりにも雇い主の娘の前で見せていい態度では無かった。


 開いた口が塞がらないハナエに、奉公人は足音荒く近寄り憎々しげに吐き捨てる。


「こんなゴミみたいな残飯…」


 奉公人の両手には、小さく古びた膳が乗せられていた。

 さらにその上には、いつもハナエが使っている欠けた茶碗があり、中に冷えた白米と漬物が数切れよそわれている。


 今日のハナエの朝食だった。


「まったく、忌々しいったらありゃしない!!」


 乱暴な声とともに、ベッドわきのサイドテーブルに膳が叩きつけられる。

 がしゃん!と割れなかったことが不思議な勢いで、茶碗が鳴った。


「…ふん!」


 今一度鼻を鳴らして、こちらをひと睨みしたあと女性はやはり挨拶もせずに去って行く。

 ぼろぼろのハナエに対して憐れみや悲しみを示すこともなかった。


 ハナエ以外の目もないためか乱暴にドアを閉め消えていった彼女から、テーブルに視線を転じる。

 茶碗が膳の上で倒れ、中身が溢れていた。


「…どうして」


 悲しくて悲しくて仕方ない。

 ここには誰も、ハナエの味方をしてくれるものはいないのだ。


 目の裏に熱いものが溢れ出てきたが、ぐっと我慢する。

 泣いたとしても、今更どうにもならない。


 朝食を食べて、落ち着こう。

 そう思ってベッドから立ち上がり、哀れにぐちゃぐちゃになった茶碗の乗った膳に手を伸ばした。


「すみません、お嬢様」


 声が聞こえて、体が強張る。

 また誰か来たのかと顔を上げると、乱暴に閉じられたはずの扉がわずかに開いていた。


 隙間からうかがうように、線の細い少年の顔が覗いている。

 肌の色が妙に青白い、何処となく中性的な印象を受ける少年だった。


 先ほどの奉公人と同じく、彼も見たことがない。

 部屋から大きな音がしたから、何事かと覗きに来たのか。


「あの、お嬢様…?」

「…え?」


 しばらく無言のまま少年を見つめていたハナエに、彼は不思議そうな顔をして再度口を開いた。


 お嬢様、とはもしかしたら自分のことだろうか。


 奉公人からもそう呼ばれなくなって久しく、咄嗟に返事が出来なかったハナエは首を傾げることで返す。


「お部屋に入ってもよろしいですか?」

「…え、ええ」


 丁寧に優しく問いかけられ、戸惑いながら頷く。


 こんな、まともな言葉を投げかけられたことは久しぶりだった。

 否、幼少期からはほとんど無かったかもしれない。


 少年は扉を開けて一礼し、ハナエの部屋へと足を踏み入れる。

 そこで改めて彼の顔を見て、驚く。


 あまりにも美しい少年だったのだ。


 異国の血が混ざっているのかただ単に色素が薄いのか、琥珀色の髪と目をしている。

 前述の通り、肌の色も白い。


 鼻筋はすっと通り、目は切れ長。細い眉毛は凛々しく流れている。

 薄めの唇だけは紅を塗ったかのように朱く、華奢な手足が中性的な印象を強めていた。


 歳はハナエと同じか、少し下くらいだろうか?


(…異国の物語に出てくる王子様ってこんな感じなのかしら?)


 そう考えると自分のみすぼらしさが恥ずかしくなり、ハナエはうつむく。

 しかし少年は己の姿に嫌悪感を見せることなく近づき、サイドテーブルに置いてある膳を覗き込んだ。


「ああ、ご飯が倒れてしまってますね。新しくお持ちします」

「え、ええと、あの…?」

「あ、すみません。ご挨拶が遅れました。僕は新しくこちらでお世話になるキリオと申します」


 少年は真っ直ぐにハナエの目を見つめて微笑む。

 優しい言葉と同じく、他者の笑顔をこれほど間近にみたのはいつぶりだろう。


 おまけに相手は美貌の少年である。

 ドキリと心臓が高鳴っても仕方のないことだった。


 どぎまぎするハナエには気付かない様子で、キリオと名乗った少年はてきぱきと茶碗を元に戻す。

 実に手際が良かった。


 「失礼します」、片付けた膳を持って行こうとする彼の背中に、ハナエは戸惑いながら「待って」と声をかける。


「新しいご飯を持ってきたら、貴方が怒られてしまうわ…。私にはそれしか許されていないの」

「え?」


 驚いた様子でキリオが振り返る。

 まさか良家の子女の朝食がこれだけとは思わなかったのだろう。


 琥珀色の目を真ん丸に見開いた顔に、ハナエは苦く笑った。


「…私はこの家で厄介者だから、仕方ないのよ」

「でも何か食べないと、お体に触ります」

「ええ、だからそれを頂くわ」


 振り向いたキリオから膳を受け取り、ハナエは彼から背を向けてベッドに向かった。


 みじめな娘だと思われただろうか?

 主人に見捨てられた娘など、面倒を見る必要もないと判断されるかもしれない。


 誰かに冷たい視線を向けられることは慣れていたが、一度優しくしてくれたキリオの態度が豹変するところは見たくなかった。


 テーブルに膳を置きなおして再びベッドに腰掛ける。

 ふと目をやると、線の細い少年はこちらをじっと見つめていてその場を動こうとはしない。


 突然こんな話をされれば仕方があるまい。

 一つ息を吐いてハナエは、茶碗に戻された白米を食おうとした。


「お嬢様、よろしければ僕のぶんの食事を食べませんか?」


 突然口を開いたキリオがベッドに座るハナエに近づいて、そう告げた。

 ハナエは思わず「え?」と顔を上げる。


 見上げた彼はとても真剣な顔をしていた。

 まだあどけなさの残る少年のかんばせがきりりと引き締まっていて、ハナエの心臓は再びどきりと跳ねる。


「ご飯とお漬物だけじゃ、いつかお体が悪くなります。どうか他にも栄養のあるものを」

「…」

「もちろん僕が出されたもので、お嬢様がよければですが…」


 意外な言葉すぎて、反応が出来なかった。

 まるで懇願するようにこちらを見るキリオに、ハナエは戸惑い、ためらい、ようやく「でも」と答える。


「貴方の食べるぶんが無くなってしまうんじゃない?それに誰かに見つかったら」


 ハナエはともかく、キリオが酷く怒られてしまうのではないだろうか?


 見捨てられた娘に構えば、カナコに睨まれる。

 両親はカナコにべったりだから、キリオを解雇するかもしれない。


 そうなったら路頭に迷うのは彼だ。

 ハナエと関わる利益が、キリオには無い。


 言外にそう告げたはずだったが、彼はそれを否定するように首を横に振り、ハナエの前にひざまずく。


 その所作が妙に優雅で、本当に外つ国の物語に出てくる王子様のようだった。

 リョウジにもされたことのない仕草に、頬がかっと熱くなる。


「絶対に見つからないようにします。ですから、どうかお食事をとってください」


 先ほどから変わらぬ、真剣な眼差し。

 暖かな琥珀色に魅入られてしまい、ハナエは小さく頷くしかなかった。

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