23
「……なんだ、これは」
あの、常にふてぶてしい顔を――あるいは、歓喜の笑みを浮かべ続けていた"化身殺し"が、初めて自身の驚きを隠し切れずに、口を開いて見上げていた。
「なに、これ」
十数年の月日をウェザールーンの地にて過ごし、それでもアバターたちとの触れ合う中、彼らの人間性を信じていたアビエイルが、息を呑み、強い恐怖を感じていた。
「なんデス……? 何が起きたのデス!?」
普段はひょうげたフリをしながら、その実、つねに老練で強かに振る舞うクァーティーが……目の前の現実を飲み込めぬ小娘のように狼狽し、瞳孔を窄めた。
そう、まるでアバター〈リッツ・サラディ〉という蛹を破り捨て、変態したかの如き"光子の巨人"へ、彼らが送る反応は須らく混乱と驚愕であり――
――その一秒を無駄にする程、"彼女"は優しい存在ではなかった。
「ッ、僕かッ!」
まがりなりにも反応してみせたブレードも、やはり常人の域には無いのだろう。
巨人――全体的なプロポーションとひらめく長い髪のようなパーツから、辛うじて女性系だと分かる――はその異様に長い手足を活かし、人の2倍ほど体躯に見合わぬ速度で跳躍する。
その先には、リッツのHPが0になる瞬間を見計らい、一気に距離をとった男が居た。先程と同じように、相打ち覚悟の距離で瞬唱呪文の巻き添えになることを嫌ったのであろう。
しかしそれが、かえって巨人のベストレンジに入ってしまう結果になっていた。
拳で剣戟を満足に掻い潜れなかったのがよほど悔しかったのか、巨人の拳のリーチは、ただ腕を前に伸ばしただけでブレードが刀を突く距離よりも勝る。
「ええい、どうにかなるか……!?」
その上で、鞭のようにしなりながら飛んでくる拳を、ブレードは、半ば祈りすら込めるような気持ちで刃にて払う。
まるで、風船でも切り裂いたかのような軽い手応えがして、彼はまず、眩しさに目を塞がれた。
拳によるものか、突風じみた圧力を正面から叩きつけられる。それでもまだ、"切り払った"結果なのだろう。
彼は間際のリッツに何が起きていたかを思い出すと、体勢が大きく崩れるのも構わずにその場を飛び退く。
ばちん、ともぱきん、とも取れぬ音が鳴り響いた。
稲妻や、炎が吹き上がっているのが見えるのに、砂と氷の入り混じった冷たい風が叩きつけられる。
それは、奇妙な心地ですらあった。先程まで立っていた筈の石畳が、燃え焦げ、風化して、硝子混じりの砂になっている――何が起きたかなど分かる筈も無いが、とにかく凄まじいことが起こったには違いないと理解できるような、凄惨な傷跡であった。
「ハハッ……なんだこれは。なんだ、これは?」
さてさて、とブレードは思考する。
火、水、風、土。主に魔術を構成する4属性である以上、〈賢者〉としての能力を全て捨て去ったわけでは無さそうだが。
「良いなぁ……凄いなぁ。いったい、何が起きたんだろう? 最後に発動したのは『魔力の奔流』のようだけども」
一息、感激したような声を漏らすと、彼は白い仮面の下で笑みを作り、すぐに元の調子を取り戻す。
「嬉しいなぁ。そんなに、僕と戦ってくれるのか。僕の世界を広げてくれるのか。
だけど参ったね、僕は魔法とかファンタジーな技術はサッパリでさ」
だが、身体に刻まれた傷跡までは、元に戻るとはいかなかった。
咄嗟に飛び退いた左半身、光子に長く触れていた方では焦げ跡が凍てつき、皮膚のあちこちに裂傷が生まれて光を漏らしている。
なまじ右半身の傷は大きくないだけ、違和感も強いのだろう。両手で握っていた構えを片手持ちに持ち替え、やや辛そうに肩に構えていた。
「うーん、どうしようかな。なぁ君、切れるのかい? 切ってどうにかなれば良いんだが」
「KiLLlllll……?」
「おぉ、返事をした。意味は分かって無さそうだけ、どっ!」
ゆっくりとした溜めの動作から、砲丸のように拳が伸びる。
咄嗟に横飛に回避した隣で、木造の船屋が音を立てて崩れた。風圧で抉り取られ、燃え立たなかったのが不幸中の幸いか。
「あぁ、街が……!」
その惨状に、アビエイルが息を呑む。
やはりこの状態では、アバターであった彼女の意識がしっかり働いているとも言えないらしい。
魔法は対象さえしっかりと意識すれば他の物には影響を及ばさない筈で、とすればこの巨人が狙いとしているものは、ブレードと名乗る男だけではない。
「リッツ」
周辺一帯に溢れていた、アバターたちの残滓まで吸い上げて。より身長を増していく光の巨人を、アルフォースは呆然と見上げ。
いや、それはただ見上げているだけでは無く。
「何考えてんだよ、お前。何考えたら、こんなになるんだ」
サブ〈ハンター〉である彼の、『トゥルーアイ』にしか見えない情報がそこにあった。
相手が隠密状態であっても看破する、彼の視界の"システム"に、それは確かに映っていた。
「なんでお前、名前が"赤く"なってんだよぉッ!」
対象名、〈UnauthorizedAccessor〉。対象分類、敵対の赤。
レベル、能力、一切不明。それがアルの"注視"に映る全てであり。
「……a、AAAAAAHHHHHHhhhhhhhh――ッ!!」
闇夜にかかった絹を引き裂くように、甲高い産声が上がった。
女性形だった身体が不定に歪み、頭頂から波打つ。そしてまた苦しげに声を上げ、女性形へと戻る。
「く、うぅ、これは」
「リッツ……おい、リッツ!」
アルフォースが呼びかけた所で、反応らしきものすら帰ってこなかった。
エネミー判定と言うことは、放置すればこのまま無差別に――目につく物全てに「負けない」為に暴れ続ける可能性も有る訳だ。
限られた情報の中から仮説をたてるなら、「意思だけを注ぎ込まれた魔力の慣れの果て」だろうか。「何を為せ」でも「何に成れ」でも無く、ただ「負けない」ためだけに形作られていた。
「逃げる訳にも行かないかなぁ」
破壊の腕を舞踊のように受け反らし、ブレードは八双に構えをとる。
多くの者が身を竦ませ、状況への理解が追いつかず固まっている中、彼1人が何にも囚われず動くことができていた。
"アバター"は即ち、命では無い。それだけに自分たちは、取り返しの付かない物を大事にすべきだと思っているし、同時に己が好きな様に夢を追い求められるまたとない機会なのだ。
彼にとってその2つに矛盾は無いし、ブレも無い。刃紋の如く、一切の濁りも許さぬ。彼は現状を、自身が好き勝手した結果だと充分に自覚していたし――
「――"だからこそ"この世界にとって致命的な存在を野放しにする訳には行かないぜ。
話が僕の責任だけで終わらなくなっちゃうからね。そいつはちょっと、望む所じゃない」
再び掠めていく拳を潜り込むように躱し、そのまま刀を天に突き立てるようにして切り裂く。
刃を返して、足首を一閃。非常に軽いとはいえ、一応手応えはあった、が。
「A――ha――ha――ha!」
「効かないか。そうだよなぁ……流石にまだ、水の流れは切り裂けないもんなぁ!」
光の巨人は依然問題すら感じてないようで、高音で震わせるように笑った。
切った感触としても、液体と言うか、薄く湯葉の張った豆乳と言うか、そんな感じなのだ。困ったことに、刀が通り抜けることにさしたる意味が感じられない。
対して、こちらはもうボロボロだ。幾度も1vs多勢を繰り返し、その後同格の相手と無補給のまま一騎打ちを行えば流石にHPも限界に近い。
生きている内に至るとは思わなかった夢の世界に、幾らなんでも少しはしゃぎ過ぎただろうか。
(因果応報だ。今更痛めつけられることに、文句は言わないが)
如何せん、その後彼女の"ヘイト"がどうなるかが気がかりだ。
気が済み、大人しくなるなら良い。だがもし、見境なく暴れ回りだすようなことがあれば。
居並ぶアバターたちは未だ、急展開に付いてこれず戸惑っている。彼らからすれば、ついさっきまで敵だったのはこっちの方だ。
光の巨人が味方だとも言い難いだろうが、今のところ敵の敵に過ぎない以上、支援が有るわけもない。
そう、結局どこに行こうと、付いてくるのは自分の身体のみだ。
「Ahhhhh――――」
「あぁ、やろうか」
巨人の体躯が拳を引き腰を落とし、ゆったりとした溜めを作った。
折角の美人さんとのお見合いなのに、心おろそかなのは失礼である。相手が「負けぬ」と言う純粋意思ならば、自分のそれだけの物をぶつけなければ打ち勝つ道理もあるまい。
ブレードは再び思考を研ぎ澄まし、巨人の足元へと駆け出していく――
□■□
「ボーっとしない! 逃げるにしろ立ち向かうにしろ、とっとと動くッ!」
僅かな間、全てが呆けた街の中に、少女の声と柏手が響いた。
「ユニオンの連中は、こっちに着て混乱の収拾と逃げる奴らの整列!
まかり間違っても、アバター連中にパニックをおこさせる訳には行かんのデスよ!?」
まず正気を取り戻したのは、曲がりなりにも役目を背負っているユニオンの者達であった。
月夜の街に立ち上がる巨人は、既に2~3階建ての船屋の屋根を超え、8mほどの巨体となってアバター達を見下ろしていた。
「この場に居る〈白犬騎士団〉の方々は退避を!
街を守りたい気持ちは分かりますが、あんたらに万が一のことがあればこっちも頭を下げるだけじゃ行かなくなるデス!」
その中で――例え、咄嗟の判断であったとしても――いの一番に声を上げだした少女の指示は、頼もしく見えるものだ。
騎士団にも騎士団の指揮系統があるにしろ、急に街中に現れた化け物のことを報告しない訳にも行かないだろう。
制服を身にまとい、刃引きした槍を装備した一団が、手早く群となって駆け出していく。
「キュー子……オレは」
戸惑いがちに声を上げた少年を一瞥し、前髪を一房反り返した小人族は、動き出したアバターたちに視線を向けた。
「アル君。こうなっては仕方有りません。
ペトロ教授の応答が無い以上、私はこのままユニオンの指揮を取り、野良アバターどもを安全な位置に退避させてくるデス。」
「わ……わかった。オレもそれに付いて行けば良いんだな」
「"いいえ"」
兜の向こうから、くぐもった驚きの声が響く。
クァーティーは、目の前の〈重騎士〉がまだ少年に過ぎないのだと言うことを、改めて認識した。これから、過酷なことを言わなければならないことを。
だが恐らく、これから告げることは、彼のような年代にしか出来ないことなのだ。今の自分が生命では無いと言われ、「ああ、そうなんだな」と納得してしまうような自分では、できない。
「あなたは、〈アルフォース〉に成りに行きなさい。騎士らしく、獣を狩りにゆきなさい。
リッツさんが抱え続けていたものがあの巨人の正体だと言うなら。あの男のみには、任せておけない」
「いや……なんだよ、それ」
「なりたい自分になるには、私は少々歳を取りすぎた……私じゃあ、表面だけを取り繕った、ロールプレイが精一杯なんデスよ。
どうか、リッツさんをお願いします。頑張りなさい、少年」
ポカンと呆けたアルを残し、クァーティーは答えを返さぬまま、短い手足を精一杯に動かして駆け去った。
アルの中途半端に伸ばした手は何も掴むこと無く、次第に訳の分からぬ苛立ちによって握り締められる。
「ちく、しょう。なんなんだよ、どうしろってんだよッ!」
声を荒げた所で、答えが帰ってくる筈もなかった。
あちこちに散乱した家屋の跡に、流れ弾として飛んでくる炎や氷の弾丸。やはり一旦、共に退避し冷静に対処するべきだという声と、ここで行かなければ臆病者だと叫ぶ声が心のなかでせめぎ合う。
だが仮に今、自分――アルフォースが行ったとして、一体何が出来るというのか? リッツが戦っていた間も、結局傍観していただけだというのに。
アルは己の意義を見いだせぬまま、破壊の爪痕の中に立ち尽くす。これ以上その場から離れることも、近寄ることも出来ずにいた。
――ベヒモスの時と比べて違うのは、「誰かが何とかしてくれる」だろう点1つ。
クァーティーはすでに、ユニオンのメンバーを纏めて混乱の収束に奔走し始めている。
あのブレードですら、相性の悪い相手を自身に引きつけて時間を稼いでいるように見えた。
恐らくは今、自分が何もしなくともじきに問題は片付くだろう。自分たちしかカリンや村を救うことの出来なかったあの時とは、そこだけが違う。
もし、何か一つでも命令されていたなら、アルフォースはそれにしたがって動いただろう。
だが掛けられた言葉は、「アルフォースに成りに行け」との一言だけ。足を止めた内に、アルは置いて行かれてしまった。
「……オレは……」
ずくり、ずくりと。ポーションの効果によって消えた筈の、"本当"に付けられた傷跡が疼く。
その後ろから、砂利を踏む音が聞こえて、アルフォースは弾かれたように振り向いた。
「あ……ごめんなさい、驚かせるつもりは」
「なんだよ、アビエイル。なんでお前、逃げてないんだ」
「……居ても立ってもいられなくて……私も、私だって、何かしなければ」
自分で言いながら、無茶なことだと理解はしてるのだろう。
当然、不死でない彼女に巨人とブレードの戦いの間に割り込むような真似が出来るはずもない。
顔を伏せ、表情を曇らせながら、それでもアビィは懸命に訴えかける。
「ごめんなさい。やっぱり、まずいですよね。分かっては居るんです、私がここに居たって足手まといになるだけだと。
でも……でもやっぱり、私もアバター様がたみたいに、街のために何かがしたいんです! お願いします!
私も、アルフォースさんみたいに――」
「やめろッ!!」
反射的に溢れた否定の言葉に、アル自身ですら驚いたようであった。
身を竦ませるアビエイルから居たたまれぬように視線を移し、アルフォースの目は、食い入るように巨人とブレードの戦いを見続けて離れなない。
そこに何か、自分に足りない決定的な物がある気がして、涙すら浮かばせ。
「オレは……オレたちは、そんなんじゃないんだ」
そのつぶやきに、最早どのような意味があるか自分でも分からぬまま。
一度堰を切った言葉は止まること無く溢れ、少年の心を覆い尽くす。
「何が神の化身だ。何がアルフォースだ! オレたちがやっていたのは、只のおままごとだったんじゃないか。
分かってんだよ、そんなことは! だって……だって、ゲームだったじゃないか! なのに何でこんなことになってんだよ!」
口に出しながら、何て陳腐な弱音なのだと自分でも呆れ返るほどだった。あまりに凡庸で、やはり自分は特別になんて成れないのだと、更に惨めな気分になる。
〈アルフォース〉の名にしても、こんなに意味を持たせるようになったのは、本当はこの世界に落ちてからだ。
知っているはずの知らない町並みの中、主にソロで活動していた自分にとって、頼れるのは自分だけで。
せめて、支えになる信念が必要だったというだけの物。
「……オレだって、何していいのか分かんねぇよ……」
それが、偽りならざる立川有栖の本音。
「こうなりたい」という理想形は用意していても、そこに至るまでの設計図など有るはずもなく。
何せ、騎士という階級が本当にあったのすら数百年も昔の話なのだ。現代を生きる中学生だった有栖に、分かる訳も無い。
「……あの、アルフォースさんは、〈騎士の宣誓〉を行ったんですよね?」
その時、感情を一方的にぶつけられるだけだった少女が、桃色の髪を揺らしながら戸惑いがちに声を上げた。
「他のアバター様が言ってました。この世界じゃ無かったことになってても、元の世界で〈上級職〉になるために、相応の試練や儀式をこなしてきたんだって」
「……ままごとだよ」
「でもっ! アルフォースさんは立派な〈重騎士〉様じゃないですか。だったら、〈騎士の宣誓〉だってやったはずです!」
アビエイルが主張する通り、確かにアルフォースは〈騎士の宣誓〉をこなしている。
指定された村でたった一人依頼をこなし、他ならぬこのバーデクトにて"聖姫"ユーコニアに対し誓いを立てるのだ。
それはただの、転職の為のクエストに過ぎず。アルフォースの中に、何かを残したわけではなかったが。
柔らかい革の、弓手用の小手に包まれたアルフォースの手を、アビエイルがそっと手に取る。
分厚い革に阻まれ、流石にその暖かさまでは伝わって来なかったが、アルは微かに動揺して兜が揺れた。
「『答えよ。騎士の行動とは、何であるか?』」
「……『人々の祈りに、応えること』」
「ほら……知ってるじゃないですか」
あぁ、確かにあの日、アルフォースはそう誓ったのだ。たとえ相手が魂の無い機械だろうと。言う側が、何の意味も持たぬただの儀礼だと考えていても。
アルが知る儀式の手順とは逆に、問いかけたアビィの方が、アルフォースへと傅く。
「……お願いします。どうか、私達の街をお守りください……!」
俯き、濁った彼女の声が、手が、あまりに震えていて。
そしてアルフォースには、それが……悲しみではなく、悔しさなのだと、握られた手の平から感じられた。
末席とは言え、彼女もまた〈白犬騎士団〉の一員なのだ。本来街の治安を守るべきは彼女達であり、アルは、それを託されている。
喉の奥が焼けるように熱い。もはやアルは、アビエイルの願いに対して、自分がどう返したのかすら分からなかった。
だが少なくとも、声をかけられたアビエイルは、再び立ち上がった後アルフォースの手を離し、ゆっくりと立ち去っていった。
「……ちく、しょう……ッ!」
長い長い、嗚咽の声が響く。
やがてアルフォースは、一際強く奥歯を噛みしめると、装備していた剣と盾をその場に放り、踵を反転させ駆け出した。
□■□
「は、ははは、は」
右に跳ぶ。凍てついた空気を避けきれず、左半身が霜に覆われる。
姿勢をかがめ切り返す。背後から飛んできた瓦礫が、対応しきれず背中にめり込んだ。
相手の攻撃は躱しきれず、こちらの得物は効き目が薄い。おまけに、ロクに勝ち目も見えない。全くとんだ戦いである。
「やれやれ、本当に、本当に」
こんな時くらい、笑っても構わないだろう。
アバターに「疲労」などは設定されていない筈だが、流石に大立ち回りを長く続けていたせいか、身体もズンと重くなってきた。
肘や膝は軋みをあげ、目もどこかチカチカとする。光る巨人を長く見続けたせいだろうか。
限界が近い。あるいは、HPとして表現しきれないダメージが溜まりすぎたのかも知れないが。
「なんて、素晴らしい日だ――!」
だからこそ。だからこそ男は、喝采を上げる。
「くっ、ははは、はっははははは!」
それはまるで、笑うことで自身を無理矢理元気づける戦士のようであった。
あるいは社会の軛から開放され、獣の滾りを発散する気狂いのようでもあった。
どちらにせよ、間違っていないことは。彼は紛れもない、"本物"であると言うこと――彼の世には受け入れられない、異物であったということ。
「hhhhhhAAAAAA――――!!」
「そうだ。そうだ、笑おう。この素晴らしい時代に生まれたことを、この世界が、こんなにも広かったことを」
体中から光子を吹き出しながら、刃と名乗った青年は、剣を鞘に収めた。
諦めたのではない。一種の大道芸であることを差し引いても、「これ」こそが彼の原点である。
彼女の中に積み上がっているような、先祖代々の技は彼には無い。青年の両親は至って普通の中流家庭であり、共働きだった。
「僕に対抗してくれ。僕と共に駆け上がってくれ。僕に、僕に『強さ』を教えてくれ――!」
飢えているとすれば、ただ1点。
「強き」を目指し、「強く」在りたいと願い、ただただ「強さ」だけを磨いてきた彼が――「強い」とはどういうことであるかを知らないという矛盾。
「強い」「弱い」は相対の、単なる天秤の傾きである筈なのに、もう片方の皿に乗ってくれる存在が居なかったこと。
拳と刃が交差して、脚から力が抜けていく。膝が震える。次の1撃は、捌き切れないだろう。
こうなって初めて、彼は自分が「弱い」のだとちゃんと知ることができた。空きっぱなしの天秤に、初めて乗ってくれる他者を見つけた。
それだけで涙が出るほど嬉しいのだから、これ以上、勝ちまで考えるのは無粋と言うべきか?
せめて、指揮系統がまとまるまでの時間は稼げたはずだ。全力は振るったし、言うべきことは言った。
伝わったかどうかまでは分からぬが、「努力という手段が有る」ことは少なくとも周知されたはず。
後は、はじめからそのつもりだったように、"化け物"らしく退治されれば。それで、"化身殺し"の役割は終わる。
「――……」
月が雲に隠され、夜に、一呼吸分の溜めが生まれた。
懐に飛び入らなければならぬ立場は、いつの間にか入れ替わっていた。
勝つためには、まず彼女の砲弾のような拳を見切った上で、有るかどうかも分からぬ急所を切り穿たねばならぬ。
分の悪い賭けだ。だが、負けるシナリオがあるからと言って、勝ちの目を放棄する訳にもいかない。そんなことをすれば、彼の"刃"の根本に錆がつく。
前へ。前へ。前へ。イメージを続ける。雲の隙間から、月光りが顔を出す。
飛行機雲のように軌跡を描き、巨人が踏み込む。見えている。見えている、のに。
「ハッ……」
足が。……動か、ない。
「――どいつも、こいつも、よぉ」
パキャン、と。卵が割れるような音を残して。
勢いを乗せた巨人の右拳は、あっさりと外野から飛んできた一矢によって"撃ち落とされた"。
「勝手に人を、置いて行きやがってさぁ……!」
ブレードにはまだ、向かい風が流れた先の、青さの残る声の主を見ることは出来ぬ。
だが今、確かに自分たちの方向へと一歩目を踏み出した存在を見届け、ニンマリと口角を釣り上げた。
即座に修復されゆく腕に向け、二矢、三矢めが続けて飛来する。己の脚に、やっと踏み込めるだけの力が篭もる。
「オレは、オレだってなぁ」
砂まじりの風ごと切り裂くように焦げ跡の残る白袖をはためかせ、ブレードは手近な部位を切り捨て、走った。
その後方、彼の背中に照準器を合わせ、唾を吐き捨てながら魔力矢を撃ち続ける重騎士の存在を感じながら。
「〈アルフォース〉なんだぞぉッ!!」
その名こそ、彼に取っての旗なのだろう。
間髪入れずに、左の拳が迫る。今度はもう、ブレードは避けるそぶりすら見せぬ。必要無いと信じていたし、果たして、その通りであった。
両腕を失ったことで、巨人は今度はその足を振り上げて破城槌のような蹴りを繰り出す。紙一重で回避。肌の表面が、ちりちりと燃え立つ。
男が返しざまに巨人の腿を切り裂くのと、魔力で出来た矢が残る軸足の膝を撃ちぬくのは、同時刻で。
「くっ、は、は! 良いなぁ、凄いぞ! 本当に、本当に、なんて世界は――」
仰向けに倒れゆく巨人を背に、笑い声を上げながら振り向いたブレードの表情が、次第に怪訝そうなものへと変わっていった。
目線の先では、アルフォースを名乗る半木精の〈重騎士〉が、その全身金属鎧に似合わぬパステルピンクでハートキュートな弓を引き絞り、狙いを付けていた。
「……どうしたんだい、その武器」
「うるせぇな、何でもいいだろ」
嫌そうな声が帰ってくるところを鑑みるに、本人も不承不承のようであるが。
少し気になって"注視"してみると、なるほど、なんとなくチョイスの理由に想像がつく。
〈魔法弓キスミー・ラヴァーズ〉。深夜配信アニメの主人公少女が持つ、ブレードのヨシツネセットと同じコラボ型商品らしい。
そしてそれは、武器の性能としては控えめな代わり、オンリーワンな特性を持っている。武器種が弓にも関わらず、矢弾を装備できない上に、なんと攻撃する毎にMPが減っていくのだ。
その代わりといっては何だが、何のスキルも乗せない通常攻撃であっても〈無属性魔法ダメージ〉として扱われる。まぁ結局、矢弾による属性相性が弓弩職では重要になるので、一発ネタのオモシロ装備の枠ははみ出せていないのだが。
だが確かに、魔法ダメージであるこれならば流れ弾の心配は要らぬ。こうして考えると、出来過ぎたように今の〈アルフォース〉に適した装備だと言えるのかも知れない……見た目以外は。
「あの商人の子のチョイスかな」
「黙れ。あんまジロジロ見んな」
「そうかい? これはこれで、ラブリーで良いと思うけれど」
「良い訳無いだろ……!」
アルフォースからしてみれば、とんだ藪蛇である。
とはいえ、奔走するクァーティーを捕まえて、街中で扱っても問題のない弓装備を懇願したのもこちらなのだ。
クァーティーが最初からこれを渡さなかったのも、「絶対嫌がると思ったデスから」と言われれば怒るに怒れない。もちろん、盾の防御力を惜しんだのもあるだろうが……
「それに、残念ながらあまり見る余裕も無さそうだ」
〈竜牙兵〉の感覚が、光の巨人がゆっくりと起き上がってくる気配を捉えた。
まったく、終わりの見えない再生である。"戦闘"なるものに飢えていただけに、嫌になるということは決して無いが、そんなブレードでも途方も無さは感じられた。
体を起こしきる前にせめても一撃入れるべきかと、再び刀を構えかけた所で、小脇にウィンドウが表示される。
「おい、パーティプレイだ」
「うん?」
「別にオレだって、好きでお前を助けたかった訳じゃない。前衛が要るんだよ。
……お前の凄さは、認めてやるさ。でもな、オレたちにだって"システム"というルールがある」
クリティカル特化、即死特化のステータス構成で、さて、いったい一発何ダメージ出るものか。
武器やLvを考えるに、恐らく一撃数百ダメージもあれば良い方か。"ミラージュ&ビジョンズというMMO"では、それもまた一つの「現実」なのだ。
「お前が"前衛"、オレが"後衛"。パーティを組んで戦って、"敵"を"倒す"。
……付き合って貰うぞ、アイツを止めるんだからな」
「僕にパーティに入れと? 生憎、あまり経験は無いんだが」
「安心しろ、オレもだよ」
アルフォースとて、クァーティーと会う前は生粋のソリストであった。
とはいえ、ブレードほど世情と隔絶したプレイをしていた訳でもない。〈霊剣士〉だったころには、何度か臨時募集の看板を掲げたこともある。
ペアの動きの要点くらいは抑えているつもりだ。どこまで役に立つかは、相手次第だろう。
「アンノウンだかなんだか知らねぇが、要は……あいつは、〈エネミーMOB〉なんだ。
MOBなら、倒せる。だけど〈MOBの倒し方〉じゃないと駄目だ。多分、そういうふうに出来てる」
「……なるほどね、分かった。あれはつまり、僕らに対するデータそのものか」
それは、「アバターたちは意思疎通を"会話したもの"として認識している」という話の延長線でもあった。
アバターが〈攻撃〉し、"システム"的に物が切れたという結果が生まれ、それを逆算して目や耳が「アバターが物を切った」ように錯覚して認識する。
料理も、錬金も、過程は変わらない。どうしても誤魔化しきれぬ部分は謎の発光現象によって目をくらまされ、結果に至るまでを各々が補完する。
世界の上に覆いかぶさった、もう一つの現象法則。アバターたちを司る、謎の"システム"。
――ブレードが声高に主張したかったのは、まさにその因果逆転の滑稽さについてだ。
折角の異世界に辿り着き、現代日本とはまるで違う能力を手に入れて、なおアバターたちはシステムの恩恵に縋り付き、あるいは目を逸らしてでも「努力」という選択肢を捨てている。
下らないなどと思うよりも先に、もったいないという意識があった。この世界では、矢を弾ける。鍔迫り合える。戦闘の、息を呑む駆け引きをすることができるのに。
そう、この世界には今や2つの"現実"があるのだ。M&V時代そのままの、MMOとしてのデータの変動で起きる"現実"と――この世界元々の人々が生きる、剣と魔法の"現実"!
ブレードが飛びついたのは、まさに後者だ。攻撃の結果ダメージが通るのではなく、刀を振り、相手に当たり、その応力によって物体が切れる世界に生きたかった。
だが。だが――確かに、システムとそれに付随するデータ類も今、この世界を動かすものとして存在するのである。"切れ"はしないが"ダメージ"は通る存在が、この世に産声を上げたのがあの巨人だとすれば。
「そりゃあ、僕の刀で切れる筈も無い。君の案に乗るしか無さそうだ。
……皮肉だなぁ。仮想を捨て去った筈のこの世界で、初めて誰かとパーティを組むことになるとは」
「『現実が2つ』だ。そういうこともあるだろうよ。……どっちが優れてるとかじゃねーんだ。
この世界は現実で、でもオレたちも確かに『ゲームという現実』の中に居たんだよ」
そして、混じり合った。そこで何が起きたのかは知る由もないが、結果としてそうなった。
ブレードは薄く笑いながら、視界の脇に表示された「OK」ボタンを叩く。
アバターという存在が、2つの世界にどう影響しているのかは分からない。あるいは奇跡的に、均衡を保った結果として今の状況があるのかも知れぬ。
どちらにしろ変わらないのは、5000人強居るアバターたちが、しばらくこの混沌とした状況の中で過ごさねばならないと言うことである。
ウェザールーンに生きる人類種たちもまた、アバターたちが持ち込んだ数々に対し、やがて納得と適応を強いられて行くだろう。
……対する日本と、地球世界は? それをアバターの立場から確認することは難しい。だがやがては、安穏としていられなくなる時が来るのかもしれなかった。
「とにかく、少しの間こちらに手を出させるな。お前の一撃とは比べ物にならない奴を喰らわせて、頭を冷やさせる」
「そこまで言うからには、期待させて貰うさ」
「あぁ、安心しろ」
見栄をはりきり、アルは呼吸を整えた。
DEX=INTの2極振りは伊達では無い。愛用する〈ドレッドノート〉じゃ無いのが残念ではあるが、このやたらとハートフルな弓でも充分なダメージは出せるだろう。
何度も口にしたその文言を、もう一度心の中で唱える。これは、言わば宣誓だ。
自らの中に憧れの"騎士"が居ることは、少なくとも現実に違いないのだから。
「オレは〈アルフォース〉だ」
その途端、負けず嫌いの光の巨人が咆哮を上げる。
間髪入れず、剣士が駆け出して、少年たちの戦いが始まった。
本日はもう一話更新します。




