22.挿話 アルノルト・コルテス
アデリアの四大公爵家は、東のベスター・西のコルテス・南のグラッツェン・北のディークの四家から成る。現王妃殿下はグラッツェンの出で、広大で肥沃な土地を有しアデリアの食を支えるグラッツェンの姫らしく寛大で穏やかな気質の御方だ。
そして、現ベスター公爵夫人は王妹のアンゼリカ元王女殿下だ。彼女は高い魔力を有し、才気に溢れ国政にも意欲を示し、王位を目指すものだと周囲に目されていたしある時期までは本人もそのつもりだったが、そうはならなかった。
『アンゼリカ王女殿下は、王女らしい方だったわ。自分の望みは他のどんなことを犠牲にしてでも叶えられて然るべきだとお思いで、王座を見据えていたからか側近たちも優秀な人材ばかりで、叶わなかった望みなど一つもないのでしょう。その影で、誰かが犠牲になっていることなんて想像したこともないのだわ…』
現コルテス公爵夫人は伯爵家の出で、公爵にとっては二人目の夫人となる。最初の夫人を病で亡くした彼は、年の離れた伯爵令嬢を妻として娶ったのだ。その縁談には王家の介入があり、双方受け入れざるを得なかったのだろう。それでも二人はお互いを尊重し合い支え合うよきパートナーとして長年連れ添っており、二人の子宝にも恵まれコルテス家は順風満帆と思われていた。
「アルノルト、ハヅキの養子縁組の話は進んでいるだろうか。彼女には一日でも早く後ろ盾が必要なのだ」
「…もちろん、わかっております。我が家には男児しかおりませんので父は喜んでいますし、母もコルテス公爵家から王妃が出ることの重みをわかっています。ハヅキ様のよき理解者になるでしょう」
「そうか、安心した。お前が私の側近で居てくれてどれほど心強いことか…。私が即位した暁には、お前にはふさわしい地位を約束しよう。どうか共にこの国を、ハヅキを支えてくれ」
ローハルト第一王子殿下は自分より二歳年下で、殿下が学園に入学してから屈託のない微笑みを向けられるようになるまでは、そう時間が掛からなかった。これほど御し易い人物であったことと聖女の訪れは、此度の計画を完遂するために必要不可欠な要素だ。学園在学中は聡明な王女殿下たちやあの婚約者と物理的に引き離され、彼女たちの目の届かない場所での接触が可能になる。唯一の不安要素だったベスター公爵家のテオドールは頭が回る気質ではなく、直情的で姉第一主義者だったため、排除は簡単だった。
(王家の周辺からベスター公爵家を排除し、そこでコルテス公爵家の存在感を示す。第三王女の降嫁先として今後発言力を増していくであろうリンドール辺境伯家に後れを取らずに済みそうだ)
同じ武門の家柄ながら国境域の防衛に注力し中央での存在感はあまりないものの、国防の要として重要視されているリンドール辺境伯家。かたや王立騎士団長を輩出する家系ながら、王家と縁深いベスターやグラッツェンに比べると存在感がやや薄い我がコルテス公爵家。引き離されないためにも、ここで挽回をしておきたい。
「グラッツェンは我が国最大の収穫量を誇り国民の生活を支え、ディークは長い冬の間に美しい樹氷やダイヤモンドダストが見られ、大陸でも有数の観光地としてその名を馳せています。我がコルテスも、今以上に存在感を示し国へと貢献いたしましょう」
「お前が次男なのが惜しいくらいだよ、アルノルト。次期コルテス公爵にはならずとも、お前には王妃となるハヅキの第一の騎士としてこの国に仕えてもらいたいと考えているのだ」
「勿体なきお言葉です。正式な拝命を心待ちにしながら、より一層精進してまいります」
微笑みを交わし合い、殿下の私室を後にした。
◇◇◇
さて、この後はどうするか。
(ああは言ったものの、父上は未だに聖女ハヅキとの養子縁組には慎重な姿勢を見せている。とはいえ母の意を汲まないことはないと思うが…)
王家からの密命で娶った年の離れた二人目の夫人は、元々はベスター公爵夫人になることが内々に定められていた。それが覆ったのは、ひとえに王女殿下がベスター公爵と恋に落ちたからだ。政略結婚とはいえベスター公爵に懸想していた元伯爵令嬢の母は己の運命を嘆き、その時の事を一生涯忘れることはないと言う。
『アルノルト、あなたはきっとコルテス公爵にはなれないでしょう。亡くなられた奥さまのご子息は人の上に立つにふさわしい優秀なお方ですもの。それでも、貴方にはただの公爵家の次男坊で終わってほしくないの』
幼い頃から繰り返し聞かされた母の言葉。それは、いったい誰のための言葉なのだろう。
(そんな母を一番喜ばせることが出来たのが、ハヅキ様との養子縁組の話だというのだから、滑稽だな…)
結局のところ母は、自分から愛する人を奪った元王女殿下の鼻を明かしたいのだ。アルノルトや幼い弟の存在が母親の心を溶かすことはついぞなかった。
(ディアレイン・ベスター公爵令嬢は、今、何を思うのだろう)
自分と同じように、王家や母親に自身の生き方を定められたかの令嬢の存在を意識しだしたのはいつ頃だろうか。国内のほとんどの貴族に、彼女をおいて他には居ないとまで言わしめた優秀な王子の元婚約者。その実態は、アンゼリカ王女殿下が己の恋心を貫いた代償として王家に捧げられた哀れな令嬢。だが本人はその運命を受け入れ、誰よりも完璧にその役割をこなしているように見えた。
(あの夜会の日、彼女は会場内の誰よりも冷静に見えた。冴え冴えとした瞳には悲しみも絶望の色も見えず、ただただ澄んでいた――)
だからこそ自分は苛立ちを抑えきれず手荒なやり方で彼女を排除したが、その時に初めて見た怯えるような彼女の姿が、今も脳裏に焼き付いて離れない。長年尽くしてきた婚約者に捨てられても揺るがなかった瞳が自分の事を捉えた瞬間、彼女に触れたい衝動にかられた。この気持ちはなんなのだろうか。
もう一度会えば、わかるかもしれない。




