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この村は、嘘が9割  作者: もしものべりすと


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第四章 16時のチャイム

麗子と別れてから数時間、俺は村の中を当てもなく歩き回った。 表面上は「散歩を楽しむ移住希望者」を装いながら、その目は常に監視カメラの死角と、住民たちの動きを追っていた。


この村の人間は、勤勉だ。 畑仕事をする男たち、道端で談笑する老人たち、軒先で花の手入れをする主婦。 誰もがそれぞれの「役割」を完璧にこなしている。 だが、その完璧さが逆に不気味だった。 雑談の内容に耳をそばだてても、聞こえてくるのは「今年の大根は出来がいい」「昨日の雨は恵みだった」といった、当たり障りのない台詞ばかり。 誰かの悪口や、政治への不満、将来への不安といった、人間なら誰しもが吐き出すはずの「ノイズ」が一切ないのだ。 徹底した品質管理クオリティ・コントロール。 まるで、不良品を出さない工場のラインを見ているようだ。


午後三時を過ぎた頃、村の唯一の雑貨店に入った。 店番をしているのは、六十代くらいの温和そうな女性だ。 棚には、地元の名産品と共に、なぜか高級輸入菓子やヴィンテージワインが並んでいる。 この村の歪な経済状況を象徴する光景だ。


「いらっしゃい、相馬さん。お散歩は楽しんでる?」 女性が声をかけてくる。マニュアル通りの二十度の笑顔だ。 「ええ、とても。ここは本当に時間がゆっくり流れてますね」 「でしょう? 都会の人はみんなそうおっしゃるわ」


俺はミネラルウォーターを一本買い、店の前のベンチに座った。 ここからは、村の大通りが見渡せる。 スマホを取り出し、時間をチェックする。 十五時五十八分。


麗子が言っていたことや、マニュアルの記述が正しければ、もうすぐ「それ」が起きるはずだ。


十六時ジャスト。 村の広報スピーカーから、夕方のチャイムが鳴り響いた。 曲は「夕焼け小焼け」。 どこか懐かしく、そして寂寥感を誘うメロディが、山あいの集落にこだまする。


その瞬間だった。 目の前を歩いていた農作業着姿の男性二人が、ピタリと足を止めた。 そして、互いに顔を見合わせると、同時に肩の力を抜いた。


「……あー、やっと終わりか。今日は腰に来たな」 「全くだよ。今日の『くわの振るい方』の指示、細かすぎなんだよ。腰の角度がどうとか」 「運営うえも無茶言うよな。俺たちもう還暦過ぎてんだぜ?」


さっきまで「土と共に生きる喜び」を全身で表現していた男たちが、急にだらしない姿勢になり、ポケットからタバコを取り出して吸い始めたのだ。 方言も消え、標準語に戻っている。


店の奥からも声が聞こえた。 「あーあ、疲れた。ねえ、今日の夕飯どうする? デリバリー頼んじゃう?」 さっきの店番の女性だ。あの温和な口調はどこへやら、気だるげな老婆の声に変わっている。


これが、この村の正体だ。 十六時のチャイムは、夕暮れの合図ではない。 業務終了のベルだ。 彼らにとって、この牧歌的な生活は「労働」であり、演技こそが「商品」なのだ。


俺は戦慄しながら、その光景を眺めていた。 タバコの煙をくゆらす男たちの顔には、安堵と同時に、深い疲労の色が浮かんでいる。 金のために自分を殺し、他人の理想を演じ続けることの代償。 それは肉体的な疲れ以上に、精神を蝕んでいるように見えた。


「……おい、兄ちゃん」


不意に声をかけられ、俺はびくりと顔を上げた。 さっきの農作業着の男たちの一人が、俺を見ていた。 目が合う。 俺は反射的に「善良な移住者」の笑顔を作ろうとした。


「ああ、いいよいいよ、もう『時間外』だから」 男は面倒くさそうに手を振った。 「あんたも大変だな、こんな時間に視察なんて。まだ契約前なんだろ?」 「……え、ええ。まあ」 「悪いことは言わねえから、やめといた方がいいぜ。ここは楽園に見えるかもしれねえが、結局は『鳥かご』だ。一度入ったら、そう簡単には出られねえ」


男はそう吐き捨てると、吸い殻を携帯灰皿に押し込み、相棒と共に去っていった。 その背中は、役を演じていた時よりもずっと小さく、そして人間臭く見えた。


鳥かご。 麗子の言った「墓場」という言葉と重なる。 俺はペットボトルの水を一気に飲み干し、立ち上がった。 「時間外」の村は、一気にその表情を変えていた。 誰もが仮面を外し、無表情で家路を急ぐ。 美しいセットの裏側にある、剥き出しの配管やケーブルを見てしまったような気分だ。


だが、一人だけ、その空気に染まっていない人物がいたことを思い出した。 島田が「あそこには近づくな」と言っていた場所。 村外れの高台に立つ、古い火の見櫓やぐら。 そこに住むという「偏屈な老人」だ。 もし全員が演技をしているのなら、なぜ彼だけが「偏屈」という、村の調和を乱す役を許されているのか? あるいは、彼だけが「役」ではないのか?


俺は夕闇が迫る中、火の見櫓を目指して歩き出した。 まだ、今日の取材は終わっていない。

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