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セカンダーズ、現実(リアル)が2つ?  作者: はまち矢
さいどわいんだ~ず:
32/39

アレキサンドの幻燈(3)

「この街に、もう少し長く居ることになるかも知れない?」

「う~……実は、その通りなのデス」


 くたびれた様子で呟くクァーティーに、アルフォースは問い返した。

人と国が交差する街、クロスベムで宿を取ってから4日。4人が泊まる宿の談話室には、今のところ他の客の姿は無い。

ちろちろと木窓から差し込む朝の光の中、クァーティーの小さな体躯を膝に乗せたアビエイルが、彼女の肩をリズム良く叩きほぐしている。


「おぅっおぅっ……まぁ、ちょっとばかり探し人に苦戦していまして」

「そりゃ大変だけどよ。そこまでして探す価値のある人物なのか、そいつは」

「んーまぁ、そうなんデスよぅ……あ、そこそこいい感じデス。いやーもう凝って凝って」

「凝る訳ねーだろ、アバターのくせに。アビエイルも嫌なら嫌って言っていいんだぞ?

 別にお前、オレたちの召使いって訳でも無いんだから」

「いえいえ、これくらいなら! クァーティーさんなら、小さくて軽いですしね」


 ふひーとだらしない吐息がクァーティーから漏れるのを、アルはしばらくなんとも言えない瞳で見つめた。

……まぁ、本人が良いと言うなら口を挟むことでもあるまい。アルはどっかりと対面の椅子に腰を下ろし、改めてクァーティーと目線を合わせる。


「手伝ってくれ、みたいなことは言わないんだな」

「んー、まぁ別に暇してるようなら手伝って貰っても良いんデスけどねぇ。別にアル君、暇じゃないデスよう?」

「……まぁ、うん」

「じゃ、良いデス。こっちはこっちで適当にやるだけデスので。

 それに、手伝うったって私の後ろをとことこ付いてこられるだけじゃ、人手を増やしたことにもなりませんデスし。

 商店や酒場周りに馴染むように歩きまわって、それとなーく話を聞き出すようなこと、アル君に出来ます?」

「出来ない」


 確かに、言われてみればその通り。にこやかに話を聞いて回るクァーティーの斜め後ろで、仏頂面で立っているだけの自分がアル自身にも思い浮かぶようであった。

まぁ、適材適所と言うものなのだろう。このような場合でのクァーティーの手伝いとしては、〈アルフォース〉よりも〈リッツ・サラディ〉よりもアビエイル=クウェイリィが役に立つ。それだけの話だ。


「分かった。まぁ、オレたちのリーダーはキュー子なんだから、任せるけどさ」

「うむ、任されるデス」


 そう、適材適所。こまごまと気を使ってくれるアビィの有り難みは、この2週間で嫌になるほど良く解った。

実のところ、アルフォースは当初現地人(マニオン)をPTの一員とすることに、反対こそしないものの猜疑的でいたのだ。しかし今はもう、彼女無しでの旅は考えられない程にありがたみを実感している。

政治的な話や人付き合い、手続きなどはクァーティーが片付け、寝床の支度や狗竜の手入れなどはアビィ主導で行う。

戦闘は……一人いれば良いと言うものでも無いが、それでも今はリッツが頭ひとつ飛び抜けて強い。

何か。何か少しづつでも役に立たなければ。単一ユニークで無ければ。


「……お悩みでもあるのですか?」


 そんなに、分かりやすい顔をしていただろうか。

アルはほんの少し瞳孔を開いて、上目遣いにこちらを見るアビエイルと視線を合わせた。

桃色髪の奥の緋眼をやや潤ませながらアルフォースを見上げ、ぬいぐるみのようにクァーティーを膝に抱いている。

側頭に牛の角。リッツより頭一つ半小さい身体に、同程度の乳房が付いている。彼女がやや身を乗り出すことで、クァーティーが苦しげに声を上げた。


「……別に」

「そう、ですか。ええと……」

「んもう、アル君たら。ぶっきらぼうとクールなのは違うんデスよ?」


 アビィを跳ね除けて椅子から立ち上がった(にも関わらず、彼女の頭の位置は元より低くなっている)クァーティーが、唇を尖らせ一房だけ反り返った奇妙な前髪をアルに突きつける。


「そんなつもりは無えけど」

「私たちと違ってアビエイルちゃんは同年代なんデスから。甘えてるばかりじゃいけねーデスよー?」

「甘えてるつもりなんて」

「その『カッコつけてるのを分かれよ』という態度、女の子から見ると立派な甘えデスよ」

「女の子ぉ?」


 失言であった。眉を吊り上げるクァーティーにアルはついつい視線を逸らす。


「まー確かに言い訳できるような歳でも有りませんけどぉ、一々揚げ足を取らないで下さいな。

 私からすると、もうちっと素直に甘えて貰えれば、可愛いんデスけどねー」

「……悪かったよ」

「そこでちゃんと謝れるあたり、素直な良い子デスよ、アル君は」



『あなたは本当に、素直で良い子ねぇ――……』



 ふと。久しぶりに思い出す声が頭の裏で強く響いた。

手が掛からない。我儘も言わない。……素直で、良い子。

それは本当に、褒め言葉だったのだろうかと。対象も取れないままの問いが宙空に浮かび続ける。

頭の奥にしまいこみたくて、アルは己の額を強く引っ掻いた。


「あ、アルフォースさん!?」


 衝動的に行動した後、アビエイルの驚愕と心配が入り混じった声が耳に入る。

ダメージは受けていない。それはそうだ。だが、ヒリヒリと額に熱い痛みが残っていた。


「ど、どうしたんですか? やっぱり変ですよ、最近」

「そう、かな。……そうなんだろうな」


 やはり、どうにも調子が悪い。自分でもそう自覚してきた頃である。

ぶんぶんと首を振ってとりあえずの立ち直りを見せた時、アルフォースの様子を見ていたクァーティーが、ふむと頷いて一つ指を立てた。


「んー……アル君、やっぱり私のお手伝いをお願いします。もののついでで良ろしいので」

「別に良いけど。どういうつもりだよ、今までオレたちにも、誰を探してるかなんて言わなかったのに」

「一応、設定的には隠棲しているらしいお方デスし……

 あまり表立って動いて、アバター全体が物珍しさに彼女の元へ押しかけるような事態になったら悪いなぁと思ったんデスよ」


 "元ユニークNPCのプライバシー問題"。それは最近、アバター同士の間でとみに耳に挟むようになった話題である。

ゲーム内で固有(ユニーク)のグラフィックを持ったNPCは、アバターたちにとっては有名人のようなものだ。

故に、性欲だけではなく、知識欲、自己顕示欲など様々な欲望をもってその私生活を暴こうとするアバターも、極小数ながら居たのである。

なまじ信頼(ゲーム内数値)を深めながら彼らに関するエピソードを知っているがために性質は悪い。

NPCへのセクハラが如何にGM案件じゃなかろうと、ここはもう異世界なのだ。未だアングラ気分の抜けない者については、アバター間で自浄していくしか無いのだろうが。


「……まぁ、口は堅いつもりだ」

「ええ、信頼していますとも。私が探しているのは、〈"竜の魔女"アレキサンドラ〉デス。

 いえ、正確には彼女が持っているはずのとある物、と言うべきなのかも知れませんが」


 アルの、ちりちりと指先が炙られるような感情が天に届いたのか。

クァーティーが口にした名は、決してアルにとって何の縁も無いような人物では無かった。




 □■□




『アレキサンドラは本来、この街に住んでいるはずのNPCデス。

 ただ、"M&V"での接触方法を試してみてもさっぱりデスし、そもそも彼女を見たことあると言う人すら居ないんデスよねぇ。

 何か見落としているのか、この世界では全く別の場所にいるのか、影も形も存在していないのか……』


 どうやら本当に参っているらしいクァーティーに、アルが己の心当たりを答えようとした時である。

ふと気付いたが、アル自身がこの世界のアレキサンドラに会ったことはない。

ただ〈アレキサンドの幻燈機〉をクリアすべく、欠かさずファロス幻晶洞に潜っているアバターを知っているだけであって、彼がアレキサンドラに会ったという保証もない。

とりあえず、クァーティーへの回答は一旦保留。

アルは、残酷な真実を気付かせてしまうのではと悩みつつも、先にこいちろーへ確認を取ることにした。


「なぁ、こいちろーはアレキス鉱石を集めてるけどさ。それはちゃんと、アレキサンドラに渡してるのか?」

「ん、渡してるよ? なんで?」


 とんだ杞憂である。


「……いや、仲間が探しているらしいんだけど。会えないと嘆いてて」

「うん? その人も〈アレキサンドの幻燈機〉狙いなのかい?」

「いや……多分、違うと思うんだが」


 多少周りくどい所はあるものの、基本的にクァーティーは〈"古代都市"ギィン=サリル〉のみを狙って動いているはずだ。

だとすれば、アレキサンドラに会いたがっているのもそれ絡みだと思われる。

遥か昔、「島が空に浮かんでいた」頃から命を繋いでいるという古種エイジア。その一つ、竜精ドラクリナであるアレキサンドラならば、極東山脈の向こうに沈んだとされるギィン=サリルの情報も、何かしら知っているかもしれないと言うことか。


「会ってみたいんだが、出来るか?」


 クロスベムの石畳を照らす光は既に月となり、門兵の小言もそろそろ聞き慣れたものとなった帰り道である。

こいちろーがぶら下げ、揺れる石袋からジャラジャラと音が鳴り、静謐な夜の闇をわずかに掻き乱す。

〈アレキサンドリヨン〉の討伐に今のところ問題は無い。アルも、大分マニュアル撃ちの感覚を掴めてきた実感がある。

クァーティーのことを抜きにしても、"M&V"であった頃の有名NPCに会ってみたいという欲はあった。

サンドラは、幼き頃に犯した罪により同族から己の竜石を剥奪され、成長を止められた所謂ロリ婆。

だからと言う訳でも無いが、それなりの数ファンアートが描かれる程度には人気のキャラクターであった。


「んん……興味本位なら、正直止めて欲しいけど」

「それも、無いとはいわねーけど。それだけじゃないのは確かだ」

「アル君が努力してるってのは分かるよ、うん。けどさ、もうここはゲームじゃ無いんだ。

 婆さんの機嫌を損ねれば、これまで僕がしてきた努力がパアになってしまうかもしれない、と言うのは分かってくれるよね」


 下手な「友人の友人」は人間関係をご破産にする。それはある種、現実の世界でも共通することだ。

それも、相手は特に気難しい異世界の異種族である。アルを信用してない訳では無いだろうが、こいちろーは渋った顔を見せる。

ううんと数秒唸り、心を決めたように腕組を解いた。


「……まぁでも、分かった。実際、鉱石集めも手伝って貰ってるしなぁ。一回、婆さんを説得してみるよ」

「いいのか? こっちから言い出したことだが」

「無理は言えないからね。婆さんがダメだっていうなら諦めてくれよ」


 当然、それでもアルにとってはありがたい話だ。

それにしても婆さん婆さんと、それはひょっとしてアレキサンドラのことであろうか。

だとすれば、随分親しげに呼ぶものだが。


「なんつーか、良いのか? そんな呼び方して」

「あ……いや、向こうがそう呼べって言ったんだよ? 実際、もう千何百年もあの姿で生きてるんだし……

 成長が止まってるから、むしろ歳相応に見て貰うのが嬉しいんじゃないかな。

 まぁ、こんなこと言ったら『貴様にワシの何が分かる!』って怒られそうだけどさ」


 照れ笑いを浮かべながらも、悪びれる様子は無い。

この様子を見る限り、アレキサンドラに他の人間を会わせたがらないのも、単純に彼女のことだけを考えているのかどうか。

……まぁ、〈アルフォース〉には関係のない話か。僅かに軽蔑の混じったアルの瞳に、幸いにもこいちろーは気付かなかった。

魔女の手により、人払いの結界が貼られている(その設定自体は"M&V"にもあった。道筋はまるで別物であったが)という路地をくぐり抜け、二人はくすんだ赤レンガの、屋根の尖った家の前に出る。

街の路地裏のはずなのに、庭に花壇と井戸までついていた。周囲の壁がなにか絵本めいて蠢いた気がして、アルは目を瞬く。


「驚くだろ? これも、魔法の一つらしい」

「空間を広く取る呪文とか、そういうのか? ……そうか、考えてみれば、オレたちのバックパックもそういう設定だったな」


 アイテムインベントリとしてしか意識したことは無いが、鎧盾や両手槍を入れても破けもしないのはそういう理屈だとどこかで見た覚えがある。

スキルツリーには用意されてないだけで、案外この世界では普遍的な呪文なのかもしれない。それでも、家一つ分まるまる空間を創りだすのは規格外の所業だろうが。

家の小窓からは明かりが漏れ出て、中に人が居るのが伺える。



「こいちろーか? 今日はまた、一段と遅かったのう」



 不意に、きぃきぃと戸が開き。中から黒髪を切りそろえた、クァーティーよりも頭半個高い程度の少女が顔を覗かせた。

少女。否、その声だけはがらがらに嗄れて、どこか悪魔めいた不吉さを纏っている。

額には未発達の角がコブのように丸まり、「チグハグだ」と、姿だけは知っているはずの彼女を見ながら、アルは第一印象としてそう思った。


「小役人の愚痴を一々聞くのも楽ではあるまいに。とっとと飽きれば良い物を――その小僧は?」

「ああ、最近幻晶洞を一緒に潜っているアバターの仲間だよ、婆さん。前に話しただろ?」

「……うちは打ち上げを開く酒場じゃないぞえ。まぁよい、なら共に上がりな」

「……お邪魔、します」


 顔を見るなり「帰れ」と突っ返されて、こいちろーの交渉が終わるまで外で待機するのも覚悟していたが。

アルがすっかり拍子抜けするほど、特に抵抗もなく魔女――アレキサンドラは、アルを家へと招きあげた。

こいちろーの若干驚いた表情を見るに、やはり珍しいことなのだろうか。


「良いのかい、そんな簡単に」

「構わん。目を見れば分かるもんよ。青臭い若造じゃが、故に約束させればそうは破らん。

 少なくとも、遊び半分で生きてる連中とは違かろ」

「あー……恐縮、です……?」


 どうやら、見込みが有ると認められたらしい。

濡れ羽根のような黒髪。黒地に金のビロードで装飾されたローブ。胸元は大きく開き、喉元の(それは恐らく、竜であれば逆鱗の位置だ)渦を巻きながら赤黒く変色した肉の孔を露わに見せつける。

……あれが、力の源である竜石を抉られた跡、竜精ドラクリナの罪人である証か。その痛々しさに、思わずアルは目を細める。


「それに、実際ここ数日は坊の持ってくる鉱石の質が良くなっちょる。勿体ぶる身分でも無し、うくらいはせねばの」

「ああ、そうだ。それで、これが今日の分」

「貸せ。薬液を早く温めすぎた。早う溶かさねばワヤになる。

 小僧もすまんが、茶が出せるのはこっちが一段落してからじゃ」


 アッシュ材の椅子に腰を下ろし、アルは一際頑丈そうなドアの向こうへと消えていくアレキサンドラとこいちろーを見送る。

チラっと見えただけであったが、戸の向こうは石床に大釜が置かれ、数々の薬瓶や標本などが備え付けてあるようで。


「……さしずめ、サンドラのアトリエか」


 テーブルにつけた肘の上に頬を乗せて、なんとはなしに呟いた。

サブ〈ハンター〉であるからだろうか。分厚い扉の向こうからでも、部屋の中の会話がおぼろげながらも理解できる。


「婆さん、また草が出しっぱなしだぞ」

「すぐ使うち構わん。放っとき」

「……ちり紙がまた、屑籠から外れて転がってんだけど」

「あー、捨てる捨てる」

「もう捨てたよ。なんか持っていくものは有るかい」

「剥離溶液を……そう、その緑のじゃ。そこに置いといとくれ」

(仲が良い)


 まさか恋人のようだ、とは思わないが。

友人よりはもう少し息が合い、男女と言うには少し違う。

不意に、アルはきゅうと胸が締め付けられたような気がした。

原因不明の苛立ちが、アルフォースの中で降り積もる。そんな事に、気を取られている暇など無いはずなのに。


「……やれやれ、待たせてすまんのう」


 再び分厚い石戸が開いて、アルは木の板から視線を上げた。

下唇の裏側が、未だ僅かに痛みを引く。現実なら血の味が滲んでいたかもしれぬ。


「皆、はるばる良くもまぁこんな老いぼれに会いたがる。大したものも有りはせんのだがね」

「……皆?」

「知りたい、話したい、まぁなんとなく。中にはババァ可愛さになどと良く分からんのも居たが、概ね人払い術でお帰り頂いたよ。

 例外はこの坊だけじゃ。おびただしい量のアレキス鉱石を持ってうろついていた。ワシに利が有った」

「いやぁ、向こうじゃ溜め込んでたんだよね。一度に渡せばいいやってさ」


 そのお陰で、『0715』によるフラグリセットの影響も受けなかったらしい。

当然といえば当然だが、この世界の元NPC達にプレイキャラであるアバターと会った記憶など有るわけがない。

故に、アイテムなどが残らぬクエストの進行フラグは、ほぼ全てリセットされたと言って良い状況に有るのだ。

かく言う〈アルフォース〉も、それなりにNPCアレキサンドラと親交があったはずなのだが。残るわけが無いとわかっていても、僅かに寂寥感があった。


「それで? 小僧は何を目的に訪れた。この坊のように幻燈機でも作ってもらいにきたか?」

「オレは……」

「よいよい、言わずとも分かる。伊達に長く生きとる訳では無いからの」


 答えようとするアルを手で押し留め、魔女は手にした金のキセルからゆっくりと空気を吸い込むと、紫煙と共に吐き出す。

……その瞬間、アルは精神だけが軽く引っ張られるような、奇妙に心地よい感触を感じた。

普段"ネットワーク"が使用している以上の、より深い領域での思考の接続。要は、心を読まれているのだ。


「……不思議よな。この心を読む能力、同じ竜精の者にすら忌み嫌われた力すらも、世界の向こう側では普遍に過ぎぬか」

「まぁ、漫画とか、アニメとか……そういうので、よくある題材じゃあるし。

 それに、レイヤーネットって要はそういうものだろ。今どき、脳波パターンも登録しないんじゃ便利に生きられないよ」

「坊はそこまで達観しておらんかったがなぁ」

「あー、僕は若干古い人間なんで……アル君ら程には受け入れられないかなぁ……」


 そういうものだろうか。アルの年代だとむしろ、変わった事を体験した際の感情の動きや心の乱れなど、自ら公開し他者との共有を図るものなのだが。

しばらくそのままで居ると、穏やかに細められていたサンドラの目が急に強く見開かれた。眉が吊り上がり、か細い喉から冬の鉄塊のように重く冷たい声が溢れ、さながら咆哮のようですらある。


「……"ギィン=サリル"」

「あ、あぁ」

「どうしてそれを……いや、小僧はそこまで知らんのか。フン、ならば問うても仕方ない」

「本当は、用があるのはオレじゃなくてオレの仲間なんだ。そっちに聞けば」

「断る!」


 アルに喋り切ることすらさせず、サンドラはテーブルに身を乗り出しながら牙を剥く。


「……そのチビ女はワシの嫌いなタイプじゃ。熟れきり、頑なで、他人に何を言われようがビクともせん。

 おまけに小賢しく、物怖じしない。必要とあれば竜にも頭を下げさせる」

「なんか、妙に具体的だな」

「やかましい!」


 シュルルルと蛇が尾を鳴らすに似た音が聞こえ、魔女は見るからに不機嫌そうに黙りこむ。

あるいは以前、似たようなタイプに痛い目にあわされたことがあるのか。どことなく超然とした彼女の、人間味めいたものが見えた気がして、アルは笑いを噛み殺した。


「あ、いや……だがそれじゃ困る」

「心配するでない。あんなもん、欲しいならくれてやるち。元より、どう使うかも分からんかったものじゃ」


 どうやら本格的に、サンドラはクァーティーの相手をしたくないようだ。

ぶっきらぼうに言い捨てる態度からは、本格的に近寄ってほしく無いという意思が滲み出ている。


「……しかし、どこに置いたかの」

「おいおい」

「仕方なかろ! 捨てるには忍びないが、荷物の奥に仕舞いこんでもう何百年になると思っておる。

 竜だって忘れる事くらい有るわい。でなければ、過去を映す幻燈機など必要とするものか」

「過去を……って、どういうことだい、婆さん」

「なんじゃこいちろー。お前、幻燈機の性能を知ってて欲しがっていた訳では無かったのか?」


 どうやら、クエストを進めた当の本人であるこいちろーは、その辺りの設定について無頓着であったらしい。

とは言えアルも、"竜の魔女"に関するクエスト郡は動画サイトでさわりを知っているだけで、その結末まで知っているわけでは無いのだが。

死者の魂すら引き寄せる――物理攻撃で敵を倒した際に、一定量のMPを回復させる〈アレキサンドラの幻燈機〉は、雑魚狩りに優れる物理職にとっては神器にも匹敵する性能を誇る。

スキルを多用するが、最大MPにまで手を回しづらい弓〈狙撃手〉には特にありがたい、という訳だ。

こいちろーが見ていたのは、その一面だけなのだろう。そう説明すると、サンドラは理解しきらぬまでも納得したようであった。


「……なるほどの。中に入れた高純度幻結晶の働きか。

 しかしそれなら、タリスマンにでも加工しなおした方がより良い効果を発揮するじゃろうに……」

「そうなのか?」

「先が尖っているからと、むりやり釘を矢として飛ばしているようなものじゃぞ。

 んなもん、矢は矢として作ったほうが強いに決まっとろうが」


 おぉ、とアバター2名がやおら盛り上がる。ただでさえ神性能の装備が、より良い効果を発揮するとなればつい興奮してしまうのも当然と言えよう。

それも、「わざわざ作ってやる気はせんがの」と口角を吊り上げるアレキサンドラに、肩を落とす羽目になるのだが。


「まぁ、幻燈機が出来たら探しものの在り処も一緒に映してもらえば良かろ。その為にも精々働くことだな」


 かんらかんらと笑うアレキサンドラの前で、アルフォースは深く溜め息を吐いた。




 □■□




 月もすっかりと登りきり、夜の帳に街全体が覆い包まれている。

アルフォースが宿に帰るころ、クァーティーの部屋の戸の向こうから、僅かに明かりと笑い声が漏れ出していた。


「……?」


 珍しいことである。普段の彼女たちと言えば、僅かな明かりと共に"端末"を弄っているか、あるいはさっさと寝こけていたりなどでそう騒いでいることはない。

まぁ、帰っても誰も居ない光景など当たり前だったアルフォースであるから、それを寂しいと感じることは無いが。

迷うように彷徨っていたアルの手が、ついに意を決したようにドアノブを掴んだ。中から溢れる談笑の空気が一段と濃くなる。


「あらー? アル、おかえり」

「……ん。なんだ、酒臭いな」

「ちょっとぉー、ただいまでしょぉー?」


 微妙に呂律の回り切らない様子のリッツを視界の端にそらし、アルは改めて部屋の内装を眺める。

2つ有るベッドの中央、ちょうどベッドが向かい合う席となるように小さな卓が置かれ、幾つかのワインボトルとピスタチオと思わしき豆の殻入れ等がそこに有る。

次第に面倒になったのか、ジャーキーやカラスミなど乾物系のつまみはシーツの上に軽く布を広げただけでポンと置かれ。

酔い潰されたのだろう、赤ら顔で髪型の乱れたアビエイルが、クァーティーが座るベッド上に丸まるように安置されていた。


「あんたねー、ほんとねー、そういう挨拶はねー、ちゃんとやりなさいよー」

「面倒くさくなってるなこいつ……酔ったのか?」

「酔ってませーん……こういう状態異常ですぅー……」

「酔ってんじゃねえか」


 嫌そうな顔を隠そうともせず、アルは苦々しく呟く。

座りながらもゆらゆらと揺れるリッツは、口調と様子をどう鑑みても酔っ払ってるとしか言いようが無かった。

その向かいで自分のグラス中のワインをちびちびと舐めていたクァーティーが、感嘆の息を漏らした後しみじみと呟く。


「ところが、本当に酔ってないんデスよね。

 いや正確に言えば酔っ払った風にはなるんデスが、酔いとはまた違うものと言いますか……」

「何が違うってんだ」

「飲んでみれば分かるんデスけどねぇ」


 アルは首を振りながら顔を顰める。まだ未成年だし、飲もうとも思うものか。

赤ら顔のリッツは機嫌良さ気に足を振りながら、メトロノームのように上半身を揺らし続けている。


「アルもさー、がんばるのは良いけどー。ちゃーんと休まないとダメよぉー?」

「余計なお世話だっての」

「……んー、そっか。ごめんねー……」


 そのままぱたりと横向きに倒れ。緩くウェーブをえがく髪で、リッツの目元は隠れた。

何を謝っているのか、アルフォースには察することが出来ぬ。倒れた衝撃で、炒った豆粒が一つベッドの上からこぼれ落ちる。

酷く不愉快な顔をして、アルはリッツに尋ねた。


「ごめんって、何がだよ」

「……いつもね、勝手におねーちゃんぶっててごめんって」


 ピクリ、と眉が動く。

確かにここの所、彼女は妙に世話焼きな面を見せるようになっていた。

思春期の男子としては放っておいて欲しい部分も多く、辟易とする所もあったが。


「アタシも不器用だからさー。年下の子と話す時って、いつもこうなっちゃうのよねー……

 ううん。これがアタシなの。これがアタシなんだけど、無理にキャラ変えようとすると、グラついて、うまく行かなくって」


 それが実家が道場であるという、リッツの個性パーソナリティか。

確かに実のところ、彼女が社交性を見せた場面はそれほど多くはない。

普段は明るく朗らかであるがゆえに気付きにくい所もあるが、このパーティに加入したのもクァーティーの方から餌付けを行ったからである。

就活に失敗した、と彼女は言っていた。不器用故に、ペルソナを使い分けられなかった結果だろうか。


「アンタが嫌がってるのは薄々分かってたけどさー……こうじゃないと、耐えられないのよ。アタシが耐えられないの」

「……オレは、アンタがもっと強いんだと思ってたよ」

「就活に失敗してネトゲーにのめり込むような女に何期待してんのよ。

 ええ、ええ、皆に驚かれたわ。『あの子なら上手くいくと思ってた』って。

 ……そう見えるのかしらね。誰かの世話してる限りは強いから、アタシ」


 だから、世話する対象を求めていたのだろうか。

"化身殺し"と殺し合いをし。悩みのいくらかが吹っ切れて。……それですぐに無敵になれるほど、人は簡単ではないと言うことだろうか。

世話を焼かれるのは、余裕を見せつけられているようで嫌だった。現実はこんなにも、ギリギリだったのだろうか。



「疲れたよう、パァパ。会いたいよう、マァマ。今どうしてるの……」



 赤ら顔のまま、膝を抱えこんだ長身の女性に、アルは雷で打たれたような衝撃を受けた。

6歳も年上で、とっくに成人しているはずの彼女が。あの、リッツ・サラディが。ベッドに丸まり、子供のように声を上げている。


「所詮我々は、旅慣れない日本人デスからねー……

 ここのとこのゴタゴタに2週間の旅路。そりゃ、消耗もするデスよ」


 それを、クァーティーは咎めるでも無く、情けないとあざ笑うでも無く、それが当然のことだというように受け止めていた。

自分側のベッド上で横になるアビエイルの頭を、慈しむように小さな手の平で撫でる。


「……キュー子も、両親に会いたいとかあるのか」

「あー、いやー、私の両親はとっくに天寿をまっとうしちゃってるデスけどぉ。

 ……そうデスね。酷く失敗をした日の夜なんかは、親に縋り付いて泣き喚きたい気分になることもあるデスよ?」

「だけど、それは。許されない、はずだ」

「『死人に会えるわけがない』という意味ならばごもっとも。

 デスがそれが、『大人は大人だから子供のような真似をしてはいけない』という意味であるなら」


 そこで一度区切り、クァーティーは一息にグラスに残っていたワインを飲み干した。

縁に僅かに残った赤紫の雫が、内側を滑るように落ちる。

〈カベ・ルネのテーブルワイン〉。かつて"M&V"に存在していた、唯一のワインと名のついたアイテムである。


「"こんなもの(アルコール)"など、重用されはしないと思いませんか」

「……そういうもん、なのか」

「そういうものデス、アルフォース。人は仮想現実に至ってまで、"酔える"酒を用意した。

 ゲーム内で酔うためだけのアイテムに、10k()という価値がある。

 今日を生き、汗水垂らして働いたこの世界の人々が、金を払って酒場を賑わわせている」


 クロスベムは交易の街であり、同時に魔族デモニオンの襲撃リスクがあまり無い人類の安全地帯でもある。

夜も更けたと言うのに、まだ幾つかの店では明かりが灯り、看板にランタンをぶら下げたような所では、夕方に戸を開き朝に店仕舞いする所すらあるという。


「世の大人が、あなたを失望させることも有るかも知れません。

 我々は決して、完全で失敗の無い存在ではない。むしろ場合によっては、愚かにすら見える時があるかもしれない。

 ……どうか許してくださいな、若い人。かく言う私も、謝って済むようなことじゃ無い失敗を何度か」

「……分かったよ。努力してやる」


 フンと鼻を鳴らし、精々いきがってやれと、アルは腕を組みながら大上段に返事をした。

その様子を、クァーティーは優しく笑みを浮かべながら見守る。髪を撫で付けられていたアビエイルが、もぞもぞと寝返りをうつ。

暫くの間、二人の間に穏やかな沈黙が流れ。


「そういや話は変わりますが、結局アレキサンドラさんには会えたんデスか?」


 ポン、と手を叩いたクァーティーが、話題を変えるように口に出した。

朝の時点で話題には出ていたものの、お流れとなっていた経緯もある。


「あぁ……だが少なくとも、幻燈機を完成させるまではこっちの願いを聞いてくれそうには無かったぞ。

 あと、なんかお前めっちゃ嫌われてた」

「なして!?」


 アルが印象を語ると、反りかえった前髪を一際跳ねさせ、クァーティーが驚きのジェスチャーを行う。

かくかくしかじかと説明すれば、納得はしないまでも理解はしたようである。いくらこちらにゲームでの知識があると言っても、相手は千年の時を生きる龍精。そう易々と行く相手では無い。


「んむー……そうなると困りましたね。

 しかしそのこいちろーと言う方は、現状どの程度まで鉱石ポイントが溜まってるのデス?」

「大体2万~2万5千ってとこらしい。あと1/3、まるっと残ってる。

 収集効率はあの人ソロだと一日30から100、サンドリヨンを狩れれば200から300ってとこだな」

「サンドリヨン有りで一ヶ月、でなければ半年はかかるデスか……」


 アルフォースたちが異世界に転移してから、やっと三ヶ月と思えば途方も無い話だ。

元のクエストも途方も無かったが、情報や装備が出揃った今、効率を突き詰めれば2週間以内で終わらせることも不可能では無い。

しかし、細かい差異があるにしろ1:24の時間比が現実となると、本当に果てが無い気分になってくるが。


「とはいえ、人の計算をあっさりと越えていくのも確率というものなのデスがね」

「まさか」

「わかりませんよ? 所詮は1万分の2、万が一よりは多い程度デスし」


 でなければ、〈モンスターハート〉など市場に出回りはしないとクァーティは言う。

……あぁ、〈アレキサンドリヨン〉にもその枠に該当するドロップ品は有る。

36500の鉱石を集めて作る、魔女謹製の人造アレキサンドライト――その、写し取る前となる王の石。イミテーションではないモノ。幻晶洞の奇跡が生み出す、真なる〈アレキサンドライト〉。


「まぁ、最も……その信じられないくらいの低確率が、本当にその人にとっての幸運かまでは保証できないデスが」


 アルフォースが、複雑に揺らめくその石を、消えゆくアレキサンドリヨンから"剥ぎ取る"のは……

僅か、明日のことであった。

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