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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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親友が増える井戸

掲載日:2025/11/04

 女の死体と目が合った。


 いや、たまたま自分の目線が、その死体の、虚ろな瞳とかち合っただけに過ぎないのはわかっている。

 それでも、不思議と満たされた。





 ──自分は、いわゆる陰キャの男子というやつで、幸いなことにクラスメートからのいじめの対象にこそならなかったが(その役割は同じく陰キャなSというヒョロガリの眼鏡が担っていてくれた。ありがたい話である)、だからといって周りから好感を持たれたりすることも当然なく、二月十四日にはそれなりに会話したことのあるクラスメート女子から消しゴムくらいの大きさの義理のカカオ菓子を二個か三個貰えるくらいの地位だった。底辺に落ちるほどでもない、上位に浮上することもかなわない、中の中といったあたりに自分はいた。


 とはいえ、不良に目をつけられ、可愛がられるぐらいのことはある。

 そんな時は我慢だ。

 少し耐えれば、嵐は過ぎ去る。そう長くはかからない。


 だが、その日の放課後は、いつもより多く蹴られた。

 夏から秋に移行する、その中間くらいの時期だった。


 Aというその不良の、虫の居所が悪かったのか。ヘラヘラと半笑いでこちらの尻を一度蹴飛ばして満足するのがお決まりの軽薄な茶髪男は、何度も執拗にキックを続けてきた。

 泣き笑いみたいな顔をしながら『やめてくれよ』と媚びるように言えばどこかに行ってくれるはずが、この日はやめてくれない。

 尻の痛みと腫れが増していく。

 周りの、そいつといつもつるんでいた不良仲間ですら、Aのしつこさに途中から引いていた。最終的にはそいつらがAをやんわりと止めたくらいだ。なんで今日はこんなに蹴られなければならないのかと、内心で悪態をつくくらいしか自分にはできなかった。言葉にはできない。口に出せばまた蹴りが飛んでくるのは自明だった。

 後にわかったのだが、Aの家庭は父親の浮気が判明したせいで破綻しかけていたのだという。そのうっぷんをAはこっちに向けてきたのだ。

 つまりは頭の悪い八つ当たりだ。頭の良い八つ当たりなんてないとは思うが。


 なんで自分がこんな目に。

 他にもいるだろう。どうして自分が選ばれなければならなかったんだ。



 ふと、視線を感じる。



 ……Sだ。


 Sのやつが、まるで己よりもランクの低い奴を見るような目で、わずかににやけながら、尻を押さえ涙目になっている自分のほうを廊下からこっそり見ていた。


 屈辱だった。

 走り寄って掴みかかり『お前にだけはそんな顔されたくねえんだよ』と叫びたかったが、情けなさに心の大部分を支配されていた自分には、そんな元気もなかったし、それをやったらもっとみじめになる気がした。

 早足でその場を離れた。走れば泣いてしまいそうだったから。


 死にたくなった。

 死ぬしかなかった。



 学校の裏山に向かった。



 あのSに、よりにもよってあの底辺のSに、哀れみ混じりに小馬鹿にされた。なんてことだろうか。悔しくて悔しくて、生きていられなくなった。生き恥をさらしているとしか思えなくなった。

 明日、どんな顔をして学校に行けばいいのか。

 しかも、登校したらまたあの下劣な男から蹴りの連打がくるかもしれない。さっきは不良どもも止めてくれたが、明日もまた止めてくれるなんて保証なんかありはしない。

 恐怖。

 あんな情けない思いをして蹴られたくない。痛いのは嫌だ。恥ずかしいのも嫌だ。もう死んだほうがましだ。

 重苦しい絶望が背中にどさりとのしかかってきていた。


 だから、死ぬ。

 だから、首を吊ることにする。


 高いところから落ちるのは怖いし、電車にはねられるのは痛そうだ。服毒するにしても何を飲んだらいいのかわからない。手首を切るなんて辛そうだ。溺死なんて想像したくもない。焼死? 凍死? 論外だそんなもの。

 消去法のすえ、誰にも邪魔されなさそうな場所で首を吊るしかなかった。

 S以下の虫ケラになるくらいなら、そのほうがはるかにましだ。



 そんな衝動に突き動かされ、ロープの代わりに電気コードを愛用のカバンに詰め、裏山に行き、自殺しようとしているのが見つかりにくそうな草むらの奥へ奥へと進んでいくと。


 井戸があった。


 そこまで古くなさそうな、近年まで使われていたのかもしれない、石造りの井戸。

 死に場所を探している身の上でありながら、やはり井戸というものを見つけると人間誰しもそうなるのか、ついその中を覗いてみたくなってしまった。

 阻むものは蓋代わりの数枚の木の板と、重石として置かれていた、漬物石程度のサイズのコンクリ塊。

 苦もなくどかし、井戸の中を覗いた。





 そして──女の死体と目が合ったのである。





 見知らぬ女性だった。

 三十代くらいのように見えた。

 そう、はっきりと見えている。見間違いなどでは絶対にない。幽霊や幻覚の可能性もない。死体でありながら、存在感がある。この存在感は本物だ。

 この井戸は、まだ枯れてなかったらしい。女性は、ぷかりと水面に浮いている。

 水死体というのは異様に膨らむというが、全身はここからではわからないが……そんな、ぶよぶよしてるようには見えない。普通の姿に見える。なら溺れ死んだのではないのか。それとも死んだばかりか。

 自殺? 事故? それとも他殺?

 もしかして自分が第一発見者なのか? 警察に通報しないといけないのか?

 様々な思いが連想ゲームのごとく次々に発生する。ついさっきまで自らの命を断つことしか考えてなかった頭が、ぐるぐると回る。

 一方で、この女性は、悠然として(この場合に悠然なんて言葉は不釣り合いかもしれないが、そう感じたのだ)井戸の中にいた。濁った瞳で、死人の瞳でこちらを見ていた。


 なぜだろうか。


 目が、離せない。


 こんな風に、あらゆるしがらみから解放されて、ただこの世に在りつづけたいと、羨ましくなってしまったのか。

 電気コードの入ったカバンを背負ったまま、いつまでも、自分はその女性と見つめ合っていた。



 それから、どうなったのかというと。

 結局、自殺は止めた。何もかもどうでもよくなったのだ。

 自分もあの女性のように、この世にただ浮かび続けていたい、なんとしてでも浮かび続けていようと、そう決心した。


 だから、またしても翌日、Aが自分の尻を蹴飛ばしてきても、痛みに耐えつつ死人のように無気力無表情でいた。死人のような焦点の合ってない瞳でAを見た。『文句があるのかよ』と胸ぐらを掴まれても、何も言わず、死人のままでいた。

 顔を殴られた。

 それでも、自分は死人として、鼻から流れる血をぬぐうことなく立ち尽くしていた。Aも、Aの仲間も、他のクラスメートも、不吉なものを見るような目を向けてきたが、むしろそれこそ本望だった。死人はそんな目を向けられるべきだから。



 それからの自分は、不気味な腫れ物のような扱いを浮けるようになり、誰も寄ってこなくなった。触ってはいけない肉の塊がクラスの一ヶ所に生えてるような感じだろうか。教師すら嫌がるようになった。自宅でも、親から『もう高校生なんだからピシッとしっかりしなさい』と言われたが気にしない。どうせ我が家の両親は優秀な姉上様のことが最優先で、こんな無能が服を着ているような自分のことなど二の次はおろか三の次なのだから。案の定、そのうち何も言わなくなった。



 生きた人間とのコミュニケーションを避け、あの、素性もわからぬ謎の女性の死体と見つめ合うのが唯一の趣味──いや、生き甲斐と呼べるものだった。

 あまり頻繁に来ると、世間のどこにでもいる暇人どもが面白半分に目をつけてくるかもしれないので、そこには注意をはらいながら、定期的に井戸にきては、無言の語らいを楽しんでいた。


 しかし。

 やはり、この世に、ずっと変わらぬものなどないらしい。



 この井戸を見つけてから、数ヶ月。

 女性の死体は次第に浮力を失い、やがて、はかなく井戸の底に沈んでいった。


 涙が、止めどなく溢れた。

 自分にとって、ある意味で親友ともいえる女性が、何も言わず去っていった。悲しかった。もうあの瞳を見られないことに、心底、絶望した。


 とぼとぼと力なく歩む、その帰り道。



 男に襲われた。



 『次はお前だ』だの、わけのわからないことを口走りながら、長い金属棒──バールのようなものというやつか──で殴りつけてくる、作業着姿の中年男。狂ってるとしか思えない。

 必死に抵抗した。

 死人を演じている場合じゃなかった。このままだと本当の死人になってしまう。

 とても幸運なことに、自分は熊撃退用のスプレーを持っていた。この地域で熊が出たことは過去にないらしいが、もし、初の一人目の犠牲者に自分がなるのは避けたいと思い、お守り代わりに所持していたのだ。転ばぬ先の杖が想定外の役に立ってくれた。

 左腕を打たれはしたが、スプレーをその無精ヒゲだらけの顔面にかけてやることに成功した。左腕は痛いことは痛いが折れたりはしてないようだ。動く。中年男が汚い顔を両手で押えて苦しみ、思わず手から落としてしまったバールのようなものを拾うことができた。武器は得た。今度はこっちが反撃に出た。


 その後のことは、よく覚えていない。


 気がついたら、虫の息の中年男の前で、立ち尽くしていた。

 呼吸がとても荒くなっていた。学校行事でやりたくもないマラソンを一応真面目に走ったあとのような、何の達成感もない、無駄な疲れに嫌気が差したときの気分に似ていた。手に持つ金属棒は血に汚れていた。

 つらい。

 これはつらい。

 こんなのは嫌だ。

 こんな必死な自分は嫌だ。死人でいたいのに。物言わぬ死体と、無言で語らいたいだけなのに。



 自分は、また井戸に引き返していた。


 重石をどかし、木の板をどかし。

 疲れた身体にムチ打ちながらここまで引きずって連れてきた中年男の、弱々しい『やめろ。やめてくれ』という泣き言を聞きながら。



どぼん



 あのダメージと、この深さだ。生きて這い上がることはできないだろう。

 あとは、数日待てばいい。

 そうしたら、中年男が新しい親友に生まれ変わる。誕生する。また、あの穏やかな、安らぎに満ちた一時が復活するのだ。





 ……ところで、Aのことだが。


 奴は次第に自暴自棄になり、不良仲間や教師にまで吠え、牙を剥く有り様となった。

 しかし、Aはもともと、そこまで腕っぷしが強いわけではない。度が過ぎたタチの悪さに辟易した仲間たちはついに校舎裏でAのやつをボコボコにしたという。見たわけではない。あくまで聞いた話だ。Aがやがて学校に来なくなった次の日に、そんな話をクラスの女子達がしていたのを小耳に挟んだのだ。

 そして、翌週。

 Aの両親が離婚したみたいだと、その女子達が話していた。

 なんにせよ、クソのようなあの男がもう学校に来なくなったのは喜ばしいことだった。


 それからも、自分は死人であろうと努め、死体との語らいも続けていた。



 だが、やはり、年の離れた親友もまた、時の流れと自然の法則には勝てず、井戸の底へと消え去っていった。

 かつては理由もわからず殺しあった関係ではあったが、語り合ううちに、心が通じあった。わかり合えたのだ。

 バイバイな、親友。



 しかし、運命はまたしても新たな出会いを自分にもたらしてくれた。これを()()()出会いというか怪しいものがあるが……。

 親友との別れを惜しみながら下山していた自分のもとに、なんと──姿を消したはずのAが現れたのだ。


 どうやら、裏山に入っていく自分の姿をたまたま目撃したらしい。井戸のことは知らないようだ。

 手にはマイナスドライバーを持っている。

 まさか、大工やエンジニアになったわけでもないだろう。

 ──後から知ったのだが、Aは学校に来なくなったあと車上荒らしをやってたそうだ。きっとドライバーは車の窓をこじ開けるために使用していたに違いない。あくまで噂の範疇(はんちゅう)だが。


 『ほら、あの時みたいに仏頂面して我慢してみろよ。オラ』などと言いながら、ドライバーで頬っぺたをベシベシ叩いてきた。刺されるよりはマシだが地味に痛い。

 Aの表情は以前よりもずっと人相が悪く、ほとんど異常者のそれだ。クスリでもやってるのかと疑いたくなるほど目が殺気に満ちてイカれている。自分を殺す気なのかもしれない。返答次第では。


 だからお決まりのスプレー噴射だ。

 いつも蹴られるがままの陰キャがこんなことをやってくるなんて、想像すらしてなかったのだろう。もろに喰らい、悲鳴をあげながら砂利道に倒れ、のたうち回るA。

 Aがみっともなくもがくのを眺めながら、自分の心が冷めていくのを、残忍になっていくのを感じる。


 こんな真似をした以上、もう、話し合いでどうにかするのは無理だ。

 やるしかない。

 殺る。


 覚悟を決め、近くに転がっていた大きめの石を拾い──自分は、Aを殴った。

 爽快だった。

 目がやられているので反抗もできず『ぎゃあ』だの『やめろ』だの『ただですむと思ってんのか』だのと口走るしかないAの声と動きがだんだん弱まっていく。たまらない気分だった。

 この世にこんな娯楽があったなんて。

 なるほど、納得できた。だから、AやAの仲間は自分やSをいじめていたのだ。これがいじめなのか。こんな気持ちよくて楽しいこと、やめられるはずがない。

 楽しすぎて、殺してしまった。


 いや、まだ死んでない。

 ピクリ、ピクリと、不規則に動いている。



 また井戸に戻る。

 親友のサナギとでもいうべき者を、引きずって運ぶ。


 重石をのけて、木の板を取り去る。

 かろうじて生きているサナギを持ち上げ、中に落とす。

 大きくて重いものが水に落ちる、凄い音。

 木の板でフタをして、再び重石。


 これでよし。

 どんな輩でも死ねば友、親友だ。


 うきうき気分で砂利道を下る。

 ……が、浮かれてばかりもいられない。後始末がまだ残っている。

 一番近場にある公園で水を汲み、また砂利道に戻る。水筒などはないので、ゴミ箱に捨てられてあるペットボトルをその代わりにするのだ。そして汲んできた水で、凶器の石にべっとりついた血を流す。

 証拠隠滅だ。

 以前に使ったバールのようなものも、こうやって洗ってから鉄屑のリサイクル屋にこっそり置いて立ち去った。これはただの石だからそこらに転がしておけばいい。わざわざ往復してまで水を汲んできたのは、凶器を持ったまま公園まで行きたくなかったからだ。あまりにも見られるリスクが高すぎる。


 洗い終えた石を砂利道の脇に投げ、公園にまた寄って使ったペットボトルをゴミ箱に捨てると、今度こそ帰宅する。

 今日はいつもよりぐっすり眠れそうだ。



 こうして、Aも、井戸の住人になった。

 高校生が一人いなくなれば世間だって問題視するだろうし、捜索されて、あの井戸が見つかるかもしれないという不安があったが、しかし、大丈夫じゃないかなという安心も同時にあった。

 なにせ、Aの前の親友も、そのまた前の親友も、事件にはならなかった。

 最初の親友については、まあ、なっていたのかもしれない気もするが、二番目の親友は特に捜索などされてなかったし警察があちこち嗅ぎ回ってもいなかったはずだ。しかもAは親との関係のみならず友人や教師とも険悪になっていた。そんな奴が消えたところで誰が探したいものか。


 その予感は的中した。

 やはり、Aの安否を気づかう者などおらず、どうせ何かしでかして地元にいられなくなり、よその県にでも逃げたのだろうと誰もが思ったようだ。Aの両親など、まともに育たなかった駄目な息子をどちらが引き取るかで長らく揉めていたのだが、それが思わぬ形で解消されたことで、息子の失踪に胸を痛めるどころかホッと胸を撫で下ろしたらしい。そう考えると、自分もAも、親から期待されてなかったという点では、同類だったのではないだろうか。


 そうか。

 そうだったんだな。


 井戸の中に浮かぶ、親友A。

 その、ぼやけた瞳が俺の思いを受け『ああ、お前の言う通りかもしれない。なんてこった。すまない……今まで悪かったな』と、語ってくれていた。





 やがて、わかってはいたが、Aも、沈んでいった。

 Aがいなくなり、それほど短くない間隔でまた別の誰かが消えるのは、流石に不自然すぎる。警察がスピード違反の取り締まりにしか本腰を上げない怠慢な組織であろうと、そうなれば、世間の声に押される形で動かざるを得なくなる。


 なので、一年ほど我慢してから、Sに親友になってもらった。

 どこからどう見ても、そして本当に非力な男だ。造作もなく捕まえ、いたぶり、沈ませることができた。





 ──それからも、数多くの親友と語り続けた。


 高校から、大学、そして社会人。

 だんだんと大人になるにつれて、心に落ち着きとゆとりが生まれてきたのか、死人のような振る舞いも、ゆっくりと軟化して、人との触れ合いも(ギクシャクしたものはあるが)それなりにこなせるようになった。それでも、性格は悪くないが、かなり気難しい人間だと周囲から認識されてはいた。

 古い親友と別れ、新たな親友と出会うペースも、次第に、間隔が開き始めた。

 本音を言うなら、仕事をそっちのけにして出会いに力を注ぎたかったが、生活のためにも、そこは一歩引くしかなかった。水道関連の仕事だ。大した儲かる仕事ではないが、そこは、むしろ好都合ではあった。収入よりも暇や余裕のある仕事のほうが親友の物色ができるからだ。それでも、しばらく地元を離れて地方で勤務したりすることもしばしばあり、そうなれば、親友と語り合えないストレスやフラストレーションが溜まりに溜まっていく。

 やっと戻ってきた頃には、親友はとっくに井戸の底。世知辛さと理不尽さがもたらす永遠の別れ。

 やり場のない怒りがおさまらない。

 そんなときは決まって、井戸からさほど離れてない場所で、とにかく目についた者を襲って親友にしていた。それもできるだけ暴力的に。異常で過剰な振る舞いをすることで頭をリセットする、それがイラついてすさんだ心に良く効くのだ。


 今回もそのつもりだ。



 母校の裏山にある、砂利道を歩く。

 半年振りだ。

 もう、あの井戸にいた最新の親友は、とっくに消え失せているだろう。

 洒落っ気のない、地味な女性だった。図書館に勤務していたけど、精神的に病んで休職していたと言っていたな。飲み屋で声をかけて、意気投合したふりをしながら、そんな話を聞き出したはずだ。赤の他人に声をかけるなど自分には至難なのだが、親友作りとなればその気恥ずかしさを抑え込み大胆にふるまえる。そうして捕まえ、無力化して、沈めたのだ。

 そういえば、他にも、結婚相手を探せと親がうるさいなんてことも言ってたな。

 ……どうでもいい話だ。


 そんなことより、もっとあの井戸で、じっと見つめ合いたかった。

 もっと、もっと、もっと。


 ああ。

 このストレスを、発散したい。荒々しく、容赦なく、親友を得たい。狩りたい。

 木刀を片手に、誰か、一人でこないものかと、木陰に身を潜ませる。どうせ井戸には誰もいないのだ。行く必要はない。行くならサナギと一緒にだ。こんなところで待ち伏せしても獲物は来ないとは思うが、これは、一種のルーティンめいたものなので、やらないとどうにも気持ちが悪いのである。

 それに、過去に成功した例もある。二十代くらいの女性だったか。素性はもう覚えてないが……。


 こうして息を潜めて隠れていると、うっすらと汗が出てくる。夏の暑さがようやくやわらいできたとはいえ、まだまだ気温はそう簡単には下がらない。

 この様子だと、今年の秋は、もしかしたら来るのが遅いかも……。


 …………!



 砂利を踏む音が、聞こえてきた。


 来た。

 来たぞ。

 やはり、待ってみるものだ。



 男子高校生だろうか。

 制服は着てないからよくわからないが、発育のいい中学生かもしれない。ジャージを着てるが、学校指定のものではないはずだ。

 砂利道を降りてきたってことは、おそらく、ジョギングでもしてたのだろう。この地域は熊も出ないしな。それに静かだ。まあそれはどうでもいい。あちらは無手、こちらは武器有りだ。もう抑えられない。


「──今度はお前だ!」


 木陰から飛び出し、木刀で殴りかかる。狙いは脳天だ。


すかっ


 当たると思った必中の一撃は、しかし、やすやすとかわされた。

 視界がぐるりと回る。

 よけたと同時に、少年がこちらの手を取り、こう、くるっと動かしたら天地が逆転して──


 衝撃が、頭にきた。

 ぐらぐらする。

 投げられたのか。自分が。

 この少年はただ者じゃない。まずい。武道の心得がある。やばい。これは本当にまずいぞ。

 逃げないといけない──そう思った次の瞬間、首に何かが激突し、ぼきりという音がして、凄まじい痛みが走った。

 この感触は……靴? 首を、蹴られたのか?

 折れた……?

 急に身体が、手足が……なんだ、動かなくなってきた。口から、生温いものが溢れ……こぼれて……くる。これは、血だろうか……?


 引きずられる。

 少年に……引きずられていく。



 見覚えのあるルートを、通り……見覚えのある、場所……。

 重石を、持ち上げ……草むらに置く……音。フタ代わりの……木の板をずらし、重石の……横に置く音……。いずれも……聞き覚えの……ある音。


 身体が、ぐっと、持ち上げられ……首が、ぶらぶらと……力なく揺れ……。


「や、やぶぇおっ……」


 やめろと、そう言ったつもり、だったが……口から出てきたのは……ごぼごぼという濁った音。そして、血液……。


 ──浮遊感。



どぼん



 思っていたよりも、重く……響く音。

 この音を、井戸の中から、聞くことになるなんて……。

 冷たい……ああ、冷たい。

 まだ……暑さの残る季節……でも、とても冷たい。どうして、こんなに……ここの水は冷えて……。

 ……偶然、身体が、上向きに、なった。

 井戸の中から、空を見上げる……形。


 少年と、目が合った。


「まだだね。その目……まだ命が残ってる。これじゃ僕らはわかり合えない」


 それだけ……言うと、少年はフタを……していく。

 空が、消える。

 暗闇。


 ……意識が、薄れていく……。

 ぼやけていく……意識の中、最期に思い出したのは……死人になるのを望んだ、あの頃…………。



 こんなことを、望んで……いた……のか…………なんて愚かな……ああ、死にたく…………





 …………………………………………

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― 新着の感想 ―
おお!不気味なタイプのホラーだ! 一体“何に”呼ばれて(憑かれて?)しまったのでしょうか。 陰キャ君、バグり切らなかった(なんやかんやと社会人やってたし)から引き込まれてしまったのかな?(この井戸、そ…
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