34.
通常の転移陣を使うと移動に掛かる時間はほぼ一瞬だが、いつもと勝手が違うせいか妙に時間が掛かったように感じた。気付いたらエルディオ様にしっかり抱きしめられた状態で、修道院の拠点の部屋に戻っていた。この距離なので、彼の心臓がばくばくしているのがハッキリとわかる。目の前で私が連れ去られて相当肝を冷やしたのだろう。しかし私は、おそらくエルディオ様とは異なる理由で心臓の動きがかなり早い。気付かれていませんように…
「迎えが遅くなり申し訳ありません…というかそれ以前に、俺がついていながらあなたを危険に晒してしまいました。アルノルト・コルテスに何もされていませんか?」
「いいえ、こんなにすぐ迎えに来ていただけるなんて思っていませんでした。私自身どこに連れ去られていたのか、今でもわかっていないぐらいなので…」
「あそこはコルテス公爵夫人の生家シファー侯爵家の王都屋敷の一室です。どうも彼はローハルト殿下にも内密に動いていたようなので、足がつかないようコルテス公爵家に縁のある場所は避けたのかと思われます」
「そうだったのですね…。えっと、何かされそうになっていましたが、師匠が間に合ってくださったので大丈夫です。求婚はされたんですが、それはキッパリ断りました」
「求婚?なんでまたアルノルト・コルテスがディア様に?」
「私にも全て理解出来たわけではないのですが…」
アルノルトとのやり取りをかいつまんでエルディオ様に説明した。コルテス公爵夫人が私の父と内々に決まっていた婚約が破談になっていたこと、アルノルトは夫人の望みである「あなたにはただの公爵家の次男坊で終わってほしくない」を叶えるために動いていること、おそらく私への求婚は意趣返しであること等々。
「以前カレン様がおっしゃっていた公爵夫人の来歴というのは、私の父と婚約が破談になったことを指していたのですね」
ハヅキ様とコルテス公爵家から養子縁組の話を聞いた際、カレン様はこの点が気になっていたのだろう。私もテオも、おそらくローハルト殿下も知らないことだと思う。
「コルテス公爵は年の離れた奥さまを大事にしていると評判ですし、カレン様も公爵の事は高く評価しています。その上での夫人の言動がそれとは、根が深そうですね」
「はい。そして恐らくですが、アルノルト様はローハルト殿下に忠誠を誓っているわけではないと思います。私を娶ることに関しても、殿下を上手く言いくるめて納得させようとしていたので、一連の騒動は彼が殿下にあることないこと吹き込んで誘導した可能性が高いと思われます」
「それはまた厄介だな…。そういえば、コルテス公爵子息のことを名前で呼ぶんですね。あまり知らない相手だと言っていませんでしたっけ」
「あ、うっかりしてしまいました。名前で呼んで欲しいと望まれまして、断って危害を加えられても嫌だったので、とりあえず本人の前ではそうしていたんですよ」
もう名前で呼ぶ必要もないので、今後はコルテス公爵子息と呼ぼう。
「本人の希望?あと、そもそも何故彼はディア様の変装を見破れたのでしょうか」
「研究所の食堂で見掛けた変装中の私の食事の仕方が、いつも学園で見ていた様子と完全に一致したのだそうです。目立つような食べ方をした覚えは全くないのですが…」
「うーん、どういうことだ?もうちょっと詳しく聞かせていただいても?」
ここで私は、アルノルトの不可解な言動を洗いざらい話すことにした。私にはぴんと来なかったことでも、エルディオ様やカレン様なら何かわかるかもしれない。
「………だいたいわかりました。ディア様、その求婚はたぶん本気のやつなので、より一層気を付けましょうか」
「そうなのですか?彼が私に本気で求婚する理由が一つも見当たらないのですが…」
「そこはディア様が考えることじゃないので、一旦横に置いておいていいですよ。後でカレン様には報告させていただきます」
ならばあとでカレン様にも聞いてみるとしよう。ローハルト殿下を含めた身内以外の殿方とはとことん距離を取って生きてきたので、どうにもよくわからない。
「カレン様やハヅキ様はどうされていますか?あと、アイディリア様にも大変なご迷惑をおかけしてしまいまして…」
「義姉さんのことは気にしなくて大丈夫です。ニホンゴの本の複写は無事に聖女様の元に渡っていて、カレン様はローハルト殿下とコルテス公爵子息のやり方に静かに激怒し、あれこれ根回し中です」
私が強引に連れ去られたことを知ったカレン様の怒りは、エルディオ様が見た中では今までで一番の怒りだったそうだ。そんなにも想っていただけている喜びと、心配をかけてしまったことへの申し訳なさで複雑な気持ちになる。
「何かあった時の助けになるよう、その制服には様々な仕掛けを施してあるんです。準備は大変でしたがやっておいてよかったと心から思いました…本当に、ご無事に戻られて何よりです」
エルディオ様が私を抱きしめる腕にグッと力を込めた。いい加減心臓の音に気付かれてしまいそうなので、そろそろ離していただきたい。
「師匠…エルディオ様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。この通りぴんぴんしていますので、もう離してくださっても大丈夫ですよ」
「本当に無事でよか――――っ俺はなんてことを!!すみません!!!!!」
どうやら無意識の行動だったようで、物凄い速さだけど丁寧な動きで私を解放しささっと遠ざかっていった。
「嫁入り前のご令嬢になんてことを…言い訳のようで恐縮ですが、無事にディア様の元に辿り着いて師匠と呼ぶ声が聞こえた途端、もう絶対に離してはいけないという思いで頭がいっぱいになってしまいまして」
「ここには私たち二人しかいませんし、師匠も不埒な思いで私に触れた訳じゃないとわかっておりますので、大丈夫ですよ。迎えに来てくださったのが師匠で本当によかったです」
「ディア様が連れられたことは俺と義姉さんとカレン様しか知らないことなので、内密の帰還となり申し訳ないです。ひとまずここを出て、カレン様に無事な御姿を見せてあげましょう」
エルディオ様の言葉に、初めて会った時のことを思い出す。あれからまだ五日しか経っていないけど、随分前の事のように感じてしまう。あの日はカレン様が私を待っていてくれて、私を呼び寄せてくれたことが何より嬉しかった。でも今は、エルディオ様と二人きりのこの部屋から出ることがほんの少し名残惜しかった。




