09
暖かく差し込む陽気の中で、三人はぐったりと身体を地に投げ出していた。
それぞれの傷は、ポーションによって全て回復を終えてている。が、『0715』後に初めてのボス戦を行った心身への負担は、やはり大きなものだ。
白い羽を持った小鳥が1羽、円形に空白となった広場から飛び立つ。
そのすぐ隣で、剥ぎ取りの終わったベヒモスの死体が闇に溶けて消えていく姿が見えた。
「なあ、ひょっとしたらアイツらも"死に戻り"するのかな」
「アル……笑えないわ」
冗談めかして言ったはずの言葉は、乾いた空気の中に混ざりやけに響く。
言った本人としても現実となるのは嫌なので、ぷいと目を逸らした。
散発的に現れた残党の掃討も終えた今、三人はもはやしばらく動きたくないほどに疲れているのだ。
「ま、仮にそうなるとしても30時間後……あー、この世界でならたぶん1ヶ月以上先デスよ。
そん時までには、何らかの対策が打ててると思うデス」
「本当かよ」
「この辺りに住んでるってだけで危険なのは確かデスからねぇ……。
結局、私達では村の人たちに根本的な安全をもたらしてあげることなんてできぬのデスよ。そういうのは、"社会"が担う仕事デスしー」
「社会、かぁ……」
これからまた3日かけて聖都に戻るとして、約半月の間社会形成のメインストリームから離れていたことになる。
何もかもとは行かないが、それは"アバター"達が現地の人間と交流を持ち始めるのには充分な時間だろう。
飢えた所でHPは1ミリも減らないが、アバターだって飯は食べたい。そしてよほど自給自足に慣れていない限り、飯が食いたければ"この世界のヒトビト"に頼るしかない。
この大陸の国々は、魔族によって細かな交通網が寸断された都市国家に近い。5つの地域が首都と周辺都市を持ち、おそらくそれぞれの首都に住人が2~3万程度。
5000人と言うのは少なく無いが、けして多くも無い数だ。とはいえ流石に一つの都市で一気に受け入れるのも難しいだろうし、どう流動しているやら。
ある目的を持つクァーティーからすると、あまり致命的な決裂はしてくれるなよ、と願うしか無いが。
「そういやキュー子」
「〈クァーティー〉デス、男の子」
「オレだってアルフォースだ。まぁ、それは後でいい。一つ聞きたいんだけど」
フンと鼻を鳴らして、大の字になっていた身体を起こす。
アルフォースは、どうにも小さな疑問が喉にひっかかる様子でクァーティーを睨めつけた。
半身が千切れ飛んだはずの彼女の身体は、今はもう装備ごと五体満足のシルエットに戻っている。晒したおでこからそそり立つ触角も元気そのものである。
道具毎の耐久性といった要素は特に無く、別に、消し飛んだ部分は裸なんてこともない。懐にも優しい仕様であった。
「リッツはサブモンクだから『根性』で生きてたのは良いとして、お前はどうやって生き返ったんだよ。蘇生は失敗したのに」
「良いとしてってなによう。吹っ飛ばされて気絶して、大変だったんだから」
「あぁ……そんなことデスか」
クァーティーは軽く自身のバックパックを漁ると、中から羊皮紙の束を取り出した。
怪しげな六芒星を中央に、何やら読み取れぬ言語で細かく文字が書かれている。
一応、注視すればアイテム名くらいは出てくるようだが。
「……〈ヘルの契約書〉?」
「ええ、これを所持したまま死んだ時、1回だけ蘇生してくれる消耗品デス。
GvGとか、決戦場とかの特殊フィールドじゃ効果を発揮しませんデスけどね」
ちなみに"M&V"、タイアップなどのイベント限定品以外は課金無しで全てのアイテムが入手可能なのを売りにしていたが、無課金では入手数が限られる消耗品は結構ある。
〈ヘルの契約書〉もその内の一つであり、取引不可能な上クエストの終盤に1枚しか貰えないので大体のユーザーには死蔵されている代物だ。
なお、10枚綴りになったセットは日本円で約千円。
「「課金かぁー……」」
「限られたルールの中で最善を尽くしているだけデスぅー。一応ニブルクエの報酬で貰えるんデスから基本無料デスぅー」
結局の所、なんで〈蘇生〉が失敗したかと言えば対象が先に蘇生待機状態に入っていたかららしい。
それならそうと先に言えよ、とアルフォースがクァーティーの頭を軽くはたく。
心配をかけたのは分かっていたのだろう。彼女もまた、すまなそうに頭を掻くだけで何も言わなかった。
「……まぁ実際、私はもうこれを手に入れる手段が無いデスから、節約して使っていかないと」
「その割には、こんな所で使っちゃって良いの?」
「本当は全滅した時の保険のつもりだったんデスよ。そのまま聖都まで死に戻りするよりはずっと早くあの村に戻れますし……
そうすればもう一度アタックをかけるなり、最悪村の人たちだけでも逃すなりできるはずデスから」
流石のベヒモスも、一度殺した相手を警戒することは無い。
システム的に言えばそれは死亡したことによるヘイトリセットであるし、現実的に言っても未だ油断ならぬ相手が二人居るのだから、死体の行方に気を向ける暇は無いだろう。
結果、クァーティーはあの後こっそりと蘇生して付近の茂みで出待ちしていた、と言うわけだ。
「もう一度、ってことは死んだオレ達も蘇生するつもりだったのか。心が折れてたらどうするつもりだったんだよ」
「あァん? あんたら『ベヒモスくらい倒せる相手』って軽く言ったデスよ?
前言撤回とか認められるわけ無いデスよ? どうしてもって言うなら投資した金返してもらうデス」
目を細めたクァーティーの声色が、がくんと1オクターブ低くなる。
「〈トゥルーデイモス〉のハート代金分、キッチリ働いて貰うデスので。……逃げられると思うなよ」
「倒せてよかったー!」
にこりと微笑む少女の圧力におされ、リッツが丸いレンズの端に涙を滲ませて歓声を上げた。
そもそもクァーティーが勝手に使ったと言えばそうなのだが、彼女には何というか「やると言えばやる」凄みがある。
アルが神妙な顔で俯いていると、途端けらけらけらとクァーティーが声を上げて笑った。
「ま、冗談デスよ。ほら、実際にこうやって何とかなったわけデスし」
「何とかならなかったら冗談で済まなかった、って自白してるわよねそれ」
「気にしない気にしない。いやー、空が高いデスねぇー」
「誤魔化せてなさ過ぎる……」
半目で睨みつけるも、マーチャントの分厚い面の皮を貫き通せるわけもなく。
深く溜息を一つ、身体の芯から緊張を吐きだしている内に、アルフォースは近づいてくる中立反応を2つレーダー範囲に捉えた。
「……何やってるんだ、そこ」
「っ!?」
ハンタースキル『トゥルーアイ』を使うまでもなく、一見何もないところで茂みががさりと揺れる。
続いて、小さな女の子同士がひそひそと話し合う声が聞こえた。あくまで弓を扱うためのDEX振りだが、ステータスが持つ意味としてこういう側面も持つらしい。
(ほ、ほら、やっぱりバレるよぉ)
(ソ、ソンナバカナ……カンペキニ 〈透明〉ノハズ ナノニ)
「ほい、『ルクス』」
リッツの出現させた光球が周囲を照らし、身を寄せ合う二人の姿を露わにした。
急に己の纏っていた魔力が打ち消されたことで、驚いたのだろう。エインセルは目をパチクリと瞬かせる。
「こーらっ、エインセル! それにカリンも! 大人しく待ってなさいって言ったでしょう!?」
「ご、ごめんなさい……!」
「……ドーセ、マヌケナ リザードマンドモハ ワカラナイモノ……」
「でも今、アルは気がついたわ。リザードマンの中にも、気づく奴が居るかも知れない。
さっきまでアタシたちが戦ってたのだってそう! ひょっとしたら、戦闘に巻き込まれてたかもしれないのよ?」
「ウー……」
腰に手を当てて叱りつけるリッツの姿は、実に堂に入っているものだった、
つるりとしたエインセルの顔は表情が読みにくいようでいて、顔を俯け頬をふくらませる姿は案外分かりやすく。
「手慣れてるデスねぇ」
「子供が平気で危ないことするのは、実家の手伝いでよく知ってんのよ」
「エインセル、コドモ チガウ」
「そうやって意地張ってる間は子供だって言ってんの!」
不服そうなエインセルの隣でしょんぼりとしたカリンが、気まずそうに目をそらす。
あちらこちらに視線を彷徨わせる内に、黒く溶けてゆく倒れ伏した巨体を見つけ驚きの声を上げた。
「こ、こんなに大きな魔物を……やっぱりアバター様って、凄いんですね」
「……そうでも無い。思ってたより、ずっと辛かった」
しみじみと答えるアルフォースの言葉は、本心から出たものだ。
普段通りならばそこは、楽勝だったとか、大した事のない相手だとか、謙遜するふりをして自分を大きく見せる場面だっただろう。
しかし、経験したことの無い極限下で戦闘を繰り広げたアルに、もう強がりを言う気力は残っていない。
むしろリッツは、よくぞこんなにも早く日常モードに戻れるな、と関心するほどである。
「そういやぁ、指輪はちゃんと返せたんデス?」
ふと思い出したように、クァーティーがポンと手を叩いた。
一瞬身をすくませたカリンが、そっと包んでいた両手を開く。
「ええと、それなんですけど……」
「カリン、ユビワガ ヒツヨウ。ナイト アイニ コレナイヨ」
「……その、森は危ないから、そのまま持ってて欲しいってエインセルちゃんが……」
どうやら返しに来たのは良いものの、エインセルとしてはカリンに指輪を預け続けるつもりらしい。
確かに、カリンがリザードマンもうろつくマームリングの森を安全に通り抜け、花の泉で密会を行うには必需品のアイテムだというのは分かる。
だが、それはクァーティーにとってあまり歓迎できることでは無い。なので腕を組みながら、わざとらしく唇を尖らせ。
「……あんまりオススメは出来ないデスねぇ」
「ドウシテ? ユビワガ ナイト、カリンハ……」
「『自分の事を忘れてしまうかも知れない』……デスか?」
図星だったのだろう。エインセルの瞳らしき窪みが、丸く大きく見開かれた。
「でもね、カリンちゃんにとって……いいえ、あの村にとって〈透明化〉の力は、明らかに分不相応デス。
何度も使用していれば、遠からず"カリンが透明になる力を持っている"ことは村中に知れ渡るでしょう。
そうなると、村の中の小さな出来事でもカリンちゃんが疑われるかも知れない……なにせ、〈透明〉の力が有るんデスから。
『その場に居なかったことを、簡単には証明できなくなる』」
少し、難しい言葉を使いすぎただろうか。
カリンとエインセルは言われたことをすぐには理解できなかったようで、ぽかんと首をひねっていた。
「つまり、指輪を持ち続けてると、つまみ食いとかいたずらとかが全部カリンちゃんのせいにされてしまうかも知れないって事デスよ」
「そ、そんな事」
「疑いというのは、難しいものデス。一度や二度はすんなり飲み込めても、解決しなければ少しずつ腹の底に溜まっていく。
やがてそれが吹き出した時には、取り返しの付かないことになっているかも知れないのデス」
「……デモ……」
白くのっぺりとした顔が、悲しげに歪められる。エインセルは妖精であり、人側の事情には詳しくない。それが友人のためにならぬと言われても、納得しがたいのだろう。
彼女にとっては、"そんなこと"よりも友情の保証が欲しいのだ。喪失に身を置き続けていたがゆえに、「きっと来てくれる」と言う希望が。
「でもね、あなたが会いたいのならあなたから会いに行くべきよ。エインセル」
ぽん、となだらかな頭部に手の平が置かれた。
優しげな笑みを浮かべたリッツが、さらさらと流れる絹布のような髪を撫でる。
「あなたが花の泉にずっと居るのは、友達の帰りを待ち続けてるからでしょう?
……でも、こうしてあなたには新しい友達ができたのだから、あなたから動いていかなくちゃ。じゃないと、いつかきっと悲しいことになるわ」
「ドウシテ、ソレヲ」
「ふふっ、"アバター"だからね?」
あぁ、"M&V"のゲーム内において、まさしく彼女は待ち続けていたがゆえに再びの喪失を味わなければならなかったのだ。
〈エインセルの指輪〉はその装者ごと暴虐によって破壊され、プレイヤーの元へ流れつき、彼女は履行されるはずだった約束とそれを阻んだ運命を知り絶望して姿を消す。
関わった誰もが救われず、報酬目当てに飛びついたプレイヤーの心を叩きのめした〈花畑の約束〉は、だからこそ印象深いクエストの一つでもあった。
その結末を救えるのであれば、ベヒモス相手に戦った甲斐もあるではないかと思えるほどに。
「……ほら、これ、やるよ」
アルが"それ"を取り出したのは、言ってしまえば気まぐれだ。
自分だけ何もしないと言うのもどうにも座りが悪いというのもあるし、丁度バックパックにそれが入っていたのを思い出したこともある。
小さく銀色に光る薔薇が刻まれたその指輪は、〈コンペイトー〉と同じく換金する直前に『0715』に巻き込まれたからこそ持っているものであった。
「わぁ、綺麗……」
「……クレル、ノ?」
「お揃いのもんがあったら、忘れないだろ。まぁ、出処的にあんまり縁起は良くないかもしれないけど……」
なんせ、なんせ、子供の幽霊がもっていた物である。
別に呪われているということも無いはずだが、まぁ、どこで拾ったのかは言わぬが華だろう。
名前もなんの変哲も無い〈銀の指輪〉で、効果もちょっと高く売れるというだけのものだ。二人の思い出としては充分か。
アルが照れくささを誤魔化しながらひとつあくびをすると、エインセルがおずおずと袖を引いた。
「……ゴメンナサイ」
「何がだよ」
「オマエノコト、キモチワルイ ッテイッタ」
「……別に、気にしてない」
こっ酷く言われたのは、アバターたち全体のことでもあるし。
その内容について、思う所が無いわけでもないが……なんとなくだが、きっと彼女を問い詰めたとしても何も分かりはしないだろうと思うのだ。
よってアルは、そこで思考を打ち切った。いくら"自分たち"の存在について思いを馳せた所で、どうせ証明することも対策することもできまい。
「さ、帰りましょー帰りましょ。きっともう、お父さんお母さんが家で待ってるわよー」
「お母さん……! あ……でも、怒られるよね……」
リッツの発言に、一度は喜色満面で声を上げたカリンが、その後の展開を予想してしょんぼりと顔を俯けた。
その小さな肩に、そっと真っ白な手が乗せられる。
「イッショニ アヤマロ?」
「エインセルちゃん……でも……」
「……はー、しょーが無いわねー。アタシからも取りなしてあげるから、そう暗い顔しないで」
「ほ、ほんとですか!」
エインセルの協力とリッツの後押しを受けて、カリンはようやく明るい声をだした。
二人は早速貰ったばかりの指輪を取り出すと、つないだ両手を天高く突き上げ、銀の輝きにキラキラと陽光を反射させる。
「お揃いだね」
「……ウン」
木漏れ日の下、夜人族の少女とエインセルの妖精が、それぞれの指に銀の輪を嵌めあい、日に透かして見惚れていた。
とにもかくにも、こうして〈エインセルの指輪〉は持ち主の元に帰り、そして恐らくは二度と、カリンの手に渡ることはないのである。
□■□
「いやー、終わったデスねぇ~……」
グーッと背筋を伸ばしながら、クァーティーが吐き出すように言った。
村へ戻る帰路の途中、リッツは相変わらず子供二人に懐かれながら道を先導している。
「帰る前にちょっと人助けのつもりでしたが、随分と大変なバトルになっちゃったデスよ。
……もう一泊くらいしたいデスね。身体も、痛みでバキバキいってそうデスし」
「ああ、大変だったな……特に、お前はさ」
「アル君も、リッツさんだって、デス。お互い、死ぬか死にかけたか……まぁ、その辺までいったわけデスから。
本当、皆揃って死にかけて、〈トゥルーデイモス〉のモンスターハートまで使って――」
朗らかに浮かんでいた笑みが、スッと消える。真剣な眼差しが、リッツにまとわりつく子供二人を僅かにさした。
「――やっと、確信を得ました。頭の中で思い描いていたことが、"実行可能"だという確信を」
「……確信?」
クァーティーの言い方は、何というか勝戦に沸くには随分と剣呑な響きを持つものだ。
思わずアルはオウム返しに聞き返し、次に眉根をよせる。クァーティーの表情が、おおよそ見たことの無い形で嗤っていた。
クァーティーは、そのままそっと前方の少女たちを指差す。アルの目線が移る。
「あの2人を見てどう思います?」
「カリンとエインセルか? いや……まぁ、良かったな、と」
「そうデスね。我々が放置していた場合、彼女たちはきっとベヒモスの手で引き裂かれて居たのでしょう。
その後の鬱展開は、まぁ知っての通りデス。それをなんとか未然に防ぐことができた」
ポクルの少女の口が閉じ、木々の狭間に僅かな沈黙が訪れた。
がやがやと談笑しながら進む前方の三人とは、まるで見えない幕で隔たれたよう。
「なんで私達は"その事"を知ってるんでしょうね?」
……それは、問われたアルにとっては「何を当たり前のことを」と首を捻るような言葉で。
直後に答えを返そうとして、自分が言おうとしたことに愕然とした。
「……"M&V"に……クエストが、有ったから」
「クエストが? 冗談デスよね? リザヌール港から出てきたベヒモスと戦わされるようなクエスト、私は知りませんよ。
私達が知っているのはあくまで"起こった後"に対するクエストであり、繋がっているように感じるのは我々の想像でしかありません」
クァーティーが言っていることは、確かに事実だ。
そもそもが、"M&V"とこの世界は非常に似ているが決して同一ではない。エインセルがカリンと約束をしていない状況だって、可能性としてはあり得るはずなのに。
「ですが、私達がカリンのことを放置していたら、恐らく我々が知る通りに悲劇は起きたでしょう。
たとえ我々の中の誰もが、マルメロに娘さんへのお土産なんて渡していなくても、デス。
多分デスが、我々の知る"クエスト"の元となる因果は、既にこの世界に"種"として眠っているんじゃないデスかね?」
「つまり……こういうことか?
たとえオレたちが関わらなくても、あわてんぼうの書記官はうっかり書類を紛失するし、文華宮で暗殺事件は起こるし、
ホルトの厩には怪我をした狗竜が居て、霜の巨人は軍勢となって攻めてくるかも知れない、って?」
例を上げながら、アルフォースの頬にはたらりと汗が流れた。
クァーティーの話が仮に事実だとするなら、いつこの世界のあちこちで危機が生じてもおかしくない、ということでもある。プレイヤー達が冒険するMMOに似ているというのは、決して伊達ではないのだ。
「……マズいんじゃないのか、それは」
「ま、いちいち付き合ってたら命がいくつあっても足りないのは事実デスね。
とはいえこんなにも分かりやすいのだから、遅かれ早かれ皆気付くでしょう。私達は早い方かも知れませんが、それだけデス」
「それだけ、って」
アルの言葉は、指先までピッと伸ばされた手の平によって遮られる。
「重要なのは、"我々がクエストが起こる前に干渉できる"ということデスよ。
カリンとエインセルの二人が救われたように、ただクエストを消化するよりも早く"予見"することができる。
ですがその為にはやはり力が要るのデス。〈Lv〉と〈ステータス〉という分かりやすい力が」
クァーティーは、『0715』によりその二つを失った代表的な存在だ。
ベヒモスとの戦闘でも、口惜しいところがいくつもあったのだろう。剣呑に細められたその目は、とてもじゃないが現状に満足しているようには見えなかった。
「……知ってますよね? 下級職ではLvをカンストさせることができないって。
このまま転職できなければ永遠にLv50でストップなんデスよ、私」
Lvがストップするというのは、身体能力を"システム"に委ねるが故のどうしようも無いキャップである。
Lv1の下級職からスタートし、Lv50で転職をおこない、Lv99までの道で上級職を極める。
それがキャラクターというものであり、その恩恵を受けている以上アバターもまたそれに縛られる。
「……なら、今すぐにでも〈鋼鉄国〉に向かえば良いじゃないか。
〈職工〉転職用のアイテムくらい、お前ならすぐに揃えられるだろ」
仏頂面を風に晒したまま、アルフォースは唸った。壊れた兜は、とりあえずバックパックに放り込んである。
そういった装備品を修理するのも、マーチャントの上級職である〈職工〉の仕事。だが、クァーティーは即座に首を振る。
「〈職工〉じゃ駄目なんデスよ。それでは、戦闘用スキルが覚えられませんから。
マーチャントから戦闘職として組むには、〈発明家〉に転職しなければにっちもさっちも行かぬのデス」
「だったら、とっととそっちに……」
「無いんデスよねぇ、〈古代都市〉。"まだ、この世界には"」
いやぁ困った困ったと嘯きながらも、クァーティーの表情は世を儚むそれでは無かった。
アルフォースの中で、めらりと嫉妬の炎が燃え上がる。彼が思いつきすらしなかった挑戦に向かって、とっくの昔にこの少女は準備を始めているのだ。
〈発明家〉は2.0代アップデートで実装された、もう一つの上級職――亜流ジョブの中でも一番最後に実装された職であり、その転職地は〈古代都市ギィン=サリル〉。
半月以上前に情報収集した今のウェザールーンでは、伝説にのみ語り継がれている存在だった。
「でもデスよ、アル君。クエストの種があると言うことは、ストーリーの種だってあるはずだと思いませんか。
私達が干渉できることならば、わざわざ待ち惚けてやるのも馬鹿馬鹿しいと思いませんか」
「……確かに、外周都市ってのはポッと湧いて出てきたわけじゃない。実装に伴って、それなりの理由とシナリオが用意されているものだけど」
しかし、そこにはプレイヤーの意思なぞ介在していないことが殆どである。
"ゲーム"のプレイヤーは降って湧いた問題の対処を行う事はできても、自ら話に介入するための手段はあまり用意されていない。
クァーティーは、それを「やろう」と言っているのだ。プレイヤーという枠組みから外され、"化身"として生きなければならなくなったからこそ。
「本当にできるのか、そんなことが」
「挑戦してみる価値はある……というか、まぁやってみないとなんとも言えないデスねぇ。
とはいえやっぱり、このまま足手まといで居続けるのもつまらないデスから」
歩を進めるアバターたちの背後で、ベヒモスの巨体が完全に闇に溶けきって消えた。
今や奴の居た痕跡は剥ぎとった皮と角、そして森に残る戦いの傷跡にのみ残されている。
「ま、手伝ってくれると有難いデスよ、アル君。
当面の目標は、Story2.0……『ギィン=サリル浮上』をこの世界に実装してやることデス」
アルが言葉を返す前に、一際強い風が吹き抜けて、前を行く子供たちが喚声を上げた。
鬱蒼とした木々の天井が途切れ、飯炊きを行う人々の煙が見える。青い野原に波浪が生まれ、ツンと草の香りがした。
「セカンダーズ、少女を救う?」はこれにて終わりとなります。
TIPS、次章はそれぞれ来週中に更新していきます。