VS! 堅くて黒いアレ
差し込めなかったネタをリサイクルしてちょっとした短編を。
「やぁーだー――!」
穏やかな路面を、微かに揺れながら狗竜車が行く。太陽も既に上りきり、緩やかに下り道を行くばかりの時間帯であった。
翼を持つ白い犬が描かれた、札が掲げられた扉の中から、只事ならぬ様子で女の悲鳴が響く。
途端、首を上げて視線を左右に走らせる2頭の狗竜を、手綱を引く御者が丁寧に鎮めた。
「ちょっと! リッツさん、竜が驚いちゃうデスよ!」
「う……ごめん」
「だ、大丈夫ですか? どうかしましたか?」
「何でもねぇよ、アビエイル。一人ワガママを言ってる奴が居るだけだから」
客車の中に座るのは、誰も彼も目を引くような立派な装備に身を包んだ3人の男女。
唐突な世界転換によって、MMOキャラの中に魂だけが宿ったプレイヤーたち――今は"化身"と名を変えて、ゲームの世界観に酷似した"この世界"で生きる日本人だ。
そしてアビエイルと呼ばれた御者役の少女だけが、元からこの世界に住む人類種であり、交渉の結果〈白犬騎士団〉から派遣された旅を補佐する炊班兵であった。
「それで?」
冒頭の悲鳴を上げた女の隣の座席。大人の腰までの体型に、やや芝居がかった抑揚が特徴的な少女が、くるりと反り返った前髪の一房を揺らしながら頭を振る。
名を〈Qwerty〉。Lv48の、ゲームの中であれば、そろそろ転職と言っていい〈マーチャント〉である
その向かいに、全身鎧に身を包んだ〈重騎士〉の〈アルフォース〉が座る。兜の奥から聞こえる声はまだ若く、実際、彼は15歳であった。
「なーにがそんなに気に入らないのデスか? 昨日も一昨日も、同じもの食べたデスのに」
「昨日も一昨日も同じものを食べたからでしょ!? 今日も明日もこれと干し肉とワイン! これと干し肉とワイン!」
悲鳴の元であった女が、器用に声を潜めて悲鳴を上げる。やけに露出度の高い軽装に身を包んだ、魔女帽子をかぶる〈賢者〉である。
今は外している武器も杖では無く、四色の宝玉が嵌めこまれた緋緋色の手甲。
〈リッツ・サラディ〉。Lv90もとうに超え、〈殴り賢者〉と呼ばれるビルドとして、3人の中では最も早く敵に切り込む役割を担っていた。
そんな彼女は今、がっくりとうなだれながら食事に不満をこぼしているようで。
「黒パンはもううんざりなのよぅ……」
ガチガチに堅い、ライ麦でできた直方体のブロックをさすりさめざめと泣いていた。
その名も堅黒パン。低温でじっくり焼き上げた後、月単位で保管されたそれは、言うなれば少し乾いた餅を暖めずに食べるのにも近い。
それを毎日毎日苦労して千切りながら、これまた堅い干し肉と一緒にワイン(アルフォースはジュース)で流し込むとなると、なるほど嫌気がさすのも道理である。
「……いい大人なんだから、食いもん如きで泣くなよ」
「如きとは何よ! いいじゃない、日々のご飯って大切なことよ!?」
「朝夕には宿場町に居るようになって、野宿同然の頃よりは大分マシになったじゃねえか。昼メシくらい我慢できるだろ」
彼らが今移動しているのは、〈"信興国"バーデクト〉と四国交易の中心点である〈"交都"クロスベム〉を繋ぐ街道だ。
この大陸には異なる特色を持つ4つの国があり、それぞれが幾度か魔族を名乗る集団に攻めこまれている。
そこで人類種同士が協調するために交易の要として作り上げたのが、かのクロスベムの街であった。
人がよく通るだけに警備体制も整っており、街道沿いに商売する者も多い。そんな彼らが寄り集まって宿場を開けば、更にそこに物が集まっていくわけである。
故に、現在の3人の食糧事情はそこまで悪い訳でも無い――朝と夕食のみに限定するならば、であるが。
「こっちには、あまり昼食の文化が無いんデスよねぇ。城下町くらいになるとまた違うんデスけど」
「酒場に入ってもランチセットとか無くて、基本はビールで腹を膨らませろて感じだったものね。
でも、アビエイルちゃんが入ってやっと毎食まともなご飯が食べられると思ったのに……」
備え付けられた小窓から、リッツはちらりと御者席を伺う。
薄い雲のベール越し、空に穏やかに浮かぶ"神の右目"に見守られ、アビエイルは鼻歌交じりに手綱を操っている。
その姿は信頼に値するが、もののついでで料理を頼むのはあまりに無茶な光景でもあった。
「外、走ってくるデス?」
「いやよ、余計にお腹減るじゃない」
「お腹が減った時に食べれば何でも美味しいって言うデスし。
それにリッツさんの性格なら、ここで悶々としているよりそっちの方が気分が晴れそうなもんデスが」
「キュー子、なんかアタシのこと誤解してない?」
半目で睨みつけるリッツの視線に、クァーティーは口笛を吹きながら目を逸らす。
「……飯くらいで大人げないとは言ったけどさ。キュー子の用意するもんが雑なのは確かだよな」
「ぬおっ!? アル君が裏切りおった!?」
「いや、だって……そりゃ、火も水もロクに使えない環境じゃああるけど、毎日同じ献立ってのは、手抜きだろ」
「うぐぐ、作る側の苦労を知らない現代っ子め」
アルフォースがふと溢した一言は、クァーティーとしてはあまり触れてほしくない点に触れてしまったらしい。
ひとしきり歯痒んで見せるると、クァーティーは深く息を吐いて首を振った。
「……実のとこ、辻切り騒動のごたごたで、食料などの準備を騎士団の人々に任せきりにしてしまったのデスよ……」
「その結果、いざ見てみたら固いパンと干し肉とワインしか積んでなかったと?」
「そうなのデス。およよ」
憂鬱に目を曇らせたクァーティーが、席を挟んで向こうにある樽と木箱を見る。
どうも、あの箱の内一つに直方体に焼き上げたライ麦パンがぎっしりと詰まっているようだ。
食に対する意識は、日本などと比べ物にならない信興国の人々である。
その上、任されたのがお役所気質な騎士団の軍人ともなれば、「とりあえずいつもの物をいつもの量」詰め込んだに違いあるまい。
雑であるのもむべなるかな。クァーティーとて、別に好んで固いパンを齧っている訳ではないのだ。
「なによう、それじゃあやっぱりキュー子のミスなんじゃない」
「ええい、食卓に出されたモンに文句言うな! 食べなきゃ減らないんだから黙って食べるんデス!」
「理不尽な母さんの代表的台詞だわ……」
「『文句があるなら食べなくてよろしい!』まで1セットだよな、こういうのって」
「文句があるなら食べなくてよろしい! ……はっ!?」
クァーティーがわざわざ一語一句同じ言葉で読み上げ、わざとらしく驚きの声を上げた後、二人は一斉に呆れの息を吐いた。
グループ内で最年長の疑いもあるこの小人族は、たまにこうして自分にしか分からないミームを使っては悦に浸る。
時折、本気でこれは伝わるだろうと思いこんでいる場合もあり、その時は無反応で凹みだすのが面倒くさいところである。
「……ま、そうよね。文句言ったところで明日の献立が変わる訳でもなし……
はーぁ、結局やっぱりこの固いパンと格闘していくしか無いか」
「せめてバターくらい有れば良かったんだけどな。クァーティーのインベントリには入ってないのか、そういうの」
「乳製品は緑王国まで行かないと手に入りにくいんデスよ。武器防具ならいっぱいコレクションしてるんデスが、素材はねぇ」
もっとも、ここがゲーム内ではなく現実の世界の中であることは承知済みだ。
いざという時には取引材料にもなりそうな、塩コショウや味付きの砂糖くらいなら携帯しているが……手持ちのラインナップの中に、バターは無い。
なぜなら"ミラージュ&ヴィジョンズ・オンライン"の中で、バターはあまり使う機会がない素材だったのだ。
錬金調理では、主に命中率を上げる菓子類に使うのだが……少なくとも4.0以前の環境では、わざわざ命中を料理で補正する意味もあまり無く、不人気料理であった。
「でも今は無性にお菓子が食べたいわー! 甘くて柔らかくてふわっふわなら何でもいいー!」
「ホラよ、固くて酸っぱくてぼっそぼそのパンだ」
「やーだー! もー顎が疲れたー!」
長い手足を、まるで赤子のように振り回す。狭い客車の中ではちょっとご遠慮いただきたい行為である。
アバターたちがウェザールーンの地に降り立ってから、そろそろ二ヶ月。米の代わりにライ麦と茹でた芋を常食とした生活に、リッツの精神はそろそろ限界のようだ。
「とは言え、無いもんは無いんデス。リッツさんも元は人間なんだから、知恵と工夫で乗り切るのデスよ」
「元は!? 元はって何!? アタシは今でもヒューマン!」
驚愕の声を上げるリッツを軽く流し見、アルは目の前の黒い物体に視線を移す。
しかし、知恵と工夫か。しかし、この食べ物の域を半歩踏み出し、ただただ固いだけの物体に何ができようか。問題というのは、得てしてシンプルな方が難しかったりするのである。
まだ、町や村の中で有れば、硬くなる前にスライスしておくなどできただろうが。抱え上げてみれば、ずっしりとした質量に確かな頑なさを感じられる。
それは、絶対に腐らんぞという強い意志だ。時に人の歯すらもたやすく弾き返す外皮になりうるのは、この黒い身体が証明していることでもあった。
「……ネットで調べようにもなぁ。日本で売ってるのとは、もうほぼ別モンだし」
「親の仇のように硬くなってるものね。どうしてこんなに硬くなる必要があるのかしら、パンなのに」
「重さと硬さが、充分人を殺せそうな感じ」
「ありましたねぇ、そんなゲームも」
そうなのか。いや、確かにネタ装備のネタとしてはよく見る方か?
「……硬い、硬い……防御力?」
そうだ、とリッツが短く声を上げる。
「ねぇ、アル。ちょっとコレ持っててよ」
「いや、流石にオレも2個は要らないんだけど」
「そうじゃなくてさ、こう……端と端を支える感じで。うん、そう」
言われるがままに、アルフォースはパンの両端を支え、顔の前につきだした。
向かいの席で、リッツが肩を解して呼吸を整える。その不審な様子に、思わずクァーティーが声を上げた。
「なんか思いついたんデス?」
「リアリティよ、リアリティ。ゲームの中じゃできないことも可能なんだって、なんで忘れてたのかしら」
「あぁ?」
息を吸い、息を吐く。リッツは中腰で立ち上がり、アルフォースが持つパンにゆっくりと掌底を当てた。
やおら視界に大写しとなったリッツの身体に、アルが眉を顰める。しかしこうすると、最早パンを持つと言うよりも、まるで瓦割り演武の瓦を持つ役のような。
「なぁ、なんか嫌な予感がすんだけど」
「『発勁』ッ!」
□■□
穏やかな路面を、微かに揺れながら狗竜車が行く。太陽も緩やかに下りはじめ、そろそろ神の眼差しも穏やかになるのでは無いかと思われる時間帯であった。
簡素な荷台一つの狗竜車が、クロスベムからバーデクトまでの街道を行く。たっぷりと塩と干し魚を積んで上り、そして小麦や果物を仕入れて帰る最中である。
御者席に座る商人が、向かいから来る車に気付き頭を下げた。メインストリートと言うだけあり、道にはゆったりとすれ違えるだけの幅がある。
「おや?」
御者席には二人。角の生えた、〈夜人族〉らしき少女と、この辺では珍しい〈半木精人〉の少年が、詰めるようにして座っている。
掲げているのは〈白犬騎士団〉の紋章か。しかしその割には軍隊らしき雰囲気が無く、半木精人の少年も、歳の割には妙に立派な鎧を着ている。
そして、少女はなんとなく苦笑いを堪えているようで、憮然とした様子の少年は、なぜだか鼻が赤く腫れていた。
「ふーむ……おぉっ!?」
まぁ、一介の商人には想像もできぬ、やんごとなき事情があるのだろう。
だがそれ以上におかしなのは、狗竜車の後ろを走りながら付いていく魔女であった。妙に露出度の高い服装に、豊満な体つきを押し込んでいる。
その足取りは軽やかだが、狗竜に足で競う姿は、ある種異様だ。
しかも何の意味があるのか、彼女が背負った看板にはでかでかと「私は食べ物を粗末にしました」と書きつけられている。
「ど、どうなさったのですか」
「な、なんでもないのよー、あはは……」
思わずかけてしまった声は、手をひらひらと振られて返された。
まぁ、見るだけなら眼福だったと、とりあえず納得し、商人は前に向き直る。
「ケェーッ!」
「おおっと、どうどう」
手綱が疎かになっていた竜が一吠えし、妙に多い数の小鳥が、一団となって空へと登っていった。




