8.先行き不安
村長さんとお話をして宿所を出る頃には、少し日は高くなっていた。
相変わらずの眩しい日差し。
透き通るような青い空を見上げ、初日から幸先よく晴天に恵まれた事に感謝する。
日が昇ったせいか、薄っすらと背中に汗を感じた。
ショールを鞄へとしまい、いささか早すぎましたかね、と誰ともなく呟き、ポンポンと鞄を叩く。
いたって普通の革製のものだが、どことなく何時にない頼もしさを感じて、笑みがこぼれる。
「では、行きましょうか」
誰へともなく、そう口に出してしまう。少し、気分が高揚しているのだろうか。
自分で発した言葉ではあるけれども、それを聞いて更に胸は高鳴った。
かつて冒険者を生業にしていた頃からそうだったが、見知らぬ土地を散策するという事に、私はことさら気持ちが昂ぶる性分のようだ。
史書官となり、王都から出ることも久しくなって以降、その欲求は更に強まったように思える。
頬をくすぐる風、靴裏に感じる土の感触。
王都のそれらと比較しても、さして変わりがないようにも思えるが、不思議と今は新鮮に感じられる。
もしかしたら、この感情は、私を見知らぬ土地、だからこそなのかもしれない。
家々の密集する方とは逆に向かい、ゆっくりと畦道を歩く。
道の脇には農業用水だろうか、小さな小さな小川が、道に沿って流れていた。
川のせせらぎと一緒に一歩、また一歩と歩を進める。
まだ青々しい落葉が、水に揺られて私と併走する。
少し、向こうの方が早いだろうか。
負けじと私も少しばかり早足になって、落ち葉の背を追いかけた。
そうして少し歩くと、私の周囲の景色は段々と金色に染まっていく。
馬車の窓から見たような、麦穂の海。
私がその中に立ち、それに手を触れようすると、待ち構えていたかのように、強い風が吹いた。
畦道の砂が舞い、思わず目を瞑る。
暗闇の中、頬に少し砂が当たるのを感じた。
風が止むのを体で感じ、恐る恐ると目を開ける。
「お前さん、そこで何をしとるね」
背後から、突然、そう声を掛けられた。
「ひあっ!?」
暗闇から光が戻った直後、ということもあってか、情けない声を出して思わず飛び上がってしまう。
「驚くっちゅうことは、何かやましいことでもあるのかい」
振り返れば、訝しげな目線。
私よりもいくらか背の低い、老婆がそこには居た。
淡い色の毛織物の服と、小脇に抱えた弓が印象的だ。
深い皺の刻まれた額の下、双眸がぎらりと輝いているように感じられた。
「えっと、あ、怪しいものではないですよ?」
「ふん、自分から怪しいっちゅう不審者はおらんだろうね」
「それは、まぁ、その通りなのですが」
「だから何しとるかと、聞いとる」
独特の訛りから、矢継ぎ早にされる質問に、少したじろいでしまう。
「ええと……」
いざ、何をしてるかと聞かれると、答えに詰まりますね。
一体私は何をしてるんでしょうか……。
調査……? 取材……? あるいは、息抜き……?
言葉にすると、どれもしっくりと来ない。
「言えんような事かね」
「いえ……強いて言葉にするなら、えーと……この土地を、この村を知ろうと……しているんでしょうか?」
「儂に聞かれても分からんわ」
その通りですけね、はい。
「ふむ……リンザの所の悪ガキが言うとった、王都からの客人ってのはお前さんかい」
「リンザさんという方は存じ上げませんが……確かに私は王都から来ました。……その、この村を知るために、七日程滞在する予定です」
そうかい、と呟くと、お婆さんはすっかり黙ってしまった。
ええと……話は終わったんでしょうか。
「……すまんの。儂の所の麦に手を出していたから盗っ人かと思ったわ」
どうしたものかと動きあぐねていると、十分な間を置いてから、お婆さんは再び口を開いた。
「いえ!私も人様の作物に、軽率でした。不審われるのも已むを得ないかと思います」
慌てて、自分の否を咎める。
人の財物に迂闊に手を伸ばした私が悪いのだと。
「お前さんはいい子だね。態々儂など立てなくとも良いのに」
急に、皺だらけの顔をくしゃっと寄せて、お婆さんは続ける。
「村の事が知りたいといったね」
「……はい!」
「三日後だ、三日の後に、村で血減らしの儀がある。それに顔を出せるよう儂が取り計らってやろう」
「ちべ……らし?」
「ああ、本来は外の物は参加出来ないのだがね、儂が口を利いておこう」
語感から、物凄い生々しい宴を想像してしまい、身震いする。
「え、えっと……せっかくですけど、私、そういう血生臭いのは……」
「いいから、黙っておいで。三日後、儂が迎えにいくからの、宿所はどこだい」
「えっと、そういえば宿の名前、聞いてませんでした」
「まあいいさね、どうせ井戸端のあすこだろう、違っても狭い村だ、どこにいるかなんざすぐ分かるさね」
そう笑って、お婆さんは話をどんどんと進めていく。
正直、不安でならないんですが、大丈夫でしょうか。
血、抜かれたりするのですかね……。