第一話 苛烈にヒーロー、やってるのさ(後半・一)
自動ドアが開くと同時に、アラヤの耳に悪魔と人間の喚き散らす声が入ってきた。
悪魔達は概ね人間を襲う事に、愉快げであるように見える。
人間達は概ね悪魔に襲われる事に、恐れをなしているように見える。
「このとっ散らかった感じも久し振り。半年経っても、大して変わってない、か……」
アラヤはそう独りごちる。
彼の目の前で今、悪魔が手にした青白い刃の剣で一人の青年の腹を刺した。
刺し込まれた箇所からは血が出ていない。
「あ……ああ……!」
しかしその代わりに、何やら赤く鈍い光の筋が青年の傷から現れて、悪魔の剣へと吸われていく。
――掬火……あんな風に、血が流れないのがいけない。
アラヤは赤く鈍い光の筋――掬火を見て、そんな事を思っていた。
人間の精神の力である掬火。
それを人間自身がそもそも大事にしているのかという疑念が、アラヤの中には在る。
掬火を吸い取り終えた悪魔が剣を引き抜くと、青年は力無く地面に倒れ込んだ。
死んではいないだろうが、次にいつ目覚めるかは、それこそ彼が元々持っていた掬火の強さに左右される。
目覚める前に体が衰弱して死に至る可能性もゼロではない。
悪魔が扱う青白い刃の武器。
それは人の体に優しく侵入し、抜いた後も傷跡を残さない。
だからだろうか、人間達は襲われ終わった後には苦しみとは遠い安らかな顔をして眠るのだ。
青年の顔も同様であるが……しかしアラヤはその顔を見て、舌打ちをするのである。
悪魔に歯向かう気が無いどころか、最後にはその強制的な安らぎを結果として受け入れてしまっている事を、気に入らないと感じるからだ。
「ヒャハハ! わざわざ建物の外に出てくるとは、馬鹿な坊やだねぇー!」
頭上から、これまた愉快げな悪魔の声がアラヤの方へと向けられる。
見上げてみればその悪魔は、蝙蝠のような羽が生えた優男のような外見をしていた。
顔つきは糸目と言える極端な細い目に、笑った口は大きく開き両端が異様な位に吊り上がる。
「……フレンチキッス属か」
姿は人間に似ていつつ、しかし部位毎に見れば人とはかけ離れた何かが特徴として有る――それが軍団を構成する有象無象の属体悪魔達。
フレンチキッス属――個体ではなく群として扱われるそいつが、先端がフォーク状に枝分かれした槍を手に襲い掛かってくる。
これも、穂先が青白い。
「お前の掬火も頂いてやるぜ、ヒャハハー!!」
アラヤはこのフレンチキッスと遭遇した時から今ここまでの間、ずっと奴の軽薄な口調と笑い方にイラついていた。
「誰がやるかよ――!」
イラつきながら、左手の人差し指を奴に向けて細かく動かす。
指先の、赤い爪が描く軌道が、淡く光って何かの紋様を形作っていく。
宙に浮かぶ紋様、それは印章というものだ。
その印章からまるで湧き出てくるように、フレンチキッスが持つそれよりも長く強靭な騎槍が出現した。
赤い軍旗を付けた、おとぎ話の馬上の騎士が扱うような長い槍。
それをアラヤは左手一つで持ち、握り込んで脇を締める。
「何――げぎゃあっ!!」
フレンチキッスの槍がアラヤの体に届くその前に、突き入れた騎槍が奴の胸を刺し貫いていた。
背中側からは勢い良く血が吹き出し、胸からも返り血がアラヤの白いカッターシャツへと降り掛かった。
「ごばっ……!? そ、その軍旗はまさか、まさかアスモ――」
奴が言い切る前に、アラヤは騎槍を掲げて振り被るような構えを取る。
「修業の成果引き出すからさ、もうちょい付き合えよ」
アラヤが奴にそう告げる。
口調はあくまで、仄かにイラついてる感じを出しているだけだが……。
彼のその視線はフレンチキッスの驚愕の表情よりも、騎槍に刺されている胸の傷の、滴る血をこそ捉えている。
その眼が放つ静かな威圧感に、フレンチキッスは悪魔でありながらゾッとした。
「げぎゃああ! なんか、なんかえげつ無い事をされそうな予感ーーー!!」
きっと悪魔だったからだろう。
悪魔だったからこそフレンチキッスは、これから自分の身に起きる悲惨な出来事を、嫌な事には見向きもしたがらない人間と違って素早く鮮明にイメージする事が出来たのだ。
「舞い散れ、血潮」
アラヤは独り言みたいに淡々と言った。
どうやら彼には、相手とまともな問答をする事には特に拘らないという、そんな会話の癖のようなものが有るらしい。
アラヤが左手一本で長槍を大きく振り被った。
「ひぎゅっ!」
振り被った事に依る遠心力でフレンチキッスの体は騎槍からすっぽ抜けて、そのまま勢い良く宙を舞う。
傷口から血飛沫を撒き散らして、最終的には建物の外壁に激突した。
アラヤはその最中にも右手人差し指の赤い爪で軌道を描き、さっきとは形の違う印章を浮かび上がらせている。
「ハッ!」
印章に今度は右掌をかざした。
アラヤの爪がギラつく光を露わにして、その光に呼応するように印章から波動が放たれて、悪魔の血飛沫へと向かう。
波動を受けた血が膨れ上がりながら変化を起こし、なんと紅蓮の火となって、意思持つように他の悪魔達へと襲い掛かっていく。
「アギャアア!!」
「ゴバアァッ!!」
纏わり付く高熱の火に悶え苦しむ悪魔達。
その異形の光景に、ただ逃げ惑うだけだった人々が徐々に興奮し始めた。
「なんだ、何が起こった!?」
戸惑いと、それでも悪魔の危機から一先ずは脱せられた事の安堵が入り混じった声色が、そこかしこで上がっていく。
ブラッド・バースト……もしアラヤがその魔技の名を発動の際に叫んでいたなら、彼らは胸を熱くしていただろうか。
――(二)へつづく――