27
――最近、おかしな夢ばかりを見る。
見たこともない遠いどこか、日差しが差し込まぬ灰色の街の中を、私は歩いていた。
太陽が見えないのは、銀色に輝く高い建物が空を遮っているから。四角く、窮屈で、息詰まる。
だけど幕をめくれば、色とりどりの動く絵があの無地の壁にいくつもいくつも並べられるのだ。私はそれを見たことが無いけれど、この体は何故か知っている。
道路に溢れかえる人々は皆、顔に同じ意匠のメガネを乗せていた。
若い女の人も、40代っぽいおじさんも、みんな上縁が一直線。正直、あんまり格好良くはない。
……真っ赤な髪が目立つよりは、案外楽なのかも知れないけど。
ここはどこなのだろう。相変わらず見たこともないくらいに人が居て、私は1人だ。
「あ、プロデューサーさん」
なのに、この夢ではいつも口が勝手に動く。いや、そもそも体が別人か。
ただ声だけが同じなのだ。気味が悪いくらいに、この体と私の声は似ている。
体は紺色の服を着た男性と予定について話す。どうやら体の家族が昏睡状態にあるらしく、体調を心配されている。
夢の体と私の姿は全くの別人。知らない誰か。でも、確かに繋がりは感じていて、ただの夢では説明できないない現実感。
「はい、大丈夫ですよ。今日のイベントは空木さんも一緒ですし……」
全く知らない相手に、全く知らない内に好意を持っているこの気持ち悪さは、なんと言えば伝わるだろうか。
……本当になんなのだろう、この夢は。最近、眠る度にこれを見続けている身にもなって欲しい。
私は〈クラリカ=アリエスティ〉だ。それだけが私の名だ。親に付けてもらった訳じゃ無いけれど、それでも。
だけど、この夢を見ているとそんな想いもほつれていく。解けて、砕けて、じぶんがまるでじぶんじゃないようで。
真っ白な段の上に体が登る。誰が信じるだろうか、この光景にあのダサい眼鏡を被せれば、瞬く間んい万を超える数の観客達の姿が映るなどと。
そう、万を超える数がこいつを見ている。こいつを通して私を。私を通してこいつを。
体が媚を売る。ああ気味が悪い。私はそんな事はしない。しないというのに。
「皆さん、こんにちはー! 穂村かなえ役の、花咲おとはでーす!」
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。
私はクラリカ=アリエスティ。誰の役でも、誰に演じられても居ない。
□■□
「アビィちゃーん! こっち、こっちなのだー!」
〈学園〉の豪華な金色の門のが開くと、中はこれまた見栄えの良いキャンパスが広がっていた。
正面には芸術と学術の国と謳われるだけある、趣向を凝らした噴水細工。左右それぞれにこの国のシンボルである尾が孔雀となった猫の像が並び、一つとして同じポーズは無い。
さらに視線を奥に動かすと6つの尖塔が高くそびえ立ち、高さだけならそれは10階建てのビルにも迫ろうとしている。
ゲーム内で見慣れたはずの風景だが、そこに溢れる人のざわめきと乾いた風の匂いをあわせると、また風情が変わるものだ。
アルたちが思わず建造物を見上げていると、狗竜車の元にポテポテと小さな少女が駆け寄ってくる。
その姿を見たアビィは思わず顔をほころばせ、狗竜が警戒しないように手綱でなだめた。
「メイ! お久しぶりね。元気にしてた?」
「メイはハッピーだよ! お手紙出したばっかりだったけど、まさかこんなに近くにきているなんて。ビックリなのだ」
耳付きのフードを取り付けた学園の制服に身を包み、ころころと笑うこの少女こそ〈メイコチコリ〉。
種族は小人族であり、やはり身長はアルフォースの腰ほどまでしかない。
こうして狗竜車に並走すると、徐行の速さでも短い足を一生懸命に動かすことになるのが少し可哀想でもあった。
「……知り合いなのか?」
「クリプツカは友好国ですから、〈白犬騎士団〉も結構遠征が有るんです。
メイちゃんはその時に知り合って、以来お手紙のやり取りを」
「フミ友なのだ!」
「あぁ、そういえば手紙好きって設定だったわね……」
歯を見せて笑うメイの頭を撫でながら、思わずリッツが独りごちる。
プレイヤーと彼女が知り合う切っ掛けすら、メイの送る〈誰宛でもない手紙〉を拾ったことがトリガーになるのだから筋金入りだ。
この世界でも順調に手紙を配り回っているなら、これが中々侮れないネットワークになっている筈だが。
設定? と小首をかしげるメイを前に、クァーティーはリッツの頭を叩いた。
「何はともあれ、見てくれは同じ小人族同士よろしくなのデス、メイコチコリ」
「メイで良いのだ! そういうあなたのお名前は?」
「〈Qwerty〉デスよ、メイ。今後ともよろしく」
「クァー……? 小人族にしては変わったお名前なのだ」
余談であるが、"M&V"のNPCは種族によってある程度名前の規則が有るとされている。
小人族の女性ならば名字は無く6字であり、最後の2文字を~o、~iで結ぶと言った具合に。
「それはそうよ。このお三方は、人類種ではなくてアバター様なんですから」
「アバターさん!? メイはアバターさんと友達になるのは初めてだ! 友達になっても良い?」
「ええ、もちろんデスとも」
「やったー! ついにメイにもアバターさんのお友達が!」
メイは喜びを顕にし、兎のように跳ね回る。それにしても、流石の彼女もアバターと触れ合う機会はそう無かったのか。
アバターは元がネトゲーマーなだけあり、総合すればやや内向気味の男性が多く、つまりそれだけ男性キャラクター比率も高い(ネカマが0と言うわけでもないが)。
メイにも固有グラフィック持ちNPCとしての人気が有ったはずだが、成人男性然としたアバターで彼女と臆面も無く友人になるのは少しハードルが高かったか。
……一部変態も居たかも知れないが、そこは自浄作用がうまく働いたと思いたい。
「クロスベムからこっちに向かったアバターが100人程度居ると聞きましたが、彼らは何をしてるのデス?」
「あの人たち? あの人たちなら今、チームを組んで遺構を探索しているらしいのだ。
遺失文化科の人達は、毎日遺物を分析するので大変大変って言ってるよ」
「〈ガーテナ遺構〉か」
「日々の習慣は抜け切りませんねぇ」
少し上を向けばよく見える、ピラミッドめいた灰色四角錐。
Lv40から入れて、上層部は90台の狩場にもなる、〈"文華宮"クリプツカ〉のメインと言っても良い広大なダンジョンである。
特に1日1回入場出来るランダムダンジョン形式のフロアが旨く、ゲームの頃は「日課」と呼ばれる程であったが。
ちょちょいと小さく手招きするクァーティーに合わせ、3人は顔をつき合わせて声を潜める。
「地下が実装されるという噂でしたが……本当なんデスかね?」
「あるいは、そいつらもそれを探ってんのかもな。なんてったって、新要素だ」
「ゲーマーのサガねー。まぁ、アタシらもとやかく言う資格無いんだけどさ。でしょ? クァーティー」
アビエイルも交えた話し合いの結果、3人は「この世界に元となるゲームがある」と言うことをあまりおおっぴらには喋らないようにしよう、というになった。
あくまで基本は良識に従ってだが、人によっては「ゲームの知識が有る」ことが秘密を知られている恐怖に繋がりかねないだろう。
その辺りの事柄についても、やがては"協会"の手により決まっていくのだろうが、まあ仮に現地人が「ゲームでそうだったからこれが正しい」と言われて納得出来るかという話だ。
そういうことをやるならやるで、誤魔化せるようにしておく必要は有るだろう。
「原作において、ペトロニウスが魔女アレキサンドラから授かったらしき〈金の小板〉。
そして、彼の家に代々伝わってきた〈銀の円盤〉……この2つが、古代都市にとって重要な何かだったのは間違いないはずデス」
「こっちだとどうなってるんだっけ? それ」
「〈金の小板〉はサンドラが指輪に加工してクラリカへ。〈銀の円盤〉は……依然として行方不明、と言った所デスか。
少なくとも、協会に居る"アバターの"ペトロニウスは全く知らないようデスので」
横目で様子を伺うと、メイは今のところ久しぶりに会ったアビエイルと話すのに夢中なようだ。
方針の確認がてら、やるべき事を整理するのには良いタイミングだろうと、3人は頷き合う。
2つのうち、小板の方は取り敢えず問題にはならない。クラリカが持っていることさえ確認できれば、一度借りるだけでいいのだ。
それまでにクラリカと仲良くなっておく必要は有るだろうが、メイが居るならどうにでもなる。
問題は、ペトロニウスが持っていたとされる〈銀の円盤〉の方だ。
「ペトロニウスの書斎とか、そういうとこにあっさり置いて有れば良いんデスけどね」
「でもよ、仮にそこにあったとして、すぐに入れてもらえんのか? 部外者だぞ、オレら」
「そこデスよねぇ……」
ゲームの世界では、NPCのペトロニウスが様々な冒険の結果古代都市を復活させたことになっていた。
冒険中の彼と知り合うことによって研究塔にも入れて貰えるようになる以上、彼の不在はプレイヤーとしても非常に困る。
ゲームの正規ルートが使えないのなら、社会の正規ルート――つまり、信頼を獲得し、手続きを進めて乗り込むしか無いだろうが。
「ま、じっくりやっていくしか無いデスよう。元からこの世界は、ゲームじゃなくてリアルなんデス。
信頼を積み重ねるのだって、そうポンポン都合のいいクエストが有るとは限らなし」
最も、そのつもりで準備はしてきている。アビエイルなどは、その為に身分を保証してもらえる立場の者を連れているのだ。
後は、実力と資金力で道を切り開くしかあるまい。実弾が有効なのは、何もゲームの中だけの話じゃ無いのだから。
クァーティーがそう考えていることもつゆ知らず、リッツは脳天気に手の平を叩く。
「んー……つまり、学園編って事よね! アタシなんだかワクワクしてきたわ!」
「オレ、その響きは何か嫌な予感するけどな。それに講義なんか受けたくねーぞ」
「むしろ学内政治とかの分野になりそうデスしね。リッツさん、ハニトラやってみます?」
「……ノー、アダルト。健全にやっていきましょ」
思わず漏れた黒い笑いに、やや引き気味となるリッツであった。
□■□
「目が覚めたようだな、クラリカ」
淡くぼやけた視界から、ゆっくりと意識が起き上がる。
己の赤い髪を左右に振り揺らし、学生服に身を包んだ〈クラリカ=アリエスティ〉は目を覚ました。
学年を示すラインの入ったブラウスに紺のスカート、そして明るい茶色の印入りフードマントはこの〈学園〉の生徒に定められた制服である。
クラリカは呪文科志望であるが、この服装だけは文化科志望の生徒であっても変わらない。
服に頼らずとも己を表現できるくらいでなくては、この文華宮の学生としては認められないのである。
「……ナルムモモイ教授? ごめんなさい、ご迷惑おかけして」
「構わんさ、生徒の面倒を見るのも教師の努めだ」
どうもゴツゴツとしたものの上に寝かされていたようで、背中が痛い。
振り返ってみれば、直列になった椅子であった。まあ、床に直で寝かされるよりは良いかと嘆息する。
「しかし、資料整理中にぶっ倒れるとはな。まるで私が超過労働させているようじゃないか」
「整理中……! そうだ、壊れたものとか有りませんでしたか!?」
「気にするな、どうせ元から壊れているものばかりだ。
まったく、私は年に一度学生を倉庫に缶詰にさせるだけで良いと聞いたから資料室管理者を引き受けたんだぞ?
アバターの連中も、どうせ成果を出すなら気を利かせてメイド型人機の完品くらい持ってくればいいものを」
「ナル教授……その言い方はちょっと……」
気怠げに俯いたナルムモモイ――小人族の女性だ――が整理中の部屋の様子を眺め、もう一度大きく溜息を吐いた。
部屋の中にはあちらこちらに木箱と、その中に収められたなんらかの電子機器の部品らしきものが散乱している。
……その、どれもが〈ガーテナ遺構〉からの出土品。三ヶ月前は喉から手が出るほど欲しかった、遥か古代のテクノロジーを解析する重要なサンプルでは有るのだが、数が数だ。
100人規模のアバターたちによる発掘ラッシュのせいで箱は日に日に増え続け、ついには資料室全体を埋め尽くすほどになってしまったのである。
「もうメイド服も用意してあるのに……仕方ない、クラリカに着せるか」
「教授? ジョークですよね?」
ナルムモモイが棚から引っ張りだした黒白の服を見て、クラリカの視線の温度が数度下がった。
標準サイズのメイド服を小人族の彼女が何に使うつもりだったのかは分からないが、ロクでも無いのは間違いあるまい。
心なしか残念そうに服を戻すナルの背中を横目に、クラリカは周囲を見渡す。
「そういえばメイはどこです? あの子、私が倒れたとなったらいつも五月蝿く走り回ってるのに」
「安心しろ、君が倒れるちょっと前には部屋を出て行ったよ。
フミ友とやらが案外近くに着ていることが分かったので、門の前で出迎えるのだそうだ」
「そうですか……えっと、今度はどんな人? 行商の飴売りさん? それとも胡散臭い占い師?」
「〈白犬騎士団〉の従士だと」
「……相変わらず謎ね、あの子の人脈も」
いつだったか、〈海獣の入り江〉に住む水精たちから返事が帰ってきた時は、しばらく開いた口が塞がらなかったものだが。
水精と言うのは下半身が魚のような透き通った美女たちだ。
古種と呼ばれる旧時代の生き証人で、人類と敵対している程では無いものの、人に住処を追われた過去を持つ。
「まぁ、出て行ったのも結構前だ。案外そろそろ帰ってくるんじゃないか」
「たっだいまー! なのだ!」
「……噂をすれば、ね」
目尻の垂れた、すっかりクマの目立つ瞳が廊下側の戸を睨んだのと同時に、軽く早い足音が響いた。
制服のフードマントに耳を取り付けた特徴的な頭部が、元気いっぱいの掛け声と共に顔を覗かせる。
全体的にハムスターめいたシルエットの友人に、クラリカは座ったまま手で挨拶を返す。
「あ……! クラリカちゃん! また倒れたの!? 大丈夫?」
「え、えぇ、大丈夫よ。どうせ倒れるって言ったって、急に眠くなるだけなんだから」
「でも……」
「それで、その人達が件のお友達? なんか、随分多いみたいだけど……」
何があったかを悟ったのだろう、途端心配そうに近寄ってくるメイの頭を撫で、クラリカは他の4人へ視線を移した。
1人はマジシャン風の女。スタイルが良い体とはアンバランスに、子供のように面白いものが無いか見回している。
1人は〈白犬騎士団〉の証を身に付けた同年代の少女。おそらく、この夜人族の娘が教授の言っていた人物だろう。
1人は半木精人の少年。部屋が込み入っていることもあり、興味なさげにドア口で待機している。
そして、最後の1人。やたらニコニコとした顔で集団の先頭に立つ小人族の娘と、目が合った。
「あー、どうも。初めましてデスね。我々は古代都市ギィン=サリルの――」
「――やめろ」
「ほ?」
ざらりと、棘付きの舌で舐め上げられたような嫌悪感がクラリカの身を震わせる。
頭からつま先までちくちくと痛み、忌避感と嫌悪感が瞬く。流れ込んでくるような「情報」を拒絶し、クラリカは己の〈竜の息吹〉を吐き放った。
「私は"花咲おとは"じゃないッ!!」
不可視のベクトル波に浚われ、目の前のマーチャントの身体が壁へと押し付けられる。
この場にいる他の面々が目を丸くしているのにも構わず、クラリカは反発してこみ上げてきた嘔吐感を飲み込みながらかけ出した。
「ちょ、クァーティー!?」
「待ってクラリカちゃん! 廊下を走ると危ないよぉ!」
そのまま、足音は遠く小さくなる。慌てて後を追うメイの背中を見送り、後にはナルムモモイと4人だけが残される。
この状況を見ても顔色を変えなかった小人族の教授が、咳き込むクァーティーを見てやはり眉一つ動かさず声をかけた。
「ふむ、これはなんとも……私から詫びたほうが良いかね?」
「……いえ、大丈夫デス。頑丈にできてますので」
「そうか、助かるよ。中々頭を下げてると分かってもらうのも大変でね。
……と言うのが小人族定番の爆笑ジョークなのだが、同族としてどう思うかな」
「文化の国としてもうちょっと頑張って欲しいデスね」
「中々手厳しいことを言うな、君は」
どうも、感情を読みづらい相手である。
クァーティーは笑いで返事を濁しながら、オロオロと見守る仲間たちへ指示を送る。
「あー、三人とも、こっちは良いのでクラリカさん達を追いかけてくれるデスか?」
「良いのか? 任せて」
「この部屋にあんまり人が居ても、ちょっと窮屈デスしね」
まぁ、これからやることと言えば相も変わらずの交渉事だ。アバターの割にはやたら根回しが多いという自覚はあるし、それが変わっているという理解もある。
そしてアルとリッツも、そういう話の場において自分たちは置物であり、クァーティーに任せたほうが良いという信頼の元これまでやってきていた。
だが、今回ばかりは少し戸惑う。クァーティーがやや困ったように笑顔を作り、普段通りにテキパキと指示を出す、その下には。
「それに私には……ちょっと、あの子に会う資格が無いようなので」
妙に達観した、後悔の色があった。




