5.
「あ…私はもうお義姉様とは呼べなくなってしまったのでした…申し訳ありません」
「何を言っているの、ディア。ローハルトとの婚約があってもなくても、わたくしにとってあなたは可愛い義妹よ。それとも、あの弟の姉であるわたくしとは距離を置きたくなってしまったかしら?」
「そ、そ、そんなことありません!!!!天地がひっくり返ったってあり得ません!!!!!」
「あなたが変わっていなくて嬉しいわ、迎えが遅くなってごめんなさいね。屋敷に一人きりで心細かったでしょうけど、もう大丈夫よ」
カレンデュラ様は国王陛下の長子で、ローハルト様とは4歳離れている。
学園での成績は常に首席で、更なる研鑽を積むために、大陸一の規模を誇る研究都市が有名な友好国のヴェイア王国に二年前から留学中だ。優れた頭脳とたぐいまれなる美貌で人々を魅了してやまず、ヴェイアの王弟をはじめとした大陸中の王侯貴族から縁談が持ち込まれているらしい。
早くから王城に出入りしていた私は実の妹と同じように可愛がっていただき、王子妃教育に挫けそうになったときはそっと寄り添って支えてくれた、大好きなお義姉様。世の中には素敵な女性が大勢いるけど、その中でも頂点で輝く私の女神様なのだ。
「お義姉様に会えただけで、寂しさなど消えてなくなってしまいました。ますますお綺麗になられて、目が潰れてしまいそうです…!」
「ふふっ、ディアってばお上手ね。いつまでもそう言ってもらえるよう、一層研鑽を積まなくてはいけないわ」
「こ、これ以上高みに上られるというのですか…!?」
「わたくしなんてまだまだよ。愚弟の行い一つ止めることが出来なかったのだから…」
カレン様は私に向き直り、頭を下げた。
「ローハルトがあなたに酷いことをしたわ。わたくしの謝罪であなたの名誉が回復するわけではないけれど…」
「そんな、顔をお上げください…!あぁっ、軽々に頭を下げてはいけませんと臣下として諫めるべきだとわかっていながらも、この貴重な御姿を目に焼き付けようとする私もいる…女神は旋毛まで神々しいのですね……!」
「ディアレイン様、なかなかキてますね…」
一連の流れをずっと見守っていたエルディオ様は、なんだか慄いているように見えた。
「ほら、カレン様。謝罪も大事ですが、話すことがたくさんおありでしょう?」
私たちが再会を喜び合っている間に同行していたミリアがお茶の用意を整えてくれたので、私たちは一息つくことにした。
◇◇◇
「ここの修道院と孤児院はね、ローゼマリーとヴィオレッタと三人で頻繁に出入りしていたのよ」
「王女殿下たち三人で、ですか?」
以前この聖堂にいた司教が不正を重ねて処分されたため、ここの修道院と孤児院は長らく冷遇されていたという。そのことを憂いたカレン様は、周囲からの妙な憶測を生まないよう秘密裏に改善に着手した。ある程度状況がよくなってからは、いずれ留学で国を離れることを見越して妹姫二人を誘って姉妹での慈善活動という形で支援を続けていたそうだ。私は王子妃教育の傍ら何度か同行したことがある程度なので、そこまでは知らされていなかった。
「それに、ここは王都に古くから存在する聖堂なので、王城に引けを取らないくらいたくさんの魔術遺産が所蔵されているんですよ」
「所蔵されているだけで、聖職者には魔術遺産は扱えないのだけどね」
「それをいいことに遺産を私物化しまくってるんですよ、このお方は」
「あら、悪意のある言い方ね。使えるものはなんでも使って道を切り開かないと、いざってときに大切なものを取り零してしまうのは嫌だもの」
さて、とティーカップをソーサーに戻したカレン様は、本題に入るわねと話を始めた。
「わたくしが帰国していること、ディアと接触することは、まだ陛下にしか知らせていないの。ローハルトには黙っているつもりよ」
「なにか理由がおありなのですね?」
「話が早くて助かるわ。わたくしね、あなたにお願いしたいことがあるのよ」
「お願い?お義姉様からのお願い……………?ハイ!よろこんでお引き受けします!!」
「お嬢様、まずは内容を聞きましょう?」
ミリアにたしなめられたけど、カレン様から”お願い”されたことなど未だかつてあっただろうか。いやない。そしてどんなお願いだろうが断る理由は一つもない。
「優しいところも変わっていなくて嬉しいわ、ディア。あなたがハヅキを虐げていただなんて、どう考えてもあり得ないってわかっていますからね」
「ハヅキ…お義姉様は、かの聖女様と親しくされているのですか?」
魔術遺産を所有する国には、数百年に一度異界より”聖女”が現れ、その国の危機を救うという伝承がある。私が10歳の頃、ここから遠く離れた南方の大国ノルディラに聖女が現れ、内乱を終息に導いたと聞いたことがある。しかし我が国では建国当初より聖女が現れたという記録は残っておらず、あくまで伝承上の存在だと思われていた。
聖女様が現れる少し前、辺境伯が反乱を企てているとの報せが辺境伯領に接する侯爵家の嫡男よりもたらされた。彼はローハルト殿下と学園で親しくなった者で、近い将来自身の配下になる信頼している相手からの報せだったため殿下は信じて疑わず、まずは真偽を確かめようとする貴族たちの意見を聞き入れず早急に辺境伯家を罰することを求め、学園に在学中の辺境伯家の子供たちを内々に呼び出し尋問まがいのことをしようとしたため、慌てて諫めた一件は記憶に新しい。お陰で辺境伯家の麗しの女騎士見習いのご令嬢とお近づきになれたので、その点だけはよかった。
ウラも取らずに級友の言葉に耳を傾けるばかりの殿下の浅慮さに貴族たちは辟易とし、次代の王としての素質を疑問視する声を上げ始め、ローハルト殿下の評価は落ちる一方となり窮地に立たされた。
そんな状況の中、ある満月の夜に王城の庭園にあるガゼボに複雑な魔法陣が浮かび上がり、そこに突如一人の少女が現れた。
ここではない世界からやって来たというその少女は、四角くて光る薄い板のような魔術遺産を駆使して、その不思議な力で侯爵家の嘘を暴き、辺境伯家の潔白を証明した。第三王女ヴィオレッタ殿下が辺境伯家の嫡男と恋仲になったことをよく思わない侯爵家が、賛同する貴族たちをまとめて辺境伯を失脚させて領地を併合し、御し易い第一王子を手中に収めんとした企みが背後にあり、その計略を次々に暴き殿下の立場を安定させ内乱の芽を摘んだことから、救国の聖女と王家から認定された。
「聖女様は我が国が所有するほとんどの魔術遺産を扱えるほどの魔力を保有しているだけでなく、誰も見たことがないような不思議な魔術遺産をお持ちで、この地にもたらしてくれる繁栄は得難いものになるだろう…と聞いております」
「ディアは、ハヅキと直接話したことは?」
「ローハルト殿下とフェミナ王妃殿下の命で、私が主催する茶会にお招きしたことが何度かあります。その時にご挨拶はさせていただきましたが、会話らしいことは特に…」
聖女様が今後わが国で過ごしやすいように、未来の王子妃をはじめとする同年代の貴族令嬢と交流を持たせようとした王家の判断は正しいと思うけど、茶会の間殿下が聖女様につけた護衛のアルノルト・コルテスが始終周りを警戒していたので、とても気軽に話せるような雰囲気ではなかった。
「それなのにあなたは、聖女ハヅキを虐げた罪を着せられたというのね」
「はい。我がベスター公爵家の家名に誓って、聖女様を迫害などしていないと断言できます」
聖女様は艶のある黒髪黒目に小柄で愛らしい雰囲気を持つ美少女で、エキゾチックな魅力に釘付けになりはしたが、いじめて泣かせてその黒曜石の瞳を潤ませたいなどという邪な気持ちは持っていない。美少女の魅力は弾けるような笑顔にこそある。もし万が一ジロジロ見られたことが怖かったと言われたらぐうの音も出ないが、バレるような見方はしていない自信がある。こちとら未来の王子妃の品格を損ねぬよう美女と美少女をそれとなく愛で続けて10年以上の実績があるのだ。
「聖女様は我が国に多大なる益をもたらしてくださるだけでなく、ローハルト殿下や国家の危機を救ったお方です。私が虐める理由などございません」
「そのローハルトが、ディアはハヅキに嫉妬して王子妃の座を奪われると思い愚行に走ったと吹聴しているのよ」
「………いったいなぜそのような嘘を…………?」
「愚弟はね、ハヅキを自身の正妃に据えたいらしいわ。自身の危機を救ってくれた聖女こそがわが妃にふさわしいんですって」
なるほど合点がいった。国王夫妻に叱責され、公爵家を敵に回してでも聖女様を娶りたいということか。相手が聖女様であればお父様も私と殿下の婚約解消を認めるかもしれないが、それにしたってこのやり方はどうかと思う。ちゃんと手順を踏んで欲しい。
「わたくしね、無用な争いは避けたいの。その上でローハルトには正しく報いを受けさせて、ディアの名誉を回復させたいと思っているわ」
そっと私に近付き顔を寄せてきたカレン様は、蠱惑的な紫水晶の瞳で私を捉える。こんな至近距離で見詰められたら、何一つ逆らえやしない。
「わたくしが表立って動くのが難しい局面も予想されるの。なるべく穏便に事を収めるために、あなたの助力が欲しいわ。謝罪に来ておいてこのようなお願いは不躾だとわかっているのだけど…」
「もちろん協力いたします!!貴方様に頭を垂れさせた愚かな殿下に、ふさわしい報いを受けさせましょう!!!」
「…一番の被害者はお嬢様ご自身では?」
「ディアレイン様は、なんというか…ズレてますね…」
ミリアとエルディオ様のツッコミはさておき、私はカレン様に全面協力すると決めたのだった。