第四十三話 地の底を×生きた男
ハウロット・コーは悪党として随分と生きてきた。
帝国の辺境で娼婦の子として生まれ、七才になるかならないかの年に人を殺めた。
最初の殺人は義憤に近いものだった。
娼婦だからと酷く母親を暴行する客がいたので、どしゃ降りの夜に尾行して、池に突き落として殺した。
この最初の殺人は不幸な事故だと思われて、ハウロットは疑われる事も無かった。
けれど母親だけは気付いていたのだろう。
「二度としては駄目だからね」
泣きながらそう言って、苦しいくらいの強さでハウロットを抱きしめた。
ハウロットが次に人を殺したのは十五の時である。
その頃、年嵩になって稼ぐ事が出来なくなった母親は、それまでの無理が祟ったのか病気がちになっていた。
代わりにハウロットが一生懸命に働いて薬代を稼ぎ、母親を養っていた。
その大事な金を領主の息子達が奪っていったのである。
土下座して、殆ど命乞いするように金を返して欲しいと頼んだのに、結局、彼は右足を引きずって帰る事となった。
彼が働けない間。
薬が買えなくて病気が悪化し、あっさりと母親は死んでしまった。
もう良いか。
ハウロットは母親を埋葬した日の真夜中に、領主の館に火を放って全員を焼き殺した。
そのまま彼は流浪の旅に出て、金に困ったら旅人を殺して荷物を奪って生きた。
彼が初めて配下を持ったのは十八歳の時であったが、それからおよそ五十年の間に彼の率いる盗賊団は巨大に膨れ上がった。
悪は悪と結合する。
彼は好き放題に生きたし配下にも好きなようにさせたが、ただ一つ徹底して掟を守らせた。
『仲間だけは裏切るな』
違反した者は拷問してから殺し、【獄人】に貶めた。
悪にこそ秩序が必要であるとハウロットは分かっていた。
正義は維持のために秩序を必要とするが、悪の必要とする秩序は孤独から逃れるために存在する。
結束?
団結?
愛?
友情?
そんな綺麗事は恐怖と暴力の拳で黙らせた。
しかし、ハウロットの制御さえ利かぬほど過剰に膨れ上がった盗賊団と、分厚い本にまとめられる程の悪行が、とうとう帝国に目を付けられた。
この時、あっさりと――ハウロットは配下を一人残らず見捨てた。
最初から配下の事は一人たりとも仲間だと思っていなかったから、頭目を失って混乱する配下が全員捕縛され、処刑されている隙に逃げて、逃げて、逃げ続けて、それでもしつこく追跡されて、とうとう隣国ラーレルカイトウにたどり着く、その直前まで逃げて来た。
追い詰められた彼の前には魔の森と地元で恐れられている森があった。
【乱詛帝】が今際の際に最後の力を振り絞り、凄まじい量の【瘴体】をぶちまけたため、樹木でさえも浄化出来なくて枯れてしまった死の森である。
この今でも動物が生息している様子も無く、人間が立ち入れば数時間で死んでしまう程の【瘴体】で汚染されているのだった。
完全に追い詰められたハウロットは魔の森に逃げ込んだ。
死ぬつもりは無かった。
どうにかこの森を通り抜けて隣国ラーレルカイトウまで逃げ延びて、再起を図るつもりだった。
生きているものの気配が何もしない沈黙の森をよろめくように歩きながら、彼は国境の方を目指していた――。
「……っ!」
ハウロットは【瘴体】に身体が汚染されて、とうとう幻覚を見たのだと思った。
目の前に『彼女達』が現れたのである。
この時、ハウロットは三日は何も食べていなかったし、寝ていなかった。
疲労困憊して帝国に追われた時に手ひどく負傷していた身体を、気力だけで動かしていた。
にも関わらず『彼女達』は――彼が幻覚だと思っている相手は彼に近付いてきて、こう言った。
「しにたくないなら、たすけてあげようか?」
「……!」
それが悪魔の囁きでも地獄からの誘惑でも、ハウロットには断ると言う選択肢だけは無かった。
『彼女達』にハウロットは命を救われた。
しかし、ハウロットの身体も魂も『彼女達』の奴隷となった。
彼は『彼女達』に逆らおうと考える事さえ出来なくなった。
かつて彼が大勢の人間を暴力で支配していたように、彼が今度は『彼女達』に不当な力で支配される事になったのだ。
――とは言え。
『彼女達』に支配される内にハウロットは変わっていった。
最初はどうにか支配を脱出できないか、そればかり考えては思考ごと潰されていたのに、次第に支配される喜びを知ったのだ。
彼が若かった時に諦めた『もう良いか』が――『まだ良くない』と数十年後に谺して来たようだった。
誰のためにも生きられなかった彼が、初めて誰かのために生きる事が出来たのだ。
『まだ良くない』
『もう少しだけ』
『「彼女達」――いや、我が主のため!』
彼が平和に暮らしていたトロレト村の村人を地獄に堕としたのも、【神の血】を大量に売買したのも、【地獄横町】を牛耳る【致死の赤】を脅したのも、彼のためではなくて全て『我が主』のためであった。
悪は悪のための神と信仰を必要としたのだ。




