第二章 村人Bのスクリプト
歓迎会は、不気味なほど盛大だった。 集会所には三十人ほどの村人が集まり、地元の食材を使った料理が所狭しと並べられていた。 山菜の天ぷら、イワナの塩焼き、猪鍋。 どれも絶品だったが、味なんかろくに分からなかった。
「相馬さん、お酒はイケる口?」 「若いのに、こんな田舎に興味を持つなんて感心だねえ」 「お嫁さんは? まだなら、いい娘を紹介するよ」
次々と浴びせられる質問。 酒を注がれ、肩を叩かれ、笑い声を浴びる。 彼らは一様に親切で、温かく、そしてどこか空虚だった。
俺の隣に座ったのは、昼間に会った佐藤という女性だった。 「お口に合いますか?」 「ええ、すごく美味しいです。特にこの煮物」 「ふふ、私の手作りなんです。隠し味に蜂蜜を使ってるのよ」
彼女の目は笑っているが、視線は俺の顔ではなく、俺の背後にある壁のシミあたりを見ているようだった。 会話のキャッチボールは成立している。 だが、そこには感情の交換がない。 予め用意された台詞カードを、順番に切り合っているような感覚。
「佐藤さんは、この村で生まれて?」 探りを入れてみる。 彼女の手が、一瞬だけ止まった。 箸先から、里芋がぽろりと落ちる。
「……ええ、そうです。ずっとこの村」 「へえ、じゃあ昔のことも詳しいんですね」 「昔……そう、昔ね。昔から、ここはいいところでしたよ。みんな仲良しで」
声のトーンが、半音下がった気がした。 彼女はすぐにまた完璧な笑顔を取り戻し、俺のグラスにビールを注いだ。 「さあ、飲んで飲んで。今日は相馬さんのための宴なんですから」
話題を変えられた。 これ以上踏み込むな、という無言の警告。 俺は大人しくグラスを空けたふりをして、口元を拭うふりをして周囲を観察した。
集まっている村人たちの年齢層はバラバラだ。 二十代の若者もいれば、八十近い老人もいる。 だが、奇妙な共通点があった。 全員、身につけているものが「微妙に良いもの」なのだ。 作業着に見える服も、よく見れば高級アウトドアブランドのものだし、老婆がつけている眼鏡のフレームもチタン製の高価なものだ。 田舎暮らしの質素さを演出しつつも、隠しきれない富の匂い。
「あら、本宮さん。遅かったじゃない」
誰かの声に、入り口がざわついた。 振り返ると、一人の若い女性が入ってきたところだった。 二十代半ばくらいだろうか。 黒髪のロングヘアに、白いワンピース。 化粧は薄いが、素材の良さが際立っている。 清楚、という言葉を擬人化したような美女だ。
「ごめんなさい、ちょっとヤギの世話が長引いちゃって」 彼女は申し訳なさそうに手を合わせる。 その仕草一つで、場の空気が華やいだのが分かった。 男たちの視線が彼女に吸い寄せられる。
「紹介するよ、相馬さん。彼女は本宮麗子さん。村のアイドルだよ」 島田が自慢げに言った。 「やめてくださいよ、島田さん。アイドルだなんて」 麗子は恥ずかしそうに頬を染め、俺の方に向き直った。
「初めまして。本宮麗子です。よろしくお願いしますね」 「あ、どうも。相馬です」
彼女と握手をした瞬間、俺の手のひらに微かな痛みが走った。 彼女の爪が、俺の手の甲を強めに食い込んだのだ。 驚いて顔を上げると、麗子は天使のような微笑みを浮かべたまま、誰にも聞こえないような小声で囁いた。
「……演技が下手ね」
「え?」 聞き返そうとしたときには、彼女はもう手を離し、他の村人たちの輪の中に溶け込んでいた。 「相馬さんにも、後でヤギのミルクをお裾分けしますね!」 明るい声が響く。
心臓が早鐘を打った。 バレている? 俺が記者だということが? それとも、単に俺の「善良な移住希望者」という演技が下手だと言っただけか? どちらにせよ、あの女はただの村人じゃない。 あの一瞬の冷徹な眼差し。 あれは、獲物を値踏みする捕食者の目だった。
宴はお開きになり、俺は千鳥足のふりをして宿に戻った。 島田が「送っていく」と言ったが、夜風に当たりたいと言って断った。 一人になりたかった。
時刻は二十一時。 村は深い闇に包まれている。 街灯は少なく、足元がおぼつかない。 だが、空を見上げても星はあまり見えなかった。 皮肉なもんだ。都会よりも空気が澄んでいるはずなのに、村全体を覆う何か澱んだものが、空さえも遮断しているようだ。
俺は宿に向かう道を逸れ、ゴミ捨て場の方へと足を向けた。 ジャーナリストの基本だ。 その人間の生活を知りたければ、ゴミを見ろ。 個人情報保護の観点から言えばグレーどころかブラックだが、背に腹は代えられない。
ゴミ捨て場は、集会所の裏手にあった。 獣害対策のしっかりした金網のケージの中に、分別されたゴミ袋が並んでいる。 この村は分別にも厳しいらしい。 透明な袋の中身は、生ゴミ、プラ、紙類ときれいに分けられている。
俺はスマホのライトを弱くして、袋の中身を透かして見た。 高い酒の空き瓶。輸入食材のパッケージ。 やはり、食生活の水準は異常に高い。 レシートの一枚でもあればと思ったが、シュレッダーにかけられているのか、文字が読める紙片は見当たらない。
「くそ、ガードが堅いな」
諦めかけたその時、ケージの隅に、分別されていない黒いゴミ袋が無造作に放り込まれているのに気づいた。 他の袋とは明らかに異質だ。 俺は周囲を警戒しながら、金網の隙間から指を伸ばし、その袋の結び目を引き寄せた。
袋の口が緩む。 中から出てきたのは、ボロボロになった一冊のファイルだった。 雨に濡れ、泥にまみれているが、プラスチック製の表紙はまだ形を保っている。 俺はそれを引っ張り出し、スマホのライトを当てた。
表紙には、テプラでこう印字されていた。
『神代村住民マニュアル:第4版(村人B・親切な隣人役)』
心臓が跳ね上がった。 マニュアル? 役? 震える手で、俺はそのファイルを開いた。 湿った紙が音を立ててめくれる。
【基本指針】 ・挨拶は相手の目を見て、三秒以内に行うこと。 ・笑顔の角度は口角を二十度上げること(別紙資料参照)。 ・「疲れた」「帰りたい」「金」などの単語は使用禁止(減点対象)。
【村人B(佐藤・鈴木・高橋タイプ)の行動スクリプト】 ・朝六時に起床し、家の前の掃除を行うこと。 ・移住者に対しては、過度な親切心を見せること。ただし、プライベートな質問には「昔からここはいいところ」というフレーズで返すこと。 ・十七時以降は「オフ」とするが、屋外では常に「オン」を維持すること。
文字を追うごとに、吐き気が込み上げてきた。 これは何だ? 新興宗教の教義か? それとも、巨大なテーマパークのキャスト用マニュアルか?
ページをめくると、さらに恐ろしい記述があった。
【禁止事項および罰則】 ・村の敷地外への無断外出:レベル3ペナルティ ・外部との接触(許可された者を除く):レベル4ペナルティ ・素顔(メイク・演技なし)をゲストに見せること:即時退去処分(契約解除および違約金一億円)
「……マジかよ」
ゲスト? 契約解除? この村の住民は、雇われているのか? いや、「違約金一億円」という記述が引っかかる。 雇われているというよりは、何かに縛られている。
カサリ、と音がした。 背後の藪が揺れる音。 俺は反射的にファイルを背中に隠し、振り返った。
「……何をしているんですか?」
闇の中に立っていたのは、本宮麗子だった。 白いワンピースが、月明かりで青白く光っている。 彼女の手には、懐中電灯も何もない。 ただ、その大きな瞳だけが、暗闇の中でらんらんと輝いていた。
「ゴミ漁りなんて、都会のライターさんは趣味が悪いのね」 彼女は一歩、近づいてくる。 足音がしない。
「……落とし物を探してただけだ」 俺はしらばっくれた。 「ふうん。その背中に隠してるのが、落とし物?」 麗子は首を傾げる。 その表情は、歓迎会のときに見せたアイドルのような笑顔ではない。 冷たく、無機質で、それでいて奇妙なほど美しい、能面のような顔だった。
「見ちゃったんでしょ? マニュアル」 彼女はあっさりと核心を突いてきた。 「……ああ、見たよ。何なんだこれは。お前らは何なんだ」 俺はファイルを前に突き出した。 「村人B? 親切な隣人役? ここは一体、何の実験場なんだよ」
麗子は深くため息をついた。 それは演技ではない、心底呆れたようなため息だった。 彼女はポケットからタバコを取り出すと、慣れた手つきで火をつけた。 アイドルの仮面が、完全に剥がれ落ちる。
「実験場じゃないわよ」 彼女は紫煙を吐き出しながら、俺を睨みつけた。
「ここはね、墓場なの」
「墓場?」 「そう。社会で死んだ人間が、別の人間として生き直すための、豪華な墓場。あんたみたいな部外者が土足で踏み込んでいい場所じゃないのよ」
彼女はタバコを指に挟んだまま、俺に近づいた。 そして、俺の胸ぐらを掴むと、耳元で低く囁いた。
「殺されたくなきゃ、今すぐそのファイルを燃やして、明日の一番のバスで帰りなさい。……これは警告じゃなくて、ファンサービスよ」
彼女の体からは、歓迎会のときに漂っていた柑橘系の香りはしなかった。 代わりに、冷たい夜露と、微かなメンソールの匂いがした。




