アレキサンドの幻燈(2)
「アールー!?」
次の日。アルフォースたちにとって、2日めの休日となる朝。
切りそろえられた藁束にシーツを被せたベッドから這い出し、軽く体をほぐしながら廊下に出たアルがまず耳にしたのは、どうにも怒り心頭といった様子のリッツの声であった。
「……なんだよ」
「なんだじゃないわよ、朝ごはんよ、朝ごはん。
折角アビィちゃんと美味しそうな料理買ってきたのに、あなたたち待ってたら冷めちゃうじゃない。
……なに、遅くまで起きてると思ったら矢作成してたの? あんま生活時間ずらしちゃダメよ」
リッツが指差した先には、昨日、帰ってきてから広げっぱなしであった製作中の矢の束が広がっていた。
そういえば、昨日は作業途中にどうしても眠気に勝てず、片付けもせずに布団に潜り込んだことを思い出す。
『矢作成』は素材を一つ一つ、真っ白な光に包み込んで特攻矢に変える地味な作業だ。銀の素材は幸いなことに、この世界に飲み込まれる直前の〈チャイルドホラー〉狩りで手に入れていた物が沢山ある。
「何に使うつもりなのよ、こんなに沢山。昨日も帰ってくるの遅かったみたいだし」
「何だっていいだろ、休みなんだから」
「ちゃんとご飯食べてるの? お昼にも街には居なかったみたいだし、夜は帰ってこなかったし」
「別に、食わなくたって死にはしないじゃないか」
実際アルは、アバターの体になってから空腹感を感じたことが無い。それでも細かく食事をとっているのは、リッツたちに合わせてのことだ。
だが彼がそう言うと、リッツは急に表情を引き締め彼の肩を掴む。その迫力に圧され、アルはやや鼻白みながら問いかける羽目になった。
「な、なんだよ」
「アル……人はね、美味しいものを食べないと心が死ぬの。そういう風にできてるの。
だからご飯は毎日3食ちゃんと食べなさい。朝食抜きなんてもってのほかよ」
「は? ……別に良いよ。オレ、食べるのそんな好きじゃないし」
こちらの食生活が口にあわないと言うより、日本に居た頃からそうであった。
ネットサーフ中に身体が空腹状態に陥いると、C-VR機器から警告が入る。こうなってくると、生理機能すらも良い所で妨害してくるお邪魔虫にしか感じられないものだ。
必要な事とは分かっているから、補給をする。アルにとっては、そのくらいの感覚である。
しかしリッツは愕然とした様子で、大袈裟に額に手を当てて嘆く。
「食べるのが好きじゃないって……ありえない。あんた普段、何食べてたのよ」
「何って、デリの惣菜とか、冷凍のを温めたりとか……普通だろ」
「普通じゃないわよ! ご両親は手料理とかしないの? アンタまだ15なんでしょ?」
「だったらなんだよ……別にいいだろ、デリだって、栄養素とか色々添加されてんだから」
「いいわけ無いじゃない!」
悲鳴にも似た否定は、やや乾いた朝の空気の中に強く染みこんでいった。
それで起きたのだろう。同階の戸がもう一つ開き、大あくびを噛み殺したクァーティーが、隙間から這い出す。
「くぁーあ……なんの騒ぎデスー? そう早い時間じゃないとは言え、他のお客さんに迷惑でしょーが」
「あ、キュー子! キュー子も思うわよね、子供に冷凍食品や出来合いの惣菜ばっか食べさせてたら問題あるって」
「え……あ、えっ? ええと、ごめんなさい?」
まだ十全に頭が働いて居ないのだろう。突然話題を振られたクァーティーが、珍しく素の口調で謝っていた。
「んもー、親は何やってんのかしら」
「何って……仕事だろ? 何なんださっきから、人ん家の事情に分かったようなことばかり言いやがって。
オレん家が貧相なんじゃない、お前が恵まれてんだよ!」
「別にそんなこと」
「良かったな、就活失敗しても家で家事手伝いできるだけの余裕があってよ!
うちじゃそんなのは絶対許さないって、だからオレは――!」
吐瀉するように。口から吐き出そうになった言葉を慌てて飲み込み、アルは一度部屋へと引っ込んで矢束を乱暴に掴みとった。
それらを纏めてインベントリに放りこむと、足早に階段を降りていく。
「……行ってくる」
「ちょっと、ご飯は……!?」
「勝手に食えよ!」
しばらく乱暴に足音が響き、最後に階下から小さく「きゃっ」と悲鳴が聞こえた。
狗竜の様子でも見ていたらしいアビエイルが、桶とブラシを持ちながら段上を見上げる。その瞳は、驚きによってか丸く見開かれていた。
「ど、どうかしたんですか? アルフォースさん、出て行っちゃったみたいですけど」
「んーまぁ、こっちの話デス。リアルの話はあんまりお行儀よく無いデスよ、リッツさん」
「……ごめん」
「しょうがない部分はありますけどね。どちらが我々のリアルかなんて、もう私たちにも分からんのデスし……」
「はぁ……お話は良くわかりませんけど、リッツさんが作ってたハムとチーズのサンドイッチ、渡せなかったんですか?」
「うん……ごめん」
それらの材料は、昨日リッツたちがにんまりと笑顔を浮かべながら買って帰ってきたものだと、クァーティーは記憶している。
弁当としてでも持たせるつもりだったのだろうか、リッツは大柄な体躯を意気消沈させ、重く息を吐いた。
「距離が近くなった証拠では有るんデスがねぇ……」
今やこのパーティーも女が3人に男が1人である。アルとしては、気の休まらない部分も多いのだろう。
そもそもが、リッツもクァーティーもアルが何を好むのかすら知らないのだ。いや、こんな世界に巻き込まれた以上、ゲームは好きだったのだろうが。
「趣味を仕事にするな、とは言いますが……最近のアル君はどうも、張り詰めすぎている気がするデス」
だからこそ、この休みで上手くガス抜きができれば良いのだが。
こちらの探し人も予想以上に難航しそうであるし、なかなか手が回らないとクァーティーは嘆いた。
□■□
男が木々の隙間からひょっこりと顔を出したのは、アルが急ぎ足でその場に到着してから30分ほど経った頃であった。
「おや」
朴訥とした雰囲気の〈狙撃手〉アバター、〈こいちろー〉である。
先日、行きと帰りで出くわしたこともあり、彼は初対面よりはやや打ち解けた様子で片手を上げた。
「おはよう、今日も奇遇だね」
「……ども。でも悪いけど、今日はあんたを待ってたんだ」
「僕を?」
まるで心当たりが無いといったふうで、こいちろーは軽く首を傾げる。
まぁ、彼に思い至る点が無いのも当然だ。これから頼むのは、全くもってこちらに都合が良いだけの話なのだから。
「オレも〈ファロス幻晶洞〉に行きたい」
「うん?」
「昨日、あんたに教えてもらった方法でしばらくマニュアルモーションによる狩りをしてた。
でも、街周辺のMOBだけじゃ流石に弱すぎてこれ以上の練習にならねーんだ。
……せめて、『ダブルショット』一回で沈まない相手を見つけねーと」
「それで、僕が通ってる〈ファロス幻晶洞〉に目をつけたのか」
フィールド上のモンスターに比べ、〈ファロス幻晶洞〉に生息するモンスターのレベルは60から70程度と倍以上高い。
しかし世界が置き換わったことにより、その正確な入り口もまた広大なフィールドのどこかに隠れてしまったのである。
このような出来事は、今や世界の各地で起きているだろう。
ゲームであった頃のフィールドマップは何の役にも立たない訳ではないが、それだけを便りに旅を続けるのは無謀だとアバターたちは既に思い知らされていた。
「案内するのは別に構わないけど、どうしてそんなにマニュアル動作に拘るんだい?」
幸い、こいちろーはすぐに了承してくれたが、同時に一つの疑問を投げかけた。
"M&V"において、マニュアル動作はあくまで緊急であり、間違ってもそれで戦闘をするようにはなってない。プレイヤーは戦闘の素人である以上、システムによる何らかの補助を受けるのが当然である。
昨日、アルフォースが自動ターゲッティングに頼らず狙いを付けていたのも、彼の目からは変な奴として映っていたことだろう。
あの時はお互い理由も聞かずに別れたが、こうして二度も三度も会うならばということだろうか。
「……少し、長くなるけど」
その理由は、別に口止めされているわけでもない。道すがら、アルフォースはあの殺アバター事件についてのあらましを掻い摘んで語った。
PKによって"死"の軽さを広めようとしていた男。対するは、アバターにおける死の軽々しさにいち早く気付き、罪を罰で裁けなくなる前に"法"を作り上げるべく動いていた者たち。
闘いの末、アバターたちは「日本国民として順守すべき憲法」という線引きを辛うじて得たのだ……"データ"と"生物"の合間で揺らぐ自らの存在から目を背けながら。
「十回に十回、ねえ」
「仲間の一人が言うには、『現実からデータへの逆干渉』だそうだ」
例えば。『矢作成』のスキルを持たないアバターAと、スキルを持つアバターBが居る。
アバターAがどれほど丁寧に木を削り、羽の角度に気を使ったとしても、アイテムとしての〈矢〉は絶対に手に入らない。
しかしアバターBが同じことをすれば、アイテムとして認められた〈矢〉がインベントリに入るのである。
勿論、『矢作成』というスキルは本来現実の動作を伴うものではない。手元に素材を用意し、MPを少し消費して変換するものだ。
一から木を削る時のように10分15分もかかるわけもなく、おおよそ30秒で1セット作ることができた。
「アバターの行動による結果に、データ的意味が付随するかどうかなんだってさ。
この時大事なのは、『システム的に可能かどうか』だ。可能でさえあれば成功率10%でも1%でも良い。
『成功した結果』が先にあって、それを元にシステムが状況を逆算する」
「……なんかややこしい話になってきたね」
「正直、オレもこれで合ってるのか自信無い」
結局、未だ何が良くて何がダメなのかが曖昧と言うのもあるが。この世界に元々あった法則だと考えるには、アバターというシステムはあまりに歪であった。
「現実」のように洗練されていない、所々の矛盾を力技で解決したようなルール。この話にしたって、まるで世界に対して無理やりゲームシステムを覆い被せたことによるバグのような。
本来は他の作用として働くべき法を、不正な方法で利用しているようだとすら思える。
……だが、その不正行為がどういう効果を及ぼすかは明白だ。
確率の無視、クールタイムの無視、その他システム的な制約による様々な束縛からの解放。
ゲームとしてのバランスを完全に無視する、努力と言う名の"正攻法"。
知恵の果実の種は蒔かれ、本来、その芽を刈り取るべきゲームマスターは既に力を失った。
静かに、だが確実に"M&V"というシステムの綻びはやがて顔を出すだろう。
それまでに。
「追い付きたい、いや、追いつかなきゃならない相手が居るんだ。
俺の……んん、仲間は、もう"それ"が出来るようになってるから」
それが、他の相手ならば知らぬ振りをすることも出来たかもしれない。
だが、隣に立つ仲間が急激に戦闘力を上げているという事実は、アルの心に焦りを呼び込んでいた。
ただ強さを求めるだけならば、純粋な盾役として〈アルフォース〉を育てれば良かったかも知れない。
現に今とて、リッツが"十回に十回"を駆使しても、殲滅力ではなお極まった〈魔導師〉キャラの方に軍配が上がるだろう。
単純な強さだけが問題では無いのだ。同じクァーティーに誘われていること、同じセカンドキャラであること。色々な要因が絡まりあい、アルを突き動かしている。
「なんというか……君も大変なんだなぁ。別についてくるくらい構わないけれど」
手を強く握りしめるアルフォースへ、こいちろーは感心の声を上げた。
「しかしそれならいっそ、ペア狩りにしないか。
普段は探索だけで切り上げてたが、もう少し手が増えればボスも討伐できるかもしれない」
「……良いのか? オレは重騎士といっても、弩持ちであまり防御力は高くないが」
「ああ、うん。そこは分かってるよ。でもバリアを剥いでくれるだけでもありがたいし」
〈ファロス幻晶洞〉のボス〈アレキサンドリヨン〉は、一定以上HPが削れるとオブジェクトを召喚し、それらが破壊されるまで無敵になる特殊行動を持つ。
この状態では足止めスキルも機能しないので、ソロだとオブジェクト破壊に手間取る内に接近されて殴り殺されるパターンが多いのだという。
……もっとも、それもゲーム内での話だ。この世界のボスMOBたちがどのように動くかは、まだ未知数な部分も多い。
「……分かった、それで行こう」
ボスを討伐することができれば、それだけ〈ファロス水晶〉や〈アレキスベリル〉といったレア鉱石が手に入る機会も多くなる。
自分はそれら鉱石を必要としない以上、ギブアンドテイクが成り立つわけだ。アルとしては、一方的に施してもらうよりもずっと具合が良い話である。
レベルと装備だけで満足していられる世界は、あの夜に終わった。
まだ、強くなるべき点は多いとアルフォースは奥歯を強く噛みしめる。
理想の自分であるために。あり続けるために。少なくとも、こんな所で遅れを取り続けている訳にはいかないのだ。
□■□
〈アレキサンドの幻燈機〉は、〈"竜の魔女"アレキサンドラ〉から受諾できる一連のクエストの最終章である。
遥か長き時を生きる古種でありながら、何らかの戒めを受けて竜へ変身することすらままならなくなり、人の街の中に隠れ住むアレキサンドラ――世を拗ねた彼女の心を解きほぐし、信頼で結ばれた相手に対してのみ、魔女は己の望みを打ち明ける。
それは、高純度の幻晶鉱石を使用した幻燈機を製作すること。魔力と光を通した幻晶は、"楽園の思い出"を人々に想起させる力を持ちうるのだ。
……ただし、死者の魂を取り込む力を持った鉱石を集めるには、より強いゴーストを倒し、核を剥ぎ取らなければならない。
その数、最大で36500。ただしそれは最も小さい〈ファロス硝石〉で計算した場合であり、〈ファロス雲母〉なら5つ分、〈ファロス水晶〉なら10個分と多少は楽になる要素もある。
もっとも、それでもリアル1時間・ゲーム内1日の探索で稼げるのは50点が良い所。運良く100点分の〈アレキスベリル〉を手に入れても、1日1つだと約1年かかる計算だ。
挑戦のための敷居こそそこまで高くないものの、各種鉱石はPC間取引不可などの制限もあり、真に魔女の望みを叶えた者はそう多くない。
それが"M&V"最長の納品クエスト〈アレキサンドの幻燈機〉であり……実のところ、アルフォースもそのクエストは情報でしか知らない部分も多いのであった。
「この辺りから階層が変わる。〈ファロス幻晶洞〉の本領発揮だ」
むき出しになった岩場を壁伝いに下り、しばらく。真っ暗だったはずの岩壁に、ぼんやりと青みがかった光が混じり始めたころである。
鷹にぶら下げたカンテラで周囲を照らしていたこいちろーが、一度歩みを止め、アルフォースに気を引き締めるよう促した。
ここまでの敵は大型化したネズミやコウモリなどの動物類。ドロップもたまに硝石を落とすくらいであり、強さもフィールドMOBに毛が生えた程度である。
「そろそろゴーストが出るか……この世界特有のことで、何か気を付けておくことはあるか」
「そう違いは無いけれど、やっぱりゲームだった頃と比べたら不意を打たれやすいかな。
特にゴースト系は、壁を抜けてくるし足跡も鳴き声もないから」
「注意深く、か。いい練習になりそうだな」
適度に難しい要素があり、かつ失敗した所でそうそう殺される相手ではない。
〈ジュエルレイス〉や〈プリズミックゴースト〉は、まさにアルフォースが探していた通りの練習台だ。
早速、と言わんばかりに弩を構えるアルを、こいちろーが手で制す。
「待った。この階層の境目……いわゆる『踊り場』は、MOBの沸きも無いし安全なんだ。
本格的に探索する前に、少し休憩していこう」
「休憩?」
「気付かないかも知れないが、僕たち、もう3時間も歩き通しなんだぜ」
普段、ソロで探索している時もそうしているのだろうか。
辺りの明るさは既に辛うじて手元が見えるくらいになっており、進む先からはより明るい光がこちらまで滲み出している。
下階の亡霊たちに取り殺されるのを恐れてか、動物類の気配もまるで無く、なるほど休むには良い位置のようだ。
しかし休憩と言われても、腰を下ろして体を休めるくらいしかやることも無いのだが。
アルが兜の奥で不満気に顔を顰めているともつゆ知らず、こいちろーは手慣れた動作で小さな鍋にミルクを注ぐと、カンテラから取り出した火種の上にかけ始めた。
「これに、パン粉をたっぷり入れる」
そのままじっくり煮込み、まるで粥のようになった鍋の中身に今度は蜂蜜をたっぷりと混ぜる。
甘い匂いがぷわんと漂うそれに、こいちろーは小さく炙ったブルーチーズを乗せると、木の器へと注ぎアルへと差し出した。
「食べないか? 温まるよ」
「……何も、そんなものまで用意しなくたって」
「まぁ、そうなんだけど。でもやっぱり、腹に何も入れないとなんか力が出ないんだよなぁ」
既に、気を利かせて2人分作ってしまった後である。
無理に断っても角が立つし、そこまでする理由も無いとアルは器を受け取る。
ただ、リッツに反発して飛び出してきた手前、やや複雑な気分でもあった。甘くとろみのついたパン粥に、ブルーチーズのしょっぱさが良い塩梅となっている。
「飯、飯、飯か。あんたも」
「どうかしたかい?」
「いや」
視線を伏せ、小さく呟いた声は幸いにもこいちろーには聞こえなかったらしい。
彼に恨み事をぶつけるのは筋違いであると分かっているが。ご飯を食べることは素晴らしいのだととこうも唱えられると、やはり己の中の何かがズレている気がしてくる。
(母さん、オレは)
他の人々と感覚が合わさらない程に、子供として手間をかけられていなかったのだろうか。
母の味と思い出すものも無く、冷凍食品を温めて食べることに何の疑問も抱かなかったのは、そこまでおかしな事だっただろうか。
そうじゃ無かったと思いたい。母も父も忙しいだけで、愛を注がれて居なかったわけではないと。
今では、確かめることもそう安々と出来ないが。
「オレは……」
壁に埋まった鉱石は淡い光を放ち。物理法則を凌駕した、幻想的な光景の中でちろちろと燃える焚き火の軌跡を追う。
身を包むのは銀の甲冑。黒く巨大な弩弓の手応えは、己にとってむしろ馴染みある存在となっていた。
〈アルフォース〉は――立川有栖は、異世界に来ている。何ヶ月も前から、ずっとここにいる。
□■□
「バリアだっ!」
「了解、5秒持たせてくれ!」
〈ファロス幻晶洞〉最奥部。七色に光る水晶の壁に囲まれた場にそぐわぬ、黒鉄の祭壇の上に"彼女"は居た。
影のように長い髪。透き通った体と、ボロを纏っただけの服の周りで旋回する、きらびやかな願望の幻晶。
幻晶洞のボス、〈アレキサンドリヨン〉である。
女王の周囲で輝く晶体たちが、一つの塊となって一際強く輝いた。
同時に、アレキサンドリヨンの体が真っ白な燐光に包まれる。何の干渉も受け付けない、無敵形態の証だ。
アルフォースは、戦域の中央に現れた幻晶塊に照準を合わせる。流石に、ここでマニュアル操作を使う余裕は無い。アルが一撃であのオブジェクトを破壊できなければ、全滅すらあり得る場面なのだ。
だが、アルが『ミストルティン』の詠唱体勢に入った途端、女王の痛ましい悲鳴が洞窟内に木霊した。
悲鳴はアバターたちに畏怖や沈黙などの状態異常を付与すると同時、虚空から〈ジュエルレイス〉数体が滲むように現れる。
「雑魚召喚か!? タイミングが……」
無論、アルフォースたちも来ると分かっている状態異常への対策は取っている。
だが湧き出てくる幽霊を押し留めることはできず、折り悪くアルフォースは自由に動けない状況にある。
詠唱を破棄して無理やり動くことも不可能ではないが……その場合、ロスした時間分、強化された〈アレキサンドリヨン〉が自由に動きまわるのを許してしまう。
「『ストリームレイン』を撃つ!」
もっとも、それもペアに弓〈狙撃手〉が要る以上、不要な心配ではあるのだが。
こいちろーが放った『アローレイン』の上位スキル、電光をなびかせ襲いかかる十数本の矢の嵐が、湧いたばかりの〈ジュエルレイス〉たちを穿ち単なる虚ろへと消し戻す。
威力も範囲も申し分無く、ギルド戦においてもこの矢1本1本が充分に後衛プレイヤー1人を殺しきるダメージを与える。一般的に、弓砂は殲滅力に優れると言われる理由でもあった。
街の被害さえ考慮せず、混戦にさえ持ち込まれていなければ、かの化身殺しも矢嵐の十字砲火によって早々に死に戻されていただろう。
『たかがプレイヤー、わざわざクリティカルを狙うまでも無い』
Gvとはそういうもの。強ビルドとはそういうものだ。勿論、クァーティーからの受け売りであるが。
(それをとやかく言うつもりは無いさ。こいつを選んだのはオレだ)
頼もしき相棒を支え、アルフォースはサンドリヨンを視界の端に入れつつも、幻晶塊に焦点を合わせる。
やはり心中を焼くこの焦りは、強さへの妬みだけが生み出したものでは無いらしい。
魔法陣の展開が終わり、杭めいた銀の矢に魔力が注がれていく。
5秒。撃鉄が降りる。
「バリア、剥がすぞー――ッ!」
叫びと共に射出された金色の光芒は、まっすぐに幻晶塊へと伸び、一撃でその結合を崩壊させた。
色とりどりの鉱石がガラガラと地に落ち、燐光が霧散した〈アレキサンドリヨン〉が力を失ったように項垂れる。
各種防御力も落ちて、チャンスタイムと言うわけだ。アルは手元を見すらせずにMPポーションを飲み干すと、光となって消えていく小瓶を宙に捨てた。
「脛撃ちッ!」
「OK、スネア!」
すかさずこいちろーから『スネアボルト』が打ち込まれ、特殊弾頭の中から飛び出した楔によって女王は半身を拘束される。
スネアボルト自体は移動力を極端に低下させるだけのスキルだが、それが弓手の遠距離攻撃と組み合わさった際のえげつなさは言うまでもないだろう。
ボス属性の中にも、ギミックとして意図的に幾つかの状態異常耐性を低く作られてるMOBは居る。
〈アレキサンドリヨン〉もその内の一体であり、彼女の場合は足止めスキルを受けた際に、鬼のように魔法を乱射してくる特殊モードに入ることが知られていた。
「ぐ、ぅっ……こいちろーさん、大丈夫か」
「耐性……ちゃんと付けてきたはずなんだけど、これは辛いねっ……!」
『スネアボルト』の効果を受けたことで半透明の肢体に膨大な魔力がみなぎり、顕現した『ボール・ライトニング』が周辺の空間ごとアルたちの意識を灼く。
だがそれも、本来の威力の1/5程度まで抵抗すれば肌の表面が痛いで済むくらいの話だ。
〈アレキサンドリヨン〉が発狂して使ってくる魔法は風と火属性。二属性くらいであれば、八割耐性の両立はそう難しくはない。
「痛くても、意外とHPは減ってない! 撃ち返せッ!」
『ミストルティン』のリキャストは、次にバリアを張り直されるまでに充分間に合うだろう。
そうなれば後は、ひたすらここまでの手順の繰り返しだ。たまに呼ばれる雑魚は『ストリームレイン』で片付け、バリアがくれば『ミストルティン』で叩き割る。
後はひたすら、『スネアボルト』を撃ちながら足を止めての射撃戦で削る。
ボス狩りとは、本来パターンの繰り返しであるものだ。
猛戦の末、アルとこいちろーが〈アレキサンドリヨン〉を危なげなく塵へと返したのは、最奥地での戦いを初めてから5分の後であった。




