16.挿話 ユリアーナ・ハッセ
お義姉様はローハルト殿下の行いに加担している女学生を探すようにとおっしゃった。その懸念はもっともなのだけど、わたしはそんな子がこの女子寮にいるとは、実はまったく思っていない。
年頃の女子が大人から離れた場所で集団生活、しかも身分の上下がある(在学中は身分は関係なく平等だと言われているけど、そんなのただの建前に過ぎない)なんて、どう考えても諍いが起こるに決まっている―――と、入寮前までは思っていた。
「ユリアーナ、入学おめでとう。待っていたわ」
ディアお義姉様ことディアレイン・ベスター公爵令嬢。私の二歳年上で、齢二歳にして王族入りが定められていた尊き御方。直系王族に引けを取らない魔力を有しながらも驕ることなく、王子妃教育を完璧にこなしながら王家の姫君たちとの慈善事業にも参加し、時には城下に降りて平民の暮らしを視察されることもあったという。
そんな多忙な身の上にも関わらず、弟のテオドールの婚約者である私にも常に気を配ってくれて、実の妹のように扱ってくれた。それは男兄弟しかいない私にとっては新鮮で、幸せなことだった。王城と公爵邸を行き来する多忙なお義姉様には、お屋敷を訪ねても会えないことも多かったけど、会えた時にはたくさんの事を教えてくれて、私の世界を広げてくれた。
いずれ王家に嫁ぐお義姉様のことを、ベスター公爵になるテオと力を合わせて支えていきましょうと誓い合ったのは13歳の頃。お義姉様が学園に入学した年の事だった。
「ユリア、好きだよ。君のように賢くて勇敢な女性が我が公爵家に嫁してくれることは、僕の人生にとって二つ目の得難い幸運だと思っている。どうか末永く共にいてほしい」
「えぇ、わたしもテオが大好きよ。女性に対してちっとも偉そうにしないで、いつだって私のことを尊重してくれる。それに、テオの婚約者になれたことで私は素晴らしいお義姉様を得られるのだわ。それが私の二つの幸運よ」
微笑み合い、寮生活が始まったお義姉様の不在の寂しさを分かち合い支え合ったあの日々が懐かしい。我々の入学までの二年間、お義姉様に会えるのは年二度の長期休暇のみで、その間も相変わらず王子妃教育があり共に過ごせた時間は僅かばかりだったけど、視野を広げて更に強く美しくなられたお義姉様にますますの憧れと尊敬を募らせ、未来の公爵夫人として自分もあのようになりたいという気持ちを新たにした。
◇◇◇
「ただいま帰りました」
「ユリア、おかえりなさい!テオドール様にはお会いできたの?」
「えぇ、ララ。収穫はばっちりよ。今から来られる子だけで構わないから、みんなを談話室に集められるかしら」
「ディアレイン様の情報を得たのね。それならすぐに皆を集めましょう」
ララことクララベルは子爵家の令嬢で、寮でのルームメイトだ。ベスター公爵家と同じ四大公爵家のコルテス家の遠縁の彼女は、入寮当初はあまりお義姉様のことをよく思っていなかった女生徒のうちの一人だ。
「ディアお義姉様は、ローハルト殿下の企みに加担した女学生がいるのではと不安になっておられるようだけど、この女子寮で過ごしてあの方の敵に回る子なんていやしないでしょう」
「その通りだわ!私が言うんだから間違いないわよ。なんて言ったって、入学当初はディアレイン様のことを完全に誤解していたもの…。他の公爵家のご令嬢を蔑ろにして、母親のごり押しで王子妃の座を得たのだと思い込んでいたあの頃の自分を恥じるばかりだわ」
お義姉様は皆に好かれている。ご本人は何も特別なことなどしていないと言うだろう。ただ、あの人は周りの事をとてもよく見ていて、手を差し伸べるタイミングを絶対に間違えない。
◇◇◇
入寮当初、お義姉様をよく思っていないララと同室になった私はしょっちゅう彼女と対立していた。最高学年の女学生をさしおいて寮長になっていたお義姉様の事を「殿下の婚約者の立場をかさに着て上級生を押しのけた高慢な人」と批判するララに、そう思うならせめて堂々とお義姉様に言いなさいよと詰め寄る私。第一王子殿下の婚約者の公爵令嬢を相手に真っ向から訴えるなど到底出来なかったララは、同学年の女子の中から賛同者を募ろうとし、その行為が私には許せなかった。
「ちゃんと話したこともないくせに、お義姉様のことを想像で悪く言うだなんて。その上同調圧力で寮長の座から引きずり降ろそうだなんて馬鹿げてるわ!」
「話したことなくたって知っているわよ!たった二歳の頃に決まった未来の王子妃だなんて、本人は何の努力もしていないって丸わかりじゃない。血筋だけで選ばれた哀れな子供だってお父様もお母様も言っていたわ!!」
「ふぅん、ラウレー子爵家はとても愚かなのね。その発言は王家への批判と取られる覚悟の上でしているのかしら?」
「あなたを含めた周りの人間がそうやって擁護するから、ベスター公爵令嬢をますます増長させているのではなくて!?」
「お義姉様と話したこともないのに勝手な印象で決めつけないでちょうだい!!!!」
白熱して思わず手が出かけたところで、コンコン、とドアをノックする音がした。こんな時に誰よ…と苛立ちながらドアを開けると、そこには渦中のお方が佇んでいた。
「ユリアーナ、クララベルさん、少しお時間よろしくて?新入生の皆さんとお話しがしたくて、就寝前にお茶をご一緒できないかお誘いしているのだけど、どうかしら」
大声でいがみ合っていたので、わたしたちのやり取りは少なからずお義姉様にも聞こえていただろう。それなのにいつもと変わらない笑顔で、ララに対してもごく自然に接するお義姉様にララもたじろんでいた。
◇◇◇
談話室に移動した私たち三人は、色々なことを話した。アデリア王国の東方に領地があるベスター家とハッセ家は、西方に馴染みがなかったのでクララベルの話を興味深く聞かせてもらった。
「あら、もうこんな時間ね。そろそろお開きにしましょうか」
そう告げられて残念そうにしたのは、私よりララの方だったかもしれない。たわいもないお喋りだったけど、この短い時間でお義姉様がどれだけララに心を砕いていたことか。彼女が話しやすいようそれとなく西方についての話題をふったり、私たちの誰も日常的には馴染みのない南方から取り寄せた珍しい花茶をふるまってくださったりと、実に楽しい時間を過ごした。
「あの、ディアレイン様、私が先程部屋でユリアーナさんと話していたことは、そのう…」
「ん?お部屋でどんな話をしていたのかしら?」
「いっ、いいえっ、なんでもないんです!!忘れてください!!」
「そう?もし話したくなったらいつでも言ってちょうだいね。夕食後は大抵自室にいますから、気軽に訪ねていらしてね」
「お義姉様ずるいです!私も就寝前に毎日お会いして毎日おやすみなさいって言って欲しいです!!!」
「ちょっとユリアーナさん!いずれ義妹になる予定だからって、随分図々しいんじゃなくて?お忙しいディアレイン様にそんな…」
「いいのよ、クララベルさん。この子ってば昔から甘えんぼさんなのよ。はじめての寮生活で心細いでしょうし、どうか親しくしてあげてちょうだいね」
そう言って自室に戻っていったお義姉様は、いったいどこまでララのことを知っていたのか、今でもわからない。でも、あの日の三人でのささやかなお茶会をきっかけに徐々に視野を広げたララは、両親や親族の意見以外も広く取り入れるようになったし、私とも完全にはわかりあえてはいないものの、お互いお義姉様を支持すると表明して憚らなくなった。
「ディアレイン様は対立派閥の子にも親し気な微笑みを向けるし、そこまで親しくないハズの相手の事もよくご存じなの」
「お義姉様は、対立していようがいまいがどの子も等しく同じ学園で学ぶ平等な学生同士で、いずれ守るべき臣下なのだから、自分が知っていて然るべきだとお考えなのよ」
「その通りよ。それはね、ユリアだって平等に一人の学生ということなのだから。いつまでも自分が特別な立場だと思ってグイグイ行き過ぎないようにするのよ」
「わ、私は義妹になるのだから特別なハズよ!!!」
「あの方がそういった身内びいきをなさらないのは知っているでしょうに。現にテオドール様にだって毅然と接しているじゃない」
「ぐぬぬ…」
◇◇◇
軽口を叩きながら食堂へたどり着くと、ほとんどの女学生が集まっていた。
「ユリアーナさん、ディアレイン様は今どうしているの?ご無事でいらっしゃるの?」
「お父様が、ディアレイン様は修道院にお入りになられたからもうお慕いするのはやめなさいって言うんですの。そんなのあんまりだわ…!」
「本当に修道院でお過ごしなら、早く迎えに行って差し上げなくては――」
続々とお義姉様の安否を尋ねる声が上がる。あの夜会の日、私はエスコートしてくれる予定のテオと共に行動を制限され参加できなかった。そのため断罪の場に居合わせなかったのだ。その場にいればお義姉様をそんな目に遭わせなかったのにという思いと、お義姉様を擁護するような発言をしてよりお立場を危うくさせていたかもしれないという思いの板挟みになっていた。だから今日、テオがお義姉様に会いに行くというのを男子寮の寮監から教えてもらって、居てもたってもいられず寮を飛び出したのだ。
「安心して、みんな。テオドールが連絡を取ることが出来たの。ディアお義姉様はご無事だしお元気でいらっしゃるわ!」
その場にいる全員から歓喜の声が上がった。そのまま話せる範囲のことを伝えて皆にも協力を仰ぐことにする。
「ユリアーナさんが言う通り、この学園に在学する全女学生はディアレイン様派と言えるでしょう。ローハルト殿下に加担しているのは男子学生のみではないかしら」
「殿下に近しい殿方を婚約者に持つ子が、相手に乞われてディアレイン様の情報を伝えてるくらいのことはありそうですわね」
「そういえば今日は、ナナリーが来ていないわね。あの子の婚約者は殿下の側近候補だったはず…」
「アレッタも居ないわ。彼女の婚約者のコルギ男爵家は、未来の国王になるだろう殿下に取り入るのに必死だと聞いたことがあるわ」
不穏な空気が流れたところで食堂のドアが開き、噂のアレッタが真っ青な顔で入って来た。
「まぁ、どうなさったの?酷い顔色だわ。お水を持ってきましょう」
「…………破棄、されたの」
「破棄?」
「あたしも、ディアレイン様みたいに、婚約破棄されてしまったの―――!」
わっと泣き伏す彼女は、とてもじゃないけど何かを企んでいるようには見えなかった。




