第三十八話 これは純愛だ×単なる支配だ
ソーレはその夜、寝室に妻と二人きりになった瞬間に話を切り出した。
「離縁してくれないか、マニィ」
マニィ夫人は言われた言葉を理解するのに時間を要した。
その間にソーレは役所に提出する離縁の書類一式を持ってきた。
既にソーレの署名は記入済みであった。
ここで――ようやくマニィ夫人は声を絞り出す事が出来た。
「……どうしてでございますか」
女の影は皆無だった。
子供をとても可愛がっていた。
仕事も順調だと聞いていた――。
唯一、彼女が思いついた可能性は、最近になって夫の様子がおかしくなった事だった。
もしも夫がそれで苦しんでいるのならば、何処までも支えたいと彼女は覚悟を決めていたのに。
「君達は何も悪くない。レコトのためにも可能な限りの財産を分けよう。実は……」
ソーレは俯いて話し出した。
【寵臣達】である彼の後釜となりそうな優秀な貴族出身の職人が何人も【御印工房】に入ってきた事。
それと同時に、上からの彼への態度があからさまに変わってきている事。
「あの時、【赤斧帝】を支持した私が愚かだったのだ……」
「嫌です!」
マニィは顔を押さえて力無く首を振る夫に、必死に縋った。
「私は旦那様をお慕いしております!最後まで、最後までお側におりますわ!」
「マニィ……それは出来ない。だって、レコトの将来がかかっているのだよ?」
ソーレは真っ赤な目で夫人を見て、ぽっかりと虚ろな顔で微笑んだ。
「何、実は君の一族にもう話は通してあるのだ。すぐにあの子と一緒に実家に戻りなさい。君と夫婦になれた事は決して忘れないよ……」
なおも彼に縋る妻を引き剥がし、召使い数人を呼んで彼は二人の荷物をまとめさせた。
「明日の朝一番で馬車で丁重に送っていくように」
「ソーレ!嫌です!」
夜更けであったが、その騒ぎに気付いて彼らの子レコトが起きてしまった。
「かあしゃま?とうしゃま?あーっ!けんかは、だめーっ!」
泣きべそをかいている我が子に近付くと、ソーレはそっと小さな頭を撫でた。
「大丈夫、喧嘩では無いよ。しばらく父様は仕事が忙しくなるから、レコト、お母様を頼んだよ」
「えーっ?!またとうしゃまとあそべないの……?」
「ごめんな、レコト。さあ、今晩は三人で一緒に寝よう……」
ソーレは何も嘘をついていない。
彼の後釜になれそうな優秀な職人達は【御印工房】に沢山いて、彼が積極的に指導・監督している。
当初は【寵臣達】である彼に対して当たりがきつかったものの、真面目に有能に勤めている内に上から彼への態度はあからさまに変わっていった。
あの時、【赤斧帝】を支持した己は確かに愚かであった。
マニィと夫婦になれた事は決して忘れない。
おかげで女を、子を愛する感情を知る事が出来たのだ。
――その感情は、己がオユアーヴに向ける『心』とは全く別物であった。
翌朝。
ソーレは泣いているマニィとまだ眠っているレコトに別れを告げ、二人の乗る馬車が曲がり角を曲がって、完全に見えなくなってもしばらく見送っていた。
それから召使いや職人達の大半に数日かけて紹介状や斡旋状をしたため、今後の生活に困らないように手配した。
その後で彼は鉄の檻をある場所に運び入れさせて、恍惚とした表情で見つめる。
「……やっと……」
小さく呟いてから、『OYUAV』と赤い糸で刺繍がされた魔絹布に、接吻を一つ落とした。
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ソーレが妻子と離縁して、【御印工房】の頭領を辞職した。
更に身辺整理の様な真似をしているらしい事まで、クノハルは情報を拾ってきた。
「突然、どの様な心境の変化だ?」
「こちらはあくまでも噂なのですが……」
クノハルの説明を更に要約すると。
この前、体を乗っ取られたギルガンドとオレ達が交戦した時にヤツの振るう刀も仕方なくボコボコにした。
その刀がソーレの生み出した最高傑作の一振りだったらしくて、それで心が折れた?らしい。
何せ本人が『一身上の都合』としか言わなかったそうなので、状況証拠と憶測で語るしか無いのだ。
(あれを振るったのがギルガンド本人だったら……)
(ああ。この『シルバー&ゴースト』だって無事だったか……分からなかったぜ)
オレ達は【合体】を【魔法付与】された『シルバー&ゴースト』を見つめる。
【合体】と合わせる事で、オレ達の狙った先に確実に魔弾を命中させる効果を付与した。
さながら、二つに分かれていた部品が一つに戻ろうとするかのように――魔弾と対象は引かれ合い、最終的に九割以上の確率で命中する。
もう一つ、効果はある。
こう言った武器は実戦で使えば使うほど損傷・摩耗していくが、【合体】が付与されている事で、ある程度までは自動修復されるのだ。
……その限度をいつも超えて酷使しているから、オレ達はメンテナンス作業の時にいつもオユアーヴから睨まれるんだけれどな。
「伯父夫婦に毒を盛って家督を簒奪するような男が、それだけで心折れるものかしら……?」
ユルルアちゃんがもっともな疑問を言った。
そりゃそうだ。
これは、何か裏があると疑ってかかるべきだろう。
クノハルも神妙な顔をして頷き、
「兄に頼んで、こちらも情報を集めて貰いましょう。実は他にも用事があるので、私が夕方には兄のところに行きますから」
「頼んだぞ、クノハル。……うん?他にも用事だと?」
何度も周りに誰もいない(※【黒葉宮】に近寄る者なんてそもそもいない&オユアーヴはかりんとうを作っている)事を確認してから。
「キアラカ皇太子妃殿下がつい先日に皇女殿下をお産みになったでしょう?それの関係です」
「……平民出身だと聞き及んではいたが、まさかクノハルの知人だったのか」
クノハルはオレ達に肉薄してきた。
「誰にも言いませんか?」
否と言ったらオレ達の首を締め上げそうな顔をしている。
「ユルルア以外には言わない」
(オレも黙っているぜ、テオ)
(そうしてくれ、トオル)
「テオ様を裏切る事だけは、私もしないわ」
ユルルアちゃんがニッコリと笑うと、観念したようにクノハルは椅子に腰掛けて項垂れる。
「……キーちゃんは私が五才の時に貧民街にやって来ました。それから十数年の間……彼女がお貴族様の目に留まって帝国城に連れて行かれるまで、一番の親友でした」
……え?
あんな絶世の美女が!
「十年以上も貧民街で暮らして、よく無事でいられたものだな……!?」
貧民街はとにかく全方面で治安が悪い。
女子供が被害に遭う事だって珍しく無いのだ。
ましてや帝国一と呼ばれる美女なんだから、ただでさえ下心を出す男が続出したっておかしくないのに――。
クノハルは首を振る。
「キーちゃんに手を出す自殺志願者なんて貧民街にはいませんでしたよ。父親が【致死の赤】の首領だと知れ渡っていましたから」
オレ達とユルルアちゃんの時が完全に止まった時。
オユアーヴが揚げたばかりのかりんとうを器に盛り付けて運んできた。
「見ろ!今度こそ完璧に揚がった!」
と自慢そうにしながら。




