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「えーでは、"化身殺し"事件の解決と、新たな仲間の加入を祝しまして――……」
……あれから、3日ほど経ち。あっと言う間に日常を取り戻したバーデクトの街に、クァーティーたちは居た。
結局、道路に開いた穴に倒れた建物は、「"化身殺し"の手によって突如現れた、謎の魔物の仕業だ」と言うことになったらしい。港から人払いしておいた甲斐もあると言うものだ。
あの場に集まっていたアバターたちにしたって、結局は何が起きたかなど把握仕切れるまい。
1人のアバターが、突如としてエネミーに変わった。分かるのはそれくらいで、渦中に居たクァーティーたちとて、同程度の情報しか持ちあわせて居ない。
「かんぱーい!」
「乾杯ー」
「……ん」
「え、えっと……?」
「協調性が無いッ!」
まったく揃わぬ乾杯の音頭に、額に手を当てクァーティーが嘆いた。
公園の、木組みでできた日の当たるテーブルに腰掛け。椀内の液体を匙でかき混ぜながら、リッツが呆れ顔でつぶやく。
「そうは言うけどさ、キュー子。味噌汁で乾杯は無理だって」
「良いじゃ無いデスか。案外完成度高いデスよ? これ、本当に味噌そのものは使ってないんデスかねぇ」
「そうなんじゃねえの? 世界がアップデートされてないんじゃ、〈アズマの地〉に行けるかどうかも分かんねえしな」
ズズ、とマーマイトのポタージュをすする音が響く。
ただまぁ、やっぱり違和感は残ると言うか、どうにもミソ・スープな感じがすると言うか。
流石にカツオ節までは使われて無いだろうから、そのせいかもしれないな、とアルフォースは思った。
〈アズマの地〉が実装されたのはStory2.2以降だ。ストーリー的にも、古代都市で見つかったテクノロジーを用いて、新技術の船が建造された影響だったはずである。
そう考えると、なるほど『ギィン=サリル浮上』のアップデートは重要事項だ。クァーティー個人にも、この世界に対しても。
「はぁ……ま、なんにせよ。これでようやく、私達のギルドも本格稼働と言えるわけデスねぇ」
本来、それを祝ってのささやかな祝賀会のはずである。
「一時はどうなるかと思っていましたが、リッツさんが帰ってきてやっと一安心デスよ。
翌日になっても"死に戻り"できてないと聞いた時は、本当に気が気じゃなかったんデスから」
「えへへ……は、反省してまぁす」
してもらわなければ困る、とクァーティーはため息を1つ。
結局、あの夜の後から"化身殺し"の出現はパタリと止んだ。誰が倒した、と言う話も難しいのでお流れになり、賭けていた〈輝刃剣"クラウ・ソラス〉も無事クァーティーの元に戻ることになった。
それを素直に喜べ無かったのは、1日、いや2日ほど経っても"死に戻り"してこなかったリッツの存在があったからだ。
唯でさえ、尋常ではない死に方をした上での消息不明である。
すわロストかと、まるで葬式のようなムードの中迎えた3日目。ガランとした大聖堂のホールに倒れるリッツの姿を見た時は、不覚にも涙ぐんでしまったほどだ。
「まったく、死に戻ることもできずに、3日もどこほっついてたデス?」
「あー……それがねぇ。なんか、向こうのネットの中に居た気がするのよ」
「は?」
いきなりこいつは何を言い出すのかと、クァーティーの目が細められる。
だが、リッツ自身は決してふざけている訳ではない。夢の内容を思い出すようなものだが、あくまで大真面目に語っていた。
「なんかこう、ヒュンヒュン飛び交うものがあって……川の流れでも見てるみたいなのに、頭の中に、こう、色んな知識や映像が流れこんできて。
『ああ、何かSF映画みたいだなー』とか思ってる内に、引っぱり戻されてたわ」
「戻された……って、誰にだよ」
「んー、分かんない。でも何か、やっと見つけただとか、手間かけさせてとか、散々毒づかれた気がする」
「ど、毒づかれたぁ?」
つまり、大変な事を大変だと認識するだけの知性が有している、と言うことである。
アバターの死が"死に戻り"として処理されるのは、てっきりシステムによるものだと思っていたが……もし、その2つの前提が両立するのなら。
それは即ち、"システム"に人格が有ると言うことに他ならないのでは?
クァーティーは急に、ぞわりと肌が怖気だった気がした。
それでは今まで「ゲームだから、似た世界だから」となんとなく納得していた前提が、まるっきり覆ってしまう。
単なる法則に過ぎないと思っていたシステムが、何らかの明確な意図があって"ミラージュ&ヴィジョンズ・オンライン"をこの世界の上で再現しているのだとしたら……
――先日の夜、顕になった「2つの現実」の構図が、まるっきり異なってしまうのでは?
「いや、アタシの勘違いかも知れないわよ? でもなんか、そんな雰囲気がしたっていうかさぁ」
「はー……分かりました。それは、とりあえずリッツさんの勘違いと言うことにしておきましょう。
我々だけで結論を急ごうとしても、推論に推論を重ねたトンデモ話にしかなりませんデスよ。
……それに、四六時中『得体の知れない大きな何か』に見張られているかも知れない、と考えるのも精神衛生に悪いデスし」
「だな」
同じ気味の悪さを感じ取ったのだろう。コクコクと頷く3人を見ながら、人類種であるアビエイルは不思議そうに首を傾げた。
「駄目なんですか? 私たちは『常に〈大いなるひと〉に見守って貰えている』って考えると、すごく安心できますけど」
「宗教観の違いデスねぇ。いや、そういう考え方も間違いでは無いと思いますよ。
『お天道さまが見ている』とは、我々の古い言い回しにも有りますしね。でも、一般的じゃあありません」
「そう! そうなんですよ、〈大いなるひと〉は、太陽に姿を変えて常に私達に温もりを与えてくれているんです」
妙に食付きが良いのは、宗教の話となると倦厭してしまう空気がアバターには有るからだろうか。
好奇心の強い彼女にとって、異界の神と言うのは中々興味をそそられる対象なのだろう。
それと同時に、こんな国で騎士団に務めているくらいだから、自分達の神について話すのだって嫌いではない。
「夜に太陽は出ないじゃねーか」
「それは、人々の眠りを妨げないようにという配慮です。
それに光は弱いですが、〈大いなるひと〉は鏡を左目で覗きこんでちゃーんと見てくれてますよ。お月さまがそうです」
「……そこは正しいんだな、科学的に」
"M&V"のゲーム中では、現地の宗教に関する細かい設定までは見受けられなかったが……この世界独自のディティールか、あるいは、デザイナーたちの間では既に決まっていた事なのか。
なんにせよ、「月の光は月が太陽光を反射したものである」という事実が寓話的に語られて居るのは、アルフォースを奇妙な気分にさせるものであった。
「カガク。カガクと言うのが、アバター様……あ、いえ、ニホンの皆さんの神様なんですよね」
「あってるよーな、違うよーなデスねぇ。科学の救いは、信仰のもたらす救いとはちょっと質が違いますし。
でもまぁ、ふわっとした使い方するなら似たような物かなー……それが何か?」
「いえ、その……私、1つ夢があって」
薄い桜色の髪を揺らし、アビエイルは膝に手を置き、微かに俯いた。
3人はあずかり知らぬことであるが、かつて描いていた夢をアバターに手酷く否定されかけた経験が、まだ引きずられているのだ。
だが、それもやがては意を決し、濡れた唇から言葉を発する。
「"海の果て"」
「海?」
「有るかどうかも分からないんですけど。私、海の果てが見たいんです。……カガク的には、馬鹿馬鹿しいかも知れないですけど」
それは、極東の地を超え、大海原を横断した先の先。底も覗けぬ、見渡す限りの大瀑布の伝説。即ち、大地の終わりだ。
生まれて来た時から「星は丸い」と教えられてきた3人には、どうも縁の遠い風景である。
きょとんと目を瞬く3人の中で、真っ先に手を上げたのは、意外な少年であった。
「……分かった、任せろ」
「アル?」
「要は、海の向こうに行けるだけ行けば良いんだろ?
キュー子の旅が終わったら。俺が、〈アルフォース〉が連れてってやるよ。それで良いじゃねーか」
フン、と鼻を鳴らすアルフォースに対し、ニヤケ顔でリッツが口を出す。
「いいの? 安請け合いしちゃって。アンタそう言うの嫌いそうなのに」
「やってやるさ。古代都市が復活すれば、機会くらいあるだろ」
そう、古の技術さえ復活すれば、極東まで船を出せるほどに技術が進歩することは、ある種保証されているのだ。
だとすれば、少女1人の夢を叶えるくらいなんとでもなると……そう考えているのだろう。
これまでの彼には、どこか似つかわしくない積極性であったが、不思議と、好ましくない変化には思えなかった。
豆のペースト入りのスープを飲み干して、クァーティーがほうとため息を吐く。
「ま、焦ってもしゃーないです。明日の朝まで今度こそゆっくりと休日を過ごそうじゃないデスか。
これからどうするか、なんて……ひと通り旅路を終えてから考えても、充分間に合うデスよ」
□■□
「どうしようヴァージニア君、片付けても片付けても書類が減らないんだが。 いつから僕は無限機関になったんだっけ!?」
夜明け前。曙よりも早く、烏たちが鳴き始める頃。
小さな元コンサートホールの2階、今はアバターたちの"協会"備え付けの執務室となった一室に、ノモッグ樹のテーブルへぐったりと倒れ伏す小人族の姿があった。
その隣には、銀絹の人工髪で飾り付けられたメイドが控え、主人に向け恭しく頭を下げる。
「Yes、マスター。人は生まれつき無限の可能性を持つそうです。すなわち、1分後にマスターが全ての書類を片付けている可能性も0では無いのでは」
「そうかぁ、0では無いかぁ。それはなんともロマンがある話だねえ。
ところでヴァージニア君、いくら可能性だけあってもやはり人はエネルギーによって動く生物なんだよ。
ボカァお腹が空いたんだけど、何かご飯作ってくれない?」
「書類ならばおかわり自由ですが」
「胸いっぱいだよ……」
ドサリと音を立てて積まれた書類を、小人族の男は絶望的な目で見上げた。
とは言えこれも、真っ先に声を上げたがゆえの果たすべき責任である。弱音も出るが、まぁ、大人としてやらねばならないことでもあった。
人機のメイドは、一番上に置かれた一枚をつまみ上げ、金の義眼でまじまじと眺める。そして、改めて感心したように呟いた。
「しかし、まぁ。アバター様とは纏まりの無い方々だと思っていましたが、案外大した反対も無く受け入れられましたね」
「そりゃあね。アバターと人類種の関係を語るなら、まず何よりも『白紙』なのが問題だったわけだ」
そこに書かれているのは、これから先、アバターと人類種が付き合っていく上での"決まりごと"……いわば法律の、前段階となるべき代物だ。
少なくとも、アバター側としてはこの文章を元に交渉していく。一見、お前に何の権利が有るんだと石を投げられそうなこの発言は、しかし姦しいアバターたちに対しても、大した抵抗も無く受け入れられていった。
「そこに何かを書き込むのなら、『元から使ってた物』をコピペして持ってくるのが一番早いってことさ」
曰く。
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない――
「……それで、日本国憲法ですかぁ? いいんですかねぇ、こんな、何の工夫もなく……」
革張りのソファの上、力尽きて微睡んでいたGM姿のミズエールが、眠たげに眼を擦りながらボヤいた。
そう、これこそがペトロニウスの温めていた"秘策"であり、たった一夜でその場全てのアバターに認めさせた、認めざるを得なかった"現代技術"である。
「良いんだよ。こういう時は、丸々引用するのが一番だ。
勝手に改変するような真似をすれば、そこからまた議論に火がつくだろう?」
「理屈は分かりますけどねぇ。なーんか、ズルいなぁ」
「だけど事実、我々は日本人なのだから仕方ないじゃないか。まぁ中には、外国からつながっている人も居るかも知れんがね。
ユーザー利用規約に、日本の法律にしたがってプレイして下さいと書かれて居るんだから問題イナフ」
「うーん……」
認めるも何も、つい1ヶ月半前まで同じルールの元に生活していたのだから忌避感も少ない。
実際には、まだまだここから実状に合わせて法を定める作業が待っているのだが……折角のファンタジー世界の中、そこまでしっかりと法に携わりたいと考えているアバターの方が少ないのも確かだった。
要は、自分の不利益にさえならなければある程度は許容できるのである。ペトロニウスとしても、これはあくまで簡易の窓口だ。
その働きの多く、特に違反者の取り締まりに関しては、アバターたちが「正しいことをしたい」と考えている、という前提の上に成り立つ。
けれど、ペトロは何も千年を築く頑強な法を作りたい訳ではない。5年10年使う程度なら充分耐えられるし、それだけの時間があれば、もっとしっかりとした物を用意することだってできるはずだ、と言うのが彼の見込みだ。
「多少荒くても良いんだ。良心で繋ぎ止めていたものが瓦解する前に、バラックでも良いから用意する必要があったんだよ。
それに実際、このままだとマズいと言うのは皆納得していただろう?」
「私は納得してませんよ。なんで私、いつの間にかアバターの中で一番偉い人として祭り上げられてるんです?
それもこんな、恥ずかしい格好で……」
「格好をデザインしたのはボクじゃないじゃないか。それは君、自分とこのデザイナーに言い給えよ。
だいたい、この世界が現実と化す前にだって着ていたんだろう?」
とにかく、ミズエールとしては着用している服が気に入らないらしい。
確かに太腿などは大きく露出しているが、アバターとして世に落ちた時点で概ね美男美女として生まれ変わるのだから構わないだろうに。
そのようなペトロニウスの考えは、妙齢の女性からすると甘すぎるらしい。
「変にリアルになると恥ずかしさが増すんです。もう勘弁して下さいよ、本当……」
「残念、ミルドニアン司教から要請が着ているよ。民心の安定のために式典に出席して欲しいのだとか」
「ぐえー」
天の御使いとすら呼ばれる種族の女が、蛙が潰れたような鳴き声を上げ、ソファーの上で寝返りをうった。
仮眠中である。足を伸ばせる広さのソファーはあまり数が無いし、下で寝かせるのも忍びない。
やがて再び寝息が聞こえだし、睡眠の必要のない機械仕掛のメイドと、妙に元気の有り余った小人族の研究者だけが現の世界に残された。
「『法を作る上での法』ですか。確かに、この世界には無かった概念ですね」
「それはそうだ。西端の島国から東端の島国にたどり着くまで、600年近くもかけて幾万の血を浴びながら茹で上げられた、立派な立派なコロンブスのゆで卵だ」
「この、基本的人権とやらも入れ込んでいくのですか。適用範囲の選定が非常に面倒なことになりそうですが、マスター?」
「それも仕方ないねぇ。だって僕たち、日本人だもん。
いくら名前を変えたってね、生命活動止めてるとか言われたってね、そんな急に精力的にもなれなきゃ残酷にもなれないさ」
逆に、その一線を簡単に超えられる状況こそが、自分たちにとって強いストレスになる。
金に不自由しないだけの鬱屈した暮らし、そしてあの"化身殺し"の大暴れによって、そういった意識は充分にアバターたちの間で高まったのだろう。
自分はどうにもできないが、誰かに何とかして欲しい。だから、まず自分がやることにした。その意識は決して間違いでは無いと、ペトロニウスは考えている。
「結局、僕らは自己紹介がまだだったのさ。なのにそのまま、同じ場所での生活を始めてしまった。
そりゃボロも出るよ。知っておかなきゃいけないことは山ほどある、お互いに」
そして、それはこの世界の住人たる"人類種"側も同じことだ。
天から降りた神の化身として現れたアバターたちであるが、その多くは神を与太話としか思っていない不信心者どもである。
彼らが知る〈大いなるもの〉を信じていないのだから、何を善として、何を悪として扱っているかすら分からない。「宗教観」とは、本来そういう物の集まりなのだ。
なのに、彼らの言うカガクは、善と悪を定義しない。そんな人たちが力を持って歩いていると言うのは、相当に心臓に悪かったに違いない。
「しかし、宜しいのですか? その為に、スカウトギルドの力までお借りして」
銀の髪の下、ヴァージニアは凍り付いたように表情の変わらないままであった。だが彼女の質問を受けたペトロニウスはやや珍しそうに顔を上げ、なんとも愉快なモノを見た時のように緩く微笑む。
「ハリス君に頼んだ"人集め"の件かな? 仕方ないよ、彼らにとって『貸しが1つも無い』と言うのはそれはそれで不気味な状況だ。それに中々、役には立っただろう?」
「しかし、ユニオンの皆さんに露見した場合、タコ殴りにされる確率が68%。
ヴァージニアが出す回答としては、『いいぞ、もっとやれ』が最有力になります」
「暴力推奨!? いけないよ、そういうのは!
……それに、なんだかんだで皆気付いてるだろう。ウチのゼミ生は決して、馬鹿の集まりじゃない。
情報ってのは1人が可能性に気がつけば拡散するものでもあるしね」
むしろ、ゼミに入れる人間に関してはそれなりに選りすぐったつもりである。
性格には癖があるものの、この状況下でひな鳥のように口を開け、喉に回答が押し込まれるのをただ待っているような連中は居ないはずだ。
そして、考える能力があればすぐに分かる。あの混沌とした一夜で、誰が一番目的に近づいていたのか、は。
「"化身殺し"云々に関しては、手段だ。目的じゃないよねぇ」
「なるほど」
そう、一夜にして見事にアバターの意識は変わった。
大多数の傍観者を当事者に変え、そして中にはマナーが悪い者が幾分か存在して、多くの者は彼らを白い目で見る。ああはなりたくないと自戒する。
その為にはやはり、明文化されたルールが有ったほうが「便利」なのだ。だからユニオンの"憲法遵守"の精神は驚くほどあっさりと受け入れられた。
あるいは――全体として見れば――あの場で叫ばれた、もう一つの声よりも、よほど早く。
「自作自演臭さは承知の上だ。恐らくは、"彼"もね」
「彼」
"化身殺し"とは言うが、殺してはいないと言うのが彼の主張だった。
強さを追求し、異世界への転換に狂喜し、そして――この世界の、奇妙な二重構造を誰よりも早く暴いた男。
ゲームシステムのみに囚われない強さを手に入れ、その秘密を全てのアバターに行き渡らせようと考えた。
「本当に示し合わせていたのですか?」
「まさか。だが、お互いにちょっとは分かって居たんじゃないかな。
少なくとも僕の方は、そうなんじゃないかな程度には考えてたよ?」
実際の所、結果としてはwin-winなのだ。彼は自分のことを騒ぎにして、その主張を拡散させたがっていたし、ユニオンは分かり易く明確な"社会の敵"を欲していた。
スッキリとした顔で「明け方にはこの街を出る」と伝えてきたからには、彼なりに手応えも感じられたのだろう。
ペトロニウスは空を見た。何羽かの小鳥が巣から赤煉瓦の屋根に飛び移る姿が、影絵アニメのように動いていた。
「ま、多少手段を選びつつ、なるべく愉快にやっていこう。
僕らは僕らで、世界をこんなにした責任を取らなきゃあいけないからね」
「……Yes。Yes、マスター」
その時、ヴァージニアは己のマスターに向け、深い一礼を行ったところであった。
ゆえに、感情の無いはずの機械人形に、僅かな悲しみの影が差したことを覗き見れる者は、誰も居らず。
「はっはっは、忙しいぞう。僕らはせめて、皆の背中をちゃんと支えなければ。いやぁ、責任重大だなぁ、〈ヴァージニア〉?」
「教授ぅ、うるさいです……」
明朗に笑うペトロニウスに返事をしたのは、声をかけられた人形司書ではなく、苦しげに呻くゲームマスターであった。
□■□
小高い丘を一直線に登る石の街道を、朝日と潮風に見送られながら青年が歩く。
背の低い緑の一年草には、朝焼けの光が混じり、先端だけを若草色に染め上げて穏やかな波を描いていた。
「おや?」
コトコトコト、と微かに振動れる車輪――後ろから迫る狗竜車の音に気がついて、振り返る。
2頭立ての、4人乗りサイズの狗竜車が、見覚えのある御者を席に置き、男の背を抜き去ろうとする所であった。
フードを外して手を振ると、向こうもこちらに気付いたのだろう。少しずつ速度を緩め、徒歩でも並び歩ける程度の速さになる。
「お早うございます、アビエイルさん」
「あ……おはよーございます。奇遇……ですかね?」
言っていて、自分でそうでもないかなと思えたのだろう。
小首を傾げる1歳年下の異世界人を、青年――カミイズキはどこか面白そうに眺めていた。
「まぁ、バーデクトから交都に行くには、この街道しか無いと言えばありませんけどね」
「あはは……で、ですよねー」
「僕が言える筋合いでは有りませんが、随分と早く出るのですね?
街の商人たちでも、あの街に来たからには、せめて朝のお祈りまでは済ませていくようでしたが」
普段、時は金なりと言って憚らない商人たちも、宗教の聖都に来たからにはゲンの1つでも担ぎたくなるのだろう。
どうせ祈るならば、聖地であるバーデクトで祈った方がお得だという考えもあるのかもしれない。現金といえば、現金な話だ。
国と交都を繋ぐキャラバンを警護する任務も多い〈白犬騎士団〉としては、思う所もありそうである。
「お祈りを捧げるのは神像の前であるほうが良い、と決められた訳じゃ有りませんよ。
時間を決めているのも、場所を提供しているのも、それで人々に少しでも意識して貰えればという狙いで。
心の内を〈大いなるひと〉に捧げたいと思ったなら、本来それが私たちの祈りです」
とにかく、御者席に座るアビエイル=クウェイリィは、微かに苦笑を浮かべながら、祈りのポーズを取るのであった。
「それに、狗竜車でこのくらいの時間に出れば、次の次の宿場にちょうどお夕飯時くらいに到着するんですよ」
「ははぁ、なるほど。流石にメインストリートなだけあって、良く考えられているのですね」
行き帰りの狗竜車が2つずつ、計4つ並んで走行できるだけの大きな通り道は、"M&V"の時代にも馴染みの有る風景だ。
この付近にはアクティブなMOBも湧かず、初心者でも安心して国を行き来できる作りになっていたが……なるほど、現実になおすとこのようになるのか。
「んん……? あら、カミイズキ君じゃないデスか」
「どうも、お早うございます」
「ふあぁ……い。おはようデス……これから狩りデスかぁ?」
座席側の小窓から顔を出したクァーティーが、欠伸混じりに軽く手を振り挨拶を行った。
もごもごと口を動かし、軽く咳払いを1つ。どうにも、寝起きの良さではアバターはこの世界の人間たちに敵わないらしい。
「いえ、僕も先日の一件で力不足を痛感しましたので。もう少しあちこちを回って、Lvでも上げようかなと」
「いーですねぇ……80前後の前衛デスと、廃坑山3階かなぁ……」
「なるほど、参考にします」
やや寝ぼけ眼で受け答えするクァーティーの声で、同室の2人が微かに身を起こした気配があった。
扉に付いた小窓から、紺色の髪に彩られた女の双眸が、狐のように目を細めるカミイズキの視線とかち合う。
そうしている間にも車輪は轍を描き、やがてカミイズキの姿も小さくなっていく。
「……ごめん、ちょっと先行ってて」
「リッツさん?」
ふと、眉根を鋭角に寄せたリッツが、走行中の狗竜車の扉を軽く開き、ひらりと飛び降りた。
極AGIのステータスもあり、着地で転げるような無様は無いが、手綱を引くアビィは少し驚いたような表情を見せる。
「すぐ追いつくから~!」
遠のいていく狗竜車のシルエットに対して、彼女はぶんぶんと腕を振った。
実際、彼女のステータスならばそれも不可能では無い。一度速度を落としつつも、座席から何やら声がかけられたのか、結局狗竜車は止まらず走り去っていった。
紺色髪の賢者にいきなり進行方向を塞がれたカミイズキが、やや怪訝な顔をする。
「……どうかしましたか? まだ何か、僕に用事が?」
「あーいや、それでさぁ」
頭の上で肘を抱え。軽く伸びをするような姿勢で、なんでもないことのようにリッツは問う。
「結局アンタ、何がしたかったの?」
暫くの間、答えは無かった。ざわざわと風が柔草を揺らし、緩くまとめた髪を空に靡かせる。
カミイズキは――"化身殺し"は――ブレード、と自ら名乗った17の男は、相も変わらず顔に笑みを湛え、朝焼けを背に、影法師のような姿で立っていた。
「……『武術』という学問の復権。最終的に夢見ていたのは、そんな話ですかね」
「異世界でわざわざ? というか、それと辻切り行為にどんな関係が有るのよ」
「辻切りはまぁ、趣味でも有りますが……そうですね。
トーマス・エジソンと電気主任技術者の資格を持ってる僕の叔父さん。どちらがより偉大だと思います?」
急な話題の転換である。リッツは不愉快気に唇を尖らせ、彼の問いに答えた。
「そりゃエジソンでしょ。私だって忘れないわよ、その名前。反面、アンタの叔父さんなんて知ったこっちゃない」
「そんなの常識、と。まぁそうでしょうね、僕だってそう思いますよ。リッツさんの答えはまったく正しい」
パチ、パチ、パチと緩く三拍。一瞬、リッツは「ひょっとして馬鹿にされてるのだろうか」と頭によぎるが、どうもそうでも無いらしい。
何がそんなに面白いのか。拍手の音が風に溶けきった後、カミイズキは犬歯を剥き、にんまりと笑う。
「じゃあ、トーマス・エジソンと僕の叔父さん、"どちらがより、電気の取り扱いが上手いと思います"?」
その、質問の、意図が。
……リッツにはいまいち理解することができず、真剣な表情のままクエスチョンマークを浮かべた。
カミイズキとしても、明確な答えを期待していたわけでは無いのだろう。スラスラと滑らかに、続く言葉を繰り出す。
「あぁ、世界に謳われる発明王。人類文化の革命児。
……でも、『交流電流の可能性を読み切れずに、自身で発明した直流電流に固執した』。
かのエジソンも、現代の基準から言えばその程度でしかない、と言ってしまえるのも間違いでは無い」
まず咄嗟に、酷い暴論だ、と声を上げそうになって。それを否定するだけの言葉が、どこにあるのか分からなかった。
そう、確かに19世紀に生まれたエジソンに、人類の百ウン十年の進歩など知る由もない。
死者が生き返りでもしない限り、その間に生まれ、そして廃れていった技術や方法論に、触れられる日など永遠に来ない。
「分かりますか? いえ、エジソンを馬鹿にしたいわけでは有りませんよ。
偉大な数学者ピタゴラスも、無理数なんて存在しないと頑なに信じていた。
心について考え続けていた哲学者たちは、まさかその心を人の脳みそに直接書き込める時代が来るとは思わなかったでしょう。
学問と言うのはね、そういう力を持つんです。1人の天才より、100人の秀才の歩みの方がよほど早い」
では、それより万の凡人の歩みが早いかと言うとそうでも無いのが面白いところですけどね、と締めくくり。
なるほど、そして最初の話に戻ってくるのかと、リッツは微かに鼻を鳴らした。
「……だから、多くを巻き込みたかった?」
「ええ、だって僕は、強くなりたいんですよ。何の目的も無く、何の理由も無く、ただそれが夢で有るから強くなりたいんです。
おかしいと思います? ……まぁそうですよね、普通は皆、理由がなければ強くなろうとは思わない。
でも僕は強くなりたいんだ。未来は愚か、過去よりもずっと『弱い』この時代でも」
それが分かっていて、藻掻く日々のどれほど虚しかったことか。
あぁ、確かに現代日本において、「武術」と言うのは絶滅寸前の技術だろう。文化的、歴史的に価値があろうと、それを研鑽する理由がまるで無いのでは。
幾らリッツやカミイズキが求め足掻こうと、たった一人、乾いた砂漠に如雨露で水をかけるが如し。
「『皆がもっと、強くなろうとしてくれれば良いのに』」
胸の内から絞りだすようなそれは、かつて、リッツも同じ思いを抱えた言葉だ。
日々、夜を赤ら顔で過ごすことが増えていった父を――師を見上げながら、痛みを覚えた。
「そう考えて、まぁ、仕方ないのだろうと自嘲する。諦めていたわけでは無いが、さりとて信じていたわけでも無い……
だけど、僕が考えていたよりずっと世界は広かった。とても素晴らしいことが、この世にはあった!」
全ての技術は、必要とされるから生まれるのだ。
だからこそ、「強さ」が問題解決能力に直結するこの世界でなら。
剣が、魔法が、必要とされるもう一つの現実でなら……あるいは、枯れていた「夢」が花開くのかも知れない、と。
「世界は変わるでしょう。その行き先に、少しばかり個人の意思を混ぜることもできる。
僕の夢は、僕が強いだけでは意味が無い。伝説が必要だったんです。謎めいた強さに憧れる層は、必ず現れる」
そんな彼らが、伝説の"タネ"を解き明かしてくれるなら。
それは、ただ一方的に押し付けるよりも、よほど早く芽を出し始めるだろう。
「……納得できたような、できてないような、だわ」
やはり、己と近しいようで――その実、自分とは根本が異なっているようだ、とリッツは軽く頷いた。
改めて意識した、心の内に住む獣を……勝利への渇望を、飼いならす術でも掴めるかと思ったが。
この男は、勝利そのものにはさほど重点を置いていない。言ってしまえば、自分さえ納得できれば敗北でもきっと構わないのだ。だからこそ、負けることすら恐れず成長だけをし続けていられる。
それが、少し悔しい。
「聞きたかったのはそれだけよ。呼び止めて悪かったわね」
「いえいえ、こちらとしても胸のしこりが取れた気分ですよ。それでは」
そして彼らはまた、同じ道を違う速度で歩き出した。
狗竜車に追い付くため背を向け駆け出すリッツを、やや速度を落としたカミイズキが眺める。
その距離が1歩離れ、2歩離れ。……3歩。
キィン――ッ!
鋼の打ち合う音が響き、近くの草むらで虫を啄んでいた小鳥たちが、大慌てで空に飛び立っていった。
刃と裏拳を互いに交差させて静止した2人に、水平線に反射した朝日が差し込む。影法師が、長く長く伸びていた。
「"10回に10回"」
篭手についた四色の宝珠を煌々と光らせ、リッツが口元を歪めて言う。
魔力。アバターたちの体に作用する、日本には無い謎の力。熱く溶けたバターのような感触の"それ"が今、手の甲で渦巻いている。
体に許容量以上の魔力を溜め込み、巨人へと変貌したあの日から、リッツはそれを十全に扱えるようになっていた。
「できるようになったわよ、私も」
「……どうやら、そのようだ」
カミイズキの、剣呑な眼差しが――抑えきれない笑いが――彼の喜びようを、声無くして語っていた。
戦うことで。仮初めであろうと「死」を体験することで、手に入れられるものはやはり有るのだ、と。
それは、彼が見渡せる範囲において、彼以外に初めての実証でもあった。
「アルフォース君にも、よろしくお伝え下さい」
「嫌がるでしょうけど?」
「そして1つアドバイスを。『上手になる』とは、何もパッシブスキルに限ったことじゃない」
リッツがこぼした苦笑を、まるで無視して。相変わらず、世界が楽しくて仕方がないかのように笑いながら、カミイズキは言葉を続ける。
詠唱時間。クールタイム。"システム"に課せられたバランスは、LUC値に携わるもの以外にも数多くある。
だとしたらそれに、何らかの改善を加えることはできないか? 否だと言う常識は、先日この男が食い破ったばかりであった。
「『手動装填』とでも言いましょうか。
彼の持ち味を活かすには、それが一番役に立つでしょう」
――ゲームデータがサポートしてくれないのなら、現実で行えばいい。
結局の所、それがカミイズキの見つけたチートコードの要約だ。システム外の料理やアイテムが、開発されていくのとそうは変わらない。
やがて、あらゆるアバターがその恩恵を享受する時代が来るだろう。システムが築いてきたバランスを、大きくぐらつかせる時が。
「クールタイム内の連射、か……でも、いきなりあんな大技できるのかしら」
「体系的に学ぶなら兎も角、小技からできるように成れば良い、と言うものでもないのでは?
彼の場合は特に、的に当てる能力よりも、如何に素早く正確に魔力を紡げるかという問題だ」
「だから、アタシが面倒みろって? んー……人に伝えるには、ちょっと自信無いんだけどなぁ」
リッツ個人は充分に操れるようになったとは言え、言語化できるほど器用でも無い。
なにより、魔力の扱いに関しては、非常に感覚的な所が大きいのだ。アルフォースにちゃんと伝えきる自信があるかと言われると、口ごもってしまう。
「ならばいっそ、〈"文華宮"クリプツカ〉でこの世界の方々に教わるのも良いかもしれませんね。
あそこはたしか、魔術のメッカだったはずだ。そちらには興味が無かったので詳しくは知りませんが」
「はぁん、クリプツカねぇ……そう言えば、ヴァージニアたちもあそこのNPCだったはずなのよね」
それが何故、はるばるバーデクトまで来てアバターの取り纏めめいたことをやっているのかは知らないが。
研究が盛んなだけあり、古代文明の遺跡も数多く残っている地域だ。こちらから言わなくとも、クァーティーの中では既に決められているかも知れないな、とリッツは思った。
〈"文華宮"クリプツカ〉。ヨーロッパ風のバーデクトとはうって変わって、砂漠や荒野の多い中東風の国家だったはずだ。
「……っと。そろそろ戻らないと、本気で置いて行かれるわね」
「では、またどこかで。願わくば、そこが良い闘争の場であることを祈ってますよ」
「要らないわ、そんな不吉な祈り」
石畳を踏む足音を残し、リッツは風の如き速度でその場を駆け去る。
流石に、二度も三度も同じ真似をするつもりはないようで、三歩離れても青年は片手で手を振り続けていた……
……風に含まれるどこか青々とした香りが、早朝の空気に包まれて清涼に眠気を洗い流す。
朝焼けに照らされ、潮風に揺れる地上の波を楽しみながら暫く走ると、ようやく前に見覚えの有る馬車が見えた。
「リッツ! 早くしろ」
前を行く狗竜車の扉が開き、そこから甲冑越しの手が伸びる。
並行に走りながら次第に距離を詰め、リッツはそれを一気に飛びかかりながら掴んだ。
急にかけられた重圧に、アルフォースの体が思わずよろめく。
「うわ、意外と重いな」
「なんだとぅ」
車内に引っ張りあげるアルの額に、ビシリとチョップが突き刺さった。
子供のようにはしゃぎ回る二人を、クァーティーが頬を膨らませて叱りつける。
「んもー、駆け込み乗車はご遠慮下さいデス~」
「あはは、ごめんごめん」
折角のステータスだ、ついつい遊びたくなってしまうのは悪い癖であろうか。
冗談めかして注意したクァーティーも、つられて笑い出したあたり本気では無いのだろう。
リッツがステップに足をかけ、車内に乗り込もうとした時、潮風に乗り低く震える音が彼らの元にまで届く。
「これは?」
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
体の芯にまで染み入るようなその音に、しばし3人は声も立てずに聞き入っていた。
御者席に座るアビエイルが、あぁ、と息を吐いて微笑んだ。
「お祈りの鐘、ですね」
「……あぁそっか、朝が来たのね」
結局、一週間ほど過ごすことになった街の風景を思い返しながら、めいめいは東の空へと振り返る。
夜明けを告げる厳かな鐘の音が、もはや遠く見える信仰の街を満たし、丘の向こうまで響きわたっていた。
この後に関してですが、まだ第三話は書き上がっていませんので暫くお時間を頂こうと思います。
モチベ維持のために、間に1つ別ネタでやってみたかった中編を入れるかも知れませんが、決してエタのつもりは無いのでよろしくお願いします。




