第五十七話 プライム×アバドン
全ての精霊には『この世界ではない世界』で、人間として生きていた記憶がある。
【始精霊インベンダー】もその例外では無かった、と記録にはある。
【インベンダー】は、『その世界』では兵器開発を担っていた技術者だったらしい。
彼はその知識を惜しみなく使い、己を従えた帝国の初代皇帝にして太祖ガルヴァール・ガルヴァリーノスが建国時の戦乱を制するのを良く扶けたそうだ。
帝国が建国された後も、【インベンダー】は帝国の防衛のために幾つかの兵器を遺した。
それらの大半が長い歴史の間で一つ、また一つと失われていったが――数少なく帝国城に現存している代表例が【奈落蝗王】であった。
いよいよ帝国城の内部に敵兵が侵入し、落城間際となった際に帝国城の中の魔力を持つ生命体を根こそぎ破壊し尽くす――決戦兵器と言うよりは、ほぼ自爆目的で構築された兵器である。
問題はその起動と魔力の充填の時間の長さで、帝国城内部の全生命体を生贄にするならば瞬時に起動できるのだが、そうでない場合は起動及び発動に莫大な魔力を必要とする。
史上一度も起動した事は無かったが、今宵【奈落蝗王】はそのあぎとを初めて開くのだった。
無人の帝国城を、さしずめ本物の皇帝であるが如き威風堂々とした有様で闊歩して、【赤斧帝】は政治の中枢である【太極殿】に足を踏み入れる直前に到達した。
その後ろにはロウを担いでいる【V】が嬉々として続いていた。
「ねえ、『おとうさん』!わたし頑張ったんだよ!『おとうさん』が皇帝に戻ったら、うんと褒めてね!」
『……ベリサ』
不意に【スレイブ】から声をかけられて、不機嫌そうにベリサは返事をした。
「何?邪魔なんだけど、【スレイブ】」
『これは本当に、ベリサの望んだ事なのだな?』
「当たり前じゃん!やっと『おとうさん』に褒めて貰える所まで来たのに!」
そうか、と彼は己を納得させるかのように呟いてから――、
『……ベリサ。私は、お前を実の娘のように思っている』
「……」
ふて腐れた様な顔をして、ベリサは何も答えない。
彼女に構わず、【スレイブ】は独り言のように言う。
『かつて私はたった一人の娘を災害で失った。亡骸さえ見つけてやれなかった。娘の名前は、ウラベ・リサ……あの子の名前にちなんでお前を、ベリサと……。
……魔の森でお前と初めて出会った時、これは私に与えられた唯一のやり直しの機会だと思った。何でもお前が望む事を叶えてきた。お前のやりたい事を何でも応援してきた。お前の幸せと笑顔だけが私の生きる希望だったんだ……』
「今になって説教のつもり?……ウザいんだけど、【スレイブ】!」
彼は僅かに微笑んだ。
『――ベリサ。恐らく私は間違えているのだろう。とても重大で肝心な事を、この今も間違え続けているのだろう。でも後悔はしていない。それが父親と言うものだ。何があっても私は……ベリサだけは守るから』
【太極殿】の最も高い皇帝の座には、ヴァンドリックが一人腰掛けていた。
【赤斧帝】は咆えた。
「来てやったぞ、ヴァン!今すぐにそこを退き、私の足下に跪け!」
皇太子は冷酷に告げる。
「この高みはもはやお前の座すべき場所では無い。直ちに失せろ、廃帝ケンドリック」
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――オレ達が無人と化した帝国城に到着した時には、既に周囲は夜になって、月まで出ていた。
【黒葉宮】に立ち寄って『シャドウ』の格好をすると、オレ達は【パーシーバー】を担いで【太極殿】を驀地に目指す。
(なあテオ。帝国城を無人にするなんて、皇太子はどう言うつもりだ?)
【赤斧帝】が【タイラント】を従えて攻め込んでくると知っているのなら、武官の中でも最精兵を集めて迎撃しないのか?
(恐らく『帝国城を無人にしなければ使えない何らかの手段』を使って、確実に滅ぼすつもりだろう)
皇太子だって人間だ、決して失敗をしない訳じゃない。
だが、一度した失敗は二度としない上にその失敗に関する全対策を完璧に練り上げてからもう一度挑戦する男である。
【赤斧帝】を打倒した【破斧の戦い】が正にそれだったらしい。
最初は武力で優勢だった【赤斧帝】側が、瞬く間に自壊していったそうだ。
(だったら、オレ達もここにいるのはマズいんじゃ……!)
(だからこそだ!【パーシーバー】と切り離されたロウの身が危ない!ここは行くしか無いぞ)
(――分かった、行こう!)
『あっちよ!あっちから杖の――いいえ、ロウの気配がするわ!』
【太極殿】から、確かに人の気配と話し声がする。
オレ達は『シルバー&ゴースト』を構えつつも、気配を殺して接近した。
『ケン、ころすいい?ヴァンころす、いい?ころすころすころす、いい?』
「ああ、殺せ【タイラント】。何もかもを殺してその屍山の上に共に腰掛けよう!」
――何てデカさだ。
オレ達は絶句する。
【精霊タイラント】は巨人のような体躯をたわませてから、これでもかと咆えた。
『ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!!!』
鼓膜が吹き飛びそうなくらいの大咆哮。
それを醒めた顔で聞き流す皇太子の背後に、落ち着いた偉容の【精霊ロード】が姿を見せる。
『ヴァンよ、待たせたな。全ての支度が調ったぞ』
「では【ロード】、やるとしようか」
同時刻、【太極殿】最深部にて。
『……本当に、大変。貴女達と一緒にいるのは……』
【精霊オラクル】と皇太子妃ミマナは仲良く寄り添いながら、楽しそうに会話している。
「そう?私は貴女と一緒にいて楽しいけれども」
『嘘つき。……いつも……貴女はヴァン様を最優先で、私のことなんて二の次……』
「それは仕方ないでしょう。ヴァン様は今の帝国にとって誰よりも必要な御方だもの」
『……世界一の悪女ね、貴女。アーリヤカごとき……貴女に比べたら童でしかないわ……』
「アーリヤカはね、ヴァン様を下らぬ政争に巻き込んだのよ。ヴァン様の双肩には帝国を立て直す偉大にして重大な責務があるのに……馬鹿げた権力闘争の相手をしているお暇があるとでも?」
『……ふふ。ミマナは、いつもそう。いっそ、清々しいくらいだわ――』
【オラクル】は完全に充填された魔力の、最後の一押しをした。
帝国城そのものを震わせながら、【奈落蝗王】が発動する。
それは帝国城全域の全生命体を屠ろうとしたのだが――。
「【ロード】、【スキル:レイン】だ」
『分かっている、ヴァン!』
光の壁が帝国城の全てを覆ったかと思うと、急激に縮小を始めた。
水槽の水が減っていくかのように壁の内側に内包する体積を減らし、一瞬で【V】の周辺だけを包囲する。
「っ!?何これ!?」
【V】が思わずその壁を叩こうとした瞬間だった。
『――逃げろ、ベリサ!』
【スレイブ】の拳が壁に小さな穴を開けたかと思うと、そこからベリサだけを外に逃がしたのは。
「わあっ!?」
床に落ちて悲鳴を上げるベリサが見上げた先、【スレイブ】の顔は――酷く安堵していた。
『さようなら、ベリサ』
【奈落蝗王】が咆えて閃光を放った。
それは帝国城全域の命を滅ぼす程の威力を――【スキル:レイン】で生み出された壁が更に圧縮し、凝縮し、反射していた事で――一瞬で【精霊スレイブ】をこの世界から抹消せしめたのだった。
「――あ」
ベリサは頭を抑えて絶叫する。
半分。
己の魂の、半分。
常に側に存在していた影が消えた。
肉体を引き裂かれるよりもっと痛ましい、喪失。
「――あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
「これが貴様の手か、ヴァン?」
体を小さく丸めて痙攣するきりになったベリサには目もくれず、【赤斧帝】は舌打ちする。
「そうだと言ったら?」とヴァンドリックは冷静に答えた。
「虚勢を張るな。【奈落蝗王】が二発目を想定して設計されていない事は私も知っている」
ロウを盾にするつもりで引きずりながら、一歩一歩ヴァンドリックに近づく【赤斧帝】と【タイラント】に、小さな声がかけられた。
「お、『おとうさん』……」
ほとんど這うようにしながらベリサが【赤斧帝】の足に手を伸ばしていた。
「……たすけて……『おとうさん』……」
「邪魔だ」
その小さな手を踏み潰して、【赤斧帝】はベリサに告げる。
「【スレイブ】のいない貴様の存在価値は何も無い。死ね」
大きく目を見開いた幼女を、【タイラント】の一蹴が壁に激突させた。
派手に血を吐いて、それきり彼女は動かなくなった。




