29.挿話 有坂葉月
私が乙女ゲームの世界に転移したキッカケは、たぶん誠ちゃんと喧嘩したことだと思う。
あの日は自室で誠ちゃんと一緒にゲームをしていて、ちょっとしたことで言い合いになったところに妹のむっちゃんがやってきて仲裁してくれて、それでも私は誠ちゃんへのイライラが収まらなかった。
『乙女ゲームって、疑似恋愛を楽しむものだろう?葉月がやって楽しいのか、ソレ』
『楽しいよー!私もむっちゃんもずっと女子校だから、こういうところで恋愛経験値を積むしかないしね!』
『何言ってんだ。現実にローハルトとかテオドールが身近にいるわけないだろうが…』
『人生何があるかわかんないじゃん!!』
だって、一番身近にいる誠ちゃんは、私の事を恋愛対象として見てくれてないでしょ?だから今は、ゲームで少しでも経験値を積んでおこうと考えているのだ。
◇◇◇
私の実家は老舗の和菓子屋で、日本全国あちこちの百貨店や駅ビルに手広く出店している。そう、私はいわゆるお嬢様というやつだ。お母さんはごく一般的な家庭の出身で、大学で出会ったお父さんと結婚を意識しはじめた頃、初めて自宅に招待されたとき衝撃過ぎて引き返しそうになったという。
「いつもヨレヨレの赤いチェックシャツを着たお父さんの実家が、都内一等地の大豪邸だと知った時は何かの詐欺かと思った」
と後の母は語る。赤いチェックシャツは本人なりのこだわりだそうで、今でも着ているから驚きである。
父も祖父母も大らかな人なので、母に対して”老舗の嫁”であることを特段求めなかったが、真面目な母は自分自身にプレッシャーを掛けまくり、その煽りを受けたのが幼い頃の私だ。幼稚園受験、毎日の習い事とそれに伴うお稽古、高成績を維持するための予習復習などで日々の予定はぎゅうぎゅうで、息をつく間もなかった。
◇◇◇
小学二年生のある暑い夏の日。その日母は高熱を出した妹に付きっ切りで、お手伝いさんも体調不良でお休みしていたので、普段は送り迎えがあるバイオリンのお教室から一人で帰宅しようとしていた。自宅から徒歩5分程度の距離だったし、治安のいい土地柄だったから両親も反対しなかったのだろう。フラついた私を見付けて支えてくれたのは、当時小学六年生だったお隣の誠ちゃんこと森塚誠太郎だった。
「おい、大丈夫か?家はどこだ?」
「おうちは…あそこ。ちょっと眠たくて、バイオリンが重たくて、つかれちゃったの…」
それだけ言い残して眠りこけてしまった私はそのまま森塚家に保護され、すっかり疲れも取れて気分爽快で目が覚めた頃には、その日の習い事は全て終わっている時間になっていた。その上何故か、私を迎えに来たはずの両親は誠ちゃんのお父さんお母さんとすっかり意気投合し、週末にはまだ幼稚園児の妹むっちゃんも含めた家族四人で森塚家にお呼ばれしてピザパーティーを開いた。
「宅配ピザなんて久しぶり!もちろん合わせるのは缶ビール!!あぁ~~~幸せ!!!」
「たまにはこういう物、食べたくなるよね。わかるわぁ…」
「今日はコーラ飲んでもいいよね?いいよね?」
「有坂さんの赤シャツ。コーラにぴったりですね!」
森塚家は国賓が泊まることもある歴史のあるホテルの創業者一族で、会長だった誠ちゃんの祖父母が引退して海外に移住したため、後を継ぐ誠ちゃん一家がここに住むことになったのだという。うちの母と誠ちゃんのお母さんは似たような境遇で、私を迎えに来た時の母の思いつめた表情が気になった誠ちゃんのお母さんが、母に声を掛けてくれたのだそうだ。普段家で食べる出前の食べ物と言えばおじいちゃんの仲良しのお寿司屋さんや料亭さんのご飯だったので、母が美味しそうにピザを食べている姿は物凄く新鮮だった。
「葉月はもう元気か?疲れてないか?」
「誠太郎お兄さん、ありがとう。葉月げんきだよ!」
「その呼び方だと長いな。もっと短くして、呼びやすいようにしていいぞ」
「じゃあ、誠ちゃんって呼んでもいい?妹もね、睦月だからむっちゃんって呼んでるの」
「ふぅん、仲良しなんだな。お父さんとお母さんは優しいか?もう倒れないように、すっごく疲れてるときはちゃんと言わないとだめだぞ」
「誠ちゃんは優しいねぇ、だいじょうぶだよ。お母さんがね、やめたいお稽古はやめてもいいよってゆってくれたの」
森塚家に保護された翌日は学校も習い事も全部お休みになって、一日家で母とゆっくり過ごした。
「葉月、たくさん頑張ってくれてありがとうね。でも、疲れて倒れちゃうまで頑張らせてしまって、本当にごめんね…」
誠ちゃんのお母さんとたくさん話した母は、色々と思うことがあったのだろう。妹のむっちゃんはまだ幼くて手が掛かるし、日常の事はお手伝いさんに任せていた部分も多く、私の様子にまで目が行き届かなかったのも仕方ないと成長した今では思う。そうして母は私に負担を掛けていたことを反省し、好きじゃないのに続けている習い事があればやめてもいいと言ってくれた。やめたいほど嫌なものはなかったが、向いてないと思っていた音楽関係の習い事をここで全てやめることにした。その分、続けると決めたものは今以上に頑張ること、どうしても疲れたときは正直に話すことを約束した。そのことを誠ちゃんに話したら、優しく頭を撫でてくれた。
「俺も幼稚園ぐらいのときはそんな感じだったぞ。母さんが父さんと喧嘩して、その次の日からお稽古が半分以上減ったんだ」
「そうなんだ。誠ちゃんは今はなにを習ってるの?」
「俺は音楽が好きだから、今はピアノのお稽古が一番だな。あとは空手と水泳もやってるよ」
「ピアノがじょうずなの?すごいねぇ!今度葉月のおうちにピアノひきにおいでよ!!」
「じゃあ、葉月はバイオリンを弾くか?」
「ううん、ひかない。あのね、葉月ずっと思ってたんけど、リズム感ぜんぜんないのよ…」
「全然かぁ…なら仕方ないな」
「だからね、お花とかお茶とか、リズム感なくてもできるのだけ続けることにしたのよ」
真剣な顔でそう言うと、ツボに入ったのか誠ちゃんは笑い転げていた。
◇◇◇
誠ちゃんは、出会ったときからずっと私のことを気にかけてくれていて、いつだって優しい。でも、あれからもうすぐ十年経つ。最初から大きくて頼りになるお兄さんだった誠ちゃんは成人して、名実ともに大人の人になって、顔よし頭それなりによし家柄物凄くよしで、モテてモテて仕方ない。(人の事言えないような家に住んでいる私だけど)あの豪邸に物怖じせず押しかけてくる自称大学の女友達がゴロゴロいるし、バイト先で知らないお客さんに連絡先を渡されたことも一度や二度じゃない。そんな誠ちゃんが、ちんちくりんの小学生の頃から知ってる幼馴染の私を彼女にしてくれる可能性なんてめちゃくちゃ低いに決まってる。それでも私は、いつしか芽生えた恋心を捨てることも出来ずに、今も彼の隣で育て続けている。
◇◇◇
『このゲームはね、悪役令嬢のディアレインが可哀そうなんだよ…小さい頃からずっと一緒にいた婚約者のローハルト王子がぽっと出の聖女に取られちゃって、家柄もよくてすっごくキレイな子なのに、婚約者に捨てられてしまったら貴族の令嬢に未来なんかないから、絶対に王妃の座は渡さないってヤケになって、聖女に襲い掛かるの』
『なんだそれ。そんなん悪役令嬢の逆恨みだろ?最初から王子の心を掴んで離さないぐらい魅力的だったらそんなことにならないだろうが』
『……私は悪役令嬢の気持ち、わかるけどなぁ。いくら大事な時に一緒に大きい事件を解決したからって、ほんの少し間共に過ごしただけの聖女に婚約者がメロメロになっちゃうなんて、そんなの絶対ショックだよ』
『彼氏もいないお前が何を言ってんだか』
いつしか私は乙女ゲームの悪役令嬢に自分を重ねて感情移入していたが、そんな私の想いは露知らず諭してくる誠ちゃんにムッとして、何かを言い返したような気がする。周りがぱーっと光って、誠ちゃんとむっちゃんがこちらに手を伸ばしていたけど、私はどちらの手もつかみ損ねて気付いたらアデリア王国の王城の庭園にいたのだった。
そこからは怒涛の展開で、ポケットに入ってたスマホはフツーのスマホじゃなくなって超高精度の噓発見器の機能がついてて、その機能で反対勢力の貴族に騙されそうになっていたローハルト殿下を偶然助けちゃって、いつの間にか殿下は私に恋をしていた。そこからは更に怒涛で、例の悪役令嬢と婚約破棄した殿下は私を次の婚約者にするって言い出すし、誰一人として私を元の世界に帰そうとしてくれない。カレン様が私のところに来てくれるまで絶望してたし、スマホに入ってる好きなゲームのスクショや誠ちゃんの写真や動画を見て「絶対に帰るんだ!」と、なんとか心を奮い立たせていた。味方が出来てからは心強かったし、なにより私に襲い掛かるハズだった悪役令嬢のディアレインは、ゲームと全然違う子だった。
◇◇◇
「セイ様、ハヅキ様は今、我が国の第一王子ローハルト殿下から求婚されております。しかしハヅキ様はセイ様一筋で、殿下のことなど眼中にございません。強引な婚約を推し進めようとする殿下とその一味には、私と第一王女カレンデュラ殿下が鉄槌を下しましょう」
『えぇっと、色々言いたいことはあるんだが…葉月、可哀そうな悪役令嬢はいなかったみたいだな』
「そうだねぇ、誠ちゃん。現実ってゲームよりすごいかもしんない」
◇◇◇
どうやら私は隠しルートに突入しており、むっちゃんの言うことが確かなら、そのルートの婚約対象キャラは日本で待つヒロインの幼馴染…らしい。
これって、期待しちゃっても、いいよね!?




