第十六話 初恋だった×叶わない夢
『フェーアを出せ』と騒いでいる母親と兄達の元へ、フェーアは駆け寄って絶叫した。
「もう止めて!お金ならあげるから、二度と来ないでよ!」
そう叫んで懐から有り金を取り出そうとした時、フェーアを取り囲むように前後に兄達が立った。
「お金なんか要らないんだよ、フェーア」
気持ちの悪い猫なで声で母親が言う。
「ずうっと役立たずのお前が、初めて役に立つんだから」
体に、衝撃。
「――えっ?」
フェーアは呆然とした表情で、己の胸に打ち込まれた【神の血】を見つめる。
違和感。
体に、違和感。
この一本だけじゃ……ない?
フェーアには見えなかったが、彼女の背中にも二本の【神の血】が打ち込まれていたのだった。
母親は唾を飛ばして喚いた。
「誰が恐ろしい【虚魂獣】なんかなるもんかい!全部、役立たずがなれば良いだけじゃないか!」
絶叫。
体が二つに裂かれるような断末魔の悲鳴を上げながら、フェーアは【虚魂獣】に変貌した。
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――ようやく駆けつけた、老獪なマダム・カルカすらも絶句していた。
目の前でフェーアが【虚魂獣】にされたのだ。
【虚魂獣】は吠えた。
【大遊郭】そのものを震わせるがごとく、夜の果てに届くかのように吠えた。
――長い咆哮が終わるや否や、そのバケモノは鋭い爪を振るって、目の前にいたかつての母親を一撃で絶命させ、逃げようとした兄達をもただの肉塊に変えたのだった。
全身が真っ赤に染まったバケモノの姿に、愕然としていた周囲からも我先に悲鳴が巻き起こり、周辺は大混乱に陥った。
バケモノは逃げ惑う人々を愉しそうに観察すると、動けないでいた間近のマダム・カルカに襲いかかる――。
「な、何の騒ぎなんですぜ……っ!?」
頭を押さえながらマダム・カルカの背後からゲイブンがよろよろと出てきた瞬間、バケモノの動きがピタリと止まった。
マダム・カルカはバケモノの目が人間に――フェーアの目に戻った事実に気付く。
「ブンちゃん……」
「フェーア……さん?」
ゲイブンの目がみるみる内に大きく見開かれ、顔が絶望と恐怖に歪んだ。
「っ!フェーアさん!」
けれども、事態を理解したゲイブンの動きは速かった。
バケモノの目が人間のままだと彼も気付いた瞬間、その血まみれの手を掴んで引っ張ったのだから。
「こっちですぜ、フェーアさん!!!」
「ぶ、ブンちゃん!?」
戸惑うフェーアにゲイブンは言う、
「だから、こっちですぜ、早く!」
「う、うん――」
マダム・カルカの「待ちな!ブンの小僧!!そんなに死にたいのか!?」と言う叫びも、追いかけてくる【番人】達も振り切って、夜のど真ん中を二人は手を握りしめて走り出したのだった。
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【無音通信機】が緊急通信を伝えてきた時、丁度オレ達はユルルアちゃんと机に向かって予習をやっつけていた所だった。
明日はガルヴァリナ帝国の歴史と地理と古典文学と数学の講義がみっちりとあるのだ。
幾ら対外的には無気力系皇子を装っていても、テオの性格上、実際に怠けるなんて出来ないので、こうして隠れて努力しているのだった。
「ホーロロ国境地帯の主要な交易品の代表例……最高級の上質紙以外は何でしたかしら、テオ様……」
確認しつつ、ユルルアちゃんは教科書をめくっている。
「工芸品やその修復作業にも用いられる程の上質紙と……他にはホーロル高地にのみ生息する獣に由来する品々だったはずだ。特にホロルス白山羊の毛は軽いのに暖かくて、かつ難燃性があって……」
「そうでしたわ、誰もが欲する高級織物の素材として有名でしたわね。ですけれど……」
「ああ。ホーロロの在来の部族衆が、【赤斧帝】が攻め込んでから酷い混乱状態にある……」
「その影響で紙も毛も……帝国では高騰しているのでしたわね」
博覧強記のクノハルがいればもっと詳細に説明してくれたんだろうが、既に彼女は退勤して官舎街の自宅にいる頃だろう。
【黒葉宮】に住み込みで働く宦官のオユアーヴが、夕食の後片付けと風呂の支度をしている物音がする――。
『すぐに【よろず屋アウルガ】に来てくれ、「シャドウ」!』
焦ったロウの声なんて、久しぶりに聞いた。
「どうした、ロウ!?」
急いでオレ達は車椅子を立って、『シャドウ』の支度を始めた。
『【虚魂獣】が……泣いている』
手伝ってくれるユルルアちゃんの手も、止まった。
『「このままじゃひもじくて、ブンちゃんの魂まで食べてしまう」、ってな……』




