40.
ハヅキ様が教えてくれるアデリア王国が舞台のゲームでは、いつだって悪役令嬢はローハルト殿下の婚約者の座に固執していた。ゲーム内のディアレイン・ベスターは殿下を愛していたのだろうか。それとも、どうしても王妃になりたかったのだろうか。彼女が誰かを害してまで手に入れたかったものは何だったのだろう。
◇◇◇
「ローハルト殿下、改めて申し上げます。私がハヅキ様と初めて会話をしたのは殿下から婚約を破棄された後。カレンお義姉様にハヅキ様を元の世界にお戻しする方法を探すための助力を請われた際で、しかも通信機越しです。それ以前にハヅキ様に個人的に接触したことも、ましてや虐げたこともございません」
私たち三者間の会話は全てハヅキ様のスマホを通して、嘘がないことを明らかにした上でのやり取りとなる。ハヅキ様はやや難色を示したが、こうでもしないとローハルト殿下はいつまでも私に疑いの目を向け続ける可能性がある。
「コルテス公爵令息が茶会の際の私の目線に違和感を覚えたのは、私がハヅキ様の持つ神秘性に魅せられ思わず目を逸らせなくなっていたからに他なりません。黒曜石の瞳には全て見通すかのような知性が湛えられ、同色の御髪は艶めいており、漆黒でありながら輝きを放っています。その上、リンドール辺境伯家への冤罪騒動を解決に導いてくださり、多くの不忠義者の炙り出しに一役買ってくださいました。もし辺境伯家への冤罪がそのままになっていたら、ヴィオレッタ殿下があちらに王家の情報を流した間者だと疑われていたかもしれません」
辺境伯家は近年王家との繫がりが薄く、国境域の守り手でありながら中央への影響力はあまりない。ハーヴェイ伯爵家と同様に政治には一切関わらず王宮に出仕もしないため、陥れようとした侯爵家はそこに付け込む算段だったのだろう。辺境伯は寡黙な御方なので、その姿が何かを企んでいるようだと言われたら信じる者もいただろう。実際は寡黙ながらも王家への忠誠心をお持ちで大変真面目な御方なのだが、それも全てハヅキ様がいたからこそわかったことだ。
「ハヅキ様への憧憬の念があまりにも強くなりすぎて、コルテス公爵子息には私の目付きが不穏なものに映ったのでしょう」
「…ディアレインの言い分ははもっともだ。ハヅキはそこにいるだけで人を惹きつける魅力があるし、ディアレインは女性のことをよく見ているから、他の者より一層ハヅキの魅力に惹きつけられたのだと聞けば、納得がいく」
「ご理解いただきなによりです」
アルノルトと離され、落ち着いて向かい合えばちゃんと会話が成立することに安堵した。さっきは強い言葉を投げつけられ悲しかったが、いつだって真っすぐな殿下のままだ。それ故騙されやすいのだと思うと頭が痛いが。
「ハヅキ様にはお戻りを待ちわびているご家族だけではなく、想い合うお相手がおります。アデリアの危機を救ってくださったことに感謝しておりますし、我が国の都合だけを申せば末永くここに留まって我らを導いていただきたいのは至極当然のこと。だけどそれは、ハヅキ様の幸福を奪ってまで優先したい気持ちではございません。そもそもアデリアの危機を異界の方に解決してもらおうなど、都合のいい考え方ではございませんか?聖女様がいなければ平穏が維持できないのなら、それは為政者の側に問題があるということに他なりません」
「……極端な言い分ではあるが、ディアレインの言うことは間違っていない。昔から母上もよく言っていた。自分で出来ないことは人を頼り、自分の不得意分野を補ってくれる相手と親しくしなさい。ただし、相手もそれを望んでいるか、自分が相手に差し出せるものがあるかどうか、自分だけがいい思いをすることがないようにしなさい…と」
それはフェミナ王妃殿下から私もずっと言われていたことだ。ディアはローハルトよりお姉さんなのだから助けてあげて欲しい、ただしローハルトは年下だけどいずれ伴侶となるのだから、彼の事も頼って支え合うような関係性になってほしい。持ちつ持たれつで対等な夫婦関係を築いてほしいと、それが王妃殿下が私に望まれたことだった。私が殿下を頼るようになる前に婚約を破棄されてしまったが、いずれそうなりたいと思ってはいたのだ。
「私は…ハヅキには幸せになってほしい。遠慮会釈なく付き合ってくれる対等な友人が出来たと浮かれ、彼の言うことを鵜呑みにし、危ういところだったのを救ってくれたのはハヅキだ。私は友人の言うことばかり優先し「姉姫様や優秀な婚約者殿の言うことばかり聞くのは終わりにし、今こそご自分で功績を立てられるべきだ」という甘言に乗り、信じる相手を見失っていたのだ。そのためにハヅキには王妃の地位を用意するべきだと…」
「それがローハルト殿下が私に差し出すものなら、全っ然欲しくありません!今だってあの時と同じです。どうしてアルノルトさんの言い分ばっか聞いてディアさんのことを蔑ろにするんですか?」
ハヅキ様に問われ、ばつが悪そうなローハルト殿下はボソボソと語りだした。
「…ハヅキが、傍にいる相手に一番振り向いて欲しいのに、そこに居ることが当たり前になりすぎていて、想いに気付いてもらえないことが辛いと、ある日テオドールに漏らしているのを聞いたのだ。この国に来て、一番近くにいた異性は私だから…だからハヅキは私に懸想しているのだと思い、それが嬉しかった。同じ想いを私も抱いているから」
「…殿下の気持ちが嬉しくないわけじゃありません。王子様なんて私の国では簡単に会えるような存在じゃないし、知ってるゲームの攻略対象キャラだから、正直テンション上がっちゃうとこもあります。でも、私が好きなのは殿下じゃない。何度否定しても信じてくれなかったのはどうしてですか?」
「アルノルトが、ハヅキ様は王族に対して不敬になってはいけないと想いを押し殺しているんじゃないかと言ったのだ。正式に婚約者となりその地位を盤石にするまで、素直な気持ちは口にできないだろうと。だから私は、ハヅキが不安にならぬよう努めたのだ」
これではアルノルトに御し易いと思われても仕方がない。アルノルトがハヅキ様への想いを強く後押しすることに裏がないか、疑わないところが殿下らしいと言えばらしいのだけど、あまりにも脇が甘い。
「コルテス公爵家がベスター公爵家を追い落として、ハヅキ様と養子縁組し王妃の座を得ることで勢力図を塗り替えようとしている可能性は考えなかったのでしょうか?」
「アルノルトは次男で継ぐ家もないので、公爵家のことはそれほど考える必要はないと言っていた。だからこそ純粋に助言をしてくれているのだと…」
「それら全ての言葉が偽りかはわかりません。しかし、先程の彼の様子を見る限りすべてが本心でもないでしょう」
今まではこういうとき、良し悪しを判断して殿下に進言するのは私の役割だった。これから殿下は自分の判断でやっていかねばならないのだ。
「……私はハヅキのように人の真意を見抜く力を持ち合わせてはいない。目の前の人間すら信じられなくなったら、一体私は何を信じればよいのだ!」
そもそも最初に私の事を信じるのをやめたのは殿下だろうに、呆れてしまう。それでも、こうやって彼と向かい合って助言するのは今日が最後になるだろうから、後悔しないよう思ったことは全部伝えようと決めた。
「信じたければ、相手ではなく相手を信じると決めた自分自身を信じるとよいでしょう。その結果起こったことを全て自分で引き受ける覚悟をお持ちください。そして、周囲の人間を自身の想いに巻き込むことは金輪際おやめください」
「ディアレイン…」
「私がこのようなことを殿下にお伝えするのは、今日で最後です。今の私は婚約者ではなく、ただの一臣下にすぎません。私たちが支え合い共に歩んでいく未来は既に潰えたのです」
目を見てキッパリと告げる。仮にこの後事態が好転したとしても、殿下からの婚約破棄をなかったことにはしない。再度婚約を結ぶつもりも毛頭ないのだ。
「……ディアレインが、本当に私の三番目の姉上だったら、このようなことにはならず家族としてずっと共に歩めたのだろうか」
ローハルト殿下が心細そうにそう言った。彼がまだ5歳で私が7歳だった頃、いつも夕刻になると自邸に帰ってしまう私に「ディアはどうして他のおうちに帰ってしまうの?姉上たちはどこにも帰らないのに、どうしたらディアはずっとこのおうちにいてくれるの?」と無垢な瞳で問うてきた。その時私はなんと答えたか。思い出そうとしていたら、ハヅキ様も切ない表情で語りだした。
「ローハルト殿下。私も、家族みたいに近い大切な人が本当の家族だったらいいのにと思ったことがあります。家族はずっと家族でいられるから…」
ハヅキ様が想っているのはセイ様だろう。隣家に住む者同士、幼い頃から互いの家を行き来し家族同然のお付き合いをされていると聞いた。それも一つの幸せな形なのだろう。
「だけど、家族みたいなだけじゃだめなんです。相手が誰かと結婚したらそこで終わっちゃうから。誠ちゃんが私を妹みたいに思ってくれてても、誠ちゃんの彼女が私の存在を受け入れてくれるとは限らないし、フツー嫌だと思う。それでも私は、今のままで満足したくないんです。告白したら関係が壊れちゃうかもしれないけど…それでも、好きだって言えないまま喧嘩して、イキナリ違う世界に連れていかれてもう一生会えないかもって思った時、誠ちゃんに好きって言っとけばよかったって物凄く後悔したから!」
その言葉にローハルト殿下がハッと顔を上げる。
「だから、ローハルト殿下も二度と言えなくなる前に、ディアさんにちゃんと言いたいことを言った方がいいと思います。叶っても叶わなくても後悔するなら、せめて言った方がいいと思う…ので」
「…やはりハヅキは、私を救ってくれる聖女なのだな…そんなハヅキがこれから先ずっと隣に居てくれたら、私はどんなことでも頑張れると思ったのだが、な…」
切ない微笑みをハヅキ様に向けた後、私を真っすぐ見据えた。
「ディアレイン…私は5歳の頃、将来結婚したらディアは正式に家族になって、どこにも帰らないでずっと同じ家に居れくれるのだと知った時から、その日が来ることを心待ちにしていた。ディアもそう想ってくれているのだと。学園に入学してテオドール以外の同学年の男子学生と交流を持ったとき、実はそうではないと初めて知ったのだ」
入学前から婚約者が決まっている貴族の方が少なく、多くの者が学園で出会いを得て心の交流を深め、双方の家族の承認を得られたら正式に婚約と相成る。テオドールとユリアーナは私が未来の王子妃になる予定だったため、変な影響を及ぼさないよう信頼のおける家門から年回りの良い相手と入学前に婚約を結んだ稀なケースだ。
「側近たちの話題に、彼らの婚約者や婚約者候補の話がよく挙がった。まだ知り合ったばかりなのでこれから相手の事を知っていくのが楽しいとか、初めて食事を共にして好みを知れたので次は菓子を贈ろうとか、寮の前で別れてそれぞれの寮室に戻るのがもどかしいとか…私はディアとそのような経験を重ねてみたいと思った。だが、ディアはどうなのだろうか?果たしてディアは、私に対して異性の情を持ち合わせているのだろうかと疑問に思ったのだ」




