33.
「何故私に求婚なさるのでしょうか?あなたの主君であるローハルト殿下が私を婚約者として不適格だと判断したからこそ、今このようなことになっているのです。それなのに腹心のあなたが私に求婚するのは、些かおかしいのではないでしょうか」
「母を蹴落としてまでベスター公爵と結婚したアンゼリカ元王女の愛娘で、王族と婚姻を結ぶにふさわしい魔力保有量を持つご令嬢。誰に聞いてもよい評判しか出てこず、あなたを蹴落として王子妃を目指そうとする年頃の令嬢が一人もいないどころか、みな口を揃えてあなたを褒め称える。そんなあなたに僕は、ずっと興味があったんだ」
「……アルノルト様の御母君を蹴落とした?ですか?」
「なんだ、知らなかったのか。僕の母はベスター公爵と内々に婚約が決まっていたが、アンゼリカ元王女が横恋慕したせいで破談となったんだ」
そんな話は一度も聞いたことがない。母が父に惚れ込んで、元々王位を目指すか他国に嫁ぐかどちらかの予定だったのを兄上である現国王陛下に泣きついて味方になってもらいベスター公爵家に降嫁したとは聞いていたが、まさかお父様に婚約者がいたとは。考えてみれば父の方が母より歳上で公爵家の跡取り息子なので、婚約者がいてもなんらおかしくない。
「今初めて知りました。アルノルト様がローハルト殿下のお傍にいるのは、御母君が望まれたからですか?」
「そうだ。僕は次男で、異母兄はヴェイア王国の公爵家の血を引いている優秀な次期騎士団長なので、僕がコルテス公爵になる可能性は限りなくゼロに近い。そうなると、母を喜ばせるには次代の国王陛下と目されているローハルト殿下の側近になるのが良いと思ったのだ。母の口癖は「あなたにはただの公爵家の次男坊で終わってほしくない」だからな」
「アルノルト様ご自身もそれをお望みで?」
「……自分の望みなど、考えたこともなかった。あの夜会の日にあなたの怯えた顔を見るまでは」
そう言うやいなや立ち上がり、私の手を強く握りしめてくる。軽い痛みに思わず眉を顰めると、そんな私を見て昏い微笑みを浮かべた。
「それまでもあなたのことはずっと気になっていたが、初めてあなたの瞳が僕を捉えたあの日以来、寝ても覚めてもあの瞳が忘れられないのだ」
「なかなか変わったご趣味をお持ちでいらっしゃるのですね…」
彼の言い分は何一つ理解できないが、言っていることはわかった。彼も私と同じで、親の影響で自らの生き方を定めたところがあるのだろう。しかし多少の共感はあれど、この求婚に頷く理由は一つもない。
「あなたからの求婚はお断りいたします。どのような理由であれ、沢山のご令嬢が婚約を破棄されて悲しむ原因を作った方と添いたいだなんて、一切思いませんので」
「第一王子殿下から公衆の面前で婚約破棄されて修道院入りしたとされているあなたに、今後まともな縁談が来るとお思いか?僕なら次男だが公爵家の一員で、いずれ国王陛下となるローハルト殿下の側近だ。その妻ともなれば、周りから見れば殿下と聖女から罪を赦されたのだと認識されるだろう。殿下には僕が上手く言って、聖女との婚姻が成った暁に褒賞としてあなたを下賜していただいたという体裁を整えてもらうつもりだ」
人を人とも思わない身勝手な発言に、頭に血が上っていくのを感じる。よくもまぁここまで自分に都合のいいことばかり言えるものだ。
「私はあなたを好きではありませんし、なんなら嫌いだと面と向かって言えます。そんな相手を妻にしたところでいいことなど一つもないでしょう」
「そう、その瞳だ。僕を好きではないあなたが毎日僕の傍でその瞳を向けてくれたら、僕は満たされる気がするんだ」
「と…倒錯してますねぇ…」
何を言っても無駄どころか、喋れば喋るだけ状況が悪化する予感がしたので、心を無にしてやり過ごすことに決めた。今は目の前の彼の事よりどうやってここから脱出するかを考えよう。黙りこくっていると、不快そうに眉を寄せたアルノルトが動いた。
「…あなたがそうやって頑なな態度を取るのなら、こちらも強硬手段に出るまでだ」
「きゃっ」
壁際に追い込まれたままだった私は、アルノルトの両腕で囲い込まれて身動きが取れなくなる。あまりの出来事に思わず固まってしまう。
「…一体何を?」
「ここに映像を記録できる魔術具がある。これを使って、今から僕とあなたのする行為を記録しようと思う。この内容を世に出せば、あなたは僕と結婚するしかなくなるだろう」
さすがにその意味がわからないわけもなく、ゾッとした。早くここから逃げなければ大変なことになる。いくらカレン様が擁護してくれたとしても、取り返しがつかない。
思考停止しかけた頭をなんとか回転させて突破口を探す。変装の魔道具のメガネは奪われたままだが、図書館の制服である紺の簡素なドレスのポケットには小型の通信機を忍ばせてあるので、どうにかしてバレずに起動できないか。この部屋の出入り口はかなり遠く、なんとか彼の手から逃れられたとしても捕まらずに部屋の外に出れる気がしない。必死に考えていたら、眼前の彼の顔がますます不快そうに歪んだ。
「こんなに近くにいるのに、あなたは僕のことを見ないし考えもしないんだな」
「あいにくですが、なるべく楽しいことや人生に役立つことばかり考えて生きようと決めているのです」
「この状況でその発言が出るとは、さすがだな。あなたのそういうところにたまらなく惹かれるんだ」
いけない、つい返事をして相手の気を引いてしまった。どうにかして思考を逸らせないか考えて、話題を広げて時間を稼ぐことにする。
「…そういえば、アルノルト様には婚約者はおられないのですね」
「僕は次男で継ぐ家もないし、母が婚約内定を白紙にされた経験があるもので、慎重になりすぎているんだ。父は親戚筋から年齢のつり合いが取れる令嬢をと考えているようだが、母は出来れば王家の姫君と
縁づかせたかったようでね…。ヴィオレッタ殿下がリンドール辺境伯家に嫁ぐ見込みだと聞いた母の落ち込み様は酷いものだった」
コルテス家と双璧を成すアデリア王国の武門であるリンドール辺境伯家をライバル視しているコルテス夫人は、落ち込んだのちに荒れに荒れたという。王家にはもう一人姫君がいるが、御年3歳なのでアルノルトのお相手には流石に難しいと断念したそうだ。
「王家の元姫君であるアンゼリカ様とベスター公爵家の上を行くことが、母の何よりの望みなのだ」
「御母君の心情を考えたら、アルノルト様が私を娶るのは難しいのではないでしょうか?」
「だからこそあなたを娶る際には、殿下から下賜された形にしたいのだ。王家から下げ渡されたアンゼリカ元王女の娘が自分の義娘になれば、母の留飲も下がるだろう」
物凄くいびられる予感がする。女性は大好きだが、いびられてまで好きでい続けられるかは未知の領域だ。女性の持つ仄暗い危うさも魅力の一つではあるが、それをすんなり受け入れられるほど訓練されていない。まだまだ未熟で恥ずかしい限りだ。
「あなたが僕の求婚に頷いてくれないのなら、それも難しいかもしれない。そのため既成事実を作り、責任を取らなくてはいけない状況を作るしかないと判断した」
「しまった、この話題は藪蛇でした…」
とりあえず何とか隙をついてこの腕から抜け出そうと思い、自分にできる一番の速さでしゃがんで脱出を試みようとした瞬間、制服のドレスの裾に施された刺繍から美しい光の粒子が浮かび上がった。
「……魔法陣か!?」
私も知らされていなかったので驚きだ。光は渦を巻くようにどんどん増え続けて、あまりの眩しさに思わず目を閉じようとした瞬間、私を呼ぶ声が聞こえた。
「ディア様、迎えに来ました!戻りましょう!!」
「―――師匠!」
光の向こうから私に向かって伸ばされた手を必死に掴んで、エルディオ様と共に転移を踏んだ。




