第十四話 爛れた保管庫×憤怒する緑毒
体調不良を口実に、ニテロド一族の館に下がったアーリヤカ皇太后は、室内で忙しなく行き来しながら、握りしめた扇を弄っている。
「アーゼルトよ……真なのであろうな?」
「真ですとも。【V】の方から姉上にお目に掛りたいと申し出て参りました」
対照的にゆったりと椅子に腰掛けて、アーゼルトは落ち着き払っている。
「これが届いた時は、必ずハウロットでなく当人がやって来ます故」
そう言うと、アーゼルトが円卓の上に布きれを置いた。
粗末な布じゃな、とアーリヤカが思わず眉をひそめた瞬間、アーゼルトはその布をめくった。
「……!」
驚くアーリヤカの目には、切り落とされた人間の小指が映っている。
アーゼルトはにこやかに、
「【虚魂獣】になりさえすれば、小指くらい容易に再生できるそうですので」
と言って布で覆って、また懐にしまった。
アーリヤカは呆れた顔をする。
「打ち込んだ【神の血】を破壊する、もしくはえぐり出す事でしか人には戻れぬ上に……戻ったとしても長生きは出来ぬのであったな?」
「されど姉上、【固有魔法】が一つ増えると言うのはあまりにも魅力的ですよ」
「そうじゃ!」ここでアーリヤカは、はた、と手を打って、「逆に下品なキアラカ共に【神の血】を打ち込む事は出来ぬのか?さすれば幾ら皇太子であろうと、我が手で妃と子を処分するしかあるまいて!」
彼女なりの妙案だった。
そうなのだ、何もこちらばかりが苦労して手を汚さなくても良いでは無いか。
しかし――、
「今は産まれたばかり故に警備が厳しくてたまらぬのですが、何、もう半年もすれば――」
馬鹿者!とアーリヤカは暢気な発言をした弟に近付いて扇で何度も殴った。
「その間にミマナとレーシャナのどちらかでも孕んで、もしも男児だったならば!ニテロドの栄華は未来永劫に滅び去ってしまうであろうが!」
手で頭を庇いながら、アーゼルトは言い訳するしか無い。
「ですが姉上、今は幾ら何でも無理でございます!【帝国十三神将】が交代で護っているとの事!我らニテロドだろうとあまりにも相手が悪すぎるのですよ!」
「……!」
醜悪な形相を怒りに歪めて、アーリヤカはついに扇をへし折った。
「母上!」
へし折った扇など投げ捨てて、アーリヤカは笑顔で振り返った。
「おお、帰ったか、我が愛しのアルドリックよ!」
――その笑顔が憎悪のため一瞬で歪む。
「お邪魔いたしております、アーリヤカ皇太后様」
アルドリックは同じ【寵臣達】の中でもニテロド一族の同志と呼べる、大貴族ブラデガルディース一族の末娘サティジャを連れていた。
何でも言う事を聞く従順さもあって、見た目も可愛いから、この美少女はアルドリックの一番のお気に入りなのだ。
ブラデガルディースとは『いずれはサティジャを未来の皇帝の隣に据えて欲しい』と言う密約も結ばれている事だし、こうやって寵愛しても何の問題も無い、とアルドリックは思っている。
もっとも、アーリヤカからすれば、ただ一人の可愛い息子を奪った泥棒猫も同然。
今まで数多の憎い相手を容赦なく毒殺し、虐げてきたアーリヤカだったが――この泥棒猫だけは殺せない。
そんな事をすれば大切な味方のブラデガルディースが離反してしまう。
いや、ただの離反で済めば良い。
離反したブラデガルディースが皇太子側に付いた時点で、ニテロドは丸ごと破滅である。
「母上、聞いてくれよ!また下民共がさ、俺様を馬鹿にするんだ!俺様こそ未来の皇帝なのに、馬鹿にするんだ!」
ここにテオドリックが存在したら、小声で呟いただろう。
『威張るしか出来ない癖に未来の皇帝の座を望む、そのさもしい性根を軽蔑して何が悪い?』と。
「おお……妾の可愛いアルドリックよ……!」
膝に顔を埋めて甘えてくる可愛い我が子を慰めながら、アーリヤカは視線でサティジャを睨み付けた。
「きゃあ」
とサティジャはとても可愛らしい悲鳴を上げて、側にいたアーゼルトに力無く垂れかかる。
アーリヤカからすれば忌々しい事に、この美少女はぽろぽろと上手に涙まで流しながら、
「どうかお許し下さいませ、知らせも無く館に押しかけてしまった私の非礼を……」
美しい少女に甘えられて頼られて気分が良くなったアーゼルトは、よしよしとサティジャを慰めながら、
「姉上……そこまでお怒りにならなくとも宜しいではござらぬか。何よりブラデガルディースの末娘なのです、幾ら我らとて蔑ろに扱うわけには参りませんぞ!」
明らかにアーリヤカの負けだが、この女は素直に負けを認めるくらいならば相手を毒殺してきた。
なのに――!
「……っ!」
思わずアーリヤカは毒々しい紅を塗った唇を噛みしめた。
サティジャはしくしくと泣きながら俯いて、同情を誘う可憐な声で、
「いいえ、皇太后様のお怒りはごもっともなのです。私のような卑しい者が『アル様』のお側に侍りたいと望んでしまっただけで、十分に不遜なのですから……」
「っ!」
アーリヤカの怒りが頂点に達した。
アーリヤカは、うんとアルドリックを甘やかす時にだけ『アル』と呼ぶ。
それを、この小娘は――さもこの妾に勝ったかのように!
「サティジャ、貴様っ!!!!!」
堪えきれずに怒声を上げたものの、
「……ん?母上?」
が、怪訝そうにアルドリックまで顔を上げてしまった。
咄嗟にアーリヤカは表情を取り繕って、
「……いや、何でも無いぞえ。ところで可愛い妾の『アル』よ、学業に精を出してさぞ疲れたであろう。浴場でゆるりと体を清め、しっかり休めてくるが良いぞ」
「じゃあ、そうするよ。そうだ叔父上、サティジャがまた何かの用事があるんだってさー」
特に興味の無い様子でアルドリックは伝えると、さっさと浴場の方へ歩いて行ってしまった。
「うむ、うむ……」
アルドリックの姿が見えなくなるまで見送った途端――般若の形相でアーリヤカはサティジャに迫った。
「泥棒猫め、この妾に何の用じゃ!」
「まあ、アーリヤカ皇太后様、怖いですわ……!」
そうやってサティジャは最大限にアーゼルトの同情を引いてから、
「……実は、これが我が家にも届きましたの」
鞄から小さな布包みを取り出し、中身を見せた。
切断された誰かの小指を。
「そろそろハウロットから定時連絡がある頃ですから、もしかして……と思ったのですわ」
美少女サティジャは可憐な容姿に似合わぬ、残忍な微笑みを浮かべた。
アーリヤカは気付くが、アーゼルトには気付かれないように。
案の定アーリヤカは余計に顔を歪めたが、アーゼルトはご機嫌で、
「恐らく今夜だろう。サティジャ嬢、君も今夜はこの館に泊まって行きなさい。ブラデガルディースの館にはこちらから使いを知らせて出しておこう」
「お有り難うございます、アーゼルトおじ様。【神の血】の【秘庫】たる私の務めも、これで無事に果たせそうですわ」
そう言うなり。
サティジャは着ていた服を脱ぎだした。
まるで妖精のように若く美しい裸体を人前に惜しげも無くさらけ出すと、下腹部に手をやる。
――カチリ、と音を立てて『鍵』を開け、彼女は細い指で体内から小箱をするりと取り出す。
その小箱を机の上に静かに置いて、彼女は挑戦的なくらいに蠱惑的な視線でアーゼルトを見つめる。
「それで……アーゼルトおじ様。此度は、何本ほど御用意すれば宜しいでしょうかしら?」
「そう、だな……」
粘ついた視線でサティジャの体の曲線を執拗に撫でてから、アーゼルトは頷いた。
「3本貰うとしようか」
「はい、おじ様。どうぞ」
サティジャは四角い絹布を机に敷くと、蓋を開けた小箱の中から【神の血】を1本ずつつまんで取り出し、並べて置いた。
苛立たしげなアーリヤカなどものともせず、彼女は小箱に蓋をすると再び己の体の中に仕舞い込み、『鍵』をかけた。
3本、【神の血】を確かに間違いなく受け取って、アーゼルトは下卑た笑いを浮かべる。
「実に!実にサティジャ嬢、君の【固有魔法】――【秘庫】は素晴らしい。恐らくこの帝都で最も安全かつ確実にモノを隠しうる存在だろう」
「うふふふ、おじ様ったら、本当にお上手なのですから。ブラデガルディースの血を引く者は、『仕舞う』事に関する【固有魔法】を持つのですわ。誰にも奪われぬ場所に、安全に、永遠に……」
――怒髪天のアーリヤカが叫んだ。
「それよりもじゃ!今度の『それ』は誰に使わせるのじゃ!」
まあまあ、とアーゼルトは慣れた様子で激高する姉をなだめる。
「いつもニテロドの縁者に使わせては、流石に勘づかれてしまいましょう?ですので、ある貧しい下民の家族に施してやるつもりですよ。そう、娘を【大遊郭】に売り払ったのみならず、我がニテロド一族の縁者の家に泥棒に入ったくらい、卑しく貧しい、ね……」




