3話
誰かが俺を呼んでいる──。
覚醒にはまだほど遠い。
まぶた越しに感じる日差しに、意識がじわじわ戻っていく。
……空だ。
雲が見える。
青い空に白い雲、いい天気だ。
ぽかぽかして、心地いい──。
そんなことを思っていたら、急に目の前が陰る。
そして、視界に飛び込んできたのはパンツだった。
青い空に白いパンツ、良い天気だ。
ぽかぽかとしていて……
「白か。」
そう言うといきなり顔面を踏みつけられた。
「ぐぇっ」
「娘のパンツを見て何言ってんだ! 無事なら早く起きなさいな!」
「パンツの色だなんて一言も言ってないだろ!雲の色の事を言ったんだ! 無事を確認する前に人の顔を踏むんじゃないよ!」
「それだけぎゃーぎゃー騒げれば大丈夫ってことぐらいわかるよ、このバカチンが!」
眼の前の少女はもう一度俺の顔を踏もうとする。
俺は慌てて飛び起きて距離を取った。
「親に対してなんて事しようとするんだよ!」
眼の前の少女は、やれやれといった顔を浮かべている。
眼の前の少女……先程の会話からして我が娘であろう事は想像できる。
出来るんだが、彼女には普通の人間にはついていないものがついていた。
猫耳と尻尾だ。
俺の娘には猫耳なんてないし、くねくねと動く尻尾もない。
手には肉球……は無かった。
「皐月ちゃんなのかい? どうしたんだい、その耳は?」
娘と周りの景色を交互に見る。
俺の家に娘が遊びに来たってわけではなさそうだ。
何せ、周囲は近代的なものではない、いわゆる「なろう小説」やらファンタジーもので良く出てくる中世ヨーロッパを思わせる建物が並んでいた。
そしてその並びは記憶にあるものと一致している。
どうやら俺はその街中の通路、石畳のど真ん中で寝ていた様だ。
町行く人々は何があったのかと怪訝な表情でチラチラと視線を送ってくる。
その多くは背丈が高くスラリとした風体で、ファンタジーに慣れ親しんだ日本人ならエルフだと認識するような長い耳がついている。
その他にも少数だが人間と思われる人達や娘と同じように猫耳を生やした女の子がいた。
ここは……日本ではないのだろう。
というか地球でもないんだろう。
「さて問題です! ここは一体どこでしょう?」
皐月は興奮した様子で鼻の穴をピスピスと膨らませている。
尻尾もクネクネとよく動く。
娘は猫初心者のはず……尻尾が動くのは無意識なのかな、後で聞いてみよう。
皐月の隣には銀髪の女の子が腕を組んで立っている。
レティだ。
少し紅潮していて誇らしげ。
自分の姿は鏡もないので確認は出来ない。
だが、自分の耳を触ってみると、そこには人の耳とは違う、少し先の尖った長い耳がある。
これはリファインファンタジーのエルフィニアという種族の特徴だ。
そして皐月の見た目はフェイリス。
手先が器用で敏捷性が高く、弓の扱いや体術が得意な種族。
はっきりとは覚えていないが、さっきゲームの中でみた皐月のキャラクターはフェイリスだった気がする。
なるほどなるほど、そういう設定か……
「アーフェンクライン帝国なのね、ここ」
「正解! 父ちゃん、鋭い!」
感情とリンクしているのか、ピコピコと耳と尻尾を動かす皐月。
わが娘ながら可愛らしい。
「まいったよ、神様だなんて。 冗談じゃなかったのか」
皐月の隣にいる銀髪の美少女、レティに話しかける。
「何言っとる。 ワシは生真面目で冗談どころか嘘一つ言わんわ」
「今、まさに嘘をつかれてるんだが?」
「どこがじゃ?」
「生真面目ってところ」
「そっちか! 普通は嘘一つ言わない方をいうじゃろ!」
全く、ノリの良い神様もいたもんだ。
「で、本当にここはアーフェンクライン帝国なのか?」
「多分じゃけどな。 しかしヌシらのおった世界とは違う、異世界というのは間違いないわ」
自称ではなかった神様とやらはそう宣う。
「ワシも帰ってきたのは久しぶりじゃからの。 昔おった時より1000年ばかし経っとる。 すでに帝国ではないのかも知れん」
「千年前というと平安時代ぐらい? そのわりに進んでないな。 スマホとか無さそう」
「レティのいた時代が紀元前だったとかじゃない?」
「なるほど。何でも自分中心に考えると幅が狭くなるな」
「まぁ、そんな感じなんでの、ここが確実にアーフェンクライン帝国なのかはわからん」
小さい頃から漫画やアニメが好きで慣れ親しんでいた。
だから信じられないと思いながらも、状況を理解するのは簡単だ。
まさか自分が異世界に転位するなんて驚きはしたけれど、頭は思いの外に冷静で現実的な問題の方に考えを巡らせていた。
「レティが神様で、ここが異世界ってのは……まぁ、よしとしよう。だけど、皐月を連れてきたのはいただけない」
皐月は高校生だ。
これから先、色々な未来と世界が彼女には広がっているはずだ。
間違っても、それは異世界じゃない。
俺一人ならまだしも、娘まで巻き込むのは完全にNGだ。
「ちゃんと元の世界に戻れるんだろうな?」
正直、俺がいなくても世界は回る。
そして俺はどこかで生きていければ、地球でも異世界でも別にいい。
でも娘は別だ。
たくさんの可能性がある。
ここでそれを潰すわけにはいかない。
「大丈夫じゃ!気にせんでえぇ!」
「意味不明に態度がデカすぎて不安しかない!」
「この世界はの、ゲームの世界と同じように時間の進み具合が違うんじゃ。50倍ほどヌシらの住む世界よりも早い。」
「えっ、そうなの?」
こっちに2ヶ月ぐらいいても元の世界では1日ちょい過ぎたぐらいってことか?
ってことは……
「つまり……」
ゴクリと唾を飲む皐月。
なるほど、と言いたげな顔をしているが、微妙に目が泳いでいる。
わりと単純な話をしているんだが、ウチの娘、ひょっとしてバカなの?
フェイリスの種族の特性ですこし他の種族より知性が低いからそれにひっぱられたとかか?
「娘っ子はだいぶ頭の方がアレっぽいの」
レティの憐れむような視線が、どうやらそうではないらしいことを示していた。
何故バレた!っていう顔を浮かべる皐月。
父として悲しい。
仕方なく足りない脳の持ち主に対して、優しく丁寧に説明してあげることにした。
「向こうは7月入ったばっかりぐらいだったでしょ? ちょっと学校残ってるけどもうすぐ夏休みだ」
「うん」
「新学期開始が8月の後半? ざっくり2ヶ月としよう。 それだと8年ぐらいこっちにいても、元の世界だと夏休みが終わるくらいってことになる」
「おぉお! 8年もあればウチも大人の女性に……帰った時にクラスの男子高校生がウチの大人の魅力に耐えられるかしら!」
遅蒔きながら理解が追い付いたようでテンションを上げる皐月。
頭の悪そうな発想がこちらの生活の中で修正される事を願うばかりだ。
「レティ、8年くらいで娘が向こうに帰還できる目処がつくってことでいいのかい?」
「多分の……」
「さっきのドデカい態度は何処にいったんだよ!」
「まぁ、それぐらいあればそれなりに力も戻っとるじゃろうし……」
先行きが不安すぎるが、今さらどうこうできるわけでもないらしい。
仕方ない。
とりあえず、目先の問題を考えよう。
──とりあえず仕事だ。
食っていける手段を探さないと。
餓死は笑えない。
親として最低限、娘を養う責任がある。
この世界の文化、常識、通貨、生活事情……把握することが山ほどある。
その辺りからちゃんと調べていかないと……
異世界転生モノって、もっとお気楽だったような気がするんだけどなぁ……




