3:仕方がない人だ
たまに、というか割と頻繁に、私の彼氏である鈴城学人は、“変わっている”分類に含まれる人間なのだろう、と思う。他の人なら汲んでくれるようなことに、一切気付かないことも多々ある。
例えば、まさに今だ。
「えー、そうなんだあ。すっごぉーい。じゃあ毎日、夜も遅いんだぁ」
「そうだね」
「…………」
――ぶっちゃけ、汲めるのに汲まない人間の方が、面倒っちゃ面倒なわけですけどね!
じゅるる、とストローで飲み物を啜りながら、私は精一杯渋い顔をする。私の正面には我が彼氏どの。そしてその隣には、中学で後輩だったという、まあまあケバイ女性。私に入り込む隙を与えないまま、一生懸命――それとも“一心不乱”という四字熟語の方が適切か――喋り続けている。気付けば最初は確かに存在したはずの敬語も抜けている。おい。
というか、中学が一緒、って、それが本当だとしたら私も一緒のはずだよねえ!? 男女二人でお出掛け中、喫茶店に入って向かい合ってお喋りしているのに、なんでそこに乱入できるのかなって正直思います。邪魔する気満々じゃないか、この女。
そもそもの事の発端は、ほんの数分前のことである。それまでは平穏だった。
「あっれ、鈴城先輩に、……えっと、佐東先輩? 奇遇ですね~」
どうやら女の子数名のグループで来店したらしい彼女は、こちらの存在に気付くと、媚びた笑顔を振りまき、そんなことを言いながら、許可無く学人の隣に座ったのだ。ベンチシートだからか、二人の距離は簡単に詰められた。そうして、学人の大学や就職先の話を根掘り葉掘り訊ね、私には一切話を振らず、――今に至る。
学人も答えなければいいのに! せめて嫌そうな顔をすればいいのに! その無表情をいい加減に崩そうよ!
化粧と同じくらい厚い神経をしている女――ていうか、私この人の名前思い出せないんだけど。化粧で個性消えてるんだけど!――に引き攣った笑みを向け続けていれば、彼女はちらりと私は一瞥し、何故か勝ち誇ったように笑った。待って待って、私、負けている要素あった!? 強引さか!? それは確かに負けてるな!
居場所のなくなった私は、困ったなあ、と視線を彷徨わせ、彼女が元いたグループへと目を向けた。「ねえそろそろ引き取ってくれない?」という意味で見たはずなのに、彼女たちは、私を馬鹿にしたように笑っている。類は友を呼ぶのか。それとも今のご時世、常識人が少なすぎるのか。
学人は視線をどこかに飛ばしながら、女の話に適当な相槌を打っている。
なんだか惨めだ。肩を落とした私は、携帯をいじり、トーク画面を開くと、佳乃子に連絡を取る。
『聞いて。今、すごいことが起こってる』
送って数秒後には、既読マークが付き、『なによ』と一言のみの返信。いかにも面倒臭そうだな~、と言いたげな雰囲気を醸し出しているが、スルーする。絵文字とスタンプを駆使しながら、おもしろおかしく状況を話す。
『何それ見たい』
『おもしろがってる! 私たち友達だと思ってたのに!』
『何言ってるの、友達だよ。友達だから続きはよ』
くそう、おもしろがっているじゃないか。ここまで来たらオチまでつけないといけないような気がしてきた。
妙な闘志を燃やしながらにまにましていると、「ていうかさー」と前方から少し棘のある声が向けられた。
「佐東先輩さっきからなんなの~?」
「え?」
「ケータイばっかいじってさ。感じ悪いっていうか、マナー悪いっていうかぁ」
「……マナー、ですか」
まさか貴方にマナーを説かれることになろうとは、予想外です。あんぐりと口を開けて呆けている私から視線を外し、「鈴城先輩かわいそ~」と眉をはの字にしながら、学人を見る。片手で口元を覆って隠しているようだけれど、それ、私の方からは口角上がっているのが丸見えなんですけど、いいんですかー?
『どうした?』
急に返信が止まったからだろう、携帯に通知が来る。
『携帯いじってるのマナー違反だって言われた』
『え、誰に? その女に?』
『他に誰がいる』
しばらくしてから返事が来る。『やばい、直に見たい』――この人ほんと、徹底的に楽しむ気だ! 私も悪ノリして、来て良いよ~、と返しながら位置情報を送りつけた。
一人でいる時よりも心強いのは何故だろう。私はふっと笑みを浮かべる。それを隠すように、慌ててストローに口を付け、なるべく真面目くさった顔を作る。しかし油断すると、噴きそうだ。噴いたら学人、さすがに怒るよね。それ以前に、私が恥ずかしい。必死に目の前のことを考えないようにしながら、口を離す。
そんな私の姿は、いったいどう映ったのか。くすくす、と女性グループから密やかな笑い声が聞こえる。
おかしな雰囲気だということに、そろそろ周りも気付き始めたのか、たまに他の客からもチラチラと見られている。多分、気のせいではない。
『行きたいところだけど、あたし今から出掛けるのよ』
『それは残念!』
佳乃子が来たら、私のヒーローになってくれそうだったのに。学人は残念ながら、ヒーローって柄ではない。私は仕方なく、ちゅうちゅうと飲み物を消費する作業に没頭した。
目の前では、なにやら時折私の悪口を交えた、中学後輩女性の猛烈アピールが繰り広げられている。ここまで来ると、逆に感心してしまう。学人は相手をすることが億劫になってきたようで、「あー」「まー」とかなりテキトーな相槌ばかりになってきている。靡く様子は無い。少しでも靡いたら、頬を張ってやろうじゃないか。それはそれでステキなオチでは?(私の精神状態がすこぶる荒れることを考慮しなければ)
そんなことを考えながら、定期的に佳乃子と連絡を取り続けていると、じゅるる、とひときわ大きな音が鳴った。どうやら空になったらしい。
さてこれは本格的に携帯以外にすることがない。困ったぞ。
ううん、と唸ると、「ちょっと退いてくれる?」と学人が席を立つ。女はにこやかに笑い、学人を通す。彼はさっさと彼女の脇を通り抜けると、私を、いつもの無表情で見据える。
「咲千、行こう」
「へ?」
間の抜けた声を出すと、微かに眉を寄せた学人は「何?」と首を傾ぐ。まだこれ以上ここに何か用があるのか、と問うている。当然、あるわけがない。私は鞄を掴むと、慌てて立ち上がる。学人は油断すると、私を置いていってしまうから。
「す、鈴城先輩……!」
呼び止められて、彼は肩越しに振り向く。その手で、まるで庇うように私を後ろへ押しやりながら――正直、これが本当に“庇う”という行為だったのかは、私は半信半疑だったのだけれど。だって学人ってそんな柄でも無いし――。
「あ、あの、あの……い、行っちゃうの? せっかく楽しく話してたのに、」
「楽しく?」
なんのことだかわからない、というように学人は疑問符付きの言葉を放つ。その声には強い威圧感があった。当てられた彼女が、言い淀む。
「俺はただ、咲千が飲み終わるの、待ってただけだよ」
それ以上の意図は無い、とハッキリ示す。
「それに――」彼はそのまま、彼女の仲間集団を一瞥する。「ここにいると、正直気分が悪い」
行こう咲千、といつもより少しだけ乱暴に手を引かれながら、私たちは店を出た。しばらく無言のまま歩く。
「……珍しい」
ぽそっと零せば、小さい声なのにきっちり拾った学人が「何が?」と短く訊ねる。
「学人が感情を顕にするなんて」
「そりゃあ、するでしょ」
「そ、そっか。そりゃあ、するか」
にまにま笑いながら、手を繋ぎ直す。少しだけ、いつもよりも力を込めながら。ん、と小さく声を漏らした学人は、その手を握り返してくれた。私と同じように、いつもよりも少しだけ、強く。気のせいかもしれないけれど。
「ていうかそっちも珍しい」
「何が?」
「あの場面で、怒り狂って暴れないなんて」
「……学人サン、貴方は私をなんだと思ってるのかな?」
「暴れ馬」
「なんだと!」
私にだって分別くらいありますよ! 分別が無いのは、あっちだ!
くわっ、と目に力を入れながら怒りのままに叫べば、「そう、それそれ」と満足した様子の学人。
「最初からそうやって怒ってくれたら、そのまま店を出たのに」
「学人が連れ出してくれたら良かったのに」
「だって飲み物、わざわざ残すのは勿体ない」
いやいや、あの場面、飲み物よりも大事なものがあったような気がしますけどー? むむ、と眉を寄せる。それに気付いたのかどうかは定かではないが、学人は「あと」と付け加えた。
「咲千が我慢してるのに、俺が台無しにするわけにはいかないでしょ」
「……――むう」
私は照れ隠しも兼ねて押し黙る。
ちょっとばかり、怒り狂うレアな学人を見てみたかったような気もするけど。基本的に、感情を表に出さないタイプだから。だってさ、“私のために”怒ってくれる、って。やっぱりちょっと、嬉しいよ。特別感。口元にやけますよ、そりゃあ!
最寄りの駅に着いた頃に、そういえば、と彼が口を開く。
「さっきの人、咲千、知ってる? 俺、中学の後輩って言われても、全然思い出せないんだけど」
「今更!……や、私も思い出せないけどね。たぶん知らない人だと思う」
自分から訊いた割に、ふーん、と学人の反応はすこぶる悪い。少し悩むように首を傾いでから、彼は私に聞こえるか聞こえないかくらいの小声で、呟いた。
「下手に咲千の知り合いだと困るからなるべく穏便に済ませたけど、知らないなら別に気にしなくて良かったな」
ブー、と携帯が鳴る。佳乃子からだ。
『さっきのどうなった?』
どう返答したものか。悩んだ挙句、『ヒーローが現れた』と返したら、すぐさま『ごちそーさまでーす』と来た。急に他人事である。自分の欲望に忠実すぎる。
『そういやさ、その女子グループ、そこら界隈で結構有名みたいよ』
『うん?』
『彼女連れの男引っ掛けて、遊んでるんだって。遊ばれたね』
ぱちり、と目を瞬かせる。……はて、名前を知っていたから、見ず知らず、ではなかったはずだけれど。
鴨を見つけたら、それがたまたま見知った顔だったのか。それとも、見知った顔だったから、鴨にしたのか。
つまりは何か。あのカップルなら崩せそうだ、と思われたのか。失敬な。
口を尖らせていると、隣に並んで歩いていた学人が「誰? 高梁?」と携帯を一瞥する。
「そうだよ」
「……ふうん」
少しばかり不機嫌そうになった彼に、何事かと目を見張っていれば、再びこちらを一瞥した学人が、ぼそりと呟く。
「マナー違反じゃないけど、……思ったことあるなら、俺に話せば良いのに」
「…………は」
呆けた声を上げれば、自ら口にしたことが恥ずかしくでもなったのか、学人は私の頭を無理に正面に向けさせると、足を動かすスピードを速める。慌ててそれについていきながら、意味を咀嚼する。噛めば噛む程、自分の目が輝いていくことを自覚する。だって、そんな言葉、レアなんだもの。
学人は他の人なら汲んでくれるようなことに、一切気付かないことも多々ある。――けれど、抜群のタイミングで、欲しい声を掛けてくれることもあるから、勘弁して欲しい。
なんだかなあ、と思う。でもこのくらいの頻度でちょうどいいのかもしれない。でなければ、私はきっとぐにゃぐにゃの骨抜きにされてしまうから。
学人さん は デレ を おぼえた!