17話「残響、紅を帯びて」
「君の奢りだ、遠慮なく食べろ」
「はぁ?……いや、まあ別にいいんだけど…」
数時間前に一言二言やり取りしただけの女と城で再会し、よくわからないうちに連行されて適当に入ったレストランで対面して座ると、女はメニューをガーネに手渡す。
ガーネは一応差し出されたメニューを受け取って開いては見たものの、いつものような目移りではなく文字の上を目が滑るように流れていった。
────食欲が無い。空腹感はあるが、それ以上の喉の奥のつかえや胸の詰まりにとても食事が入るような気配はない。
ガーネのそんな思いを知ってか知らずか、「もう面倒だから適当に頼むよ」と文字通り適当に注文を通す。
比較的すぐに食事が運ばれてくると、女はそのまま無言で食事を始めた。それはまるで『食事』というよりも、『生存に必要な栄養を最低限の行為で仕方なく取り込む』ようで、妙にガーネからは浮いて見えた。
配膳された食事に手をつけようとしないガーネを見ると、女は眉を寄せながらスープ皿をついっと押しやってきた。
「……さっさと食べたらどうだ」
「あー、……はい」
仕方なしにスプーンを持ち、スープを一匙掬う。口に運ぶ。
その単調な行為を形式的にパフォーマンスし、口に入った少し冷めたスープを飲み込む。そしてまた、手が止まってしまう。
呆れを含んだ吐息を漏らしながら、女はようやくフォークを置いた。
そしてガーネの顔を品定めするようにまじまじと見つめながら、頬杖をつく。
「禁書庫のお許しはどうやらもらえなかったようだな」
「…な、……んで、それを」
徹底的に無駄を省くかのような、単刀直入かつ端的な指摘にガーネは面食らった顔で正面の女を見る。
────この女、どこまで『知って』る?
ガーネの心の内を知ってか知らずか、女は食事を再開してパスタをフォークに巻きつけて口に運んだ。
「…つーか!今更だけどアンタ誰っつーか何者!?」
「何者って…ただの遺物研究者?」
明確な答えを与えないところまで、まるでどこかの女王のようだった。
女は改めてガーネに視線を向けると、自分の口元を指差しながら肩を竦めて目を細めた。
「私は『女王のお気に入り』の『お手付き』には関わりたくない。面倒事に私を巻き込まないで欲しいんだけど」
「はぁ?どういう意味…、ッ!」
言われている意味がわからなそうに、女の所作に倣って無意識に自分の口元に触れる。
唇が切れて出血している訳ではない赤が指先に付着した。それが女王の唇を艶やかに染めていた紅だと気付くまでは、そう時間はかからなかった。
明確な所有印のひとつのように主張する赤に、彼女が飲んでいた葡萄酒の独特の苦味と渋みと芳醇な香り、葡萄酒ではない女王の甘い香りと、柔らかな唇の感触と舌先の感覚が想起される。
得体のしれない恐怖感に全身が粟立ち、唇を塞がれて奪われる服従の息苦しさに息が詰まる。なのに、言いようのない高揚感のような、胸の高鳴りがアンバランスにガーネの内側を侵食していく。
「…ハァ。君はさ、何も知らないね」
「……」
「さっきも言った通り、私は忙しい。君の面倒に巻き込んで欲しくない。…が、このまま突き放しても君は性懲りも無く私のところに来そうだからね」
何か少しだけ譲歩しそうな含みを持たせた女の言い方に、ガーネは顔を上げて口を開いた。
「じゃあ、アンタに禁書庫の」
「それは無理。…あそこは、『均衡』に関わる。私も自由に出入りできる訳ではないし、特別な時だけ許可が降りるんだ」
しれっと禁書庫への立ち入りを女に打診しようとしたガーネの言葉を遮り、ピシャリとそれを拒絶する。そしてまた『均衡』という単語が出て、ガーネは眉を寄せた。
「君と違って私は必要以上のことは『知らないことになっている』。だけど私は知ってしまった。蓋を開けてしまった。だから女王陛下の監視の目がある。面倒なことになりたくないから従ってるだけだ」
話し終わるか終わらないかの辺りで、女は口元を左手で隠して「ふあ…」と小さく欠伸を漏らした。
今更のようにガーネは女の目の下の隈の深さを見て、何日寝ていないのかと思考が逸れて手元に目線が移った。
「…ていうか、今更だけど…結婚してた?こんな夜遅くに『坊や』とはいえ男と二人で旦那は平気なのか」
管理指定図書区域で「坊や」と言われたことを多少根に持っているらしく、嫌味を交えながらもそれこそ自分も『面倒事』に巻き込まれてはたまったものではないと気にかけたようにようやく口を挟んだ。
女はガーネの言葉に少しだけきょとんとした後、ほんの少しの間を置いてから「ああ」と思い出したように左手の薬指に嵌まったエメラルドの結婚指輪を見つめた。
「気にする必要はない、バツイチだし…指輪は億劫だからそのままなだけ」
指輪を外すだけの何が億劫なのか、とは思ってもガーネは口にしなかった。勝手な想像ながら、未練だったりそういうものもあるのだろうかと結論付けたまま、グラスの中の氷が少し溶けてからんと軽い音が聞こえ無意識に手にして水を喉に流し込んだ。
「それより、アンタ寝てんの?目の下隈やべーけど」
「あー…三日?は、多分まともに寝ていないかもしれないな。今回はまだマシな方だ」
「そりゃ、大層ご勤勉なことで…そんなに女王にこき使われてんの?」
ぴくりと女の指先が震えた。
そのままその指先は胸元を飾る控えめなダイヤのネックレスのトップに触れ、軽く弄ぶように弄ってからテーブルの下に引っ込められた。
目線はほんの一瞬だけ左下に流れ、そのまま目を伏せて息を漏らしてからゆっくりとガーネに視線を戻した。
「私は君のように忠誠心と謙虚さを持った正義の欺瞞は到底真似できない。純粋に君を凄いと思うよ」
欺瞞と評され根底を否定されたような気持ちになったが、ガーネはそれには答えなかった。
先程までとは対照的に何かを見透かすように細められたガーネの視線は逃げることなく真っ直ぐに女に注がれ、腹の探り合いのように女と視線が絡んでしばし無言になった。
「…働いていないと」
「あ?」
「働いていないと、思い出してはいけないことを思い出してしまいそうになる。常に動いていないと余計なことを考えてしまって、何かを壊した時の感触を思い出しそうになる。寝るとその時の夢を見る。自分が壊れそうになる」
急にぽつぽつと語り始めた女から、明確な強迫観念が滲む。
「思い出したくないことって、なに」
これを聞くのは女にとって地雷を踏み抜く行為になりそうとは自覚しながらもどうしてか聞かずにはいられなかった。
「……君の『前世』までは、私は知らない」




