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千鶴の父の謎

 ぞろぞろと千鶴の家から出た生徒会の連中は、もうすっかりストーカーの存在を忘れたように、夕暮迫る空に向かってあくびをしたり背伸びをしたりしている。もし俺がそこにいたら、もう恥ずかしくて逃げだしていただろう。


「ああ、なんだか驚いたり感動したりして疲れちゃったわ」

「ほーんと。まさか千鶴ちゃんが、ふたりいた、なんてね」

「わたしちっとも気がつかなかったよ」


 妃乃と千佳と真琴はそれぞれ何かに解放されたかのようにのびのびと、そして清々しいというふうに軽い足取りだった。まあ譲二はニヤニヤしながら歩いてる。きっと女の子たちのエキスを充分に堪能したんだろう。死ね。


「ところで達樹くん、千鶴ちゃんの家に残ってなにすんだろ?」


 そう真琴が言ったので妃乃がさっそく不機嫌になった。


「ああ?そりゃ千鶴のお父さんが帰って来たから、なんか話すんじゃないのっ!?」

「妃乃ちゃん、なんか乱暴だよ?いつもの妃乃ちゃんらしくないよ」

「はあ?わたしはいつもこうよ!いっつもこう!おかしい?」

「ひー、こわいよー」

「ちっ。わたしたちに帰れって、まったくあいつときたら…ああ面白くないっ!みんな!これからカラオケ行くよ!」

「ひいいいい」


 これからこいつらは妃乃に三時間は拘束されるだろうな。お気の毒に。


「娘が世話になっているらしいね。礼を言う。なにぶん、転校そうそうで学校にも馴染めるか心配してたんだ。でもそれも杞憂だと知ってうれしいよ」


 そう深々と頭を下げた男が、千鶴の父親だ。すでに上着は脱ぎ、ネクタイを取ったシャツ姿でソファーに座って俺と対面している。ちょうど母親も帰って来たところで、さきに母親の方は俺とあいさつし、千鶴とキッチンにこもっていた。なんかいい匂いする。


「世話、というほどではありません。俺は生徒会の役員で、それが役目だからです」

「それだけ?」


 チラ、と疑いのこもった目をされたが、俺はかまわずに言った。


「いえ、あと友だちにもなってもらいました」

「それは娘のほうから?」

「友情というのは、個人の偶然と必然の合わさったものと認識します。出会いがあっても、そのどちらが欠けいては、友情には結びつかないでしょう。だからそれは、だれかのほうからという偏った流れではないんです」


 ふう、と千鶴ちゃんの父親は少し大げさに息をした。品定めはわかるが、やはりどうにも人を疑った目の色は消えてない。


「きみは哲学的でそして純粋に友情を語るね。個人を強調するのは、それはキュルケゴールの影響かな?」

「そんなたいした者ではありませんよ。俺は純粋に楽しく学園生活を享受し、楽をして生きて行きたいと願う小さき者です。そういう意味では俺はエピクロス主義者なのかも知れません」

「ふふ、まあいいだろう。それで、娘の()()に気がついたってことは、ずいぶんたいした快楽主義者さんだ」


 これではっきりした。この父親は娘のBPDを知っていたんだ。


「知っていて、放置してたんですか?何の治療も受けさせないで」

「それはそっくりきみに返すよ。で、どうだった?娘は病気だと思うかい?」

「ちょっと変わったところがあるけど、ふつうの女の子ですね」

「ちょっと変わったとこ、か。そうだね、なかなか…そんなことを言う人間はいなかったな。ありがとう、達樹くん。あらためてお礼を言う」


 そんなとき、千鶴ちゃんと母親がこのリビングに入って来た。母親がなんか大きな皿を抱えてる。


「千鶴が友だちなんて…小学生以来なんですよ。さあ、お粗末ですけど召し上がって」

「ママったら…。でもママの作ったちらし寿司は最高なのよ。遠慮しないで食べてって」

「いや俺、もう帰らなくちゃ」

「食え」


 千鶴ちゃんの表情が一瞬かわった。ちょっとおっかない雰囲気だけど、まあ、許容範囲、かも。


「い、いただくよ」

「うれしいわ。ジュース飲む?」

「あ、ああ…」


 そう言って、嬉しそうに千鶴ちゃんはキッチンに行き、すぐに戻って来て俺にジュースを差し出した。やっぱりジョッキだった。他を見ると、父親も母親も千鶴ちゃんもふつうのコップだ。いやこれって、なに?


「それより、何か特別な話があるんだろうね…」


 ちらし寿司を食べながら千鶴ちゃんの父親は俺にそう聞いた。いかにも朗らかそうにしているが、目は笑っていない。警戒してる?いや、これからする話につきまとうであろう嫌な因縁への緊張感だからだろう。


「特別、といったことではないですが、ですが非常に重要なことだと思います」


 うー、ちょっと酢が効きすぎてるかな?それに甘い。俺はもうちょっと具材の味が楽しめる程度の味付けがいいんだが…などと考えている場合じゃない。大事なことを聞き出さなきゃな。


「重要?どういうことだね」

「あなたがこの楡崎市にやって来た理由です」

「理由?そりゃ仕事の関係だから…」

「仕事、つまり新帝和銀行…大手の銀行の楡崎支店長としてあなたは赴任しましたからね」

「どうしてそれを!千鶴、おまえが教えたのか?」


 驚く顔で父親は千鶴ちゃんを睨んだ。どうやら不都合がちょっぴり混じっている気配だな。


「ううん、教えてないよ、パパ」

「じゃあどうして…」


 俺は一気に俺の皿に盛られたちらし寿司を平らげた。そうしてジョッキのジュースを飲み干すと、目を据えて千鶴ちゃんの父親を見た。


「いいですか?俺の親父は酒屋の店主です。吹けば飛ぶ自営業です。だから経済には敏感なんです。まして金融、銀行ともなればなおさらです。どこどこの会社の社長が代わったとか、どこどこの工場長が代わったとか、知らなけりゃ生きていけないんですよ、この地方都市じゃ。だからその地位を捨てる覚悟じゃないと、とても逃げられません」

「逃げる、だと?どうしてそんなこと…」


 そう言って千鶴の父親はジュースを俺と同じように飲み干した。まあそっちはコップだけどね。


「これは憶測ですが…」


 そう言って俺は少し考えた。このままこの家族に踏み込んで行っていいのか、と。なんの関係もない俺が、ひたすら平穏を願い、そして静かに暮らそうとしている者たちの中にと…。だが仕方ない。それが誰も傷つかない、唯一の方法なんだから。


「俺の姉貴はね、東京でテレビ局に勤めているんです。報道局、知ってるでしょう?まあ下っ端ですけどね。それでもいろいろ教えてくれたんです。もちろん報道されていることと、されていないことと。知ってますか?テレビで報道されてることって、ほんのわずかなことなんですよ。その、報道されない、ごく小さな情報がとんでもなくすごい量あるってこと。まあそのほとんどがスポンサーがらみとか政府関係とか、そんなグレーな色した事実なんですけどね」

「つまり、わたしのことも知っていると?」

「あなたは不正融資に絡んだ銀行の不正を正した。まあそれは褒められるべきものです。だが融資先であった、不正を働いて儲けていた会社はどうなったんですか?とうぜん裁かれてしまいますよね。でもそのため職を失ったり、路頭に迷う人もいたんでしょう?まあ自業自得といえないこともないんですが、それでも、逆恨みするやつは出てきます。仁科晴彦もそのひとりですね?」

「そ、その名前は…どこから…いや、そうか…何もかも知ってるのだね」


 何もかもなんて知らんけどな。姉貴さえちゃんと教えてくれなかった。まあそんなのは断片を組み合わせて行けばすぐわかるんだぜ。


「そいつが執拗にあなたを狙っている。違いますか?」

「あ、ああ…」

「脅迫され、命を狙われ、やむなくこの楡崎市に転勤してきた。なんでわかるかって?大手銀行じゃこんなちっぽけな市に転勤って、そりゃ左遷ってことですからね。だがあなたは銀行を救いこそすれ、左遷される立場じゃないです」

「そこまでわかっているのか…。たしかにそうだ。そしてここはわたしの母がいるのだ。母の面倒を見る、ということがここを選んだ理由なのだ。もう説明はいいだろう?」

「もうひとつだけ」

「なんだね?」


 これが肝心なことなんだ。これさえ聞ければ、みんな不幸にはならない。


「まだ脅される、あるいは命を狙われているんですか?」

「なっ…」


 父親は言葉を詰まらせた。そして妻と、娘の千鶴ちゃんを交互に見つめていた。そうして、観念したようにうなだれ、首を縦に振った。


「ああ、そうだ…」


 ああこれは参ったな。誰も不幸にならなけりゃと思ったけど、どうもそうはいかないみたいだ。まあいいさ。これは戦いだ。誰もが幸せになんかなれないゲームだ。ならとことん、悪者には犠牲になってもらおうじゃないか。


「いい食べっぷりじゃない。うふふ、まだあるよ、達樹さん。あ、わたしたちだけのときは達樹って呼んでいい?」

「いや、ちらし寿司ももういいし、呼び捨ても…」

「食え、達樹」

 

 うわあ、これ本性かな?やっぱ心療内科かを受診…言えねえ…。こりゃまるで表は白い千鶴ちゃんでこっちは黒い千鶴ちゃん、て…あっ、そんなに盛らないでえ!


「仲がいいな、おまえたちは。あっはっは」

「お父さあん!」

「いやまだそう呼ばないでくれ」

「やめろこの会話」


 はやく帰りてえ…。

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