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この村は、嘘が9割  作者: もしものべりすと


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第一章 理想郷への片道切符

「ようこそ、神代村へ」


その笑顔は、完璧だった。 完璧すぎて、まるで分度器で角度を測って張りつけたようだった。 俺は直感する。三万円で買い取ったあのタレコミは、ガセじゃない。 この村は、何かが致命的に狂っている。


バスを降りた瞬間に感じたのは、強烈な違和感だった。 山奥の限界集落と聞いていたが、目の前に広がる光景は、まるで映画のセットのように美しい。 埃ひとつない舗装道路。手入れの行き届いた古民家風の家々。道端に咲くコスモスさえも、色彩調整された画像のように鮮やかすぎる。


「遠いところをよくお越しくださいました。案内人の島田です」


出迎えたのは、六十代半ばとおぼしき小柄な男だった。 藍色の作務衣に、真っ白なタオルを首に巻いている。 いかにも「田舎の好々爺」という出で立ちだが、その肌には野良仕事特有の日焼けやシミが見当たらない。 差し出された手は、俺のそれよりも滑らかで、柔らかかった。


「どうも。相馬です。今日からお世話になります」


俺は愛想笑いを浮かべて手を握り返す。 掌にじわりと汗が滲む。 島田の目は笑っているが、瞳の奥が凪いだ水面のように静止している。観察されている、と感じた。


「移住体験の申し込みがあったときは驚きましたよ。なにせ、こんな何もない不便な村ですから」 「いえいえ、都会の喧騒に疲れましてね。こういう静かな場所で、人生を見つめ直したかったんです」


嘘だ。 俺の目的は、人生の見つめ直しなんかじゃない。 金だ。 元週刊誌記者、現在はゴシップ専門の三流ウェブライター。それが俺、相馬悟の正体だ。 『神代村の住民は、全員が嘘をついている』 そんな匿名のメールと共に送られてきた一枚の写真。 そこには、十年前に失踪したはずの某企業の元CEOらしき人物が、麦わら帽子を被って農作業をしている姿が写っていた。 もしこれが事実なら、特大のスクープになる。 俺の借金を一括で返済し、さらに釣りが来るほどのネタだ。


「さあ、こちらへ。お荷物お持ちしましょう」 「あ、自分で持ちますから」 「いいえいいえ、お客様の手を煩わせるわけにはいきません」


島田は強引に俺のボストンバッグを奪い取ると、軽快な足取りで歩き出した。 その背中を見ながら、俺は再び違和感を覚える。 動作に無駄がない。 重いはずの荷物を持っているのに、重心が全くブレていない。 まるで、訓練されたホテルマンか、あるいは警備員のようだ。


村の中を歩きながら、俺はスマートフォンの録音アプリを起動し、胸ポケットに滑り込ませた。 風が吹いているのに、牛舎の匂いも、土の匂いもしない。 代わりに漂ってくるのは、どこか人工的な、高級ホテルのロビーのような微かな柑橘系の香り。 そして、音が奇妙に少ない。 鳥の声や虫の音が聞こえるはずの山間部なのに、聞こえてくるのはスピーカーから流されているような、一定のリズムのせせらぎの音だけ。


「素晴らしい環境ですね。ゴミひとつ落ちていない」 俺は鎌をかけてみた。 「ええ、住民全員で毎朝清掃しておりますから。この村の自慢です」 島田は立ち止まらずに答える。 「みなさん、仲が良いんですね」 「もちろんです。ここでは隣人は家族も同然。助け合い、支え合うのが神代村の掟ですから」


その言葉には、宗教的な響きがあった。 あるいは、徹底的に教育された社員が口にする社是のような。


ふと、民家の庭先で洗濯物を干している女性と目が合った。 三十代後半だろうか。質素なエプロン姿だが、立ち姿が凛としている。 彼女は俺たちに気づくと、洗濯物を干す手を止め、深々とお辞儀をした。


「こんにちは。お客様ですか?」 「ええ、今日から体験移住にいらした相馬さんです」 島田が紹介すると、女性はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。


「ようこそ神代村へ! 私は佐藤と申します。困ったことがあれば、いつでも声をかけてくださいね。お醤油の貸し借りから、人生相談まで」


クスクスと上品に笑う。 その笑顔もまた、島田と同じだった。 口角の上がり方、目の細め方。 まるで同じ金型でプレスされたかのような、均質的な「善意」の表情。


「……ありがとうございます」


背筋に冷たいものが走るのを悟られないよう、俺は必死に頬を緩めた。 何かがおかしい。 ここは村じゃない。 巨大な劇場だ。そして俺は、台本を持たずに舞台に上げられたエキストラだ。


案内されたのは、村の高台にある一軒家だった。 「移住体験施設」という名目だが、内装は最新のリフォームが施されている。 IHキッチン、床暖房、高速Wi-Fi完備。 古民家の皮を被った、最新鋭のスマートホームだ。


「鍵はこちらになります。オートロックですのでご注意を」 島田がカードキーを渡してくる。 「カードキーなんですか?」 「ええ、セキュリティには万全を期しております。村の入り口には監視カメラもありますし、不審者が入ればすぐに分かりますよ」


その言葉は、暗に「お前の行動も全て監視している」と言っているように聞こえた。


「夕食は十八時に集会所へお越しください。歓迎会を用意しております」 「それはどうも。楽しみにしてます」 「では、ごゆっくり」


島田が一礼して去っていく。 ドアが閉まる電子音が響いた瞬間、俺は大きく息を吐き出した。 どっと疲れが出た。 まだ到着して三十分も経っていないというのに、神経がヤスリで削られたような気分だ。


俺はバッグを放り出し、部屋の中を点検し始めた。 盗聴器や隠しカメラの類がないか確認する。 コンセント周り、照明器具の隙間、通気口。 プロの探偵道具は持っていないが、記者の勘とスマホのカメラを使った簡易的なチェックだ。 一通り見た限りでは、怪しいものは見当たらない。


「考えすぎか……?」


俺は窓際に立ち、カーテンの隙間から外を覗いた。 眼下には、平和そのものの農村風景が広がっている。 畑を耕す老人、散歩をする親子、縁側で茶を飲む人々。 誰もが穏やかで、誰もが幸せそうだ。


もしここがただの理想的な村なら、俺はただの被害妄想の激しい嫌な奴だ。 だが、あの笑顔。 あの、貼りついたような笑顔が脳裏から離れない。


ポケットの中でスマホが振動した。 編集部の担当、久保田からだ。


『着いたか? 様子はどうだ』 俺はメッセージを打ち返す。 『ああ、着いた。想像以上にヤバそうだ』 『ヤバいって、事件の匂いがするか?』 『事件というか……空気が変だ。全員、何かの演技をしてるみたいだ』 『演技? 村おこしのパフォーマンスか何かか?』 『分からん。だが、尻尾を掴んでやる。例のCEOの顔写真、もう一度送ってくれ』


送信ボタンを押すと同時に、遠くでチャイムが鳴った。 村の広報スピーカーから流れる、夕方のメロディ。 「家路」だ。 どこか物悲しいドヴォルザークの旋律が、山々に反響する。


俺はその音を聞きながら、ふと気づいた。 窓の外、畑にいた人々が一斉に動きを止めている。 農作業をしていた手も、散歩の足も、談笑していた口も。 全員が、まるでロボットの電源が落ちたかのように静止し、スピーカーの方角を見上げている。


一秒、二秒、三秒。


チャイムが終わると同時に、彼らはまた動き出した。 何事もなかったかのように。 しかし、その動きは先ほどまでとは微妙に違っていた。 肩の力が抜け、歩く速度が速くなり、笑顔が消えている。 まるで「仕事」が終わったサラリーマンが、ネクタイを緩める瞬間のように。


「……やっぱりだ」


俺は確信した。 今の時間は、ただの夕暮れじゃない。 この村にとっての「定時」なのだ。

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