第三話 俺専用リョーコ(前半・一)
ここニホンに於いて、悪魔の侵攻が始まってから既に五年の時が流れている。
奴らは基本的に神出鬼没であるがその都度侵攻の爪痕というものは街に残っていき、その為に悪魔の影響が色濃い区域も出来てしまっていた。
人が殆ど住まなくなった区域も在るが……。
しかしそれは、悪魔の力を受け継ぐ人間アラヤにとっては好都合ともなったのだ。
――とある一軒家を、アラヤとゴモリーは住まいとしている。
周辺には人の住む家は無かった。
「まったく、こうも早々に貴様の治療をする事になるとは思わなかったぞ」
顎の張った、がっしりした体格の男が、アラヤの右肩の傷に包帯を巻きながらそう言った。
気難しそうな顔つきは強面とも見えるが、紺色のベストを着用している姿は知的とも取れ、また傷の回復を早める軟膏を先に塗っていた時の手つきは繊細でもあった。
彼もまた、悪魔なのである。
「俺だって思わないよハーゲンティ。でもあの修行空間の中で予め、『街に戻ってからも引き続き世話になるぞ』――とも言ってたろ?」
アラヤの言葉に、彼――ハーゲンティは眉間に皺を寄せた。
「ゴモリー、とにかくこいつにあまり無茶をさせるな。右腕が使えなくなったら問題だろうが」
アラヤに言っても無駄であろうと判断したから、台所に居るゴモリーに言ったのだ。
ハーゲンティはゴモリーの意思に賛同する悪魔であり、アラヤにも協力している。
彼の半年に及ぶ修行期間中は主にフィジカル面でのケアを行っていた。
アラヤは無茶をしてはすぐ、彼の元に飛び込みその治療技術の世話になっていた。
そんな付き合いから、ハーゲンティもまたアラヤの心の性質を重々承知しているのである。
「そうだけれど……。でも私は、アラヤには出来るだけ自分の意思を通す戦い方をして欲しいと思っているのよ」
赤い長髪を後ろに括った姿のゴモリーが、黄色い液体の入ったコップを三つ乗せた盆を持って現れた。
「オレンジジュースとは、貴様もアラヤと共に過ごす内にすっかり舌が子供になったな。悪魔の女であれば例え昼間であろうと、ワインの一本でも飲んでみせんか」
皮肉のように言うハーゲンティに、しかしゴモリーはふと笑顔を見せる。
「朴念仁なタイプの貴方には、分からないのかもしれないわね」
「なんだと?」
「味の好みが近付いているというのは、それだけ私がアラヤと仲睦まじい証拠なのよ。私は寧ろ喜ばしく思っているわ」
慎ましげにそう告げた彼女。
「……もういい、お前と話していると何故だか胸やけを起こす」
ゴモリーのいつでも変わらないアラヤを立てる姿勢に、ハーゲンティはうんざりした様子でテーブルの上に置かれたコップを手に取った。
「――ふん、甘ったるい味だ」
それは多分、ジュースの味だけの所為ではない。
ゴモリーがちらりとアラヤを見遣る。
アラヤの方はというと……。
「……右腕が治るのにどれ位掛かる?」
……とハーゲンティにそう尋ねたが、その視線はやや泳いでいるようだった。
「俺が用意した軟膏をきちんと塗って安静にしていれば、そう長くは掛からん。安静にしていればな」
「それは悪魔達の行動次第だろ、俺に二度言ったってどうにもならないっての。――で、そこの所どうなんだゴモリー?」
悪魔が人間に危害を加えようとするのなら、アラヤにはそれを黙って見過ごす考えが無かった。
「民衆を直接襲う事を由とするアガレス一派が目立った動きを見せていないのは、まだ幸運ね。奴らとの戦いは肉体面での消耗が激しくもなってしまうから……。他の、ニホン人を間接的に襲う悪魔達を狙ってみるというのはどうかしら」
「あー、それな……」
ニホン人を襲う悪魔達は一枚岩という訳ではない。
概ねは人間の精神の力である掬火を奪うという点で共通しているが、その為に取る手段の違いから、幾つかの派閥に分かれているのだ。
人間の組織にだってそうしたものは有るのだからと、そう考えれば頷けはするが。
ここで問題なのは、アラヤにとって戦い易い悪魔の派閥と、そうでない派閥が存在するという事だった。
――(二)へつづく――