16話「刻印」
「ねぇ、どうやってここに入ったのって聞いてるんだけど。聞いてる?坊や」
改めて声をかけられて、ガーネははっと視線を目の前の女に戻した。
きちんと整えればそれなりに綺麗そうなのに、無頓着そうに雑に頭頂部で纏められた鮮やかな緑色の髪が、差し込み始めた月明かりに照らされて美しかった。目の下には何徹したのかというほどにくっきりと隈が刻まれ、皺の寄った白衣のポケットに片手を突っ込んでもう一方の手では大量の資料や書籍が抱えられている。
「ど、ど、どうやってって…普通に?」
ガーネは悪戯が見つかった子供のように視線を泳がせるも、ふと自分の身なりと指輪の存在を思い出しここぞとばかりにその権力に笠を着ることにした。
「これ、見てわかんない?女王のお許しが出てるんだよ」
ガーネの官服と左手の指輪、見せつけられた指輪が魔法印を浮かばせて身分を象徴する。しかし今までの人間と違い、女はそれを見たところで動じた様子を見せなかった。
「……ふぅん、君が例の『忠犬』くんか。ねえ、わんちゃん。奥の扉の入室は許してもらえてる?ここに君の欲しいものはあった?」
「は?」
「めんどくさ。あー、いいいい。忙しいんだ私は」
じゃあね、とガーネを置いてヒールを鳴らして管理指定図書庫区域を出ていく女の後ろ姿を見る。
再び一人になったガーネは、月明かりに照らされた先程明確に『認証拒否』された扉に目を向ける。女は、この扉から出てきた。
この区域ではなく、扉の奥が『本当の禁書庫』なのだろうと察した。
ガーネは扉に近づくと再度扉を厳重に警備する魔法陣を睨みつける。そして往生際悪く指輪を翳すと、容赦無く『認証拒否』と表示され小さく舌打ちが漏れた。
「お疲れ様です、…今日も退勤時間過ぎてますけど、まだ働くんですか?隈凄いですよ」
「気にするな、……いや、報告だけして今日は帰って休むかな」
珍しい言葉に、研究室内で助手が女を二度見する。
「…槍でも降るんじゃ」
「君は存外失礼だな、私だって不眠不休で働くなんてしたくないよ面倒臭い」
「先生、矛盾が凄いんですよ…」
助手が呆れたような顔で返しながらも、休んでくれるのならばなんでもいいとは思いつつ普段であれば理由をつけて何かしらかの仕事をしている彼女に対し少し怪訝そうな顔をした。
「…なんだその顔」
その表情に気付いたのか、報告書を纏めながら少し眉を寄せながら嗜めるような目を向けた。
助手はぽりぽりと頬を掻いて罰が悪そうにしながら小さく首を傾げる。
「いやでも先生、俺らとしてはぶっ倒れられても面倒なん…あ、えーと心配しちゃうんで、適度に休んでくれたら助かるんですよ、はい。いつもはその時急ぎで必要じゃない案件まで無理矢理仕事探して動いてるじゃないですかぁ」
助手の言葉を聞いて、「ふむ」と小さく納得したような声を漏らす。
「私以外にもよく働きそうな本物の犬が見つかった、というところかな」
「……はぁ?」
意味がわからなそうに首を傾げる助手を見て、珍しく口元に笑みを浮かべながらまとめた資料を封筒にしまい、白衣を自席の背凭れに掛けて研究室を後にした。
本格的に夜を主張する色合いに染まった空に、星が無数に瞬いて煌めいている。
城に差し込む月の光が、ディアマントのプラチナのような髪を引き立て輝かせた。
きらきらと輝くそれはまるで散りばめられたダイヤモンドのようだった。
城の中でも広く厳重に魔法と霊力で警備された部屋のうちの一つ、女王の執務室。
扉がノックされ、「入れ」と声を掛けると王城の近衛兵の一人が「失礼いたします」と返答してからドアを開けた。
「陛下、恐れ入ります。ガーネ殿が……」
「よい、通せ」
「こ、こちらにですか?」
女王の執務室に立ち入ったのを許されているのは、ヘルソニアくらいしか見たことがなかった近衛兵は驚いたように目を見開くも、すぐに敬礼をして部屋を出た。
ディアマントは、ガーネがやって来ることを見越していたかのように笑みを浮かべると、さも機嫌が良さそうな表情で机の上の盃を手にして口元に運ぶ。中のグラスの葡萄酒を二口ほど喉を通過したところで、改めて扉がノックされる。
「陛下、お連れしました」
「ガーネだけ残してお前は下がれ」
「はっ」
先程と同じように敬礼をして部屋を後にした兵士と入れ替わるように、ガーネが促されて室内へと足を踏み入れる。
謁見の間や奥の間とはまた違った妙な緊張感や威圧感に当てられながらも、ガーネは机に寄りかかるように立って葡萄酒を飲んでいるディアマントの前で最敬礼の姿勢をとった。
「女王陛下、お目通り感謝いたします。本日も大変に麗しく…」
「御託はよい、要件を申せ」
ディアマントは堅苦しくご機嫌伺いの挨拶口上を述べるガーネに煩わしそうに言葉を遮り、眼の前で跪くおもちゃを見下ろした。
「……欲しいものがございます」
あまりにも突拍子も無いガーネの物言いに、ディアマントは多少面食らったような顔で目の前に跪いたガーネを見下ろして、ややあって肩を震わせて笑い出した。
「ふ、お前は妾の想像を超えてくれる。面白い…顔を上げよ」
手にしていた盃を机に置く音を合図にするように、ガーネは恐る恐る顔を上げた。
想定通り、何もかもを見透かしたような金色の眼差しと絶対的な支配の圧。
視線が絡むと、目が細められ唇は愉快そうに弧を描いていた。
「妾にオネダリとは……いい度胸というべきか、図々しいというべきか。身の程を知らぬ犬ほどよく吠える。実に面白い。────申してみよ」
「単刀直入に、…『禁書庫』への入室許可を」
禁書庫、というワードに、初めて美しい顔が僅かに歪んだ。
その表情の変化にガーネは「当たり」を確信し、女王の返答を待った。
ディアマントは先程置いた盃を再び手に取ると、ゆっくりと香りを堪能するように傾けてそのまま唇につける。鼻から抜ける葡萄酒の香りを吸い込み、舌先や喉を濡らすように一口口に含んでこくんと喉を鳴らして嚥下する。
「…必要ない。話は以上か」
「は、え。いやちょっと待っ…いえ、お待ちください必要あります!」
これ以上食い下がると機嫌を損ねるか、とは思いつつも、ガーネには今目的を達するための近道としては禁書庫を探る必要がある。そも、その目的を指示したのは他ならぬ目の前の女王であった。
しかし、肝心の女王の答えは変わらなかった。
「お前にはまだ早い。しかし…まぁ、そうだな。必要があれば然るべき時にくれてやろう」
「今必要なのですが」
「…躾のなっていない駄犬め。妾が必要ないと申すのがわからんか。馬鹿だとは思ってはいたが想像以上じゃ、…まぁよい。ガーネよ」
ガーネは身構えていた以上に怒号や叱責されなかったことに若干の拍子抜けをしながらもディアマントの呆れたような物言いに思わず肩を竦めた。名前を呼ばれ改めて視線を向けると、肝心の女王は冷ややかな刺すような視線を向けながら相変わらず葡萄酒で唇を濡らすように飲んでいた。
「…はい」
「禁書庫への立ち入りは許可しない。『今は』な。…しかし、そうだな…せっかく妾に会いに来たのに手ぶらで返すのも、樹海よりも深く砂漠よりも広大な妾の良心が痛む。先日の『お遣い』の駄賃くらいはくれてやろうか」
「では…!」
ディアマントはくいっと煽るように葡萄酒を飲むと、少し雑に机に盃を置いた。
期待に目を輝かせるガーネを見て、ディアマントはガーネの胸ぐらを掴んで引っ張り寄せる。
「…、…っ…!?」
整った人形のような美しい顔が間近にある。ガーネは思わず目を瞑って、無意識に衝撃に耐えるように歯を食いしばった。
殴られる、と咄嗟に考えた。
しかし女王の華奢な細腕で殴られたところで一体どれくらいの衝撃なのか。ガーネはほんの一瞬でそこまで考えてはみるも、想像していた衝撃は一向にやってこない。
鼻をくすぐる甘い香り。
柔らかな感触が唇に触れ、葡萄酒の独特の重厚な渋みのある味が口内に広がる。
何事かと目を開けると、ガーネの至近距離に女王のご尊顔。
「ン、っはあ…!?」
何故、唇が重なっているのかガーネには理解できない。そんな顔のガーネを至近距離で見つめ返すと、ディアマントは満足そうに笑ってガーネの唇をぺろりと舐めてから解放した。
「妾からの褒美じゃ。…ガーネよ、『期待』…しておるぞ」
口に残る葡萄酒の味に、酒独特の気持ち悪さよりも畏怖と『思い出してはいけない何か』を思い出してしまいそうな恐怖感。そして言いようのない懐かしさに似たような苦しさ。
それ以上に、胸の奥に募る『女王への敬慕』に似た感情が侵食していく。
単純にそれが恐ろしいのに、心地よい。そしてそれがまた、末恐ろしい。
なんの成果も得られないまま、目的のものの得られないまま、ガーネは王城の長い廊下をすごすごと戻るしかなかった。
「では、私はこれで失礼いたします」
廊下の先で扉が開く。女王ディアマントの執務室に程近い、側近ヘルソニアの執務室。ガーネは珍しいものでも見るような心持ちで開いた扉の影になっている人物に目を向けると、扉が閉じられると同時に数時間前に『禁書庫』前で出会った緑髪の気怠そうな女の姿が見えて思わず声を上げた。
「あっ」
「…」
ガーネの声に反応したように、女はガーネを一瞥する。しかしすぐに興味もなさそうな様子で目線を外すと、無遠慮に背中を向けてつかつかと長い廊下を歩き始めたため反射的に慌てて追いかける。
「あ、あの!ちょっと!」
女はさも面倒そうに「フー」とあからさま過ぎる溜息を漏らすとゆっくりと振り返る。
「なに?」
「え?えーと」
呼び止めたところで、特に何を話していいかわからなそうに視線が揺れた。
女はガーネの顔を見て目を細めると、肩を竦めて再び溜息を吐いた。
「…仕方がない。食事にでも行くか。年下にたかるのはなんとなくプライドが許さない気もするが、君の奢りで手を打とう」
「は、はい…………え?」
女王やヘルソニアとはまた違った、独特の圧にガーネは頷くしかなかった。




