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説明回は大変です
自分はなにをしているんだろうと、今更になってクラリカは疑問を抱いた。
燃えるような紅髪は、今は纏めてフードの奥。辺りに散らばる錆びた鉄片に引っ掛かり、絡まりでもしたら大惨事だからである。
ガラクタ山を潜って進む、先を行くのは己の親友だ。後ろに誰もついてきて無ければ良いが。仕方ないとはいえ、腰を突き出すような姿勢になっているのは流石に恥ずかしい。
「ねえ、メイ。あなたが〈遺構〉の抜け道を知っているのは分かったわ。まさか本当にこのまま奥まで行くつもり?」
クラリカとって、メイコチコリはかけがえのない親友である。
だからこそ、彼女が余りに無茶な冒険をしようと言い出すのであれば、ひっぱたいてでも止めねばなるまい。
確かに、〈遺構〉の奥に竜に関わる資料が有るとは聞いた。だがそれは、あくまで学園の中でまことしやかに囁かれる噂の一つに過ぎないはずだ。
曰く、古代人は人と竜が交わったものであった。
曰く、古代人は〈竜の息吹〉に関する研究を進めていた。
曰く、浮遊大陸の魔法王は竜の力を用いて"大いなるもの"の領域へ至るつもりであった……。
どれもこれも、遺失文化学においては眉唾な話だ。
なにより、こんな忌まわしい"力"が有ったところで、出来ることといえば少し他人の感情に敏感になるくらいで。
気合を入れれば人を少し吹き飛ばすくらいの力も出せるが、それだって魔法でやった方がよっぽど疲れずに威力も出せる。
こんなもので"大いなるもの"になろうだなどと、どだい無理な話では無いかと――わずかに先祖返りを起こした程度の身からすると、そう思うのだが。
「分かってるでしょ? モンスターも居るのよ。そりゃ、私はその辺の敵なら相手にならないけど、あなたは……」
「……うん。悔しいけど、戦闘じゃメイがクラリカちゃんの足を引っ張っちゃうのだ。
メイ、チビだしドン臭いから……でも、クラリカちゃん一人でダンジョンに潜るなんてこともさせられない」
点滅を繰り返す電光板の脇を通りぬけ、剥げ落ちた壁の合間から廊下に滑り出る。
初めて入った〈ガーテナ遺構〉の中は、頼りなくスパークする白色灯が出迎えてくれた。
メイはどうしてこんな道を知っているのだろう、とは考えるものの、どうせまた謎の人脈でどうにかしたに違いないと溜息をつく。
なによりようやく背を伸ばせる広い空間に出られたことで、クラリカはようやく少しほっと出来たのだ。純人の少女としては平均的な体躯のはずだが、この抜け穴はあと1~2回りは小さな者に向けて設計されているようだった。
「だから、助けてもらおうと思うの。きっとこの先に、来てくれてるはずだから」
「来てる? 誰が?」
「いい人たちだよ!」
不安。だが、ここまで来てメイを置いて帰るわけにも行くまい。
なにより、こういったやるやらないの話では、クラリカはいつもメイに押し切られてしまうのだ。
……彼女と初めて友人になった時のように。常時そんな調子で、フミ友とやらも増やしているに違いない。
「……まぁ……いいケド。この辺り、本当に魔物が出ないんでしょうね」
「アバターさんの話では、大丈夫なんだって。正確には、居るには居るけど攻撃しなきゃ襲いかかってこないらしいのだ」
とは言え、はぁそうですかと気を抜くわけにも行かないだろう。
何と言っても、見つかるとまずいのはモンスターに限った話では無い。〈ガーテナ遺構〉は、本来学園の許可無き立ち入りが禁じられた区域。
中にまで学園の警備は立ち入らないだろうが、アバターの手で突き出されでもしたら停学は間違いなしだ。
「……それにしても、想像していたよりボロっちいと言うか……この辺は、結構ぐちゃぐちゃしてるのね」
背を伸ばせる、といっても壁や天井にはむき出しのチューブが這いまわり、白色灯の光は足元まで充分に届いているとは言い難い。床のタイルは一応見たこともない素材ではあるものの、剥げかけた箇所に無造作に只の金網が置かれており、どうにも安っぽい印象を受ける。
「この辺りには掃除するための自動機械しか動いてないそうなのだ。戦闘用でも無いし、攻撃しなければ問題ないって」
「そう言われると、ホコリっぽくは無いのね。この雑な対処も、その機械が出来る範疇でやった結果かしら」
〈遺構〉に生息しているらしい掃除用機械について、壊された後のガワくらいなら見たことがあるが、ほとんど接地していて確かにちょっとした段差にも弱そうな印象をうけた。
まぁそれでも、アームの威力は決して馬鹿に出来ないのだが。金属製で、成人男性より少し強い力があると言うことは、人を充分殴り殺せるということなのだから。
「……ねえ、メイ。本当の本当にやる気なのね?」
「やるよ! メイ、もうクラリカちゃんに苦しんで貰いたくないもん。きっと、きっと何か有るはずなんだ。
アバターさんたちは皆、『クラリカちゃんが遺構に行く』って事を知ってるんだから」
メイは、決してクラリカのように、「この世界が何であったか」を理解している訳ではない。
だが、ここ文華宮にアバターが訪れてそろそろ2ヶ月。彼らの言葉の断片から、今までの自分に「似て非なる運命」があったこと位は朧気ながらに理解している。
なにより、彼女の側にはあのクラリカ=アリエスティだ……異世界人の心すら読み取ってしまう、"忌まれし子"。
親友がそう呼ばれることを、メイコチコリは許しはしないが。
「あなたに言っても無駄だとは思うけど……あまり首を突っ込まない方が良いんじゃないの、メイ。
私が疎まれてるのは分かってる。ガデッサの嫌がらせに、また巻き込まれるわ」
「クラリカちゃんが大変なのは良く知ってるよ。でも、助けてくれる人たちもきっと居るのだ!
アバターさんたちだってそう! 心を読めるって知った上で、声をかけてくれる人もちゃんと居るんだから」
「彼らは……信用出来ない。この世界を、何か勘違いしているのよ。心が読めるから分かるの。
私を私とも思わないで……別の誰かに、塗りつぶされそうになる……」
そもそも本来、クラリカの能力はそこまで強いものでは無かったはずなのだ。
精々対応している相手がどんな感情を抱いているか――怒っているか、悲しんでいるか、こちらを騙そうとしているのか――そんな、カンの良い人間であれば同じように察することが出来る程度のものだった。
それが、アバターと相対している時だけは違う。相手の考えていることが一字一句分かる、なんてものでも無い。
やろうと思えば、相手の瞳で自分の顔を見れるんじゃ無いか、なんて思う程度には、生々しい実感がある。
自分と別の誰かがダイレクトに繋がる気持ち悪さ。まるで同じシチュー鍋の中で自分と誰かが混ざり合っていくかのような、この感覚だけは例え親友であろうと伝わるまい。
"花咲おとは"。あちらの世界の、ビアターだとかいう少女……竜の力が無くなれば、こんな思いも抱かずに済むようになるのだろうか?
「クラリカちゃん……」
「しっ……静かに。誰か来る」
眉をしかめながら側頭部に手を当てるクラリカを、メイは心配そうに覗き込んだ。
途端、赤い髪をひるがえしながら周囲に視線を巡らせたクラリカが、自分の体ごとメイを壁の隙間に引っ張りこむ。
「ねぇ……ホントに大丈夫なの、クァーティー? なんかすっごい、歩き方がぎこちないわよ」
「表情もぴくりともしないしな。普段見てるのと違って、すげー違和感ある」
「……アイツら……」
声の正体は、やはりアバターであった。それも、いつぞや資料室に来ていたあの4人組のうち、アバターだった3名だ。
反射的に顔を顰めるクラリカとは真逆に、探していた相手だと知ったメイコチコリが飛び出していく。
「クァーさーん!」
「は? 母さん?」
そして、付けたばかりのあだ名を呼びながら、クァーティーの真ん前まで飛び出して行き――真顔でそんな事を呟いたリッツに、勢いを削がれてズッコケた。
「何だ、キュー子ってメイコチコリの母さんだったのか?」
「んな訳ないデス。アル君、リッツさんのアホに乗っからないで下さい」
「アホ!? せめてボケって言ってよ! なんかアタシの頭が悪いみたいじゃないの」
「「……」」
「え、やだちょっと二人して黙らないで。だ、大卒よ? 20年勉強してきた人間が馬鹿な訳ないじゃない」
スッと目を伏せる二人に合わせて、リッツは大仰に腕を振る。
そちらの方を一瞥だけしたアルが、クァーティーの耳元に口を寄せるようにしてヒソヒソ声で呟いた(意味は無い。どれだけ声を潜めようが、wisやメッセージ機能を使わない限り、ただの潜めた声によるオープンチャットだ)。
「……この〈セカンダーズ〉ってギルド名、特に相談もなく付いてたけどさ。secondに-er付けて単語として成立するのか?」
「名詞は普通名詞形にはしないと思うデス。アル君もそろそろ受験でしたっけ?
老婆心ながらご忠告しますが、.pxeに頼らなくてもある程度出来といたほうが良いデスよー英語は」
「な、なによう! アタシのネーミングセンスに問題があるなら聞こうじゃない!
今時英語なんて大学で教えなおしたりしないし! 第二外国語、公用繁字だったし!」
問題あるのはセンスじゃねーだろ、というアル迫真のツッコミで沈んだリッツを尻目に、クラリカは三人をじっと眺め続ける。
その緋色の瞳はしかし、どこか驚愕に見開かれていた。不安と未知が入り混じった顔で、あるべきものが無いかのように視線を彷徨わせる。
「うう、キュー子ったら酷いわ。なんか淡々としてる分、割増しで酷く感じる……」
「……え、なんで……」
やがて、その視線は一点、先程から表情を微動だにもさせないクァーティーへと定められた。
まるで機械のカメラアイのような瞳が、クラリカの目とかち合う。
「ふぇ? クラリカちゃん、どうしたのだ?」
「……何かしら。すぐそこに居るはずなのに、この人達が酷く"遠く"感じるの」
「遠い?」
まるで、そうと気づかずトリックアートを見ているかのような。
どことなく自然で無い、くらくらとした感覚に、酔いを起こしたかのようにクラリカがこめかみを抑える。
「ふむ……アル君、説明」
「え、オレ? いつもみたいにキュー子がすればいいじゃん」
「ぶっちゃけ、ことレイヤーネットに関しては私よりアル君の方が詳しいんデスよう。
いかんせん私は古い人間デスし……こうすれば良いかも、って提案したのもアル君でしょ?」
「分かったけど……オレ、キュー子みたいに噛み砕いて説明するの上手くないぞ」
そう言い争っている間にも、クァーティーはピクリとも姿勢を動かさない。
いつもの転がり回るようなジェスチャーは無く、特徴的な反り返った前髪すら心なしか魂が抜けたように見える。
そして、仕方がなさそうに前へ一歩踏み出したのは、アルフォースであった。何から説明したものか、と兜の奥で目を細め、中空でボールを抱くように手を動かす。
「……えっとな、だから……コンフィグを弄ったんだ」
そして、数秒の沈黙が流れた。
□■□
「……えっと、それだけ?」
「あー、ちょっと待ってくれ……やっぱ、最初から説明するから」
まさか、その説明で分かるとは自分でも思えなかったのだろう。
呆れ顔を浮かべるクラリカを手で制して、アルは苦々しく顔を顰めた。
「えーと、そうだな。元々オレたちアバターは、皆"レイヤー"って言う薄い板の中で、同じ夢を見れるように繋がっていたんだ。
明晰夢……って言って分かるか? 夢の中で夢だと気付いて、好き勝手出来るようになる。それを共有してた。
でも、皆が皆好き勝手に出来るんじゃ、同じ夢である意味が無いよな? だから、夢の中にもルールを作ったんだ。
それがいわゆる"システム"って奴で……公平に"ごっこ遊び"をする為のルールなんだよ」
「夢? 私たち皆、夢の世界の住人だって言うの!?」
「そうじゃない。何故かは分からないけれど、あの日、夢だったはずのオレたちの"ゲーム"は急に現実のものとなった。
いや、元から『夢』に限りなく近い世界があって、皆そこに吸い込まれたんじゃないかな……と、オレは思う。
何にせよ、お前らの方が先なんだ。この世界はアンタたちのもんで、迷惑をかけているのはオレたちだ」
『0715』。その日、一体何が起こったのかは1プレイヤーに過ぎぬアルフォースには知る由もない。
だが、『何か』起こったのは確かなのだ。神の雷か単なる偶然かは知らないが、何か酷い事故……あるいは事件が起こった。
アバターたちは、原因はバーデクトの〈聖姫〉が天におわす「大いなるもの」を呼び出す祈りを捧げたことにあると言っているが……その張本人が今や次元の向こうである以上、確かめようもない。
「とにかく、オレなりにアバターが死に戻りする理由とか、現実でも"システム"に縛られてる理由とか考えたんだ。
その結果、オレたちは多分、本質的には『夢のように不定形な存在のままこの世界に居る』って結論に至った。
システムによって人のような形をしちゃいるけれど、実際はむき出しの思考データのままなんだよ。
そして、お前みたいな〈竜〉は人の思考を読めるってアレキサンドラが言ってた。
『超能力』じゃない、『超感覚』なんだとさ。むき出しの感覚器に直で刺激物を近づければ、そりゃあ嫌になる」
まずここまでが前提だ、とアルフォースは一息つき、周囲の様子を見回した。
メイは全く分からないといった様子で、ポカンとした表情をを浮かべている。これは仕方のないことだろう。やはり、発想の元となる娯楽に触れた経験がまるで違うのだから。
そしてリッツも全く分からないといった様子で、曖昧に天井のケーブルの本数を数えていた。お前は分かれよとアルは思った。
残る二人、クァーティーとクラリカは流石と言うべきか、難しい顔をしながらもどうにか理解をしようとしているようだ。
そもそもが抽象的な、アル自身ですら自信を持って正しいと言えない説である。呆れられやしないかと戦々恐々としながら、どうにか次の言葉を紡ぎだす。
「感覚器……言われればそうと納得はするけど……。
でも、それがコンフィグ? にどう繋がるかが分からないわ。いったい、私に何をしたの?」
「いや……お前には何もしていない。アバターがどうにか出来るのは、アバターのことだけだし。
弄ったのは、クァーティーの方だ。ええと、つまり感覚の鋭いあんたみたいな奴に対して……」
「極力『私』の感情が表に出ないように、『リアクション値』を最小にしたんデスよ。設定画面のスライダーを操作してね」
相変わらず妙に表情に乏しいクァーティーが、抑揚のでない声で補足した。
リアクション値とは、"M&V"の詳細コンフィグで設定出来る項目の一つだ。現実の自分より明るい人間になりたい。あるいは半匿名の存在として、冷静沈着に見せかけたい。
C-VRは、機械を通した脳と脳とのやり取りだ。故に、そういった願望に沿って「自分」をフィルタリングするのも不可能では無い。
「"システム"はごっこ遊びなんだよ。大人が子供のようにはしゃぐことも、子供が大人のフリをすることも出来る。
そしてクァーティーは、その機能を最大値近い倍率で使っていた。あえて感情表現豊かに振る舞うためだ」
「……テンションが高い人なら、もう一人居るみたいだけど?」
「リッツは素だろ。だがクァーティーは違う。いつもロールプレイしながら、本質的には冷静で用心深く回りを見てる。
"システム"によって拡大されたその違和感が、お前の鼻についたんだ……と、思う」
オレはお前じゃないから、この言い方が正しいかなんて分からないけど、と。話を一度打ち切って、アルは一息ついた。
イヤホンの音量を上げ下げするように。カメラ画像の明彩を加工するように。VR空間において、人は感情を調節してより好ましい人物になることが出来るなどと、異世界の人間にどうやって伝えたら良いのか。
こちらにはまだ、電気的機構どころかギア&クラッチすら無いはずだ。それとも、プレイヤーの世界に現れないだけで、実は既にありふれて居たのだったか?
クラリカは未だ難しい顔をして唸っている。この説明で、納得されなかったらどうすれば良いだろうか。
人の思考を読解する少女。この間のクァーティーに対する態度は、いわば音がうるさい、光がまぶしいといったようなものに対する拒絶反応だとアルフォースは思っている。
実際、クァーティーを無表情・無感動系キャラクタに変更したことで、彼女はだいぶ楽になったようだ。アルは普段から抑えめにしてあるし、リッツは三人の中で一番この世界に馴染んでいる。
メイコチコリの手紙に記されていた彼女の体調不良も、過度な刺激からくるストレス障害だとすれば……対処療法的とは言え、一応解決の目処は立つのだが。
「クラリカさん」
「……何?」
その様子を眺めていたクァーティーが、突如、一歩を踏み出した。
俯き気味だった視線に被さるように目で目を見上げ、"竜"の末裔として生まれた少女の緋の瞳をじっと覗きこむ。
クラリカにとって、意識して瞳を合わせられたのは隣に立つメイコチコリ以来だ。彼女の温かいブラウンに比べると、随分と無機質な印象を受けてしまうが。
「あなたが追い込まれているのは分かります。興味本位なアバターたちが、あなたを苛立たせているのも。
しかし、あなたの現実だけでは、あなたの問題は解決しませんよ?」
クァーティーのこの言い方に驚いたのは、むしろアルフォースたちの方であったかも知れない。
普段のクァーティーであれば身振り手振りも加え、もう少し柔らかく飲み込みやすいようにその旨を伝えられただろう。
だが、今のクァーティーにそんな"思いやり"を実現する機能は無い。発言だけ切り取った彼女の……なんと、頑ななことか。
「……だから、手を貸してくれるって? 私はあなたを一度突き飛ばしたのよ」
「そのくらいでヘソを曲げるほど、もう子供では無いデスし。
それにどっちにしろ、私はあなたの身に着けている〈金の小板〉に用があります」
「〈金の小板〉? ――あぁ、この指輪。くれた人は血の証明とか言ってたけど……別に、欲しいならあげたって良いわよ?」
鼻で笑うクラリカは、嘘吐きだ。もし本当に、彼女がそれをなんとも思ってないのなら、こうして身に付けたまま持ち歩く必要もない。
そして、アバターに対しあくまでも冷笑的な姿勢を崩さないクラリカを、後ろから抱きすくめる存在があった。
「……なによ、メイ」
「クラリカちゃん……なんだか、らしくないよ。どうしちゃったの?」
「らしくない、って……」
まるで縋るように紡ぐ友人の言葉に、思わず口角が釣り上がる。
鏡を見れば、随分と嫌な顔をした自分が映っているのだろうな、とクラリカは思った。
そして堰が切れたかのように、胸の奥から言葉が溢れだす。言うつもりの無かったこと、必要のないものまでも。
「そりゃそうでしょ、メイには解らないわよ。自分が自分で無くなっていく感覚なんて。
胸はって"違う"と言えるなら、私だってこんなに必死になって否定なんかしない。
ひょっとしたら、一番私の事を"花咲おとは"だと認めているのは私なのかも知れない!
そんな状況でッ……いつも通りに振る舞えるわけなんか無いじゃない……!」
特異であるがゆえに、自分の一番の親友にすら理解されない苦しみを背負い続けていたのだ。
目の前の化身が悪いのでは無い。分かっては居ても、恨み言が次から次へと漏れてくる。
赤い髪が振り乱される。たった一人、世界に押しつぶされまいと藻掻いて。
「……声が、聞こえるの。世界が私じゃない私を押し付けてくる声。
もっと媚び媚びで、愛らしく、プレイヤーに都合の良い〈NPC〉になれっていうアバターたちの声!
散々だわ! 私は花咲おとはじゃ無い。あなたたちに用意されたキャラクターでも無い!
レズビアンでも無いし、他人のお尻の穴をどうこうとか本当馬鹿なんじゃないのッ!?」
「うわ、それはキツい」
顔を真っ赤に染め上げながらの叫びは、同じ女性であるリッツには深く共感できるのだろう。
〈クラリカ=アリエスティ〉、その竜の力ゆえかPCに対して最初は刺々しく、親しくなっても気が強いのは変わらない。
"思念"で押し付けられるキャラクターに関して、どうしても性的な話題が切り離せないのもまた、誰かに相談できなかった一つの原因であった。たとえメイコチコリとて、相談されても困っていただろう。
「……けど、なにより一番辛いのは、その『私じゃない私』の方がよっぽど認められて、幸せそうにしていること。
私が私であることなんて、他の誰が望んでくれるの? 父さんも母さんも、私には居ないのに……」
叫ぶだけ叫び、最後には歯を食いしばるようにして、クラリカは言葉を絞り出していった。
彼女の頬に伝う輝きを、メイコチコリが掬う。そこまでしても、限界を超えた彼女の嗚咽は止まらず。
「クラリカちゃ……」
「もういい。もういいのよ。結局、それが全てなの。どうせ私は――ッ!」
――『誰にも、望まれてなんか居ないんだ』。
クラリカというキャラを代表する、悲嘆の叫びを上げようとしたところで……トン、と胸板に当たる感触に遮られた。
メイと同じ身長、前髪だけ一房反り返った栗色の頭が、メイコチコリと腕を絡めるようにクラリカを抱きしめている。
「何よ、あんた」
「……お願い、お願いデス。これが私の我儘だという事は分かってる。でもどうか、あなたの声でその先を言わないで」
リアクション値を最低にしているがゆえに、その声に感情の色は無い。
だが、もしここに、現実のクァーティーが居ればきっと……彼女の声は、震えていただろう。
握る腕の力が強くなる。クラリカの胸の下で伏せたまま、クァーティーの顔は未だ見れない。
「その声でその言葉を、3回も聞かせないで……!」
「……3回?」
数えた数に、アルフォースは違和感を覚える。ゲーム中で一度聞いていたとしても、3回になるにはあと1つ足りない。
アバターの世情には疎いクラリカにさえも、その違和感はすぐに掴めた。そして理由も。
「あなたは……結局、"私たち"の何なの?」
「……ビアター"花咲おとは"――いえ、春日井乙葉を産み育てたのは、私の娘」
クラリカの身体から、クァーティーがゆっくりと離れていく。
その顔は未だ能面のようで、何を考えているのかすらうかがい知れず。
「彼女は……私と血の繋がった、実の孫娘になります」
〈Qwerty〉――春日井かなの懴悔の声が、鋼鉄の墓場に粛々と響き渡った。




