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優しくない令嬢は婚約破棄される

作者: 蓮華

「ロゼティア・クラミス、君とは踊れない」


 婚約者から放たれた言葉に、ロゼティアは唇を噛み締めそうになるのをこらえた。


 今日は貴族の子女が多く通う国唯一の魔法学園の卒業パーティ。壮麗なホールに正装姿の男女が集い、婚約者や意中の相手、気の合う友人などと手を取り合い踊り、美味と美酒に舌鼓を打つ日だ。

 しかしその場で、ロゼティアは婚約者たる王太子からダンスを断られた。――これは、実質的な婚約破棄だ。

 学園の卒業パーティでは、踊る相手が限定されるわけではない。しかし婚約者がいる場合、ファーストダンスは必ず婚約者だと決まっている。それは『この方と生涯の愛を誓います』という宣言になり、卒業後に結婚することを誓うことになるからだ。


「……理由を、お聞かせ願えますか」


 声が震えないよう、未来の王太子妃として――そして未来の王妃として努力し続けて得た淑女としての仮面を被り、愛するひとを見つめる。


 銀髪に透き通るような白い肌、紫がかった青色の神秘的な瞳を持つ王太子は、天の寵愛を一身に受けたかの如く美しい。幼い日に初めて会った時の衝撃を、ロゼティアは忘れていない。この世に天の御使いが舞い降りたのかと思ったほどだ。

 滅多に表情が動かないのが玉に瑕だったが、そんなことは気にならなかった。幼い頃から冷静で感情を荒ぶらせることない彼は、ロゼティアにとって『王侯貴族のあるべき姿』だったからだ。


「……リルフェルミア嬢のことだ」


 愛しいひとの口から出た名前に、カッと頭に血が昇る感覚。同時に、ああやっぱり、という絶望が足下から這い上がってくる。


 リルフェルミア。名字がないのは平民である証拠で、入学してから王太子の周りをうろついていた娘だ。

 腰まで伸びる長い黒髪、ミルク色の肌に長い睫毛に縁取られた大きな黒真珠の瞳の、類稀な美少女である。平民ではあるが、莫大な魔力と治癒や結界といった希少な魔法を得意とすることから、特例で魔法学園に入学を認められた少女。

 一年生ゆえこの卒業パーティには出席していないが、その姿は脳裏に刻み込まれている。何度も見たからだ。何度も、何度も――ロゼティアの婚約者である彼と、一緒にいるところを。


「マナーがなっていない、常識がないと、衆目の中で何度も怒鳴りつけたらしいな」

「あれは……っ、彼女のためを思って!」

「お為ごかしはいい。リルフェルミア嬢のためを思うなら、なぜ取り巻きを大勢引き連れて言う必要があった? 彼女らも貴女の尻馬に乗って随分罵倒していたらしいな。そして貴女はそれを止めもしなかった」


 冷徹に光る切れ長の目に睨まれ、喉が引き攣る。

 確かに、確かに友人たちは一緒に来てくれた。しかしそれは、非常識極まりない王太子のお気に入りに注意せんとする自分を心配してくれたからだ。少しばかり興奮してきつく言ってしまったかもしれないが……。


「彼女に貴族としての常識がないのは、事実ですわ……!」

「当たり前だろう。彼女は今も昔も平民なのだから。学園は確かに貴族社会の縮図で、作法を学ぶ場でもある。だが貴族として生まれ生きてきた貴女たちと、たった一年足らずで同じ位置に立てと? ……なるほど、貴女たちは平民が一年しないほどで得られるものを十数年かけなければ得られないわけか」


 あからさまな侮蔑に、怒りで頬が紅潮する。品のなさを指摘しようと顔を上げたところで、王太子の表情に気づいた。


 ――怒っている。明らかに、柳眉を吊り上げ切れ長の目を眇めて。普段の無表情が、嘘のように。

 それだけでロゼティアは何も言えなくなった。初めて見る表情、彼の感情。それを引き出したのはロゼティアだが――それは、すべて憎らしい少女のためのものなのだ。


「リルフェルミア嬢は、平民なんだよ――だから、貴族のマナーを知るには、貴族と接するしかない。この学園では礼儀作法の授業も確かにあるが、すべて『ある程度の素地があること』を前提としているからだ」


 だから、他の貴族と直に接して、実践で学ぶしかないのだ。リルフェルミアも、他の特待生たちも。

 それは長い学園の歴史で暗黙の了解とされていることであり、王太子自身が入学式で言っていることでもある。


「『特待生たちは平民だが、国の未来に大きく貢献するであろう人材である。彼らを育てるために、皆にも協力してほしい』――確かに僕はそう言ったはずだ」


 そう、確かに言っていた。そして自分たちも了承している。学園はそうして、平民出身の優秀な魔導師を輩出してきたのだから。


「茶会に招く、積極的に話しかけ、手本となるような仕草を見せる――それらを十分にやってリルフェルミア嬢が覚えられないならまだしも、ろくに見せず教えず、彼女の至らぬ作法を笑い、貴女に至っては機嫌を悪くしてすぐに退席した」


 そうだ。見るに堪えない不作法に気分を害して、初めての茶会をすぐに退席した。そしてそれ以降の茶会に彼女だけは招かなかった。


「貴女の取り巻きも右に倣えだ。貴族令嬢の頂点たる貴女の怒りに触れることを厭うた男性陣も、彼女に関わりたがらなかった。だから婚約者の不始末を詫びる意味を込めて、私が代わりに指導していたんだ」


 その言葉に、俯きながら今度こそ唇を噛み締めてしまった。まさか自分の行動がふたりの距離を縮めてしまっていたなんて。


「ですがっ、入学式の日に、わざわざ殿下がエスコートして……!」

「エスコート? 迷っていたから案内しただけのことをそう言うのか」


 初耳だな、と吐き捨てる王太子の双眸は、氷よりも冷たく炎より滾っている。


「まだ弁解があるか、クラミス侯爵令嬢」


 もはや、名前で呼んでもくれない。『ロゼ』という愛称ではなくとも、以前まではきちんと呼んでくれていたのに。

 悲しくなりながらも、己を奮い立たせて顔を上げる。そう、悪いのはすべて平民でありながら、弁えずに王太子にまとわりついたあの娘なのだから。

 ロゼティアという婚約者がいるにも関わらず、下賤の娘に心を傾けた王太子も王太子だ。これで未来の国王とは!


 だが、続く王太子の言葉に膨らんだ戦意はあっという間に萎んでしまった。


「貴女の考えていることを当ててみせようか。『なぜ侯爵令嬢たる自分が平民に厳しく当たったくらいで責められなくてはいけないの』――だろう?」


 まるでロゼティアの心を読んだかのようなタイミングで言い放つ王太子に、背筋に氷の剣を突き立てられたような心地になる。


 そう、それこそロゼティアにとっての切り札。『侯爵令嬢』という、圧倒的に上の身分だ。平民からしてみれば、雲の上の存在に等しいのだ、ロゼティアは。


 確かに学園には『貴族も平民も平等に、身分に囚われることなく生活せよ』との規則がある。しかしそれはあくまで建前なのだ。学園は貴族社会の縮図。建前でしかない規則に縛られていては、いずれ本当の『貴族社会』に触れた時、恥を晒すだけだ。

 だから、ロゼティアは心を悪魔にして――


「『わたくしは心を悪魔にして指導しただけなのに』、か?貴女は本当に自分を正当化するのが上手いな」


 また言い当てられる。どうして分かるの、と悲鳴を上げたくなった。同時に、正当化が上手いという言葉に胸が激しく痛む。愛するひとから、おまえは卑しい人間だ、と言われたに等しい。


「……身分に囚われるな、は確かに建前かもしれない。しかしクラミス侯爵令嬢。建前は、最低限、表向きは守られるから建前なんだ。堂々と破ってしまえば建前じゃない。貴女のやったことは、学園の伝統を否定することだ」


 貴族も平民も分け隔てなく――そんな建前があるからこそ、『貴族は平民の特待生が貴族社会に慣れることができるよう指導するように』なんて言えるのだ。それがなければ、いくら魔力や才能に優れていようと、たかが平民を貴族が気にする必要はないのだから。


 身体が震え出すのを感じる。自分が悪いなどとは露ほどにも思わない。ただ、下賎な娘とそれに靡いた婚約者への怒りがあった。


「貴女は、身分を利用して人前でリルフェルミア嬢を徹底的に責め立てた。それは、学園の――延いては国の方針に反する」

「国、の?」


 突然大きくなった話に、困惑しながら瞬いた。

 対し、王太子は眉を顰めて応える。


「知らないはずないだろう。我が父、国王陛下が打ち出した方針は、式典のたびに繰り返されている。貴女も、初めて私と顔合わせした時に直々に教えられたはずだ。――『身分差をなくすことはできずとも、理不尽に虐げられる民がいない国にする』と」


 あ、と間の抜けた声が零れた。

 そう、そうだ。陛下は確かにそれを宣言して、実際に奴隷制度を廃止したり貧民窟に手を入れたりと行動を起こし、民からの支持を得ているのだ。

 なぜ忘れていたのだろう。決まっている。恋敵への怒りで頭がいっぱいだったからだ。


 血の気が引いていく。侯爵令嬢という立場で以て平民の彼女に厳しく当たったことはひょっとして、『民を理不尽に虐げていた』ことになるのか……?

 いや、いや! 内心で激しくかぶりを振る。

 理不尽などではない。だってあの女は、ロゼティアの婚約者に不埒にも言いよる売女なのだから。未来の伴侶として、ロゼティアは正しいことをしただけだ。


「それでも……っ。婚約者のいる身で、他の女性とふたりきりになるなど!」

「ふたりきりになったことなどないが」


 即答されて、ぽかんとしてしまう。


 目の前で、人間離れした美貌が怒りから呆れに表情を変えていた。


「近くには常に側近たちがいた。当たり前だろう。未婚の男女がふたりきりになるなどあり得ない」


 中庭のベンチでふたり並んでいた昼休み。放課後に勉強していた教室。ダンスの練習をしていた休日。

 今までロゼティアが見てきた『不貞の現場』が、まざまざと思い出される。憎しみで視野狭窄になったロゼティアはふたりのことしか見えていなかったが、その場には側近たちが、いた?


「……もういいか。皆、騒がせてすまな――」

「なぜっ!」


 黙り込んで唖然と見ていた卒業生やその家族に声をかけようとした王太子に、これだとロゼティアは声を張り上げる。彼を責められる一点を見つけたことで、目がぎらぎらとぬめり光っていた。


「なぜ、このような場で婚約破棄を宣言するような真似をしたのです! もっと穏便にする手立てもあったはずです、このような、皆に迷惑をかけてまで……!」


 王太子の瑕疵。非常識極まりない行動。それを糾弾することで流れを得ようとして、


「さんざん話をしたいと言っていたのに、今日まで私を避けていたのは貴女だろう。このパーティでダンスをしてしまえば結婚するしかなくなるから、この場で断るしかなかったんだ」


 素気無く切り捨てられ、瞳から光が消え失せる。


 確かに平民の娘と彼が距離を縮めるところを見たくなくて、彼への怒りを示したくて、話すどころか顔を合わせることすら避けていた。

 だけどそのせいで、こんな見せしめのように捨てられるなんて。


「……わたくしと殿下の婚約は、王命ですわ。殿下の一存で――」

「もちろん陛下の許可は貰っているし、貴女の家にも根回し済みだ。手抜かりなどない」


 悪あがきのように、しかし絶対の切り札だと王命という言葉に縋ってみたが、それすら何の効果もなかった。

 それどころか、陛下もロゼティアに否があると認めたということだ。クラミス侯爵家の未来すら危うく思われ、吐き気が込み上げる。


「……もう、申し開きはないな?」

「――彼女は」


 憎悪に身を震わせながら、か細くもはっきりと声を出す。

 明るく優しい可憐な乙女――そう装って、ひとの婚約者に擦り寄った売女の素顔を暴いてやるために。


「わたくしたちのことを、逐一殿下に報告しましたのね。――涙でも流されて、絆されましたの?」


 それは、王太子に対する明確な侮辱だった。

 王太子からロゼティアへの発言も相当侮辱的だったが、向こうには少なくとも『無辜の少女を虐げていた悪女を制裁する』という大義があった。紳士が女性にすることではないと言われようと、そうしたくなる理由はあった。

 対して、ロゼティアには何もない。ただ、気に入らない平民にかまける婚約者への当てこすりだ。そもそも王太子がリルフェルミアを気にかけなくてはいけなかったのは、ロゼティアのせいなのだから。


 しかしロゼティアは、貴方が心を傾けた女は、当然の指摘をいじめだと泣いて男に縋るあばずれだ、と言ってのけたのだ。


 だが、王太子は激昂どころか、救いようのない馬鹿を見る目でロゼティアを見下ろした。


「いいや。彼女は何も言っていない。貴女たちのことなんて一言も。――貴女は、自分が王太子の婚約者として、王家から派遣された『影』が常についていることを知らないのか?」


 ロゼティアはとうとう言葉を失った。未来の王太子妃の護衛と素行調査を兼ねて、王家から派遣される『影』の存在――つまりは彼らが、ロゼティアの行動を王太子に報告していた、それだけのこと。

 当たり前だ。彼らはあくまで『王太子妃』についているだけで、王家の命令で動いているのだから。その日あったことは王家に報告される。ロゼティアが王太子妃に相応しくないことをしたことも、だ。


 そしてリルフェルミアは、裏などない本当に純真無垢な少女だったという事実が残る。

 理不尽に蔑まれ怒鳴りつけられ嘲笑われても、何ひとつそのことを王太子に相談せず、気丈に振る舞った健気な娘として。


「……クラミス侯爵令嬢。貴女は思い込みが激しく、苛烈で、身分に厳しすぎる。貴女の言っていることは確かに正しい。正しいが、それだけだ」


 ひたり、と神秘的な青の瞳がロゼティアを見据える。


 見つめられるだけで胸が高鳴っていたのに、今は死刑宣告を受ける心地になる。


「貴女は正しいが――優しくない。民に優しくできない貴族は、国母に相応しくない。国王陛下もそうお考えだ」


 それで、終わりだった。

 王太子どころか、王にまで否定された令嬢など、『正しいわけがない』。


 その場で崩れ落ちそうになったロゼティアを、両側から支える誰か――王太子の側近たちだ。

 ロゼティアを助けるためでないことは一目で分かる。ふたりとも、極寒の目でロゼティアを見下ろしているから。


「クラミス侯爵令嬢は気分が悪いらしい、運んで差し上げろ。――さて、皆の者、騒がせてすまない。パーティを再開しよう――」


 両側から支えられたまま、パーティホールを退場させられる。


 なぜ、どうして、わたくしは正しいことをしたはずなのに――いや、正しくなかったから。正しくなかったから、こうして捨てられたのだ。


 嫉妬するにしても、何の罪もない少女に当たるべきではなかった。そもそも嫉妬することになったこと自体、彼女が貴族としての常識を学ぶ機会をロゼティアが奪ってしまったせいだった。


 友人を引き連れて怒鳴りつけるのは、一般的に吊るし上げと言われる行為だ。とてもじゃないが、高貴な貴族令嬢がするようなことじゃない。

 そんな簡単なことが、今さら理解できる。


 きちんと王太子と向き合って話していれば、こんな惨めな婚約破棄をされる必要はなかった。浮気症の男なんかと話すことなどありませんと、傲慢にも王太子相手に思ってしまった。


 すべて、すべて――ロゼティアの思い込みで、醜い思い上がり。


 リルフェルミアは、困っていても頼る相手がいないから、唯一手を差し伸べてくれたひとに縋っただけの、ただただ心優しい少女だった。


 もはや絶望に悲鳴を上げることすらできず、ロゼティアは家へと帰る馬車へ押し込まれた。

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