28.
「……というわけなのです、ハヅキ様」
「うわぁ…ローハルト殿下の側近たちっておバカしかいないんですか!?」
一連の出来事を説明したところ、ハヅキ様は眉間にしわを寄せた。婚約者に一方な婚約破棄を言い渡したという令息たちはローハルト殿下とのお茶会に同席してくる者ばかりだったようで、日頃からまともに会話が成立しない苛立ちを抱えていたせいか、怒りもひとしおといったご様子だ。
「これも全部、私がこの世界に来てしまったことが原因ですよね…大勢の人に悲しい思いをさせるなんて、聖女じゃないですよね…」
「いいえ、ハヅキ様のせいではございません」
「直接の原因じゃないかもしれないけど、私が居なければこんなことにはならなかったでしょ!?私だって好きで来たわけじゃないのに…っ」
何度も何度も思ったことだが、ローハルト殿下は一体何をしているのだろう。ハヅキ様のことを愛おしく思っているならば、どうしていつまでもこんなに悲しい顔をさせたままなのか。私との婚約を破棄することより、側近たちを扇動して婚約を破棄させるより、もっと大事なことがあると何故わからないのか。
「ハヅキ様、今からそちらへ伺いますので転移陣をご用意いただけますか?すぐにおいとましますので、どうか少しだけお時間をください」
「へっ?ディアさん?」
「師匠謹製の陣をお一つお持ちでしたよね?もちろん往復の転移に掛かる魔力は自分で負担いたします」
「えっ?えっ?どういうこと??」
「カレンお義姉様をお待たせしているので、あまり時間がありません。設置していただいてもいいですか?」
「は、はい。今すぐに!」
そうして私は、ハヅキ様の離宮まで転移で向かった。
◇◇◇
「あの…ディアさんは何故、私をぎゅーっと抱きしめているんでしょうか…」
「こうしていると落ち着きませんか?幼い頃はよく母や王妃様がこうしてくださったのです」
うちの母は二人の我が子を溺愛しているし、グラッツェン公爵家から王家に嫁がれたフェミナ王妃殿下は母性に満ち溢れた方で、懐が広い。おおらかな気質でスキンシップを好み、一見優しいばかりの方に見えるが、その実何があっても揺るがない大変頼もしい一面があり、此度の自身の息子が起こした騒動に関しても、カレン様を信じ不在の間はカレン様の判断に全て委ねるべきだと陛下に進言していた。私にもいつもお優しくて、国母たるものこうでなくてはと素直に尊敬できるお人なのだ。
「ハヅキ様、改めてお伝えいたしますがあなたは何も悪くありません。そもそもアデリアの危機はアデリアの人間が解決すべきことなので、わけもわからずいきなり連れてこられた貴方様が責任を感じることなど何一つないのです。ローハルト殿下が辺境伯家に無実の罪を着せようとしたことに関しても、私が殿下のことをよく見ていなくて不甲斐ないばかりにハヅキ様の御力を借りての解決になってしまいました。貴方様が自分を悪いとおっしゃるならば、それは貴方ではなく私の罪なのです」
「ディアさん…」
「そもそも『国家の危機に聖女が現れる』なんて仕組み、どこの誰が作ったのでしょう?自分たちの国を自分たちでどうにかできないならば、それは国家を維持するための力が足りてないことに他なりません。
次期国王と目されたローハルト殿下並びに、結果的に彼をその立場に押し上げた私とベスター公爵家に責のあることです」
「そんなことありません!それなら私だって――」
「……………それにしても、実物のハヅキ様は大変暖かく柔らかくていらっしゃるのですね。いい香りもしますし、このまま公爵邸に連れ帰ってしまっても構いませんか?」
「ち、ちょっと落ち着いてください!落ち着いてー!!さっきまでの凛々しく気高い公爵令嬢って感じはどこに消えたの!?」
ハヅキ様の魅力の前にして、あらゆることがどうでもよくなりかけた。女子寮を出て以来同年代の子女との触れ合いが圧倒的に不足していたので、今の私のとって彼女のぬくもりは劇薬のようなものだった。そんな私の肩を必死で揺さぶり正気に戻そうとしたハヅキ様のポケットから、四角くて薄い板のようなものが落下した。よく見るとその板は、薄っすらと光を帯びている。
「それは、ハヅキ様の世界から持ち込まれた魔術遺産でしょうか?見たことのない形状です」
「これは私の世界では大勢の人が当たり前に持っている”スマホ”っていう通信機です。通信以外にも、本を読んだり計算機能が付いてたり、色々なことが出来る優れものなんです。この世界で使おうとすると超高精度な噓発見器になったり、普通じゃない機能がたくさんついてて怖くなっちゃってほとんど使っていないんですけど…あれ、点滅してる?」
薄く光っているだけでなく、淡い緑色の光が点滅していた。ハヅキ様もいぶかしんでいるので、どうやら普通の現象じゃないようだ。
――――――ザザッ、ザザザッ
しばらく見ていると、スマホから雑音が鳴り始めた。何やら不穏な様子に、私はハヅキ様を抱きしめる腕に力を込めた。
「何がどうなってるの…?え、私のスマホ壊れてないよね!?誠ちゃんとの動画も写真とか沢山入ってるしトーク履歴も保存してないのに!!!」
「ハヅキ様、落ち着いてください。今すぐカレンお義姉様に連絡を…」
『――月、葉月!聞こえるか!?』
雑音が鳴り止み、薄っすら光るスマホには一人の青年の姿が映し出されていた。
「うそ……誠ちゃん!?」
『無事か!?くそっ、悪役令嬢に追いつめられてるのか!ディアレイン・ベスター!!葉月を離せ!!!!!!』
「あら…私って、ハヅキ様の世界では本当に名の知られた悪役令嬢というものなのですね」
自分の知らない世界で自分の事が知られているというのは、なかなかできない体験だ。それが本来の自分自身と異なる認識をされているのもちょっと面白い。
「誠ちゃん誤解なの!私は全然大丈夫だしディアさんも優しくしてくれてて…」
『じゃあなんでお前はそんな部屋の隅に追いつめられてるんだよ?普通の距離感じゃないだろ!』
「そ、それは、さっきまでディアさんに抱きしめられてて、その…」
『……悪役令嬢との百合ルートなんてあるのか?聞いてないぞ』
スマホの向こう側からこちらを凝視している青年は、ハヅキ様の片想いのお相手なのだろう。ハヅキ様と同じような黒髪黒目に、背が高くて逞しい体格の殿方だ。
「この方がハヅキ様の幼馴染で、お隣のお屋敷に住んでいるセイ様なのですね。一緒にいると凄く安心できるというあの…」
「ちょ、待ってディアさん、本当に待って!!!!!」
真っ赤になってうろたえるハヅキ様は物凄く可愛らしい。こんな表情を見たら、誰だって彼女に惹かれてしまうだろう。それはきっと、スマホの向こう側の彼もそうなのではないだろうか。
「セイ様、私、ディアレイン・ベスターと申します。此度は我が国の都合で大変なご迷惑をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます」
『あ、いいえ、こちらこそ葉月がお世話になっているようで…。自分は葉月の隣の家に住む森塚誠太郎といいます。小さい頃からの仲で、葉月がそっちの世界に飛ばされたときも一緒にいました』
「後程我が国の第一王女殿下からもご挨拶させていただきますが、現在私たちはハヅキ様をそちらの世界にお戻しする術を探しております。お戻りになる手筈が整うまでハヅキ様の身の安全と衣食住は保証いたしますので、どうかご安心なさってください」
セイタロウ様は、私が思っていたような悪役令嬢ではなかったことに安堵したようで、ホッと胸を撫で下ろしていた。一緒に過ごしていた幼馴染が目の前から消えてしまったのだから、さぞかし心配されていたことだろう。
「セイタロウ様の大事なハヅキ様は必ず守り通します。ローハルト王子殿下との婚約なんて絶対に阻止しますし、その一派にも指一本触れさせません!」
『王子との婚約話が持ち上がっててこの状況ってことは、隠しルートってやつに入ってるんだな…葉月、睦月を呼んでくるから待っててくれ』
ほどなくしてセイタロウ様は、ハヅキ様とよく似た面差しの可愛らしい少女を連れて戻って来た。
『はーちゃん無事?よかったー!パパとママのことはてきとーに誤魔化してるから安心してね!』
「むっちゃん!?むっちゃんだー!!なんかすっごく久しぶりな気がする…!」
ムツキ様はハヅキ様の四歳年下の妹御で、ゲームの本来の持ち主なのだそうだ。
『誠にぃ、これやっぱ幼馴染ルートだよ。よかったじゃんおめでと!』
『待て睦月。悪役令嬢のはずのディアレインがキャラ変してたり、ゲームには名前しか出てこなかった第一王女が葉月に味方してるっぽいぞ。明らかにゲームと違う点が多い』
『そうかもしんないけど、はーちゃんは誠にぃのこと絶対好きだと思う。ていうかわたしにはずっと前からそうとしか見えないんだけど』
「まぁ。やはりセイタロウ様も、ハヅキ様を愛しておいでなのですね」
「えっ?えっ??幼馴染ルートってなに!?なんのことーーーーー!?」
ハヅキ様は混乱しているようだが、私はとても嬉しくなった。頑張っている女性が報われるのは大変喜ばしいことだ。一刻も早く元の世界にお戻ししなくてはと、更に強く誓った。




