31.
図書館での勤務開始から四日目。
開館前の早朝の図書館で、私とエルディオ様は前日の閉館間際に返却された図書を配架しながら一日の流れを話し合った。
「この作業を終えたら、カレン様の指示に従って言語学教室を訪ねましょう。ついでにあの教室にある未返却図書の回収もやってしまいたいですね…どれくらいあるやら」
「わかりました。レオカディオ様の御可愛らしい奥さまにお会いできるのが楽しみです!」
「ディア様のそういう発言にも大分慣れてきましたよ…」
手早く作業を終わらせ、制服のエプロンを外して研究所へ向かう。今日は休日で忙しいのに働けないのは申し訳ないので、なんとか早めに用件を済ませて戻ってきたい。気分はすっかり見習い司書だ。
◇◇◇
「これが聖女様の世界の言葉だったなんて…。いつか誰かが読める日が来ると信じて取っておいた甲斐がありました!エルくんありがとう!!」
「俺としても、同じ文字の本や書付がこんなにあるなんて思ってなかったので嬉しい驚きです。複写しても構いませんか?」
「もちろんだよ、是非聖女様にお見せしてね。可能なら大陸共通言語との対応表も作りたいけど、時間掛かるだろうなぁ」
レオカディオ様の奥さまことアイディリア・ハーヴェイ様は、エルディオ様から昨日の本を受け取り内容を確認すると、すぐに同じ言語の書物を数冊取り出して見せてくださった。この教室には大陸のあちこちから解読不能な書物やメモ書きが持ち込まれていて、劣化しないよう状態保存の魔法陣が刻まれた扉付きの書棚に収められているのだそうだ。カレン様のヴェイア王国への留学が先方にすんなり受け入れられたのも、以前ここの室長を務めていた言語学の権威が、かの国の歴史書を紐解くのに一役買ったからなのだそうだ。
「メディア、複写の魔道具は使ったことありますか?」
「はい、大丈夫です。私もお手伝いしますね」
しばらくエルディオ様と二人で黙々と複写作業に時間を費やし、気付いたらお昼時だった。アイディリア様の案内で向かった研究所の食堂で軽食を手早く食べ終え、教室へ戻ってからお互いの作業進捗を確認し合う。
「ほぼ終わりましたね。こちらの絵や図版が多い本は厚いので時間を食いましたが、それ以外は比較的薄いので想定より早く終えられそうだな…」
「厚めの本は、本というかなんというか、不思議な内容ですよね。たくさんの四角い枠で区切られていて、ふんだんに絵が描かれていて…絵本とも違いますし、我が国では馴染みがありませんね」
「ハヅキ様の世界から直接持ち込まれたものか、同じ世界から来た人物が描いたものか…そういった可能性が高そうですね」
「その本ね、ここの教室でも飛びぬけて謎の一冊なんだよね。これだけの絵を描くなんて物凄いことだし、きっと重要なことが描かれてるに違いないとだろうと期待されながら誰も読めなくて、何年も書棚に眠っていたそうなの」
二人で話し合い、これを最初にハヅキ様にお見せしようと決めた。午後には見てもらいたかったけど、急遽ローハルト殿下がハヅキ様の離宮を訪れるらしく、殿下が帰られるまではお預けだ。夜には見ていただけるとよいのだが。
「ハヅキ様の養子縁組の話は、ヴィオレッタ王女殿下からローハルト殿下に対して勝手に進めないよう注意を促したようです」
「多少の抑止力にはなるかもしれませんが、それで思い留まってくれるような方だったら私は婚約破棄されていない思うので、あまり期待しないでおきます。ヴィオレッタ殿下はローハルト殿下を一番可愛がっている姉姫様なので、殿下もヴィオ姉様なら何しても許してくれると思い込んでそうだなって…」
「つい最近ご迷惑をおかけしたばかりの姉君に対して、随分な甘えようですね」
ローハルト殿下が無実の罪を着せようとしたリンドール辺境伯家への降嫁が内々に決まっているヴィオレッタ殿下は、心中穏やかではないだろう。無実だったことに安堵し、ローハルト殿下から真摯な謝罪を受けて弟の成長を見守ろうと優しく微笑んでいたヴィオレッタ殿下の笑顔が曇ることがないようにしたい。
◇◇◇
私の正体はアイディリア様には秘密にしているので、聞こえないように防音の魔道具を使用しながらひっそり話していると、アイディリア様がこちらを気にしている様子が見えた。
「アイディリア様、申し訳ございません。全てを明かせぬ事情がございまして、師匠との会話を一部聞こえないようにさせていただいております。ご不快に思われるかもしれませんが…」
「あ、そういうわけじゃなくて、仲良さそうだなーと思って思わず見てしまいました。こちらこそジロジロとごめんね」
「…私と師匠、仲良さそうですか?」
「ん?うん、そうだね。師匠と弟子って風にも見えるし、とっても近い距離で喋っているせいか親密そうにも見えたよ」
「義姉さんが気になる程近かったですか?メディア、申し訳ない。魔道具を使ってるので音は漏れないとわかっているんですが、うっかり近付き過ぎたかもしれません…」
「いえ、全然気にしないでください!どんな時でも周囲への警戒を怠らない姿勢はさすがです!!」
そうして話していると、来客の訪れを告げる呼び出し音が鳴った。
「あら、いつもの業者さんが来る時間より早いな。違う人かな…?」
「メディア、俺たちは念のため奥に潜んでおきましょう」
今日は私たちが訪ねるのでアイディリア様以外の研究所員が立ち入らないようにしてもらっていたが、毎週備品の補充に来る業者の来訪は断っていないので、おそらくその人だろうとアイディリア様は対応しに行った。
「どうも、ありがとうございます。特殊インクの残量がギリギリだったので助かります!いつもの棚に納品お願いします」
「はい、承知しました…」
「あれ、そっちじゃないですよ。もしかして今日初めてですか?すみません、私人の顔覚えるのが苦手で…ご案内しますね」
「……」
「ちょっと、勝手に奥に入らないでくださ――」
なんだか様子がおかしい。アイディリア様が心配になりこっそり覗いてみたら、来訪者と目が合ってしまった。
「―――――何故、あなたがここにいる?」
納品業者の制服を着て帽子を目深に被ったアルノルト・コルテスの瞳が確かに私を捉え、アイディリア様やエルディオ様の制止を振り切ってこちらにやってくる。抵抗もむなしく腕を掴まれた私は、そのままアルノルトのマントに刻まれた転移陣でどこかへ連れていかれてしまった。




