7話「期待を込めて放牧」
「……ふむ」
ディアマントは目を伏せた瞬間、独特の『予兆』を感じて執務室にしている広い部屋の中で小さく声を漏らした。
何かが起こる。大なり小なり、自身に関係があろうがなかろうが、所謂虫の知らせのようなものを受けることが度々あった。
長年の経験則で、どうせ大したことはない些細な歪みだろう────そう思いながらも、一応はと愛用している水晶玉を取り出す。
水晶に手を翳すと、ぼんやりと思念と予兆の残滓を纏った光景がディアマントの瞼の裏に浮かぶようだった。
「……ヘルソニアをここへ」
「かしこまりました女王陛下、お待ちくださいませ」
近くに控えていた従者に声をかけると、新しいおもちゃでも見つけたかのような心持ちで背凭れに寄りかかる。
ディアントは機嫌良く自らの白銀の髪を指先で弄り、机の上でゆったりと転がる水晶玉を眺めていた。
「失礼いたします。お呼びでしょうか陛下」
ガーネの旅立ちの日の、出発の数時間前の出来事。
それは女王の執務室にて彼女が受けた、一つの『予知』であった。
*****
「……すげーな、『当座の資金』でこんなに貰えんのか」
女王より与えられた指輪に鎮座する立派な宝石が、親指で存在を主張するように窓から差し込む光を反射して輝く。ある意味では指輪の宝石よりも輝かしい女王直轄の人間である事を証明する、特別な魔法印を施された『金庫証書石』が示す金額のゼロの多さに思わず額を押さえた。
新米とはいえ、警察官の自分の給料も決して少なくはない。それを軽く凌駕する金額に深く溜息を漏らした。
真面目に働くのが多少バカらしくも感じる。しかし、それ以上にこの金額が物語るものも理解はしているつもりだった。
いつ、本来の警察官の業務に戻れるかはわからない。
女王や側近が探し出せなかったものを探せという、半ば無茶振りに近い命令。
そして、実際のところはどうなのか甚だ不明ではあるが、女王や側近が数千年手を下さずにいる件の『異端の均衡者』と対峙する可能性が多分にある。つまり下手をすると普通に命が無い。
その辺を考慮すると、決して安くはないが正直高くもない金額なのかもしれない。
「……とは言え、死んだら宝の持ち腐れだよなぁ」
死ぬ前に散財してもいいか、と、いつもの調子で楽観的に考えながら意外と薄いカード形状の金庫証書石を警察手帳に挟み、いつもの様に懐のポケットにしまい込んだ。
「ガーネ様、こちらのお召し物はお預かりしておいてよろしいでしょうか」
庶民であるガーネは身支度等の介助は特に必要も無いが、女王達が当たり前のように城に逗留している間の側仕えを配置してくれており、彼女の仕事を奪う訳にもいかないかと多少の世話は任せていた。その使用人であるメイド服の女が、登城した際にガーネが着用していた正装用の制服に丁寧にブラシを掛けながら声を掛けてきた。
この一室は女王のどういう意向なのか、ガーネに宛てがわれた部屋として今後も残しておくらしく、元々そこまで持参していなかった荷物は部屋に置いておくことになった。
「……つまるところ、『檻付きの自由』、って事か……」
女王の『厚意』を、曲解かもしれないが当たらずとも遠からずだろうとそんな判断をして小さく呟く。その独り言はさすがに侍女には届かなかった様子で、小さく首を傾げて「ガーネ様?」と名前を呼ばれる。
「あー、えーとそっすね、じゃあその制服は置いときます」
「こちらはお持ちになりますわね?」
「うっす、その辺は……護身用で」
大きなクローゼットに制服を掛けられ、預けていた警棒と拳銃がベルベットの敷布があしらわれたトレーに載せられてガーネに差し出される。
肩に装着したショルダーホルスターには拳銃を、そして腰のホルスターには警棒を納めて上衣を羽織る。
鏡に映る自分の姿形だけ非常にご立派な様子に、ガーネは盛大に溜息を吐き出した。
改めて、叙任により一般の警察官という身分から女王直属の配下という立場を与えられた。
それを示す官服と指輪、そして阿呆の極みのような金額の金庫証書石。
これらを見れば、どこからどう見ても『女王様のお気に入り』だろう。
大出世である。
「さてと…じゃあ、俺はそろそろ行くんで。エナちゃん、お世話ンなりました」
「とんでもないことでございます。お部屋はしっかり整えておきますので、お疲れの際はいつでもご帰還を」
エナと呼ばれた侍女は恭しく頭を下げてガーネを見送る。
ひらひらと手を振って部屋のドアを開けると、開けた先ににっこりと笑みを携えたヘルソニアが待ち構えていた。
「……お、おはようございます…」
「おはようガーネ。本日はいよいよ出立の日だな。陛下より一つ仕事を賜っておる、部屋に戻れ」
「欠片の捜索に異端のなんとかの他にまだ仕事が??」
強制的に部屋に戻され、何度目かわからないヘルソニアと二人きりの空間。
ガーネは正直、この掴み所のないヘルソニアが苦手であった。女王の圧倒的なカリスマ感も押し潰されそうな独特の威圧感があるが、ヘルソニアはまた少し異質な圧迫感があった。
対面したテーブルの上で指先を組んで妙ににこやかにガーネを見つめるのと相反して、ガーネはすっかり緊張で縮こまるように膝の上で指を固く握っている。そんなガーネの様子を知ってか知らずか、さして気にも留めた様子もなくヘルソニアは一枚の地図をテーブルに広げ、細く長い指で一点をとんとんと指し示した。
「……ここは?」
「王都から馬車を飛ばして半日、といったところか。街道沿いの宿場町だな。女王はとある『予知』をなさった。この町で事件が起きる」
「……、…事件?」
事件、と聞くと無意識に身体が反応した。
「其方は一応、『警察官』としての身分は凍結扱いとなり『女王直属の配下』である。しかし、状況によってはその身分を隠す必要が生じる可能性もある。時と場合にもよるが、警察官として働くこともあるだろう」
「それは、まぁ…やぶさかではないですが」
「よいかガーネ。ディアマント様だけではない、私も其方には期待をしている。頼んだぞ」
ヘルソニアはガーネに地図を差し出してから立ち上がると、ぽんぽんと肩を叩いてそのまま部屋を出た。
期待、と言われ、悪い気はしなかった。しかしそれなりに重圧もあるため、ガーネはなんとなく胃の痛くなるような思いだった。
「…エナちゃんエナちゃん、出かける前に胃薬何日分か用意してもらっていい?」




