32.
「ディアレイン・ベスターは修道院で慎ましく暮らしていると監視の者から報告が上がっていたが、何故ここに?」
「…どなたかとお間違えのようですが、私は王立図書館で研修中の見習い司書です。ここから帰していただきたいのですが」
「――誤魔化そうとしても無駄だ」
アルノルト・コルテスによって強制的に転移させられ、いつの間にか変装用の魔道具のメガネも奪われた私は、見知らぬ部屋の壁際に追い込まれていた。あのメガネは王家からの貸与品なので無事に手元に戻ってくるといいのだが…それ以前に、私は無事に帰してもらえるのだろうか。ハヅキ様の気持ちに今まで以上に添えそうだ。突然見知らぬ場所に放り出されると人は不安になるものだ。
「…一体どこで私を見付けたのでしょう?変装は完璧だったと思いますし、周囲の警戒も怠ったつもりはないのですが」
「先程研究所の食堂を使っていただろう。あなたの上品な食事の仕方は特徴的だし、歩いているときも座っているときも、食事中ですら美しく背筋を伸ばしている。地味なメガネの図書館司書の仕草があまりにも優雅だなんて、逆に目立つと思わないのか?」
「あら…今まで私のことをそのように評すのはテオとユリアぐらいでしたが、そんなに目立っていましたか?」
テオやユリアが私のことを褒めそやすのはもはや慣れたことだが、目の前の彼とは言葉を交わしたことなどほぼない。何故こんなに私の事を”わかっている”風に語るのだろうか。疑問が尽きない。
「軽食のセットにサンドイッチがあるときは必ず頼むのも、食後の飲み物は紅茶やジュースよりコーヒーで、尚且つミルクが入ったものを好む傾向にあるのもあなたの特徴だ。ちなみにジュースを選ぶ際は柑橘を使用したものを選びがちだし、サンドイッチの具が選べるときはチーズ入りのものを必ず選んでいる」
「コルテス公爵子息はもしかして、食の分野にご興味がおありなのでしょうか?騎士たるもの食は疎かにできませんものね」
自分でも特段意識していなかった好みを言い当てられて、場違いながら感心してしまう。人の事を良く見ているタイプの彼だからこそ、ローハルト殿下も気に入って傍に置きたがるのだろう。
「違う、そういうわけではない。僕があなたの事を視界に入れられるのは食事時ぐらいなので、自然と覚えてしまったのだ」
「あぁ、なるほど。学年も違いますし、学園では私とローハルト殿下の接点は少なかったですものね。入学当初は昼食を共にすることもありましたが…」
とはいえそれもほんのわずかな間のことで、次第に殿下は同級生の子息たちとの時間を優先するようになり、食堂で会っても挨拶を交わす程度になっていった。もっとも最後の方はそれすらなかったが。
「殿下からの命で、私の動向に注意を払っていたのですね。思えば食事中に視線を感じることがあったような気もしますが、学園は大勢の学生がいるので特に気に留めておりませんでした」
「命ではないのだが…今はいい。それで、質問には答えないつもりか?何故あなたがここにいるんだ?」
「答えるとでもお思いですか?」
カレン様の帰国は秘されているし、私がハヅキ様と接点があることも明かせない。何より、今起こっていることの黒幕とも目されている人物にあれこれ話すはずもない。
「まぁいいだろう…あなたが誰にも知られずにここにいることは、僕にとっては好都合だ」
「私に何か御用でもおありですか?」
「とりあえずまず、僕の事を名前で呼んでみてくれないか?」
何やらおかしなことを頼まれたが、特に断る理由もないし断って逆上でもされたら怖いので、素直に呼んでみることにする。
「アルノルト様?」
「あぁ、今後そのように呼んでもらえると有難い」
「はぁ…機会がございましたら」
今後も何も、ここから出られたら彼に会う機会などないだろうと思っているので、不可解な頼みごとに内心首を傾げっぱなしだ。
「僕もあなたのことをディアと呼んでも構わないだろうか」
「いいえ、それはご遠慮ください。ごく親しい方にしか愛称で呼ばれたくありませんので」
「そうか、時期尚早だったか。承知した」
いや、時期も何もございませんが?と思ったが口には出さないでおく。どうもアルノルト・コルテスは様子がおかしい…ような気がする。
「アルノルト様は、私をローハルト殿下に引き渡すためにここに連れてきたのですよね?」
「いや、殿下にはあなたの存在は知らせない」
「それなら何故私を連れてきたのでしょうか。一体どのような目的が…?」
すると彼は、唐突に跪いて私の手を取りこう告げた。
「ディアレイン・ベスター公爵令嬢。僕、アルノルト・コルテスと結婚してほしい」
「………はい?今、なんとおっしゃいました?」
「ディアレイン・コルテスになっていただきたいのだが、どうだろうか」
婚約破棄と突然の求婚はセット扱いで流行中なのだろうか。現実逃避も込みで、そんな益体もないことを考える私だった。




