3.理想の男性
「うわぁ〜、バッキンガム宮殿みたい……」
口から漏れた小さな呟きは隣の母には届かなかったようで、無反応のまま雑音の中に溶けていった。
目の前にはウチにも劣らない宮殿がドドンと建っている。
この世界に生まれて、初めての外出でやって来たのがこのバッキンガム宮殿……いや、“スレイン公爵家”だ。
なんと、勇者と共に魔王を倒した戦士の血筋のお家なんだとか。
まさか家人以外に初めて会う人が、同格の公爵家の人々になろうとは思わなかった。
何か失礼があったらどうしよう。礼儀作法は家庭教師に教えてもらっているが、緊張して粗相する未来しか見えん。
「さぁユーリちゃん。参りますよ」
宮殿の入口付近に横付けした馬車から降りると、まず出迎えてくれたのはきっちり制服を着込んだ使用人の皆様だ。ここまでは我が家とあまり変わらない。
メイド服って家ごとに若干異なるんだなぁ。なんて考える余裕もあった。
しかし……
「ソフィア! お久しぶりですわ!!」
「まぁ!! ケイティ!! お招きくださりありがとう存じますわ」
弾丸のような勢いでこちらにやって来て、母と手に手を取って喜ぶ女性。母が日本人の美人寄りモブなら、この女性は日本人の美人女優だ。
「よくいらして下さいましたわ! あら、まぁまぁまぁ!!!! なんて美しい淑女なの!! ソフィア、もしかしてこの小さな淑女がクラウス公爵家の至宝ですの!?」
私から見たらすごい美人が、目が合うなり抱きしめてきた事で頭が真っ白になった。
「ええ。ユーリちゃん、きちんとご挨拶できるかしら」
「へぁ!? は、はいっ」
母に言われ、ボリューミーなお胸で潰れ魂の抜けかかっていた私はハッと意識を取り戻す。
この方はどうやら母のお友達のスレイン公爵夫人だと思われる。失礼のないようにきちんとご挨拶せねば!
「おはつにお目にかかります。わたくしはクラウスこうしゃく家のちょうじょ、ユーリ・クラウスと申します」
家庭教師に教わったカーテシーを披露すれば、「きゃ〜!! なんて愛らしい!!」という喜色を含んだ声と絶叫の「キャーッ」がカルテットのように宮殿内に響き、バタンと何かが倒れる鈍い音が複数、周りから聞こえてきた。
一体この家に何が起きた!?
「あら〜、大変。ユーリちゃんの可愛らしさに失神者続出」
そんなバカな!!
というか、母ののんびりした声音にガクブルだ。こんな時に出す声じゃない。
「騒がしくてごめんなさいね。最近はあまり失神もしなくなったはずなのに」
「?」
よく分からないが、失神はたまにある事らしく大事にはなっていないようだ。
その後スレイン公爵夫人は、何事も無かったように公爵夫人らしい気品をもって美しいカーテシーで私に挨拶を返してくれると、そのままお茶会の会場であるサロンへと案内してくれた。
サロンにはすでに数人のご婦人方がおり、私達が最後の招待客のようだった。
ご婦人方は母に挨拶すると、私の顔を見て一様に驚いた後、うっとりとした表情へと変わる。
この世界は本当に、この平たいモブ顔が至上なのか……。
なんか怖い。
こんなモブ顔のどこが良いのか、私の話題を中心にお茶会が始まり、ご婦人方から猫可愛がりされて、お茶会終了間際にはヘトヘトになっていた。主に精神面が。
「そうそう、ユーリちゃん。私には息子が2人居てね、後で紹介したいのだけど良いかしら」
まだ何かあるの? 正直帰りたい。
しかし5歳といえど貴族の娘。主催者からの誘いを断るわけにもいかず、頷くしかなかった。
◇◇◇
あの時帰るという選択をしなくて良かった!!
お茶会が終わり、私と母だけが公爵家に残った事で、サロンではなく別室へ案内されたのだが、そこへやって来たのは夫人が言っていた息子2人だった。
そして私は出会ったのだ。運命の人に。
「……ルドルフ・スレインだ」
ぶっきらぼうにそう言い放ち、フンッとそっぽを向いた男の子。
マルチーズのような、ふわふわのシルバーブロンドの髪に、透き通るような白い肌。アーモンド型のぱっちりお目々は長いまつ毛に縁取られ、すっと通った形の良い鼻にアプリコットピンクの唇。彫りの深い顔立ちはビスクドールのように美しい…………
っっっとんっでもねぇ可愛さだなおい!!!!!!
「こぉらルドルフ、きちんと挨拶できないと可愛いレディと仲良くなれませんよ」
「っ母上、僕はなかよくなりたいなんて思ってない!」
「あらあら、恥ずかしがり屋さんね」
「ちがう!」
真っ赤になってキャンキャン吠えてる。この子、マルチーズだ!
ど、どうしよう。理想の男性に出会ったかもしれない………………本当に男の子だよね? 人形みたいに可愛いんだけど。
「弟が申し訳ありません。いつもはこんな事ないんですが……」
お兄ちゃんの方は私から見ると、日本人のアイドルのようなお顔だ。かなりしっかりしてるなぁ。6、7歳位だよね。でも弟のルドルフ君の美貌で霞んで見える。
日本人顔だからこの世界ではかなり格好良いのだろうけど。
「いえ、だいじょうぶです。ルドルフさまともっとお話ししたいのですが、よろしいでしょうか?」
「え!?」
夫人にキャンキャン吠えていたルドルフ君が、勢いよく振り向いた。綺麗なアーモンド型の瞳を目一杯開いており、零れ落ちそうだ。
「まぁ! ソフィア、ユーリちゃんもこう言っているし、二人でお庭をお散歩させても良いかしら!」
「もちろんですわ。ユーリちゃん、ルドルフ君と仲良くお庭をお散歩できるかしら?」
「はい! ルドルフさま、お庭をあんないしてくださいますか?」
半ば強引に手を取り、生まれて初めてあざと可愛くお願いしてみる。
「っ……」
ルドルフ君は顔を真っ赤に染めて何か言おうと口をパクパクさせるが、言葉が出てこなかったようだ。母達はそれを微笑まし気に眺めていた。それで余計に羞恥心を増したらしく、些か乱暴に手を引っ張られ庭に連れ出されたのだ。