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18.

「…我慢をしたことがない、と」

「えぇ。こう見えて、やりたいことばかりやって生きてきましたから」

「それは、先日までの婚約もそうなんですか?」


他のお客さんから少し離れた職員専用席を選んではいるものの、エルディオ様は具体的な名前は伏せて話している。ローハルト殿下との婚約が私にとって不本意なものではなかったのか問いたいのだろう。


「実はですね、五歳の頃に物凄く嫌になって、逃げ出そうとしたことがあるんですよ」


物心つく頃には第一王子殿下の婚約者で、道を踏み外すことが決してないよう余所見をすることは許されず、自邸と王城を行き来する日々。他のご令嬢は自邸に家庭教師を招き基礎教養を身に着け、母親に伴われ他家の茶会で同じ年頃の女友達を作り交友関係を広げる。それは、いずれ始まる学園生活を不自由なく充実したものにするための下準備で、ひいては未来の社交の予行演習だった。自分もそんなごく普通の貴族令嬢らしい生活を送ってみたいと願ったあの頃。


『アンゼリカ元王女殿下は、他の縁談をお断りしてご自身の意思を貫き通してベスター公爵夫人となられたのです。御母上が自由を許された分、ディアレイン様は王家に報いなくてはなりませんよ』


『ディアレイン様は御母上によく似ておいでですね。カレンデュラ王女殿下にも引けを取らない魔力量を活かして、アデリアの未来を担う一翼とおなりください』


『ローハルト殿下はディアレイン様より二歳年下でいらっしゃいます。殿下も立派な男性ですから、同い年やもっと年若いご令嬢に惹かれる気持ちがおありかもしれません。殿下に変な気を起こさせないよう立ち回るのはあなた様の務めですよ』


子供心に、それは全て私が引き受けないといけないの?五歳児が背負うには荷が重いのでは?と疑問に思ったものだ。


「親の恋愛結婚の代償を子供に払わせるのってどうなの?と疑問を抱いた私はある日、王城での王子妃教育を終えて家に帰るまでの短い時間にちょっとした失踪を試みたのです」

「疑問の抱き方が五歳児にしては冷静なところがさすがです。そして、失踪にちょっとしたも何もあるんですか…?」

「立場上、大々的に家出などを試みるにはあまりにも難易度が高過ぎますし、私付きの侍女や護衛が処分されかねません。なので、王城の薔薇の庭園に心を奪われて、ついふらっと奥に潜り込んでしまったフリをしたんです」


どうせすぐに見付かってしまうとわかりきっていたし、大人たちを困らせたいわけでもなかった。ただ少し、家でも王城の中でもない場所で一人になって考える時間が欲しかっただけなので、美しい薔薇が咲き誇る庭園はちょうどよかった。


「一人きりになれると思っていたら、そこには予期せぬ先客がいらしたのです。それがお義姉様でした」


誰もいないだろうと思い足を運んだ美しい薔薇の庭園の奥深くには、齢七歳にして咲き誇る薔薇よりもさらに美しく気高い王女が微笑んで佇んでいた。


『ディアレイン、やめたいと言うなら今よ。あなたに負担を掛けていることはベスター公爵ご夫妻もわかっているから、あなたが辛いのならわたくしが一緒に言いに行きます。いくら王家の血が濃くて魔力保有量が高かったとしても、絶対に王家に嫁がないといけないわけではないし、それよりもわたくしはあなたの笑顔が曇る方が嫌だわ』


カレン様は、私の事を「アンゼリカ元王女殿下の娘」「王家の血が濃い令嬢」「殿下の手を引き導いていく年上の婚約者」としてではなく、一人の人間として見てくれた。それだけで五歳の私はすべて報われたのだ。


「あの日カレン様と過ごしたひと時のお陰で、私は今の私になれました。元々どうしても嫌だと思っていたわけじゃないし、あの日のことが無くても婚約者の立場を降りたら両親が困るからそのつもりはなかったのですけど、ローハルト殿下との結婚が楽しみになったのはカレン様のお陰なんです」

「メディア…」

「だって、殿下と結婚したらカレン様がお義姉様になるんですよ?ローゼマリー様もヴィオレッタ様もカレン様とは異なる方向に美しく可憐な姫君ですし、フェミナ王妃殿下も朗らかで全てを包み込むような母性をお持ちで、王家の女性の皆様とはいくらでも親しくして構わないなんて、そんなの殿下の婚約者でなければ手に入らない幸福です!」

「こ、婚約者の事は、どう思っていたんですか…?」

「勿論可愛かったですよ、弟と同い年ですし。小さい頃は私を三番目の姉だと思い込んでいて「ディアお姉様はどうして他のおうちに帰ってしまうの?」なんて言って寂しがってくれて愛らしかったものです。それがどうしてこんなことに……」


「お待たせしました!二種のホットサンドにアイスカフェオレのセットと、ベーコンとほうれん草のキッシュにコーヒーのセットです」


話し込んでいる内に食事が運ばれてきた。混雑しているから時間が掛かるだろうと思っていたので、うっかり話し込んでしまったようだ。


「わ、美味しそうですね。冷めないうちにいただきましょう」

「そうですね、この後は探索もありますし、しっかり食べておきましょうか」


ホットサンドはハムとたまごのシンプルなものと、大粒のイチゴジャムとクリームチーズの甘いものの二種類で、最後まで飽きずに美味しくいただけた。学園の食堂で出されるものよりしっかり焼き目がついていて、こちらの方が個人的には好みだと思ったので帰りにコックさんに伝えよう。エルディオ様のキッシュも美味しそうだし、ケーキや焼き菓子もあったので時間とお腹に余裕があるときに再訪したい。


「考えてみれば、異性と二人きりで食事をするのは初めてです」

「………えーと、婚約者だった方とそういった機会は?」

「いわゆる家族ぐるみのお付き合いをしておりましたので、二人きりというのはなかったですね。入学してからはお会いすることも稀でしたので」

「ま、まぁ、あなたは今、見習い図書館員のメディアさんであって、どこかのご令嬢ではないから、俺が初めてでも特段問題はないかと…えぇ、決して問題などないでしょう…」


そうだろうそうだと信じるぞ俺は…と小声で繰り返すエルディオ様は、コーヒーを勢いよく飲み干した。こういった気軽な場では男性は食べ方が豪快になるのだろうか。


◇◇◇


「こちらのカフェテリアと上のレストランは、職員の方は無料で利用できるのですよね」

「こう言うのもなんだけど、うちの職員は食事や睡眠より本に触れていたいって人が多くて…。せめて食事はしっかり摂らせようと、先代伯爵だった祖父が制度を作ったんです」


同じ理由で、研究所の食堂も無料となっているそうだ。寝食を忘れる程夢中になれることを仕事に出来るのは、ちょっと羨ましい。


「ここに勤務すれば毎日こちらの食事がいただけるのですね。ふむふむ…」

「真剣に検討している…いや、俺としてはメディアみたいな子が来てくれたら物凄く助かりますけどね。先刻のご婦人への案内も見事で、俺が出る幕がなかったです」

「見られていたのですか、ちょっと恥ずかしいです」

「あのご婦人は常連さんで、子供たち用の参考書を自作しているそうで一度見せてもらったことがあるんですが、そのまま蔵書に加えたいぐらいしっかりした内容でした。他の人があまり借りないような閉架書庫の本を探していることが多いので、レオ兄さんか俺が案内することがほとんどなんですよ」

「華美さはないものの落ち着いていて品のいいお召し物で、図書館でも気にならない程度のふんわりと爽やかな柑橘の香りを纏っている素敵なご婦人でした。いくつになっても女性は美しいのだと再確認できて、非常に有意義なひと時でした」

「おっとブレないなこの子…」


そうこうしているうちに食べ終えたので、コックさんに感想を伝えて席を立った。エルディオ様が美味しそうに食べていたので、次は私もキッシュを食べてみたいと思う。

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