8.
「あの、ディアレインさん…改めてご挨拶します。ハヅキ・アリサカといいます。お茶会に招いてくださったのに、ろくにお話もできなくて…その節はすみませんでした」
背中を覆う長さの艶やかな黒髪に、同じく黒い瞳。この国では滅多に見ることのない色彩をその身に宿す聖女様は、小柄でお可愛らしい声の清楚な美少女だ。
「そんな、とんでもないことです。そもそも茶会では主催者である私から話し掛けるべきでしたのに、こちらこそ申し訳ございません。ローハルト殿下の護衛なぞ蹴散らしてしまえばよかったですね…」
「蹴散らす…?悪役令嬢って武闘派だったっけ…?と、とにかく今日は、お時間を作っていただきありがとうございます!」
「聖女様、お気遣いなく。このような機会を持てて大変光栄に思っております」
「えっと、できればハヅキと呼んでいただけないでしょうか…聖女様って、なんだかしっくりこなくて。同年代で同性ですし普通に名前で呼んでもらえた方が落ち着くというか、有難いです」
「では、私の事もディアとお呼びください。同じ年頃のご令嬢たちは、私が殿下の婚約者だったせいかどなたも愛称では呼んでくださらないので、ハヅキ様がディアと呼んでくださるならとても嬉しく思います」
ちゃっかり愛称で呼ばれる栄誉を確保しながらニコリと笑いかけると、ハヅキ様はなんだか泣きそうな顔になる。
「ディアさん…あの、私のせいでローハルト殿下との婚約が駄目になったと聞きました。本当にごめんなさい」
先程のカレン様のように、ハヅキ様も頭を下げて私に謝罪した。うん、黒髪美少女の旋毛も素晴らしい。そして女神と聖女に頭を下げさせたローハルト殿下はやはり許し難い。
「ハヅキ様、どうか顔を上げてください。婚約破棄はひとえに私がローハルト殿下との信頼関係をきちんと構築出来ていなかったが故に起こったのです。あなた様のせいではございません」
そもそも殿下はあんな形で突然婚約を破棄するのではなく、まず私と直接話をするべきだったのだ。それが難しければ私の父であるベスター公爵と話したり、殿下と同学年の私の弟テオドールに相談を持ち掛けるなど、事実確認と周囲への根回しをきちんとするべきだった。そういったことを放棄していきなり行動に出たのは、私のことを欠片も信じていないからだろう。長年婚約者としてやってきて、それなりに信頼関係を築けていると思っていたのはこちらだけだったのだ。我ながら情けない。
「それよりも私、ハヅキ様に嫌われていないとわかって安堵しております。これから仲良くしてくださいますか?」
「はい!ディアさんと仲良くできるなんて、とっても嬉しいです!」
「これでハヅキの言っていた”バッドエンド”の一つは回避できたかしら?」
「カレン様!!悪役令嬢に逆恨みされて刺されるルートは完全に回避出来ました!!!」
ぐっと握りしめた拳を掲げて嬉しそうにするハヅキ様が可愛い。この格好はガッツポーズと言って、目標を達成したり喜ばしいことが起こったときにする行為なのだそうだ。覚えておいて私もいつかどこかでやってみよう。
「私が暮らしていた日本には、アデリア王国を舞台にした乙女ゲーム…えっと、登場人物が喋って動く物語本のようなものがあるんです」
長い話になるならとミリアが淹れてくれたお茶を飲みながら、ハヅキ様の説明に耳を傾ける。
『アデリアの清き乙女~恋も魔法も望みのままに~』と題されたその物語は、主人公の少女が日本からアデリア王国に転移するところから始まる。物語は一本筋ではなく複数の分岐があり、要所要所で現れる選択肢のどれを選ぶかで話の内容が変わると言う。
「乙女ゲームの目的は、主人公が攻略対象と呼ばれる男性と恋人同士になることなので、お近づきになりたい相手に関係がありそうな選択肢を選ぶんです」
様々な選択肢を選んでいった結果、主に王族や貴族たちと恋愛関係になるらしい。聖職者や平民の孤児もいるらしく、その幅広さに恐れ慄く。
「ということは、ローハルト殿下は攻略対象者の一人なのですか?」
「はい。あとはテオくん…ディアさんの弟さんと、殿下の護衛騎士のアルノルトさんもです」
どうやらハヅキ様はテオと面識があるようだ。え、私の事もディアちゃんと呼んでくれないかしら。弟ってばいつの間にかハヅキ様と親しくなっていてずるいわ。
「王子殿下に公爵家の令息が恋のお相手とは、さすが聖女様ですね」
感心したようにエルディオ様が言うと、彼の一番上の兄君でハーヴェイ伯爵家次期当主レオカディオ様も攻略対象者だと聞かされ、驚きのあまり天を仰いでいた。「えぇー……?あの兄が義姉さん以外の人と恋に落ちるかぁ……?」と、困惑のあまりぼやいている。なお、現実と異なりゲーム内では未婚だったようだ。
「見た目も性格もバラバラの方ばかりですね」
「その方が幅広い層の人気を得られるので、大抵の乙女ゲームはそうなっているんですよ」
「なるほど、よく考えられていますね。私だったらもしカレン様やハヅキ様が攻略対象者なら、どちらにお近付きになるか悩みすぎて選択肢を選べないかもしれません…」
「ナチュラルに百合展開にしてくる…え、悪役令嬢に百合属性なんてあったっけ…?」
「あ、先程から気になっていたのですが、その”悪役令嬢”というのは一体何でしょうか?」
そう尋ねると、ハヅキ様は一瞬固まったのちに俯き加減になり、更にはどんどん顔色が悪くなってきた。
「申し訳ございません、ハヅキ様。答え辛いなら無理に教えていただかなくても構わないので、先程の質問はお忘れください」
「い…いえ……黙っているわけにはいかないとわかっているんです。ディアさんには本当に申し訳ないことをしてしまったので、きちんと謝らなくては……」
「一体なにを謝罪されるのでしょうか?婚約破棄は私と殿下の問題ですので、ハヅキ様に謝っていただくことではありませんよ」
そこでカレン様が、すっかり青ざめてしまったハヅキ様を落ち着かせるように彼女の背中を撫でてから私に向き直る。
「ここから先の話はわたくしが引き取るわ。ハヅキは落ち着いて、楽にしていて。ディアなら大丈夫ですからね」
「カレン様…すみません…」
「ディア、ここから先の話はあなたには不快な内容も含まれると思うけれど、どうか落ち着いて最後まで聞いてちょうだい。これからのために必要なことばかりなの」
「はい!一言一句漏らさず脳に焼き付けます!!」
ハヅキ様に寄り添うカレン様の女神度の高さといったらない。それだけでもうハヅキ様に感謝の気持ちでいっぱいなので、どうか何も気に病まないで欲しいものだ。
「悪役令嬢というのは、攻略対象者とハヅキの恋を妨害するご令嬢のことを指すの」
「ということはつまり…」
「ローハルトとテオドールを攻略する際の悪役令嬢は、あなたなのよ」
「であれば今、ハヅキ様はローハルト殿下と恋仲で、幸せになるためには私を悪役令嬢として排除する必要があるのですね?」
「それがね…ここが大きな問題なのだけど、二人は恋仲ではなくてローハルトが一方的にハヅキに懸想しているだけなのよ」
「……え?」
「は、はい……私は別に、ローハルト殿下に恋していないんです!というか、元の世界に好きな人がいるんです!!」
その言葉を聞いて、ほんの少しだけ殿下を不憫に思う私だった。