不完全の完全性
※キーワードにもあるように、この思想は破滅的です。宗教関連の方が見たら気分を害される恐れがあります。そういった方は初めから見ないことをお勧めします。
不完全の完全性
僕は時折考える。
人と言う種はなぜこうも不可解且つ理不尽な生き物なのだろう、と。
もしもこの世界を生み出した神と呼ばれる存在があるのだとして、
なぜこんなにも非効率な存在を生み出したのか。
神の定義に依るならば、人に自意識なんて不確定要素の強いイレギュラーを認めるはずがない。
人は不完全で理不尽で、どうしようもなく非効率だ。
この不完全さを神という存在の唯一の失策ととるのか、それともそこにはなくてはならない何か重大な意味があるのか。
前者はあり得ない。
なぜなら我々の考える神とは完全にして無欠。全知全能であるのだから。
ならば
我々人間を不完全な生命体として生み出した意味。
考え得る一つの可能性としては、
この不完全さこそが、神の求めたものなのだろう。
不完全なものこそが完全である。
これは僕の持論だ。
もしどこかで同じような言葉を聞いたことがあるならば、二番煎じと
笑ってくれていい。
だが、僕は思うのだ。
全ての生あるものに、形あるものに死が訪れるのだとしたら。
この世界にも、そして神にも必ず寿命がやってくる。
そしてそれはきっと、僕たちのような不完全なものがあるからこそ、
訪れる終わりだ。
僕たちはもしかしたら、世界に、神に寿命を与えるために存在しているのかもしれない。
神の捉える、一貫性という名の完全を体現するために。
僕たちが不完全で愚かであるからこそ、神の創造せし完全なシステムは稼働する。
この愚かさが、いずれ世界の、神の死を招く。
それこそが、神の願い。神の思惑。
僕はそう捉える。
ならば進もうか。
この愚かな身のままに。
地球を殺し、世界を殺し、いずれは神をも引き裂こう。
ただ愚かな身なりに。
愛すべき死と終焉を、隣人として。
ここに登場する「僕」とは、基本作者です。故にこの思想は作者の思想でもあります。「神」というもの。何故僕たちはやることなすこと上手くいかないのか。少々鬱っぽくなりますが、結局、宗教的だったり哲学的な思想って、個々人の考えるものこそが真実なんですよね。僕は僕なりの神様観を、この文で表現したつもりです。