19話
朝霧が薄くたなびくトレアの風穴の周囲には、昨夜の焚き火の残り香が漂っていた。
アーシェは日の光を浴びながら大きく伸びをして、笑顔で剣を振るう。
「うぅ〜ん、体が軽い! 今日も頑張るわよ!」
昨日の戦いの余韻にまだ浸っているのか、ステップひとつひとつにリズムがあり、躍動感がある。
戦うことが楽しくて仕方がない、そんな空気が彼女の全身からにじみ出ていた。
一方、アインはその場に膝をつき、ゆっくりと剣を鞘から抜く。
顔には疲労というよりも迷いの色が濃い。
「アイン、準備できた?」
アーシェの声に顔を上げるが、返事はない。
彼は剣と盾に視線を落としたまま動かない。
その姿は、まるで自分自身の選択を問い直しているかのようだった。
「昨日も思ったけどさ、やっぱり戦うのって楽しい。 強くなっていく実感は自分の可能性を広げていく感じがするわ。」
「……」
アーシェの明るい声が、アインの沈黙に吸い込まれる。
同じ戦場にいても、感じるものがまるで違う。
迷いの中、アインは自分の戦う意味にまっすぐ向き合うことがまだできていなかった。
朝の戦いが終わり、風穴の広間は、戦いの残り香と湿った空気に満ちていた。
火トカゲの死骸があちこちに転がり、熱を失った体から立ちのぼる蒸気が、陽光をぼんやりと歪めている。
「ふう……」
アインが肩で息を吐く。
その背後から、さっきまで跳ねるように戦っていたアーシェが軽快に駆け寄ってきた。
「戦うのって気持ちいいよね。なんか、こう……自分の輪郭がはっきりするっていうかさ」
その言葉に、アインは振り返る。
彼女の頬には土の跡がついていたが、それすら清々しい笑顔に変わっていた。
「なあ、アーシェ」
「ん?」
「どうして……冒険者になったんだ?」
問いかけるアインからアーシェは視線を外す。
風穴の天井の裂け目から、真っ直ぐな光が差し込んでいた。
「……これはね、たぶん夢なんだよ。わたしにとって、冒険者って」
「夢?」
「うん、ほんのちょっとだけ長い夢。ほんとは……やらなきゃいけないことが他にあるんだ。それはとても大切なこと」
そこには、冗談のような口調と、どこか現実から一歩引いたような冷静さが同居していた。
「誰のためでもない、私の選択。だから、夢の中でちょっと寄り道してるだけ。……今はそれを楽しんでるって感じかな」
アインはその横顔をじっと見つめた。
アーシェの明るさの奥に、力強い決意を感じる。
それはアインの中には無いものだ。
あるのは借り物の想いだけ。
「人から求められる人物像ってあるじゃない? 人はそれから無縁ではいられない。 けど、やっぱり自分は自分だから……胸を張って生きたい」
「そう、だよね……」
アインの声は、ひどく小さかった。
「僕には、やらなきゃいけないことがあって。 それは僕に求められた事なんだ。 僕は、それに……答えたい」
そう言って、アインは自分の手を見つめた。
「じゃあ、そんな辛そうな顔で下を向いてないで前を向きなよ」
アーシェは少し微笑んで、そっとアインの肩を叩いた。
「まずはそこからだと思うよ。」
その声は軽やかで優しく、それでいて芯があった。
アインは目を伏せたまま、黙って頷くのだった。
昼飯の鍋が空になり、皆のお腹を十分に満足させた。
ローザがよく食べるので鍋は3つ。
ちなみに2つがローザ用だ。
5人の食事を一つの鍋で満たせているわけだ。
言っている意味がわかるかい?
ちなみに食べ終わるのも彼女が一番早い。
食事が終わって可愛らしい唇をフキフキしている姿は本当に愛らしいんだぜ?
まぁ、アーシェとアインはドン引きを超えて戦慄していたけどな!
「午後からはパーティー戦の実践練習をしよう。」
俺からの提案でアーシェ、アインの二人がメインで戦うのではなく、全員で戦う。
個人ではなくチームとしての動きを理解する為だ。
せっかくパーティーを組んだのだからアーシェには冒険者ライフを満喫してもらいたい。
「では、本日の先生をお呼びします。 先生、よろしくお願いします。」
「うむ、本日の講習を担当する戦術戦略コンサルタントのレティちゃんじゃ。 崇めて拝めや、若人達」
「わーーー」
アーシェの賛辞がレティへと送られる。
何のアクセントもつかない感情も感じさせない心のこもったやつが。
「昨日、今日で火トカゲとの戦闘にも慣れたと思う。 なのでここからは戦闘中も口出しして動きの修正をしていくんで、よろしく」
少し真面目な口調で二人に緊張感を持たせる。
今までアドバイスは送っていたが、それが本格的なものになる。
二人はまだわかっていないんだけど、レティの指導は本当に厳しい。
頑張って今日の午後を乗り越えて欲しい。
――
「違うといっとろうが! ミルズが前二匹を見とるじゃろ、そこは任せてあっちに走るんじゃよ!」
「そこの一匹の処理が遅れると全体の動きが滞るんじゃ! しっかり決めんかい!」
レティの怒号が飛ぶ。
アインもアーシェも息も絶え絶えで動きが止まり始めた。
「ヌシがそこで止まったらローザが囲まれるんじゃろが! わかったらさっさと走れ!」
自分自身で好き勝手に動くのと敵と味方が入り混じっての戦いの違いに二人ともついていけない。
走っている距離自体は似たようなものだが、頭を使うと疲労度は劇的に上がるのだ。
周囲の状況判断と次に取るべき行動、これの連続に頭がパンクする。
とうとう完全に動きを止めてしまったので、一旦残った敵を俺たちで一掃する。
二人とも仰向けに寝転がり、大きく胸を上下させる。
頭の中は空っぽになり、肺に空気を送り込むことが急務であると身体が判断している。
「どうじゃ、少しはすっきりしたかいの?」
未だ呼吸も整わないアインにレティが話しかける。
声を出すこともできず目線だけで返事をするアイン。
「ヌシが何に迷っとるか知らんがの、こういう時は限界まで身体を動かすのがえぇんじゃ。」
案外というか、肝心肝要なところでレティは抑えるべきところを抑えている。
周りを見ていない様に見えて、あれでちゃんと気配りできるやつなのだ。
「幸せも不幸も満足も後悔も……全ては自分の選択。 全ての感情は自分のものと知れ」
「自分の選択……」
皆、それぞれの考えをアインに伝える。
何かしら力になってあげたいという気持ちは彼に伝わっていると思う。
後はアイン次第だ。
せっかく仲間になったのだから、その選択を見守ろう。
出来ればその先も一緒に見つめていけたらいいなと、そう思うのだった。




