6.挿話 カレンデュラ・デ・アデリア
国を離れてわずか二年の間に、色々なことがあったようだ。すぐ下の妹は留学に来ていた隣国の王子と恋に落ち、瞬く間に婚約をまとめた。更に下の妹は、学園で出会った辺境伯家の嫡男と心を通わせていた。王家の女はこうと決めたら一直線で、そのことが姉としては悩ましくもあるが、二人の恋を心から祝福した。どちらのご縁も王家に、ひいては国にとって得難いものだったからだ。一方で、優秀な婚約者とお互いの不足をうまく補い合っているように見えていた弟は、随分と様変わりしていた。
「カレンデュラ様、こちらでローハルト殿下にまつわる騒動の報告書は以上です」
「まとめてくれてありがとう、エルディオ。どうやら弟は、異界の聖女に随分ご執心のようね」
「ローハルト殿下はベスター公爵令嬢との婚約を取りやめて、聖女を娶りたいと周囲に漏らしているようです」
「王家の血を濃く受け継いでいて、なんの瑕疵もないディアとの婚約を取りやめるだなんて、王も公爵もお許しにならないでしょう」
「ですので、何らかの手段で瑕疵をつけようと目論んでいるご様子です」
「なるほどね…」
腹心のエルディオが調べたところ、ローハルトと可愛い義妹のディアレインの仲はここのところあまりよくないそうだ。以前はほどよい距離感を保ち、お互い切磋琢磨し合うよい関係に見えていたのだが、残念だ。
ディアレインの母親であるベスター公爵夫人は現国王の妹で、王女時代に国内外からの数多の婚約申し込みを全て断り、大恋愛の末ベスター公爵家に降嫁した情熱的な――あるいは直情的な――姫君だった。
現国王の祖母にあたる人物もベスター公爵家に降嫁していることもあり、既に権勢を誇る家門に第一王女が嫁ぐのはあまりにかの家に権力が集中しすぎるという懸念の声も上がっていたが、王女の意思は固く、最終的には当時の国王陛下が貴族たちを説得した。威厳ある国王も娘には甘かったのだ。その後公爵家に生まれた第一子のディアレインは王家の血が色濃く出て、王族に匹敵する魔力保有量を観測したため、わずか二歳の頃には第一王子妃となることが定められた。
「ベスター公爵家と王家の結びつきが今以上に強固になることを危ぶむ者が、ローハルトの後ろにいるのでしょうね。聖女様を担ぎ出すだなんて、なんだか罰当たりなやり方に思えてならないわ」
「かの公爵家に表立って宣戦布告できる者など、もはや国内にはおりません。内乱を起こさずなるべく穏便にベスター公爵家を引きずり下ろすには、聖女の御旗を掲げるのが最適だと判断したのでしょう」
「一人の令嬢の未来を根こそぎ奪うような真似が”穏便”だなんて、わたくしは思わなくてよ」
アデリアの王族はなんと恋に振り回されやすいことか。それが国にとって有益ならまだしも、立場にふさわしい行動を取れないならいっそ地位を返上しろと言いたい。
「ローゼマリーのお相手は、わが国と同じく魔術遺産を有するファーレン王国の第一王子で、婚約を機に王太子と定められたわ。アデリアの後ろ盾を得たのだから当然ね。ヴィオレッタのお相手は、建国当時からの名門リンドール辺境伯家の嫡男よ。二人が正式に婚姻を結び、かの家と王家の繫がりを深めることが出来れば僥倖ね」
「あとはローハルト殿下が当初の予定通りベスター公爵令嬢を正妃に迎えれば盤石の体制となるでしょう。このままだと非常に難しいと思われますが…」
「公爵家にわたくしと釣り合う年頃の男児がいれば、ディアとローハルトが破談になっても他の手段があったのだけど。残念ながらあそこの嫡男は私の四歳年下で、既に素敵な婚約者がいるものね」
「そもそもカレン様の嫁ぎ先がそんな穴埋めみたいに決まるだなんて、国内外から反発が起きるのであり得ないでしょう」
そこで差し出されたのは、聖女に関する調査報告書だった。
「ハヅキ・アリサカ。ひと月程前に”ニホン”という異界より現れ、我が国では所有していない不思議な魔術遺産を用いて貴族たちの虚偽を次々に暴き、侯爵家断罪の立役者となり国家の危機を救った功績から聖女と認定。今は離宮に滞在中…ね。学園に帯同していないローハルト付きの使用人たちが身の回りの世話をしているようだけど、それについて陛下は?」
「聖女様をローハルト殿下の庇護下に置くことで、殿下の名誉回復を図りたいのでしょう。それに加えて第二王女殿下の婚約もあっていつも以上に陛下も王妃様もご多忙でしたし、好都合だと思ったのではないでしょうか」
「当初は修道院に滞在していた聖女様を、ローハルトがわざわざ離宮に引き取ったのよね。陛下がその行いを止めなかったということは、王家は聖女を手元に置く意向なのが明白。陛下は聖女様とローハルトの婚姻を推し進めるかもしれないわ…」
だが、そうなったときにディアレインの立場はどうなるのだろう。
幼い頃から王子妃教育に明け暮れて、年頃の貴族令嬢が楽しんでいるような娯楽には一切触れられず、異性に恋することも許されなかったディアレインの未来を憂いる。5歳の頃の彼女が王城の庭園で一人俯いていたあの日のことを、カレンデュラは今でも鮮明に思い出せる。
「ここで悶々としていても仕方がないわ。誰かヴィオレッタを呼んで、聖女様への謁見に同行してもらうよう頼んでちょうだい。くれぐれもわたくしの帰国を外部に漏らさないように」
「承知しました。それなら連絡は通信の魔術具で、移動は転移陣で全て済ませましょう」
学園の女子寮で過ごしている妹の第三王女のヴィオレッタに連絡を取り、事情を説明し王城に転移で来てもらった。
「カレン姉様が帰国されているなら百人力ですわ!もう、ローハルトってば酷いんですのよ。公衆の面前でディアを蔑ろにして聖女ハヅキ様のことばかり気に掛けるの!!」
聞けばローハルトは、聖女様を同年代の貴族令嬢たちと交流させよという王妃殿下の意向に従いディア主催の茶会に送り出したものの、自身の護衛騎士をべったり張り付かせ周囲とほとんど交流をさせなかったらしい。そしてそのことをディアの落ち度にしているというのだ。
「主催にも関わらず聖女への配慮に欠けている、異界から来た爵位もない人間だと見下している、黒髪黒目なんて不吉だとディアが言っているんですって。呆れた。あの子がそんなこと言うわけがないじゃない!あの子なんだか女子には異様に優しいもの!!」
「未来の王子妃という自覚が強いのでしょう。いずれ王妃になることを考えたら、同年代の貴族令嬢たちと親しくしておくのはとても大事なことだわ」
「あの子の場合、その範疇を超えている気がするんですのよ…それはまぁよいのですが」
「お話中すみません。聖女様の離宮に忍ばせた者から、今なら来ても大丈夫だと連絡がありました。向かいましょう」
聖女様の功績と弟の愚行は把握したけれど、肝心の聖女様の人となりやこの状況をどう思っているのかが一切わからないため、本人に聞くのが一番早いと判断した。妹とエルディオを伴って聖女様の滞在する離宮を訪ねると、この国では珍しい黒髪黒目の乙女が瞳を丸くしてこちらを見た。
「うわぁ、凄い美人が来た…どなたでしょうか?」
「わたくしはこの国の第一王女、カレンデュラ・デ・アデリアと申します。突然の訪問をお許しください」
「…有坂葉月です。この国だと、ハヅキ・アリサカになるのかな…。私に何か御用でしょうか?遺産を動かしてほしいとか、誰かの嘘を暴いてほしいとか、そういうのですか?」
「いいえ。わたくしはただ、あなた様とお話がしたいのです」
「話?」
「わたくしの元に聞こえてくる話は、どれも噂話の域を出ません。ハヅキ様が何を考えていて、何を望まれるのか。わたくし、それが知りたくてここまで参りましたの」
「私の話、ちゃんと聞いてくれるんですか!?」
ハヅキははじめて会うわたくしの目の前で泣き崩れ、たくさんの話を聞かせてくれた。それは到底信じられないような、頭が痛くなるような内容ばかりだった。
◇◇◇
「ヴィオレッタは学園で何か変わったことがあればすぐに教えて頂戴。エルディオはこのまましばらくわたくしと共に行動するわよ」
「わかりました、姉様。ローハルトにこれ以上愚行を働かせるわけにはいきませんわ!」
「え、しばらくですか?俺、仕事があるんですが」
「そろそろあなたにも、表舞台に出てきてもらうわよ。お父上のハーヴェイ伯爵からは『見習い司書の貸し出しはいつでもどうぞ』と言われているから安心して頂戴」
「えぇ…俺は蔵書じゃないんですが…」
「そんなこと、わたくしが一番よく知っていてよ」
◇◇◇
その翌日、学園の生徒のみが集う夜会でヴィオレッタが席を外している隙に、ディアレインがローハルトから婚約を破棄されたとの一報が入った。わたくしはあの子を迎え入れる準備に奔走し、ローハルトの愚行を止めて背後を一掃する覚悟を決めた。
――――――これから忙しくなりそうだ。