52.
騒動がひと段落し、隠れる必要がなくなった私は堂々とベスター公爵家の王都屋敷に帰宅し、その夜はすぐに寝台に上がった。ここしばらく、今までの人生でもっとも濃密な日々を過ごしていたせいかあっという間に眠ってしまい、翌朝は早朝に目が覚めた。両親は王家との話し合いがあったため昨夜は王城に一泊し、公爵家の跡取りであるテオドールもそちらに同行したため、今この屋敷には私と数名の使用人がいるのみだ。ミリアを始め皆も疲れがたまっているだろうし、誰も起こさないようそっと寝台を出て水差しを取りに行く。すると、書き物机に置いている魔術具のメモがメッセージが届いていることを示す淡いピンク色に光っているのを見付けた。このメモは図書館で業務連絡用に使っていたものなので、メッセージの送り主は一人しか思い浮かばない。慌てて内容を確認した。
『ディア様
お疲れ様です、遅い時間にすみません。もしよろしければ今後の事をお話ししたいので、明日どこかでお時間をいただけないでしょうか。
エルディオ・ハーヴェイ』
見落としていたが、昨夜のうちに連絡をくださっていたようだ。慌てて謝罪と了承の返事を送るとまだ早朝なのにすぐ返信が来て、いくつかやり取りを交わしたのち開館時間前の図書館で落ち合うことになった。一体いつ休んでいるのか心配になりつつも、すぐに会えることに嬉しさを隠せない自分がいた。
◇◇◇
「ディア様、おはようございます。変装していない御姿でここでお会いするのは、不思議な感じがしますね」
「師匠、おはようございます!名残惜しいですが、制服はお返ししますね。禁書庫の探索も終わり両親も戻って来たので、ここでの勤務ももおしまいです。かなり名残惜しいですが…」
アルノルトに奪われた変装用の魔道具の眼鏡は無事王家に返却済みなので、この制服と先程のメモをお返ししたら図書館勤務に使っていたものは全て手元からなくなる。私を守るために沢山の魔法陣を仕込んでくださっていた制服が手元からなくなるのは、少し物寂しい。
「わざわざ持ってきてくださったんですね、ありがとうございます」
「それで師匠、今後の事とは一体何のことでしょうか?」
今回の騒動があるまで、私はエルディオ様の存在を知らずにいた。この出会い方でなければきっとこんなに近くに居たいと思うようにはならず、ローハルト殿下の婚約者とカレン様の隠れた側近という立場ではお互い会話を交わすこともなく一生を終えていたかもしれない。ハヅキ様ともお互いの立場上親しくなれなかったに違いないので、人生どう転ぶかわからないものだ。
「えぇっと…ディア様は、落ち着いたら学園に戻られるんですよね?」
「はい。すぐに夏の長期休暇に入りますが、その後は次の春の卒業まで悔いのないよう学園生活を最後まで謳歌する予定です」
学園の在学期間は15歳の春から17歳の冬の終わりまでで、春になると皆一律に歳を重ね、18歳になるとそれぞれの道を歩むことになる。今までの私はローハルト殿下が卒業するまでに王子妃教育の総仕上げをし、殿下の卒業と同時に正式な婚姻を結ぶ予定だった。なお現時点では卒業後の予定は未定だ。
「あの、師匠。改めてお礼を言わせてください。あの日師匠が迎えに来てくださったお陰でカレンお義姉様と再会できて、目的を果たすための隠れ蓑としてですが王立図書館で見習い勤務をするという貴重な経験を得られました。王城と自邸の行き来ばかりで世間知らずな私を教え導いていただき、感謝しております」
「俺に礼を言うようなことじゃありませんよ、全てカレン様の采配です」
「いいえ、それだけじゃありません。師匠は私に、焦らず色々経験してから先の事を決めればいいと言ってくださいました。それがどんなに嬉しかったことか…」
「ほんとに、偉そうな物言いで些か恥ずかしいですが…ディア様の助けになれたならよかったです」
「初めて近くで接する身内以外の男性が、師匠でよかったです。そうじゃなかったら、アルノルト・コルテスのこともあって男性が苦手になっていたかもしれません」
そこで意を決して、私はずっと気になっていたことをエルディオ様に尋ねることにした。
「以前ハヅキ様が、師匠は異性への理想が高いとおっしゃっていましたが、どんな女性がお好みなのでしょうか?」
「真に受けないでください!そういうわけじゃないんですよホントに…!」
「では、どういうわけなのでしょう」
「えっとですね…理想が高いと言うか、単に今の俺の仕事や立場を許容してくれて、なおかつ家格の釣り合いがちょうどいい貴族女性を見付けるのが、条件的に難しいんです」
エルディオ様は伯爵家の三男で、領地代わりの王立図書館と王立研究所は既に二人の兄君がそれぞれ長になることが決まっている。元々はどこかの貴族家に婿入りし、図書館で勤務を続けながら早めに子をもうけて、自分自身は爵位を継がずに義父の次は子供に爵位を継がせるつもりだった。ハーヴェイ家に縁があり事情に明るいご令嬢との見合い話もいくつかあったという。しかし、目立つことを厭ったエルディオ様は在学中の成績はそれなりに留まるよう試験の解答を調整し、目立たず生きてきたためご令嬢からの人気はイマイチだったそうだ。
「ただでさえ難しい条件だった上に、カレン様の隠れた側近に召し上げられました。さすがに配偶者には事情を明かしたいですが、そのためには十分に信頼を置ける相手でないといけません」
図書館業務もカレン様の側近も続けられて、爵位を継がずともよしとしてくれる貴族令嬢を探すのは確かに難しいだろう。カレン様の持つ権力に目がくらみエルディオ様を利用したり、同性故にカレン様へ嫉妬心を抱く女性ではエルディオ様の配偶者は務まらないというわけだ。
「ハーヴェイ家は役目を全うすることに理解がある女性なら、相手は貴族じゃなくても構わないとする家門です。なので最終的には商家のお嬢さん辺りと見合いでもするつもりでいましたが、そうなるとカレン様との関係を相手に明かすのが難しくなります。オルガさんを薦められたこともありましたが、カレン様の輿入れ先が他国になった場合オルガさんは同行することを望むでしょうから、そうなるとやはり条件が合わないなと。それに、オルガさんからは秒でお断りされまして…」
そうこうしているうちに同年代のご令嬢たちはほぼ結婚相手が決まり、国外からか年下のご令嬢からお相手を探すしかないと考えていた矢先だったという。
「両親は三男だし無理に結婚することはないと慰めてくれましたが、年の離れたレオ兄さんが幸せな結婚を送っているのを傍で見ていたので、ほのかに結婚への憧れもありまして」
少し照れ臭そうに教えてくださった。なんだろう、殿方に言うことじゃないかもしれないけど、物凄く御可愛らしい。ご令嬢や小さな子供以外の人間にこんな気持ちを抱く日が来るとは…。
エルディオ様が今の生活を続ける限りお相手を見つけるのは非常に困難なようだが、何かを諦めて無理に叶えようとせず、焦らず落ち着いているように見える。そして私は、条件を聞いてとても大事なことがわかったので、これならいけるかもしれない。
「差し出がましいようですが…師匠、私なら、全ての条件が叶えられると思うのです」
「ディア様…?」
そう。頑張って想いを伝えると、ハヅキ様と約束したのだ。今しかない。
「私なら、年齢も2歳下とそう離れておりませんし、権力も望みません。そういうのはもういいかなって思っているぐらいでして」
「それは、そうでしょうね…」
「ローハルト殿下との婚約が円満に破棄された今、どなたとも婚約していない自由の身です。カレン様の治世を末永くお支えすると決めております故、他国に嫁ぐ気もありません。ベスター公爵家はテオドールとユリアーナという頼もしい後継がいるので、どなたかを婿に取る必要もないのです」
「自由の身とおっしゃいますが、ディアレイン様なら引く手あまたでしょう。王家から高位貴族との縁談が持ち込まれる可能性が高いかと…」
「その結果拗らせてしまい今回の騒動の一端となったのが、父との婚約を解消した後のコルテス公爵夫人なのですよ」
昨夜私たちがハヅキ様との別れを惜しんでいる頃、王城では国王陛下夫妻とベスター・コルテス両公爵夫妻の6名で話し合いが行われた。
アルノルト様の御母君は完全なる政略の上での婚約者だった我が父をお慕いしていたらしく、競争相手が王女殿下だったため自身の気持ちを明らかにすることもできず、長年苦しんだそうだ。相手が王家の姫君でなければこんなことにはならなかったと嘆く彼女に我が父は、たとえアンゼリカが王女殿下じゃなくても自分はアンゼリカに惹かれていただろうという言葉と共に改めて謝罪し、当時の側近たちから大切に慈しまれ甘やかされていた我が母は自分の我儘で一人のご令嬢の婚約が破談となったことを今日まで知らされておらず、心からの謝罪をしたという。
『王家の姫君だからではなく、アンゼリカ様だからこそ…なのですね』
そう言ったコルテス夫人のお顔は、どこか晴れやかなものだったそうだ。権力に負けたのではなく、ベスター公爵が最初から姫君だからではなくアンゼリカという女性だからこそ愛したのだととわかり、納得できたのだという。
「長年お辛かったでしょうけど、これを機にコルテス公爵の献身に気付いて真の夫婦になられたのであれば、よかったのだと思います」
「公爵もわかりにくい御方ですよね…」
ベスター公爵夫妻とのわだかまりがなくなったコルテス夫人は、己の行いの責任を取るべく夫に離縁を申し出たが、コルテス公爵はこれを激しく拒絶した。前妻を病で亡くし消沈していたコルテス公爵の目には、不当な婚約破棄で傷ついていた当時18歳の後妻はどこか儚げに見え、己の残りの人生を賭けて守り慈しむべき存在だと強く思ったという。控えめであまり主張をせず、文官だった我が父に懸想していた彼女はきっと自分のような歳の離れた無骨な騎士は好みじゃないだろうと思い込み、公の場以外では必要以上に近寄らず、離れて守ることを決めていたのだそうだ。
「夫人が好みそうな商品を扱う商会や菓子店を自領に誘致し発展させ、夫人が少しでも日々を豊かに過ごせるよう騎士団の任務の傍ら心を傾けていただなんて、人は見かけによらないですよね」
「その関心をもっと息子にも向けるべきでしたし、大事な事は口に出さないといけなかったとは思いますが、これからに期待ですね」
よかれと思ってしたことが裏目に出ることは、ままあるのだ。そうならないように皆自分の希望は口に出すべきだし、叶わないとしても周囲が自分の望みを知っているか否かでその先が変わってくる。
「よって、私はもしローハルト殿下以外の方と結婚するのなら、お相手は自分で決めたいのです。だから―――」
そこまで言ったところで、エルディオ様の手で口をふさがれた。




