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この区画の聖女に関する記述がある本は、おそらく全て確認できた。これらの本を読んでわかったことだが、アングロース帝国の勇者を除いてこちらにやってきた聖女や勇者は、王族か有力な貴族家の跡取りと婚姻を結ぶことがほとんどだということだ。とはいえ、他国にも流通する歴史書の内容は正史と異なる可能性も高い。ここにある本に書かれていないだけで、世界のどこかには元居た世界へ帰ることを望み、帰れた聖女もいると信じたい。
「無事にハヅキ様が戻れたら、その方法とハヅキ様の御気持ちを記してこの書庫に収めたいと思います!」
『私みたいに困っちゃう聖女がこれから現れるかもしれないし、ディアさんがそうしてくれたら嬉しいです』
「そのためにも無事に方法を見つけ出して、宮廷画家にとびきり愛らしいハヅキ様の絵姿を残してもらわないといけませんね」
『絵姿は…いるのかなぁ…?』
「あら、もちろん必要ですよ。ハヅキ様が元の世界に戻られても、私たちはずっとあなたのことを忘れたくないのですから」
『あ、ありがとうございます…面と向かって言われると照れますね』
「そう!そのお顔です!!日頃は毅然としておられるのに不意打ちではにかんだお顔を見せられるだなんて罪なお方…!絶対に絵姿を残さなくてはいけません!!!」
「ディアレイン様、圧が強いのでちょっと抑えましょうか…」
疲れが取れて少しずつ笑顔を見せてくれるようになったハヅキ様を見てホッとする。彼女が心から安堵して過ごせる場所に早く帰して差し上げたい。
『そういえば、ゲームのレオカディオルートではこの図書館がよく出てきてたんですよ。物語本を通じて盛り上がることで仲を深めたり、ダンジョン化した書庫を冒険したりするんです』
「兄さんはずっと図書館に居るので、会おうとするとここに来ざるを得ないですからね。ていうか書架がダンジョンに…?そんなことある…?」
『ゲームで本人も言っていました!僕は本の虫だから、本より何かを大事に想うことはないよって出合い頭に言われるけど、好感度が上がっていくにつれて段々本と同じように大事にしてくれて、いつしかヒロインのことを一番に想うようになるところがグッとくるって評判だったんです』
「物語の中の兄とは言え、なんだかむず痒くなりますね…」
「実際のレオカディオ様と奥さまは、大変仲睦まじくていらっしゃいましたよね?たしか子爵家のご出身で、亜麻色の巻髪の清楚な雰囲気のお方だったような…」
「よくご存じですね。義姉さんは王立研究所の言語学教室の所属で、兄さんとは同類なので上手くいってるんです」
「なるほど。それはよいご縁ですね」
『ゲームのレオカディオはどのルートでも結婚してないし婚約者もいませんでした。こうやってゲームとの違いを見付けると、ここはゲームじゃなくて現実なんだなって感じます』
そう言ったハヅキ様は、とても寂しそうな表情をしていた。
「……ローハルト殿下は、何をしているのでしょうね。私だったら、傍にいられたらハヅキ様にそのようなお顔はさせませんのに」
『ディアさん…?』
「通信機越しじゃなくて、目の前に居たら抱きしめてぬくもりを差し上げることが出来るのに。この距離がもどかしいです」
『………っ』
私の素直な気持ちを伝えたところ、ハヅキ様は真っ赤になってあたふたし始めた。寂しげな表情は見る影もなくとても動揺しておられるので、何かまずいことを言ったのかと不安になった。
「差し出がましいことを言いました、申し訳ございません」
『ちちち、違うんです!そんな真っすぐな好意を向けられたことなんてないから、びび、びっくりして…!』
「聖女様は現在進行形でローハルト殿下から好意を向けられているのでは…?」
『あれはなんというか、思い込みと憧れを拗らせた暴走みたいなものですよ!ドキッとする要素は一切ないです!!』
「聖女様はローハルト殿下の事を見抜いておいでですね、さすがです」
『なんというか、好意そのものは嘘じゃないってわかるんですけど、真実の愛とか言ってくるのはまったく一切信用していないです!』
「殿下はそんなことを仰っているんですか?」
『はい。「ディアレインとの婚約は王家につけられた枷のようなもので、彼女に対して家族のような情はあれどそこに男女の気持ちはなかった。ハヅキと出会ってようやく真実の愛を手に入れることが出来たんだ」というような内容を、細部を変えながら何度も何度も言われています』
枷と来たか。殿下の表現の幅も年々豊かになっておられるようで、こんなところでなんだけど成長を感じて少しほっこりしてしまう。
「あの小さかったローハルト殿下がそんなことを言えるようになったのですね。感慨深いものがあります」
「なんというか、姉目線ですね」
「殿下はテオと同い年ですし、まだ言葉もおぼつかないような頃から一緒にいるので、ほぼ弟のようなものです。殿下も幼い頃は私を二番目の姉だと勘違いしていた時期がありますよ」
私がローハルト殿下に婚約破棄されたときに感じたのは、長年弟のように接してきた相手から突然牙を剥かれたことへの驚きと、カレン様をはじめとする姫様方と義姉妹になれる喜びが失われた悲しみで、それ以外は特にこれといった感慨はない。殿下に恋愛感情を抱いていたら、きっとこの程度の落胆ではすまなかっただろう。
『失礼かもしれませんけど、ディアさんがローハルト殿下のことを恋愛的な意味で好きじゃなくてよかったなって思います。だって、もしそうだったらこんな風に話したり出来なかったですもん』
「ふふ、ありがとうございます。無事に事態が解決したら、元の世界に帰られる前に直接お顔を見てお話したいですね」
『私もです!もしできたら、今度はちゃんとお茶会をしたいなって思ってます!!』
「えぇ、是非。約束しましょう。その時はハヅキ様の好きな殿方のお話を是非聞かせていただきたいです。なんなら今からでもいつでも聞きたいです。恋する女性は何よりも輝いていて、世界で一番可愛らしく見えますから」
「恋バナですね、是非聞いてください!誠ちゃんって言うんですけど、小さい頃にお隣のお家に引っ越してきたお兄ちゃんみたいな存在で、一緒にいると凄く安心できるんです。でも誠ちゃんは私の事、妹みたいにしか思ってなくて…」
やっぱり、女性はみんな可愛くて優しくて、いい人ばかりだ。早く生身のハヅキ様とお茶を楽しみたいものである。
『お嬢様、聖女様、差し出がましいようですがエルディオ様が置いてけぼりになっていますよ』
「ハッ!ミリアありがとう!!すみません、師匠。こうなったら師匠の恋バナも是非お伺いしたく…」
「ご配慮くださりありがとうございます。ですが今この時に限り俺の事は空気のようなものだと思っていただければと」
『エルディオ様は控えめなようでいて異性への理想が高いから婚期を逃しているって、以前カレン様が話してました。そういえば』
「あの人は聖女様になんて話をしてるんだ…!」
お茶会の席には是非カレン様もお招きしようと、固く心に誓った。




